turn_me_on 1
「どうしました、御坂さん」
ふいに現実に引き戻され、美琴は自分の目の前を歩く友達の顔をまじまじと見ることになった。
頭の上に花でも生けているような少女や、黒髪ロングで携帯音楽プレーヤーに一一一(ひとつい はじめ)の最新シングルのジャケットを
表示させ見せびらかせている少女が前を歩いていたが、今は美琴を見上げるようにして心配そうにしている。
どれだけボンヤリとしていたのだろうかと思い返してみれば、何時からそうだったのか思い出せない程度に長い時間ボケっと歩いていたのだろう。
美琴は何でもないわと二人を心配させないように明るく振舞うが、そう言われてもはいそうですかと素直に納得は出来ないだろうと美琴自身も思う。
「まぁまぁまぁお姉さま。お姉さまがボンヤリしていらっしゃる理由、わたくし分かっていましてよ」
愛しのお姉さまの隣を歩くことを何よりの悦びとしているルームメイトで後輩の少女、白井黒子がニヤニヤと生暖かい視線と表情を向けた。
ビクゥとちょっとばかり飛び上がった美琴と対照的に前を歩いていた二人が食いついた。
釣り堀の魚でももうちょっとは餌に対して知らんぷりを決めるでしょうと白井は呆れ顔で呟くが、
頭に花を生けているかの様な初春飾利や音楽プレーヤーをポケットにしまいながらキラキラァっと顔を輝かせている佐天涙子は特に気にしていない。
「く、黒子っ」
「……ふふふ、わたくしの予想が正しくないことを祈っていますわ」
美琴が白井の口を物理的に塞ごうと羽交い締めにしようとするが、普段の白井なら喜んで自分から身を差し出すところでも今日は違うらしい。
「お姉さま、わたくしを捕まえたければご自分のお口から初春と佐天さんにお伝えなさってくださいな。出来なければわたくしの口から言いますわ」
テレポートで初春の後ろへ飛んだ白井はそう言うと、初春や佐天の顔は美琴の方を向く。
うっ、とたじろいた美琴に詰め寄ろうとした二人だったが、白井に襟を掴まれた。
キラキラとして面白そうな話に飛びかかる寸前の顔をした二人の視線が痛くて美琴は白井へと視線を向ければ、
そこには観念なさいなとツインテールが左右に揺らしている後輩が居た。
「お姉さま、『あの殿方』と連絡が取れなくてそんな醜態を晒していらっしゃるんでしょう?」
白井は心底残念だという気持ちを隠さずに吐き出すようにして言った。
「ななななななっ、何言ってんのよ!!」
美琴はボンッと顔の温度を急上昇させて真っ赤にすると、あわあわとその場で慌て出した。
あの殿方。
その人物が誰なのかさっぱりな初春と佐天は互いに顔を見合わせて情報を交換するが、
情報が無ければ聞き出せば良いと美琴か白井へと向かおうということになったらしい。
まずは口を開いた白井へと矛先を向ける。
「白井さん。『あの殿方』って?」
単刀直入にズバッと尋ねた方が友達関係にもヒビが入らないもので、明け透けな態度で佐天は言った。
「わたくしと一緒に居た初春、あなたなら覚えていると思いますの」
「え? 私、見ましたっけ?」
「大覇星祭でお姉さまが借り物競争をしていらっしゃったのを、巨大モニタで一緒に見ていたでしょう。
ま、リアルタイムではなく順位結果とちょっとしたリプレイだけでしたけれど」
「あー、エアコンきいて快適な部屋でのんびり休んでいる白井さんに我慢できなく……退屈されてるだろうと友情を発揮して外へお誘いした時ですね」
甘ったるい飴玉を転がしたような初春の声は男性相手なら効果があるのだろうが、
同姓が聞けばかわいこぶっているようにしか見えないもので、白井は車椅子で連れ出されたのを思い出して舌打ちした。
「で、それが何なんです?」
「その時、お姉さまが借り物として連れて走っていた方が『あの殿方』の正体なんですの」
「……私、御坂さんの姿に興奮する白井さんを抑えるのに必死で見てませんよ」
ジトォっとした初春の暗い視線を受ければ澄ました顔で受け流すのが白井だ。
話に加われない佐天だったが、美琴が完全に停止してしまったので
立ち往生する後ろの通行人を行かせるために美琴を引きずって邪魔にならない所へやった。
「御坂さん。御坂さんってば」
肩をゆする佐天の看病の甲斐もあってか再起動した美琴は、大きくハァと溜息をついた。
「あの……別に言いたくなかったら言わなくても良いですよ。その、そーいうの恥ずかしいっていうの分かりますし」
そう佐天から気を使われた美琴は、持ち前の面倒見の良さと素直になれない性格がシェイクされてこう切り出した。
「とりあえずお茶にしましょ。そこで話してあげる」
いつものファミレスは今日も適当な人数の客が適当な感じのメニューを頼んでいるらしく、
適当に数が足りているウェイトレスが美琴達の陣取った席へメニューを持ってやって来た。
適当に普段と同じようなメニューを頼むと、店員も大体の予想がついていたのだろうか
やや親しさを込めた笑顔で注文を受けて下がって行った。
目の前に置かれたお冷を手にとると、美琴の手の中でグラスが傾きカランカランと音を立てる。
「何から話せば良いのかしら」
誰に言うともない呟きはファミレスの雑音に消えて行くかのように思えたが、白井だけには聞かれていたようだ。
「最初から、とは申しませんわ。お姉さまと『あの殿方』とのご関係だけでも」
初春と佐天は美琴の性格を考えてか黙って待つことにしたらしい。
自分という人間を理解されているのがこんなに嬉しいものか、と美琴は引き攣った笑いを浮かべた。
つまり、逃げ場なんて無いということだ。
つい五分前の自分に説教をしてやりたいと美琴は思った。
「あーもう、分かったわよ。言いたくない所もあるから全部話すことはないけど」
「そっ、それでも良いです!」
憧れのお嬢様。そのお嬢様でも世界有数のお嬢様学校である常盤台中学に通う、お嬢様中のお嬢様な美琴の恋愛である。
初春に興味が湧かないはずはなかった。身を乗り出し気味の初春と打って変わって、佐天は美琴を無理やり吐かせるような真似になってしまい済まなそうにしている。
そんな佐天を見ていると無性に保護欲をかきたてられてしまうのが美琴である。
「えーっとね。始めに……」
美琴は、自分が善意で提供した細胞から出来た妹達やその子達を使った実験の顛末、
そして医療で使う心電図用の電極やコードを引きちぎったボロボロの姿で現れた『あの殿方』である上条当麻と
その時のやり取りをどう説明したものかと頭を悩ませた。
語りたくないというのはもちろん恥ずかしいというものが大きいのだが、とにかく面倒なのだ。
上条当麻という人物を説明するには避けられない物が多すぎる。完全に一般人である佐天はもちろん、
風紀委員(ジャッジメント)である白井や初春にもおいそれと聞かせるべきではない情報だと美琴は思う。
伝えるべき情報の取捨選択をしつつ、改めてあのツンツン頭のどこが好きなのだろうと考えているうちに美琴は上条とのある場面を思い出していた。
・2
思いっきり走ったせいか、美琴と横でバテているツンツン頭の少年は何も言わずに呼吸をするだけの生き物となっていた。
アスファルトに座り込みぜいぜいと荒く呼吸をするツンツン頭の少年、上条当麻は美琴を見上げながら呆れたように言った。
「ったく、急に能力を暴走させるなんて、そんな素敵イベントなんて上条さんは聞いてませんが」
「うっ、うるさいわねっ。あたしにも理由が分かんないんだから、ちょっと考える時間やりなさいよ!」
先程の自分の失態を美琴は思い返してみた。
自販機に小銭を入れて缶ジュースを購入するという、世間一般で普通の行為をしたせいか、
美琴は能力を自制出来ずに漏電させてしまい、しまいにはバチバチバッチーンという物凄いスパーク音をあげて電撃を炸裂させてしまったのだ。
もうあの自販機は使い物になるまいと、自販機のあるだろう方向を向きながら手を合わせる上条の頭を一回思いっきり小突き、
美琴はこめかみをポリポリと掻いた。
「ったく、自販機にハイキックしなくなったと思ったら、ついには電撃を放ってぶっ壊しちゃうとはな」
「あ、あれは! ……仕方なかったというか何というか」
最後の方は掠れてしまい上条へは届いてないようだ。
いい加減息を整ったようで上条は起き上がり、うんと伸びをして、
「これからどうする? お前、何か飲むつもりだったんだろ?」
「それを知ってどうすんのよ」
「別にどうもしねぇけど。のども乾いて無いのに何かジュースを買おうとしてたのか? そんなに好きなのかあの自販機のジュース」
そんなわけないだろと言ってから、ではどうしてジュースを買おうとしていたのか説明出来ない。
勝手に会えば気まずくなるだろうと決めつけていた相手が急に現れたのでビックリして、
それでつい自販機に蹴りを入れている事に誤魔化しました、なんて言えるわけがない。
不思議そうに、というか呆れたようにしている上条は、モジモジし始めた美琴にも飽きたのか「それじゃあな」と立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「何だよ。まだ何かあるのか?」
そう上条に言われれば特に用事なんて無い。けれど、もうちょっとだけ一緒に居ても良いじゃない
(などと、意識しているのが自分だけだと分かっているのだが)と美琴は思った。
「ま、ちょっとだけだぞ」
飛び上がって喜ぶ美琴を見て「少しだけだからな!」と上条は付け加えるのを忘れなかった。
「分かってる分かってるって! 無駄に走らせちゃったお詫びに美琴センセーがジュース奢ってあげるから」
年下に奢られるという状況に肩を落としている上条だったが、いつも金欠している台所事情からすれば何も言えない。
美琴は何が好みかも聞かずに近くの自販機へと走っていった。
「ほら、飲みなさいよ」
ちゃんとした手続きによって購入されたヤシの実サイダーを投げて渡してくる美琴に一応の礼を言いつつ、
上条は手近なベンチに座りプシュっとタブを開けた。
爽やかなヤシの実の汁の味が口の中に広がり(上条はヤシの実の汁なんて飲んだ事ないのだが)、
散々走った疲れも飛んで行ってしまいそうになる。
上条が干涸びた体に水分を与えている横に美琴はちょこんと座った。
どうしてもあの夜の出来事が尾を引いているのだ。
湯上りゲコ太ストラップを得る為にスタンプ集めに行った銭湯の帰り、『無酸素警報』などという第二二学区特有のデンジャラスイベントに鉢合わせたあの夜。
第二二学区の第七階層にあるホテルにでもチェックインしようとした時、
物陰から現れた上条の姿を見た時は、美琴の中で驚き以外の感情がすっぽり抜け落ちてしまったかのようになってしまった。
「ん? なんだよ御坂」
そう言う上条の顔は、瞳孔の開き方が違っていたあの時とは違って生気に満ち溢れていて、美琴は改めてホッとした。
「ううん何でもない……」
自分がじっと上条の顔を見ていた事に気付けば恥ずかしさが襲ってきた。
上条も美琴のそんな態度に思う所があったのか空を見上げる。
出会った時にはすでに殆ど夜に近い夕空だったが、今はもう真っ暗な夜空しかない。
繁華街や外灯の明かりを浴びた上条は、中学生である美琴と違い大人に向かっている青年の顔立ちをしていた。
そんな横顔に見とれていたのか、美琴はハッと気がついて膝の上に置いていた両手に視線を落としチビチビと黒豆サイダーを舐めるように飲んだ。
「なぁ、御坂」
足を投げ出して空を見上げたままの上条はポツリと吐き出すように呟く。
うんと頷くだけの美琴は上条が何を言いたいのか何となく分かった。
「あの時はありがとな」
「ありがとうって?」
「俺の力になれる! って言って、代わりに闘うって言ってただろ」
急に半死半生な上条が出てきてパニックになっていたのと、状況が作り出した雰囲気のせいだとは美琴は言えなかった。
確かにあの時は勢いで言ったのかもしれないけれど、それは嘘ではない。上条が望むなら代わりに戦って治療に専念させていただろう。
そして、あの時自分の中に産まれた、『自分だけの現実』という精神の制御法を粉砕するほどの巨大な感情を否定することはできない。
もちろん美琴に否定する気なんてさらさらなかったが。
「本気だったんだから。あんたが頼めば代わりにボッコボコにしてあげたわよ」
いい加減、黒豆サイダーにも見飽きたと言い聞かせて上条の方を向けば、上条は美琴を見ていた。
目と目が合い、美琴は上条の瞳の中に自分の姿を確認する。
酷く慌てていて、美琴の後輩でルームメイトの白井が見れば何と無様な姿だと笑い転げるような顔がそこにはあった。
「ま、終わったんだから良いじゃねぇか。俺は無事だったんだし、お前だって無事だった。って事でさ」
「そりゃあまぁ、それで良いんだろうけど」
「きっと正解なんて無いんだろうけどさ、俺は自分が納得したことしかやりたくないんだよ。
思い出せない過去の俺が今の俺を見て納得出来ないことはやりたくないんだよ。この体のどこかに残ってる昔の俺がやるべきことを教えてくれる」
上条にあの時のような危うさが無いだけに、これは本当に本音ということなのだろうと美琴は思った。
つまり、どんな状態でも変わらない行動原理。上条という人間の深い部分に根付いたものが動かしているのだろう。
美琴が何をするというもので変えられるわけの無い、巨大な幹を持つ樹のようなものだ。超電磁砲なんてものを持っている自分でもビクとも動かせない、
それは上条の右手に備わる特殊能力なんてものの比ではなかった。
「そうやっていつもボロボロになっているんだ」
「そ、それは……だな」
バツの悪そうな表情をして顔をそらす上条だったが、美琴は軽口なんて叩かなかった。じっと心配そうに見つめているだけである。
そんな行動をされた方が困るのは上条の方で、
「あ、あのなビリビリ。ここはいつものように、わたくしに毒舌の一つや二つお吐きになられて、何だかんだあってビリビリっと電撃を飛ばしてくるところでございますのよ?」
ほらほら電撃を撃ってきなさいとキャッチャーミットを構えるような上条だが、美琴は無視するように黒豆サイダーをごきゅごきゅと一気に飲み干した。
「帰る」
「はい?」
「帰るって言ってんの!」
上条の手にあったヤシの実サイダーの空き缶を奪い取ると、近場を巡回していた清掃ロボに処理させた。
空き缶を飲み込んだ清掃ロボを二人して見送ると、美琴はいつまでもキャッチャーがミットを構えた格好のままの上条を見下ろした。
「いつまでやってんの?」
「よーやくツッコミしてくれてアリガトウ。上条さん、膝も太もももパンパンでございますのよ」
「それはごめんなさい。じゃあもう一時間くらいそのまま行っとく?」
「はいはい立ちます、立たせていただきます」
立ち上がった上条がふらついてとっさに美琴は支えになった。足が痺れているのか、足に力が入っていない。
抱きつかれたような格好になっても、上条は自力で立とうと必死だし、美琴もとにかく怪我させられないと支えるので精一杯だ。
広い学園都市に七人しかいない超能力者でも身体能力は女子中学生であり、体格で劣る為に高校生男子が伸し掛るようになれば辛い。
「と、ととと。ゴメンな御坂」
「別に。それより大丈夫なの? もしかして体がまだ本調子じゃないんじゃ」
あの怪我が簡単に治るわけ無いだろうと美琴は想像する。
普通に考えると、集中治療室に入れられていたような所を無理やり抜け出してきたとしか思えない状態だったのだ。
見た目だけ健常そうに見えても、神経やら肉体内部のダメージがすぐに消えるわけがない。
美琴に上目遣いで覗き込まれ上条はうっとたじろいた。
「平気だ。大丈夫」
「本当に?」
「お前に嘘言ってどうするんだよ。あんな惨状の俺を見たお前に誤魔化し入れても仕方ないだろ」
「それはそうだけど……」
「んで、御坂さんはいつになったら帰るんでせうかね。常盤台の寮は門限何時でしたっけ?」
「分かってるわよ。……分かってる」
特にこれ以上話すことなんてなくて、美琴はしぶしぶ上条に別れを告げて自分の寮へと向かった。
ふと振り返ってみれば、なにか買うものでも有るのか繁華街へと足を向けるツンツン頭の少年の後ろ姿が見える。
美琴の知らない日常が上条にもあって、そこへと帰っていくのだろう。
美琴が常盤台のエースと呼ばれるお嬢様として過ごす日々を上条が知らないように。
そう思ってみれば、美琴は上条について何も知らないということに改めて気付かされた。
自分を命がけで救ったように、まだ見ぬ誰かを救うのだろうか。
美琴は胸の上に両手をかぶせると、なぜか今更ドキドキと鼓動を大きくする自分の心臓に戸惑いながら、
小さくなっていくツンツン頭の少年の後ろ姿を見続けていた。
交差点で信号待ちなのだろうか、上条は立ち止まってしまう。
と、急に上条に飛びつくようにして女性が接触してきた。よくよく見てみると、追いかけてきている彼氏か何かから逃げている女性のようだ。
胸の大きな女性に抱きつかれた格好の上条は戸惑いながらも鼻の下を伸ばし、それを見た彼氏っぽい男に因縁をつけられてビビっている。
「はぁ……アイツって不幸不幸言ってるけど、何となく分かった気がするわ」
女性はとりあえず上条の腕に自分の腕を絡めているようで、胸を必要以上に押し付けていた。
「分かった気はするけどねぇ……」
彼氏が上条と女性を脅せば、女性は怯えてさらに上条にしがみつくという悪循環だ。
上条はデレデレとした顔と因縁をつけられて困った顔を交互に繰り出している。
「するけど! そんなっ! あんたのっ! いっつも女を取っ換え引っ換え助けては、
助けた女から恩を返されて良い感じの雰囲気になる事まで分かろうとは思わんわぁああああああああああっ!」
美琴が良い感じに超能力者の実力を発揮してビリビリっと放電しながら全力で上条の下に向かうと、
上条の方から「不幸だああああああああああっ」という叫び声がしてくる。
「不幸不幸って、その女の胸の感触を堪能しながら言ってんじゃないわよ!! 不幸不幸詐欺か!」
とりあえず上条の右手がかき消すだろうと割と本気で電撃を放つと、余波として交差点の信号が止まりその近くに居た人々の携帯が止まった。
良い感じに丸焼けになってしまえば介抱できるわね、とそんな可愛らしい女子中学生の打算もありつつ、
繁華街は降って湧いたような電撃姫の襲来に荒れていた。
・3
「ど、どうしましたのお姉さま。先程からバチバチと電気が発生していらっしゃいますけれど」
半笑いではなく引き攣った笑顔の白井の言葉で美琴は回想から帰ってきた。
すでに頼んだメニューは届いていて、美琴はオレンジジュース、白井はアイスティー、初春はクリームソーダで佐天はシロップとミルクたっぷりのホットコーヒーだ。
クリームソーダのアイスをスプーンで口に運ぶ作業をしていた初春はスプーンを落としそうになり、
二個目のスティックシュガーを開けようとしている佐天はテーブルに落としてしまい砂糖がばらまかれている。
はっと自分の漏電に気がついた美琴は、瞬時に自分の出していた放電を収めた。
「あ、あはははは。ごめんね初春さん、佐天さん」
自分には何も無いんですのと文句をたれる白井が美琴に飛びつこうとして迎撃された。
そんな普段の光景に安堵したのか、初春も佐天も「脅かさないで下さいよ」と笑って済ませた。
「貸し、一つ。ですわね」
世話のかかるお人、と付け加えながら白井が美琴にだけ聞こえる小声で言った。
さて、それはそれとして、『あの殿方』である上条の事を思ってぼんやりしていたのをどう説明したものかと頭を悩ませる。
今の自分の感情を理論付けて説明しようとしても、適切な単語が選べない。
ただ、『自分だけの現実』などという精神の制御法なんてお構いなしにぶっ飛ばしてしまう感情があるだけだ。
それは今でも美琴の体内に潜んでいて、隙あれば顔を出して心も体も乗っ取ってしまう。
「あのー御坂さん」
と、佐天が熱い為に舐めるように飲んでいたホットコーヒーから顔を離し声をかけてきた。
「なんというか、もう良いですよ」
「え?」
美琴が周りを見ると、アイスと格闘していた初春もその横に座る佐天も、もちろん美琴の横に陣取る白井も優しく笑っていた。
「お姉さまのタイミングの良い時でよろしいですわ」
「そーですよ。こういう話を無理やり聞き出すなんてのはちょっと。気がひけるというか」
「御坂さんをそんな風にしちゃう方がどんな人だろう、ってのは凄く知りたいですけど」
三人は自分よりも一つ下の女の子達だ。そんな子達から優しい気遣いをされる自分は、きっと幸運に恵まれてるに違いない。
感動している美琴の前に一枚のパネルが置かれた。
そのパネルには細長い紙が留められていて、その紙には商品名が書かれており、その欄には丸がついている。
丸がついている商品はクリームソーダやホットコーヒーやアイスティーだ。つまり、
「ん? 伝票じゃない」
伝票を持ってポカンとしている美琴に、白井達は「ごちそうさまです!」と明るく言った。
「へ? どういうこと」
「お姉さま。お姉さまがお誘いになられたのですのよ。路上を歩きながら『あの殿方』へ想いを募らせていたお姿の説明をなされる、と。
そういう事だったじゃありませんか」
「ちょっと一一一の限定版CDを買うためのお金がヤバくて、助かっちゃいました」
「驕りで食べるクリームソーダがこんなに美味しいなんて、私知りませんでした」
隣の白井はともかく、学園都市からの奨学金や補助金を多く望めない初春と佐天の二人は、
何気ない友達との交遊費の捻出も日頃の頑張りあってこそなのだろう。キラキラァっと喜びによって皮膚って輝きを放つんだと思わせる光を放っている。
「……仕方ないわね。誘ったのは私だし、ハッキリしないのも私だし」
お姉さまから奢られたアイスティーの美味しいこと美味しいこと、などと言いながら今にもアイスティーの入ったグラスに頬ずりしそうな勢いの白井は放っておいて、
自分の頼んだオレンジジュースを口に含む。
氷が融けて随分と水っぽくなったオレンジジュースでも乾いた喉は喜んで受け入れる。
美琴は一息つくと、今どこにいるのかも分からないツンツン頭を思った。
アイツ、どこで何やってるのかしらね。
思わずそんな言葉が出てしまいそうになるのを寸前で止める。ちらりと三人の様子を伺ってみても特に気にしていないようだ。
「ありがとう」
そんな男の声が隣の席から聞こえてきた。
一緒に座っている女子高生の彼女から何かプレゼントを貰ったようで、互いにはにかみ合って嬉しそうにしている。
羨ましそうにチラりと見ている初春と佐天。お姉さま私達も見せつけてやりましょうとくっついてくる白井を撃退しつつ、
同じ事を言ってくれたツンツン頭の少年の顔が急に美琴の頭に広がっていった。
・4
近くに居た見回りを兼ねた巡回をしている警備員(アンチスキル)に絡んできた男を引き渡すと、女も連れて行くようにと美琴は言い放った。
上条は少し離れた所で警備員に状況を説明していて、女の腕にも手錠がつけられる。
簡単に言えば、二人は美人局と因縁をつける用心棒という、女に接触させそれから人の女に手を出しやがって、
とカツアゲで金を巻き上げるチンピラのようなものだった。
順調にいけば上条から金を巻き上げる事が出来たのだろうが、そこにやって来たのが御坂美琴、広い学園都市でも有名な超電磁砲である。
能力者としては割とポピュラーな発電能力者(エレクトロマスター)だが、常人では考えられない程の放電をまき散らしながら近寄ってくる姿は異様だった。
一目で分かるレベルの違いに男はピンと来たらしい。
「レ、レールガン……そうだ、常盤台の超電磁砲だ!」
彼氏か知り合いか分からないが、超電磁砲の知人に手を出したとあってビビった男が逃げようとした所を上条に体を押し付けていた女が制して逃げ遅れた。
「ちょ、ちょっと私を置いて逃げんの!?」
「早くそんなガキ離しちまえ! ヤベェ、あいつはマジでヤベェんだよ!」
もちろんイライラが頭のてっぺんまで達した美琴からの電撃から逃れられるわけもなく、
軽く気絶する程度のスパークを受けたチンピラの男と女はお縄となったわけだ。
「ったく、ちょっと目を離したらすぐこれなんだから」
治安警備の協力感謝する。と警備員に言われ手をヒラヒラさせながらしょっぴかれるチンピラ達を見送り、
美琴は助かったと頭をかきながら寄ってきた上条と向かい合った。
上条の服は女に抱きつかれていたせいか乱れていて、美琴はちょっと逡巡し彼の体に手を伸ばした。
「おい、御坂?」
「良いからしゃきっとする! ったく、私を倒したのがこんなみっともないヤツだってバレたら、私まで恥かくじゃない」
上条は、こういうのもお嬢様学校で習うのか、などと尋ねるが美琴とすれば答えるどころでは無かった。
すんと鼻をならせば上条の匂いが嗅げてしまう至近距離まで接近していて、上条は無防備に全てを美琴に任せてしまっているのだ。
不意に訪れた幸運に、美琴はドキマギしながらもやらなければならない事はちゃんと終わらせる。
上条の服装の乱れはすぐに正されビシっと整い、学生服のパンフレットに載せても良いほどになった。
感心しきりの上条に「どうよ美琴センセーの実力は」なんてぶつけてみる。
「ありがとな御坂」
上条からすれば何の意味もない礼の言葉だというのは百も承知の美琴だったが、
その破壊力は自身の放てる超電磁砲など比べ物にならないものだった。
巨大な津波の前には防波堤など意味を成さないように、冷静であろうとする美琴の体裁を軽々となぎ倒していく。
「っておい、御坂! なんかバチバチっと電気が漏れちゃってますけど!?」
「なななななななななんだっていいでしょ! いっ、良いから。別に当然のことをしたまででっ!」
「それはどうもありがとうございました! けっ、けど、その電撃は流石にまずいと思いますのことよ」
「分かってるけど止められないんだからっ!」
ああもう!
そう言った上条が右手で美琴の頭を抑えた瞬間、額の前で放電していたのが嘘のように消えた。
美琴の方は、上条に触れられているということでさらに顔を真っ赤にしている。
いきなり放電し始めた少女に注目していたら能力が暴発しそうになって驚いていた周りの通行人達も、
上条の手によって放電が止まって興味を無くしたのか散り散りになって行った。
さらさらとした美琴の髪の手触りを楽しんでいるか、上条はくしゃくしゃと髪を梳きながら撫でている。
止めて。
そう一言言えばすぐに止めてくれるだろうが、美琴はされるがままだ。
上条が耳をそばだてていれば、ふにゃぁああと気持ちよさそうな猫の鳴き声に似た声を聞いただろう。
ごろごろと喉を鳴らしてされるがままの猫をあやすのにも限度があり、上条はすっと離れて行った。
「っとと、漏電も収まったようだな。悪いな女の子の髪に触っちまって」
我にかえった美琴は胸元で手を合せて首を横に振る。
「ううん。ありがと……」
「んじゃ、今度こそ本当にさよならだ」
「ええ、そうね。今度は変なのに引っかからないようにすんのよ」
僅かな時間さえあれば自分の精神を制御し平常心を取り戻せる。それでもまだ頬が赤いのだが、
上条は携帯を開いて時刻を確認していて気付いてない。
「そうだ」
「何よ」
「勝手にあちこちで漏電するんじゃないぞ。俺ならこの右手で漏電ごと止めれるけど、他のヤツじゃ感電しちゃうぞ」
右手を美琴に向け手のひらを見せた。
「分かってるわよ。ほら、さっさと帰りなさいよ」
「それじゃな。お前もチンピラに絡まれたからって電撃の的にするんじゃないぞ」
「分かってるわよ!」
美琴の軽い電撃を軽々と右手で打ち消した上条は「気をつけて帰れよ」と送り出すように言った。
そう言われてしまえばどうしようもなく自分が中学生の女の子だと思い知らされる。
向こうは高校生で自分は常盤台中学に通う身。自分が上条の恋愛対象にならないことは良く分かっている。
「なに泣きそうな顔してんだよ。またな」
上条は薄っぺらな学生カバンを脇に挟むと、軽くジョギングするように軽く走り去って行ってしまった。
門限までギリギリだったらしく、寮監のメガネがギラリと光るが何も言わずに通してくれた――とはいかず、こう漏らすように呟いた。
「なぁ御坂。先程、ある噂が耳に入ってきたのだが」
「は、はい。なんでしょう」
姿勢を正して気を付けのポーズになる。
寮監はそうした美琴の態度に満足したようにこう続けた。
「なんでも放電をまき散らしながら不良に絡まれている高校生を助けたそうだな。その行いは褒められたものだが、
放電をまき散らしていたとはどういう事だ? 常盤台中学の寮生としての振る舞いだとは思えんのだが」
尖ったメガネの、奥の切れ長で厳しさを体現したような瞳が美琴を貫いた。うっとたじろいてから、寮監の一睨みで美琴は背筋を伸ばす。
「そ、その。あまりにも無茶な絡み方で財布の中身を奪おうとしていまして」
「それで居ても立ってもいられなかったと」
「そうです。……おそらく」
「おそらく?」
いえいえ何でもありません。と、そう誤魔化して愛想笑いをしていれば、寮監も早く部屋に戻るようにとだけ言って美琴を寮室へ帰るよう促した。
部屋に戻っても誰もいない部屋だ。
ルームメイトで一つ学年が下の白井黒子は風紀委員の仕事だろうか。イチイチ確認するのも億劫で、美琴はポフンと軽い音をたててベッドに飛び込んだ。
ぐっと枕を抱きしめてパタパタとバタ足をする。
本当なら『淑女の嗜み』として淡く軽く施したリップを落とし肌の手入れをしなければならない(若いからとないがしろにする女は淑女ではない)のだが、
それすらしようとする気にはならなかった。
うーっと唸ってから力尽きたようにだらりとベッドに体を預けた。
「……ヤバイ。思ってた以上にヤバイわ」
枕をお腹の上で抱きしめたまま仰向けになる。
「予想していたよりはまともに喋れたし『普通』を装えた。けど、アイツの隣が居心地良くて気持ち良くて、あの声を聞いただけで凄く安心する。
アイツの姿を見ただけでアイツの右手で電撃を消されるように防壁を消されちゃう。アイツの前じゃ無防備なただの中学生になっちゃう」
散々努力して築き上げた超能力者としての実力もあったものではなく、嬉しくて自己制御も出来ずに漏電してしまう半端者になってしまうのだ。
だが、それが無様な姿だとは美琴は思わなかった。
またそれも自分が超能力者であるための壁やハードルに変えれる強さがあるのだ。
turn_me_on 2
乗り越えるべき壁が現れたのなら乗り越えていけば良いだけの話であり、
それが出来ないなら記憶を失っても失う前の自分が動かしているのだと当たり前のように語った上条の隣には立てないだろうと考える。
「でも、今は無理。だって、ヤバイんだもん」
はふぅと甘い溜息が室内に消え、美琴は腹筋を使って起き上がった。
「まずは今日やるべき事をやらなきゃね」
それが御坂美琴だった。
風呂に入り肌を磨き体が火照っている内にしっかりとスキンケアをし、血行を良くする為にストレッチをし、読んでおこうと用意しておいた資料やニュースに目を通す。
普段の生活をこなすことが最善だと信じて。
ただこれまでと違う部分があるとするなら、それらをこなす合間合間にあの少年の姿や声が蘇ることだ。
あの少年、上条の姿が現れる度に頬が緩み、声を思い出すだけで少しだけボンヤリとしてしまう。
その度に負けるな自分と言い聞かせるのだが、努力も虚しく頬を緩めボンヤリとしてしまっていた。
「はぁ、今あの馬鹿は何やってんだろ」
『一端覧祭』の準備もあるから会えなくなるだろうけど、そこら辺は時間を作ればいいだけのことだ。と、美琴は頭の中に入れてあるスケジュールを組立て直す。
いつの間にか上条とどうすれば一緒にいられるのかとスケジュール調整をするだけに専念していた。
それに気付くのは、風紀委員の仕事から帰ってきた白井に飛びつかれるまでの数十分後。
とっとと風呂に入れと白井を押し込んでから無駄に時間を過ごしたことに気付き後悔し、もういいやとベッドに潜り込んだ。
世間一般で言われる自分の胸の中に現れた感情に改めて感心し、美琴は寝てしまおうと思った。
「明日、あの馬鹿に逢えるかな」
言ってしまってから無性に照れてしまい美琴はベッドの中で悶える。けれどそれはとても心地よく、すぐに現れた睡魔に身を預けるのだった。
・5
すでにファミレスから離れて随分経っていた。
色んな店を冷やかしたりしているうちに完全下校時刻が近づき始め、周りにいた中学生達の姿も少なくなっている。
風紀委員としての顔も見え隠れしている白井と初春は特に気にしていないような表情をしているが、
良く見てみれば付近でトラブルが起きていないか目を光らせていた。
佐天も最近の学園都市の異常に思う所が有るのか、そろそろ解散しましょうと自分から切り出した。
「そうですわね。最近、変な事件というか現象が多発しておりますの」
「私たち風紀委員も情報を集めていますけど、中々上手くいかない感じで」
「おそらく上から情報が降りてきていないのでしょうね。警備員の方々ですら全体を掴めていない様子ですし、何かきな臭いものを感じますわね」
佐天に応えるように初春と白井が風紀委員の内情を語った。
他人に聞かせるようなものではないだろが、佐天だって風紀委員の詰所に出入りしていてガードが緩いのだろうと美琴は思った。
おそらく上条が相手をしているのはそういう謎の集団や勢力なのだろう。
学園都市に突如現れた鋭く尖った翼のようなモノを持った正体不明の相手を『友達』と言い、黒ずくめの武装集団に追われていたり、
集中治療室から抜け出して来たようなボロボロの悲惨な姿で仲間を助けに行くのだと言い、
紛争が起きていると報道がされている海外の地域から科学的な知識を求めて電話をかけてきたり。
美琴はそれを白井達に知られるわけにはいかないと、何も知らないふりをした。
「お姉さまも、何かあってもご自分で何とかなさろうとせずに、助けをお求めになられて下さいまし」
白井から釘をさされてしまった。
そう、白井は美琴が何かを掴んでいると感づいている。
少なくとも、自分たち風紀委員が知らない情報を握っているのではと疑っているのを、
白井なりの優しさで包んだセリフに乗せてこう言っているのだ。
お喋りになられないと助けられませんの。
美琴は「ええ、そうね。最近、物騒だもんね」としらを切り、白井は意に介してない態度で見事に受け流した。
お姉さまと慕っていればこそ、美琴の為になるのなら逆の態度だってとってみせる。美琴は大した女だと感心した。
そのまま白井と初春は佐天を送っていき、美琴は先に寮へと戻ることになった。
『一端覧祭』の準備もあれば普通の生活を送らなければならないという事情もあった。
普段の生活をキチンとして周りに御坂美琴を示してみせるからこそ何かあった時に動きやすくなる。
周りの自分に対する評価を利用することでたまの朝帰りも噂程度で終わってしまうのだ。
御坂様が朝帰りをしている。
そんな噂もしばらくすれば消えて無くなるもので、常盤台の女子生徒達も別の噂でささやかな楽しみを得るのだ。
「ま、別に騙してはいないし、気にしないけどね」
寮まではまだまだ遠い繁華街。そこは数日前に上条と過ごした所で、運が良ければ上条がふらりと姿を表すのではと
美琴はきょろきょろと辺りを確認しながら歩いた。
携帯には上条の電話番号やメルアドが登録されてるのだから連絡を取ればいいのだが、
そのあたりは自分からは出来ないという常盤台のお嬢様教育で得た奥ゆかしさだ。単に恥ずかしいだけともいうが。
「居ない……わよね。流石に偶然会うってのもないわ……って?」
カエルの顔の形をした携帯電話が鳴り、美琴は誰からだろうと手に取った。
自分からかけてみようとしてすっかり見慣れてしまった電話番号と、その番号の持主の名前が表示されている。
「……ふにゃ。って、ダメダメ」
切れない内に早く出なきゃとわたわたして電話に出ると、何やら風が強いらしくビュービューと音がしている。
美琴の頭の中には、似たようなパターンが過去にあったと警告する。例えば、こんな時には決まって海外から――
『あー御坂か? 今、ロシアなんだけど』
何も言わずに力いっぱいに通話ボタンを押して電話を切ると、気分を切り替えるために上条の声を忘れて歩き出した。
すぐにまたカエル顔の形をした携帯電話が震えて知らせる。
『あーゴメンな。流石に学園都市製の携帯でも、ロシアのこの吹雪だとまずかったか』
「マズいマズくない以前に、ロシアから電話かけてくる事自体がマズいってんのよ! 携帯が電波悪くて切れたんじゃなくて、私が切ったのよこのド馬鹿!」
周りの通行人達も、あこがれの常盤台のお嬢様を見つけ眼福眼福という視線を送っていたが、
急に電撃をビリビリッと発生させて電話相手に怒りだしたので逃げ出して行った。
美琴は人気のない公園の方へと足を運びながら、携帯の向こうでビュービュー吹き荒れている吹雪の音を聞いていた。
よくよくしっかり聞いてみれば、吹雪に混じって女の子の声が聞こえているようにも思える。それも一人ではなく複数。
『ねぇカミジョウ。使えない学園都市の女よりも、私達で何とか出来そうよ』
聞こえるようにも思えるどころではなく、はっきりと聞こえる女の子の声。『上条』の発音から外人が日本語を使っているようなイントネーションを感じる。
ということはロシア娘だろうか。
「ちょっと待ちなさいよアンタ。あの銀髪シスターだけじゃ飽き足らず、今度はロシア女をひっかけてんの!?」
『違う、案内役を頼んだんだよ! って、おいレッサー、あんまり男の子のバッグを漁らないでー』
『年頃の男のバッグとか、あんな本やこんな本がどっさり一杯詰まってるに決まってるじゃなーい!』
「なななな何やってんのよーっ! ロシア娘といちゃいちゃしてるのを見せつけるために国際電話なんてしてきたのかこの馬鹿!」
『これは関係ないんだ! 金が無いから古い車を借りたんだけど、ナビも古くてさ。それでナビの使い方を知りたいんだ』
分かってる。上条が自分から美味しい思いを出来るわけがないということくらい。
きっと、何か事情があってロシアでレンタカーなぞ借りて行きたい所があることくらい、そんなことくらい分かってる。
「ナビって、メーカーとか何か情報は無いの?」
冷静になれ美琴。
そう言い聞かせて待っていると、吹雪の音に紛れてまた別の女の子の声がした。
『あんっ、カミジョウ狭いんだから』
甘ったるい声。これは相手が男だからと「作った媚び声」に間違いない。
『おっとっと、悪い悪い。えーと、どこを見ればいいんだ御坂』
「モニターの周りの縁にでも書いてるんじゃないの!」
『何を怒ってるんだ? って、上条さんロシア語読めないんですが』
「知らないわよそんなの」
急に脱力した美琴は近くに立っていた外灯に背を預け、この電話もう切っちゃうかと真剣に悩んだ。
『みんなはこれ読める?』
電話の向こうでは一緒に同車している何人かの女の子にロシア語を読ませているらしく、
美琴は彼女たちの声だけできっと美少女なのだろうと思った。というか確定した。
あの銀髪のシスターだって思い出してみれば、思いっきり美少女の範疇に入る顔立ちで可愛らしかったのだ。
それの亜種なのだろうから美少女じゃないわけがない。
『ねぇカミジョウ。電話の相手は日本に置いてきた彼女なの?』
レッサーと呼ばれた子だろうか、一番子供っぽい声がして、美琴は電話の向こうの女の子は明らかに自分に挑戦しているのだと思った。
上条に聞いているのではない、電話を通してロシアから日本にいる美琴への挑戦状だ。
『は? 御坂はすごいヤツなんだよ。電気を使う能力者でさ、頭も良いんだぜ? 俺なんかの彼女になるわけないだろ』
イラッときた。
凄くイラッときたが、それは今の自分なら当然だろう。何のアピールも積極性も出してないのだから、こんな評価なら上出来だろう。
けれど、分かって良てもイラッとすることにはかわりない。
『んふ。じゃあチャンスありですねー。命を救ってもらったんだし、多めに恩を返しちゃったりしちゃったり?』
『んおおおっ。上条さんの太ももに小悪魔的な尻尾が絡みついて、良い感じにギュッギュって締められて!?』
『あ、ふくらはぎを掴まないで……レッサー程度の力ならまだ良いけど、男の子の腕力でそんな風に揉まれたら……あぁっ!』
『ベ、ベイロープが見たことない感じにエロエロにテンパってる!』
もう良いよね。
美琴はすぅと思いっきり空気を吸い込んだ。
「またアンタは誰かのピンチに駆けつけて、いつの間にか夢中にさせて虜にしちゃってるクチかあああああああああああああっ!
ロシアの吹雪に凍らされてしまって、数百年後に解凍されて、未来の技術でその体質を改善してもらいなさいっ!!」
怒りで放電されたスパークで外灯の明かりが消え、カエル顔の形をした携帯も待ち受け画面に変わっている。
通話を切ってしまってから、ナビの件はどうしたものかと持ち前の世話好きが顔を出した。が、そんなものはすぐに押さえ込んで別の部屋へ押しやり鍵をかけた。
何も聞かなかったし何も知らない。
ロシアに居るんだ。と星と月の位置からロシアの方向の空を眺め、美琴はくしゅんとくしゃみをした。
すでに十月も中旬を過ぎ、街の気候も秋の様相を見せている。
「あーもう。たった数ヶ月で私は変わっちゃったなぁ」
もう一度携帯へ目を落とす。早くかけてきなさいよと呟くと、それに合わせたようにカエル顔の形した携帯が着信を知らせた。
まるで気持ちが通じ合っているような出来事に美琴は泣きそうな笑顔を浮かべ、電話に出た。
『あぁ御坂か? ホントごめんな電波が悪くて! って、暖房を一番強くしても暖かくならないからって、抱きつかないでくれますか!!
いや、柔らかくていい匂いで、外人美少女に四方から抱きつかれる素敵イベントなんて大歓迎ですが、今はナビを操作する方が先だーっ!!』
『カミジョウ、照れる照れないの問題じゃなくて、ロシアの実力を見誤った格好で乗り込んだ私達の失敗!?
まさかこんなに寒いなんて思わなくて、これじゃ冷凍車の中に居るより寒い感じで、フリーズドライになっちゃうわけで?』
あぁ今の私って良い感じにブチ切れてるわ。と、自然に放出されていたスパークによって消えていた外灯に電気が供給され、ビッカーと辺りを照らした。
『み、御坂! 頼む、携帯のカメラで画像送るから、ナビの扱い方を教えてくれ。お前だけが頼りなんだ!』
美琴はスパークを出し続けるが、その意味合いが反転する。
お前だけが頼りなんだ。
上条の必死な凍えていて震えた声は嘘偽りないということで。
『……御坂、頼む』
上条の訴えかけるような真剣で真摯さ満点の声に、美琴は一度ブルりと体を震わせて、携帯を落とさないように両手で支え大切に扱った。
『……御坂』
「ちょっと待って。すぐにメーカーと機種を判別するから」
美琴は何を言ったのか自分でも分からないくらい慌てていた中、なんとか貸し一つだからと約束を取り付けると、
ナビの操作方法と設定を教え目的地の入力と日本語ナビへの切り替えを済ませた。
美琴にとっては、頭の中にあるマニュアルを読み上げるかのような、至極簡単な仕事で上条との約束をとりつけれたのだから儲けたものだ。
電話を切った後、ステップするような軽い足取りで常盤台の寮に帰ると、わずか数日前と同じように寮監がメガネを光らせ立っていた。
前回とは違い門限ギリギリということでもなく、美琴は軽く頭を下げると足早にその場を去ろうとして、
「どうした御坂。随分と機嫌が良いようだな」
「は、はい?」
門限は守っているだけになぜ呼び止められたのか分からない。
寮監は自分の前まで戻ってくるように美琴に言うと、少しだけズレていたのかメガネの位置を直した。
身長差があるために自然と美琴は寮監を見上げる形になる。
「さて、御坂。なぜ呼び止められたか、分かるか?」
「さ、さて、なぜでしょうか」
尖ったメガネがギラリと瞬く。
「先程な、ある噂が耳に入ってきたのだ」
「うわさ?」
「そうだ。なんでも繁華街から近い外灯の下で怒りながら携帯をかけスパークを撒き散らす発電能力者がいると。
そして、その能力者は桁外れの力を意識せずに使え、常盤台中学の格好をしていたそうだ」
寮監から一歩後ずさろうとして、「動くな!」と一喝された。
「なぁ御坂。私は常々言っているな? 常盤台の、そしてこの寮の名に恥ぬ立ち振る舞いを行えと」
「は、はい!」
ならば大人しく首を差し出すことだ。とポキポキ手を鳴らしながら寮監は近づくと、美琴が反応する前に首に手を回した。
「御坂、何か言い残すことはあるか?」
「出来れば優しくしていただけると……うげっ」
そんなお嬢様らしくないカエルが鳴くような声をあげ、美琴の意識は途絶えかけた。
完全に意識が無くなる寸前、寮監の「まったく、思春期で浮かれおって」という羨ましそうな声だけがやけに美琴の記憶に残った。
寮監に引き摺られ部屋に帰ってきた美琴を見た白井は、御坂の世話をしてやれとの命を受ける。
「気を失っていらっしゃるのに、どうしてこれほど幸せそうなお顔をなさっていたのでしょう。……はっ、まさかお姉さまったら、M(そっち)の気がおありになって!?」
生暖かいハァハァと音を立てる風を頬に受けぼんやりと覚醒した美琴は、風の吹く方向を見ずに電撃をお見舞いするとしっかり枕を引き寄せ改めて眠りについた。
せめて夢のなかくらい素直になれたらと、枕をあのツンツン頭の代わりにして。
<了>