風だけが知っている
最初の出会いはガキ扱いされて最低最悪だった。
いつも飄々としているのがとにかくムカついた。
能力は効かない。たまに会ってもスルーされる。
調子が良くてお人好しで人の話を聞いてくれない嫌な奴。
背は高くないし人を馬鹿にするしはっきり言って好みじゃない。
でも気がついた時にはこんなに好きになっていた。
「……そ、そ、それでね、ほら今って一端覧祭の準備期間でしょ? アンタんところも授業時間の調整が入るだろうし、時間の都合がつくならお互いやりくりしてたまには、その、さ……」
上条にメールを送ったら何故か破損してちゃんと読めないと言う。
思い切って電話をかけようとしたらお互い圏外だった。
今日は一端覧祭まで残り三週間を切ったとある秋の放課後。
仕方がないので御坂美琴は『偶然』見かけた上条当麻に、直接一端覧祭のことを切り出した。
本当はいつもの自動販売機に寄りかかりながら上条が通らないかななどとぼんやり時間をつぶしていたけれど。
美琴は九月の大覇星祭では上条がらみのトラブルでひどい目にあった。本当は良いことも悪いことも悲喜こもごもだったが、今の美琴にとってはそんなイメージしかない。
だからこそ一端覧祭では事前に上条の手綱を握ってトラブルを防ぐつもりだった。
(どうしよう。この馬鹿のことを好きになっちゃうなんて、こんなの予定外よ)
手綱を握っておきたいなどと自分に言い訳していたのが恥ずかしいくらいに、美琴は隣で眠そうにあくびをする上条を意識していた。
いつもなら肩で担ぐ学生鞄も両手で下げて膝の前へ。大股で歩いていたのも何となく気になって歩幅を狭めてしまう。
一端覧祭の準備期間中は授業も少ない。空き時間にはいつもみたいな言い争いじゃなく、普通に上条と遊びたい。一端覧祭当日は二人で展示を見て回ったり、同じ時間を一緒に過ごしたい。
そんな風に思っては、素直に切り出せなくてどれくらいの時間が過ぎただろう。
美琴の初めての恋は初めてだらけだった。全てが空回りしていた。
毎日同じ事を考えて、気がついては頭の中から追い出して、それでもまた同じ事を考えてしまう。
上条に回し蹴りのことを注意されたら急に恥ずかしくなってしまった。
上条のそばにいると心地良くて能力がうまく制御できなくなった。
上条の事を思うと切ない気持ちで胸がいっぱいになって足元は何かふわふわする。
何もかもが初めての経験。何もかもがうまく行かない。
時間が経つのが速すぎる。世界の展開が速すぎる。
ぐるぐる回る目と同じ速度で渦巻く動揺と混乱を胸の中で鎮めつつ、美琴は隣を歩く上条をコッソリ覗き見た。
上条は片手で薄っぺらな学生鞄を肩に担ぎながら
「あー、そうなんだよなー一端覧祭。ったく、かったるいよなー。大道具は作んなくちゃなんねーし、その合間にも補習はあるし何か毎日いろいろびっしりでさ」
いつもの眠そうな目と不真面目に見える態度でぼやいている。
ここから先は空いてる日など一日もないと言外に上条から宣言されて、美琴の肩が失望でガクンと落ちた。
「……あ、そ、そうなんだ……」
「ん? 何で御坂が落ちこんでんの? ……ああ、『補習ばかりでご苦労様』って奴か。はいはいどうも、上条さんはそのお気遣いに感謝ですよー」
「……そんなことは一言も言ってないじゃない」
口を開くまでは隣に上条がいると思うとドキドキしてしまうのだが、いざしゃべってみるといつも通りに会話できる。
何と言うか、とても微妙な距離感だ。
友達としてはそれなりだが、上条から女の子として見られていないような感覚と間隔。
「ん? 違うのか? まあいいやそんなことはどうでも。で、御坂のとこでもトンテンカンってやってんの?」
「へ? ああ。う、うちはほら全員レベル3以上だからそう言うのはどうとでもなるわよ」
「うう、ずるいぞ常盤台。俺達は自分のお手々で作んなくちゃなんねーってのによ」
「(そんな話をしたいんじゃないのに)」
「何か言ったか?」
上条の疑問に、美琴は頭を横に振って
「う、ううん、何にも。……あ、そ、そうだ、アンタ一端覧祭当日って予定空いてる?」
「お前が俺の予定聞いてどうすんだ? ……不幸にもじゃんけんで負けたんでずっと店番さ。ああ、そういや一日だけ空いてる日が……」
美琴はパッと顔を明るくして
「! そっ、それじゃその日良かったら一緒に……」
「……あっけどその日はインデックスや姫神と一緒に回って……御坂? 何をそこで頭抱えてんだ?」
上条が怪訝な表情をする。
「……何でもないから放っといて」
上条は勝手に落ちこむ美琴を見てキョトンとしていたが、美琴の頭上に視線を向けると
「……あれ? 御坂、お前髪の毛に糸くずついてんぞ? 取ってやっからそこでちっとじっとしてろ」
「……はい!? いやあのちょっといきなり」
「いいからおとなしくしてろって」
上条の手が美琴の茶色の髪に伸びる。
上条の指が髪に触れる感触と、額にかかる上条のかすかな吐息で思わず美琴は身を引いてしまう。
「!」
「おい、動くなよ。取れねーだろが。んなもんつけて歩いてたらみっともねえだろ? ほれ」
(馬鹿っ! 顔近いじゃない。女の子のそばにいるんだからもっと考えなさいよ!!)
視線のすぐ先にある上条の顔に美琴はドキッとする。
上条の二本の指が美琴の髪をまさぐるように動き、一点でピタリと止まる。
もう少しこのままでいたいと思う美琴のささやかな至福の時間はあっという間に終わり、上条は指でつまんだ糸くずをぽいと地面に落として
「ほれ、取れたぞ」
「……ありがと」
「そういや御坂、今気づいたんだけどお前のヘアピンってそんな形だったっけ? その頭についてる奴」
「これは頭についてんじゃなくて髪を留めてんの! アンタんなことも知らないの?」
美琴のヘアピンは九月の頭に花飾りのついたものに変わっている。その話を今頃してくると言うことは、上条は変化に気づくまで一ヶ月以上かかっていると言うことになる。
(ヘアピンに気づいてくれたのは嬉しいけどさ、それって遅すぎじゃない?)
美琴のいらだちに気づかず、上条は突然何かを思いついたように
「ふーん。……なあ、それちっと写真メール撮って良いか?」
「え? え!? え?? 何で? も、もちろん構わないわよそれくらいなら。……でも何に使うの?」
上条が美琴に興味を持ったのかと密かに舞い上がっていると
「? ああ、うちのクラスにこう言うの好きな奴がいんだよ。そいつに見せてやったら喜ぶんじゃないかって」
「……あ、そ……」
美琴は再び失望で肩を落とした。
美琴の落ちこみを理解できない上条は
「? 撮っちゃダメなら止めるけど?」
「……良いからさっさとやりなさいよ」
「んじゃ」
上条は二つ折りの携帯電話をパカッと開くと、画面を見ながら親指でボタンを操作してカメラのモードに切り替えた。カメラ部分を美琴のヘアピンに近づけてシャッターを押すと、ばちーんという電子音が美琴の頭上で鳴った。
「……よし、撮れた。さんきゅー御坂。早速クラスの奴に送ってやるか」
「…………」
喜んだのが馬鹿みたいに思えてきて、美琴は急に惨めな気分になった。
ヘアピンの趣味ををほめる訳でもない。
人の頭の写真を撮って喜んでクラスメートに送るのって一体何なのだろう。
まさかその人がコイツの好きな人? と美琴は勘ぐってしまう。
「その、さ……アンタ好きな人っていんの?」
「? いないけど? 何かそれってもんだ」
言いかけて、上条は少し黙った。
「……ああ、なるほど『今時彼女もいないなんてダッサーい』とかいう中学生の冷やかしですかぁ? 悪かったな、どうせ俺は彼女いない歴イコール人生の人間だよ」
「だから誰もそんなことは言ってないでしょ! 何でそう何でもかんでもネガティブ思考に持ってくのよっ!」
上条に彼女がいないというのは分かったが、この反応は何だろうと美琴は頭を悩ませる。
大覇星祭の時と同じく検索結果ゼロ、という事に思いが至った時
「はいはい御坂たんはモテモテで良いですねー」
上条の冷やかすような声が聞こえる。
「御坂たんって言うな! それに私はモテモテじゃないわよ!!」
「へいへい。それじゃ御坂たん、俺こっちだから、またなー」
上条は美琴の文句に振り返ることもなく、手をひらひらと振ってすたすた走り去っていった。
「だから御坂たんって言うなっつーの! ……って、行っちゃった。あーあ」
何の気なしに向けられたその背中に、美琴の言葉は届かない。
(何でこんな事になっちゃうんだろう)
今日もまともに一端覧祭の話ができなかった。
空いている一日のうち、何時なら上条はフリーなのか確認も取れなかった。
何も一端覧祭でいきなり告白しようとは思っていないが、二人の間をもうちょっと良い雰囲気に持って行きたいと思ったのに。
何を話しても上条と噛み合わない。思いを告げる前から拒否の予防線を張られているみたいで、
……ため息が出た。
こんな風に一日が終わるんじゃなくて、もう少しゆっくり一緒に歩きたい。
やりきれなくて夕暮れの街で美琴は一人、がつんと歩道を軽く蹴飛ばしてしまう。
(私は一体何をやってんのかしら)
美琴は軽く唇を噛み、ポケットから携帯電話を取り出す。アドレス帳に記載されている番号にカーソルを合わせようとしたところで、画面の端にあるアンテナのマークに目が留まる。
またしても圏外だった。
「……ッ!!」
つながらない電話も、届かないメールも、噛み合わない会話も結ばれない赤い糸のように途切れてしまう。
こんなのを『縁がない』と言うのかも知れない。
それでも、あきらめられない。少しで良いからこっちを向いて欲しい。
不良が何人束になろうが銃を持った男が何人攻めてこようが美琴は一度として負ける気はしなかった。美琴が勝てたことがないのは後にも先にも上条当麻ただ一人。
最初の出会いはガキ扱いされて最低最悪だった。
いつも飄々としているのがとにかくムカついた。
能力は効かない。たまに会ってもスルーされる。
調子が良くてお人好しで人の話を聞いてくれない嫌な奴。
背は高くないし人を馬鹿にするしはっきり言って好みじゃない。
あの馬鹿のことがこんなに好きなんて今さら気づくのも遅いけど。
美琴はおでこに携帯電話を当て、一度だけ固く目を閉じて心に何かを願うと、ポケットに携帯電話をしまい、学生鞄の取っ手を強く握りしめ上条の立ち去った方角に向かって走り出した。
美琴の背中を励ますように、秋の風が強く煽り立てる。
正直に話を切り出せるかどうかは分からないし自信がない。上条の顔を見たら心にもないことを口にしてしまうかも知れない。それでも、このまま黙って今日という日を終わらせてやる事なんてできなかった。
勝てないまま終わるなんて癪に障るから。
上条ともう一度会って話をするために。
美琴が追いつけるかどうかは、風だけが知っている。