とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part16

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午睡 La_siesta.


 四月、それは春うららかな季節。
 天高く鳥は舞い、陽光は学園都市にあまねく両手を差しのばし、空に浮かぶ雲は春風にたなびく。
 遅咲きの桜の花びらがはらはらと散って、上条の肩にひとひら落ちた。
 今年、上条当麻は二年生に『無事』進級した。
 無事、と強調するにはそれなりの理由(わけ)が存在する。大手を振って胸を張れる理由ではないのが痛い。
 上条の右手には『幻想殺し』という特殊な能力が存在する。
 幻想殺しは異能であればありとあらゆる力を打ち消す能力だ。単に『打ち消す』だけで異能の力を滅ぼしたり、異能をなかったことにはできないが、その右手と共に上条は時に望んで、時には引きずり出されて戦った。
 右手で救ったものは多かったが、失ったものも多かった。
 上条が失ったものを主に『学校の出席日数』と呼ぶ。
 上条は聡明なる優等生ではない。はっきり言って平均校に通う平均点以下の生徒だ。そんな彼が授業を放り出して世界をかけずり回るとどうなるか。
 予習が足りない。復習が足りない。テストの点数が足りない。よって進級の単位が足りない。
 彼がどれだけこの状況を『自分のせいで自分のためだろ』と嘯いても、教師達も時間も猶予をくれない。
 もはやギャグで片付けられるほどハイレベルな彼の不幸まみれの人生に、物好きな救世主が現れた。
 隣を歩く『彼女』御坂美琴がいなければ、上条の前に山と積まれた宿題も課題も満足に終わらず、彼は不幸にも高校一年生をやり直していただろう。
 こうして、上条当麻の新学期が始まる。

「アンタ、背伸びた?」
 常盤台中学の三年生に進級した美琴は、上条より二回りは小さい右手を自分の頭の上に、次いで隣を歩く上条の頭の上でその差を比べるように当てると
「あんまり大きくならないでよね?」
 ほんの少しだけ自分より背が高くなった上条をまぶしそうに見上げる。
 上条は左手で美琴の手を握り、右手で学生鞄を担ぎ直す。
 俺そこまで背が伸びたっけかなーと上条は考えながら
「何だ? 俺の背が伸びると悔しいのか? お前の負けず嫌いってそこまで……」
「ううん。……差がつくとキスしづらくなるじゃない。私が背伸びして届くくらいまでにしておいてって事」
「……、」
 言っておくが。
 上条と美琴はまだキスもしていない。
 年相応の清いお付き合いを心がけている、と思う。―――主に上条が。
「……テメェ、それはどこのマンガの受け売りだ! 新学期早々から何を愉快な夢見てやがる!! お前な、俺をからかって何が楽しいんだよ!?」
「冗談よ馬鹿。言ってみただけでしょうが」
 はいはいアンタの言いたいことはわかってるわよー、と美琴が上条の隣でうんざり気味に嘆息する。
 上条と美琴の身長に差がついたらついたで階段を使って段差キスに挑戦しようと言い出さないだけまだマシかも知れない。
 美琴は上条との間接キス程度で顔が赤くなるほど奥手な女の子だが、以前から上条に『中学生(ガキ)』扱いされるのがムカムカするからと、周囲にはバレバレの背伸びをしている。彼女の実態は年相応に、いや実年齢以下に子供っぽく、ルームメイトの白井黒子以下彼女を知る関係者各位を嘆かせていた。
 かくいう美琴の『彼氏』上条も、彼女の実態を知るうちの一人だ。
 上条としては美琴の年齢が年齢なので、せめて彼女が卒業するまではこのままでと思っているが。
 ―――彼女がいても手も出せないんじゃ、二次元に恋しているのと変わんねえんじゃねーの?
 それってつまり
「……擬人化美琴たん萌え?」
「擬人化って元の私は人間扱いされてないじゃん!? つかどっから出てきたのよその話?」
 今日もボケとツッコミのカップルが一〇センチの距離を空け、放課後の通学路で肩を並べて歩く。
「そういやお前さ、進路について聞かれなかったか?」
 学年が変わり、新学期を迎えると必ず聞かれるのが進路希望だ。
 一年の段階での調査は結構曖昧なものだが、これが二年生、三年生になると様子が変わり具体的な話が始まる。二年生ではある程度の方向性を要求され、三年生になれば志望校を視野に入れた学習に本腰を入れる。上条の薄っぺらな学生鞄の中にも進路希望調査票なるものが収められ、後日提出することになっている。
 去年も今年もいつだって上条の進路希望はただ一つ『しあわせになれればなんでもいいです』だ。そんなことを美琴の前で口にしたら雷撃の槍程度では済まされないが、万年不幸少年上条当麻としてこれだけは譲れない。
「……まぁお前だったらどこだって構わなさそうだけどな」
 優秀な生徒ほど進学に有利なのは学園都市の中でも外でも変わりはないが、強能力者(レベル3)からエリートと呼ばれる学園都市において、超能力者(レベル5)の美琴はさらに飛び抜けた存在だ。各校への推薦入学は三年の二学期までに確定するが、美琴の場合はもっと前、それこそ二年の終わりから各校による獲得合戦が始まる。
 能力開発に熱心な学校ほど高レベルの能力者を欲しがるのは当たり前の話で、水面下では長点上機学園をはじめとする学園都市有数の進学校や超難関エリート校が彼女の元に打診(ラブコール)を送っている。
「ああ、それならもうとっくに決めてあるわよ」
「へぇ……お前だとやっぱ長点上機学園か? それとも特異能力の霧ヶ丘か? でも霧ヶ丘行くとまた女子校生活だよなー」
 美琴は何をわかりきったことを聞くんだと言いたげな顔で
「ううん、アンタの高校に」
「来んなよ! そりゃうちの教師連中は諸手を挙げて歓迎すっかも知んねーけど、俺の高校は超能力者のお嬢様が来て満足するようなとこじゃねえぞ?」
 上条は即座に渾身のツッコミを放つ。
「……ジョークだって言おうとしたのにこめかみに青筋立てて否定しなくてもいいじゃない」
「お前のジョークはブラック過ぎて笑えねーんだよ」
「でも、アンタの高校に行けば寮も近くなるし学校まで一緒に行けるわよね? 昼休みになったらアンタの教室にお弁当届けに行って屋上で一緒にお弁当食べて、ってできるでしょ?」
「…………、」
 常盤台中学の給食は、学食レストランなる場所で拝見したところ一食あたり四〇〇〇〇円のお値段がついていた。ああいうものばかり食べていると庶民っぽい生活に変な憧れを抱いてしまうものなのだろうか。
「いっそアンタに二年ほど留年してもらうって言うのも面白そうね。『上条くーん、おはよー』なんて毎朝挨拶して高校に通うのって結構楽しいかも」
「面白がるな! お前は上条家ご一同様を敵に回したいのか!?」
 上条当麻の父、刀夜は上条の不幸を打ち殺すために科学の最先端である学園都市に幼少の上条を送り出した。学園都市でさえ上条の不幸体質を変えることはできなくても、上条がそこで幸せに暮らしていることを知って刀夜は満足したが、さすがにこんな人為的な不幸はご遠慮願うだろう。
 かくしてボケとツッコミのカップルは四月の空の下でぎゃあぎゃあと大騒ぎして笑いあう。
 平和で、のどかで、穏やかな新学期が始まった。


「空はこんなに良い天気。風当たりも……あまり良くはねえけど布団もシーツもバッチリ干せてるし。いやー、これって結構幸せじゃねえの?」
 美琴を寮まで送り届けて、自室の玄関のドアを元気よくただいまーと開けて。
 部屋を出る前にあらかじめベランダに干しておいたシーツと布団を取り込んた上条はほくほく顔だ。その後でベランダを入念にチェックして、空挺部隊所属の女の子が引っかかってないかどうかを確認する。
 彼の悪友にして隣人の土御門元春や、ロリはおろかロリ以外にも全方位展開可能な青髪ピアスならいざ知らず、上条は女性に対しそこまで苛烈な趣味嗜好は持ち合わせていないのだ。
 上条の記憶にない話だが、インデックスが屋上から降ってきたのは万に一つの偶然であって、あんな事がそうそう何度も起きるものではない。それでも不幸の擬人化・ジェントル上条としてはつい何度も後ろを振り向いてしまう。財布をポケットに入れたつもりが部屋に置いてきたり、避けたつもりのテニスボールを踏んでしまうことが日常茶飯事の彼にとっては、これでも用心が足りないくらいである。
 上条の周りにいるのがおばあちゃん思考のシスターとか男言葉と女言葉が混ざるゴスロリ女とか服装がやけにエロい女教皇とか無駄に髪が長い最大主教とか何やら尻尾が生えてる不思議ちゃんばかりのせいで、学園都市第三位でレベル5の電撃使いでも『最近では』普通の女の子の範疇に入るようになった。美琴は怒りん坊でやきもち焼きでガサツで口が悪くて可愛い物好きで趣味が子供っぽいが、あれは上条の知る限り割とまともな方だ。……と思う。電撃さえ使わなければ。
 ―――アイツ、黙ってりゃそこそこ良い線いくしな。黙ってればだけど。
 上条には何が普通なのか分からなくなってきた。まともな女の子の基準プリーズ。
 ベランダから引き上げた布団は春の陽射しをたっぷり吸い込んで、ふかふかに干しあがっている。
 頬を当てるとまるで洗剤のCMに出てくるタオルのように心地よい。
 早速このふかふか加減を堪能するぞとベッドに敷いて、シーツも皺を伸ばして四隅を合わせてピンと張って、上条はその上へゴロンと大の字に転がった。
 春眠暁を覚えず。
 早い話が、昼寝だ。
 美琴が後で来ると言っていたが、玄関の鍵を開けておけば問題ないだろうと適当に考えて
「ふあ……ぁ、おやすみ……むにゃ……」
 上条は夢の中に向かって進撃を開始した。


 上条の部屋のインターホンを押しても、ドアをノックをしても返事がない。
 玄関に鍵がかかっていないので不用心だなと思いつつ、ドアノブを握って勢いよく開くと
「もしもーし?」
 美琴はドアの向こうへ顔を突っ込んだ。
 室内に誰かがいる気配はあるけれど、空気に動きがない。
「お邪魔しまーす……ただいまー?」
 玄関で革靴を脱いできちんと揃えると、美琴は抜き足差し足で短い廊下を音を立てないように歩いていく。泥棒が入ったにしては室内が荒らされた様子もない。上条が部屋の中にいるなら『ただいま』と声をかけると『ただいまじゃねーだろ!』とすかさずツッコミが飛んでくるところだが、その反応もない。
「……あれ? 寝てる?」
 部屋の隅に置かれたベッドの上には、美琴の到着に気づかずグースカ寝こけている上条の姿が。
 美琴は渋い顔をして
「私が来るって知ってんのに何で寝てんのよアンタ!?」
 ベッドの空きスペースに腰掛け、上条の鼻の頭をつまんでみるが、上条は『……るせえな……』と邪険に手を振り払うだけ。気持ちよく寝ているのに邪魔された時の反応は誰だって同じだ。美琴がほっぺたをツンツンつついてみても、むにっとつまんでみても上条はむにゃむにゃと何事かを呟くだけで起きようとしない。
 上条に相手にされずむー、と頬を膨らませて唸る美琴。
 寝ている間に上条の顔に化粧でもしてやろうかと思ったが、あいにくコスメセットを入れた鞄を持ってきていない。じゃあお手軽なところでマジックを使ってまぶたに目を描いてやろうか、それともツンツン頭のとんがった部分一つ一つに洗濯ばさみをくっつけてやろうかと思案する。
 ……どれもインパクトに欠ける。つかどっちも面白くない。
「うーん。今日は時間あるし、コイツの部屋の掃除しようと思ったんだけどなー」
 今の上条だったら爆音を奏でるオンボロ掃除機を耳元で使っても目を覚まさないような気もするが、その程度の事で上条を起こすのはつまらない。目を覚まさないからと言っていたずらするのは何か違うと思うけれど、上条を驚かせるせっかくの機会を無駄にしたくない。
 周りが全員女の子ばかりの女子校なんぞに通って、お姉様御坂様などと呼ばれて偶像のように崇拝されていると肩がこってしょうがない。美琴にとって等身大の自分で付き合える上条は、女子校生活で見失いがちなドキドキやワクワクを与えてくれる存在だ。
 大人になった美琴が今の二人を振り返った時、これを『青春』と呼ぶのかも知れない。
(良いこと思いついた! えっへっへ、目が覚めたらコイツビックリするわよ?)
 美琴は一人、黒い笑みを浮かべる。
 明らかにいたずらを思いついた時の笑顔で
「ほら、どけどけ。場所空けなさいよ。私もそこで寝るんだから」
 美琴は上条に向かって声をかけると、上条はふがぁ、と何やら呟きながら壁際に寄り、ベッドの上のスペースを空けた。寝ぼけている上条の耳には美琴の言葉の前半部分『どけどけ』しか聞こえてないのだろう。
 美琴はベージュ色のブレザーを脱ぐとハンガーに掛けて壁にぶら下げ、リボンタイを首から外してブレザーのポケットにしまう。それからブラウスの第一ボタンを外し、通勤ラッシュを脱出したサラリーマンのように頭を横に振って首回りを緩めた。最後にチェックのスカートに手をかけて逡巡する。
 スカートの下には短パンを履いているので、脱いでも問題ないと言えば問題ないが、脱いでしまうとビジュアル的に難がありそうだ。かといって脱がないで横になるとスカートのプリーツに変な皺が入ってしまう。
 短パン姿と皺で前者を取って、美琴は上条の隣にゴロリと体を横たえた。
 二人はちょうど狭いベッドの中で身を寄せるように向かい合っている。美琴が上条の部屋に泊まる時は決まって美琴がベッド、上条が床に布団を敷いて寝ていたが、頑張って詰めれば多少狭くても二人で寝られることを確認し、美琴はちょっとムッとする。
「狭い狭いって言うけどさ、寝ちゃえば問題ないじゃない。何がダメな訳?」
 上条が聞いたら真っ青になりそうな台詞をさらっと吐いて、美琴は上条の空いている左腕を自分の体のどの辺に持って行こうか悩んだ。最初は腰に手を回させ、何やら恥ずかしく思えてきたので次は背中に腕を回させた。美琴の右腕は上条の肩に置いて
「……起きない」
 これだけ隣で美琴がゴソゴソしているのに、上条は目を覚まさない。
「ちょっとー、何で起きないの? 女の子が隣に寝てて何でアンタは気づかないの?」
 この構図で上条が起きたらさぞかし驚くだろうと期待していただけに、美琴の落胆ぶりも尋常ではない。穴が空きそうなくらい上条の寝顔を見つめて……だんだん眠くなってきた。
 春の陽射しを浴びたふかふかの布団と、すぐそばに感じる上条の体温が心地良い。
「ダメ……何か眠……私も……寝……」
 上条と同じベッドの中で美琴もうつらうつらと舟を漕ぎ、長いまつげとまぶたがゆっくり落ちて、美琴の視界を閉ざしていく。
 ただいまの時刻は午後二時三三分。午睡にはおあつらえ向きの天気とほどよい良い時間。
 ベランダから差し込む春の陽射しは二人の頬を撫でるように広がって、二人分の寝息が男子寮の一人部屋でハーモニーを奏でる。


 ―――あたたかい。
 上条の霧がかった思考の中で最初に浮かんで来た単語はそれだった。
 最初はベランダに差し込む陽射しがポカポカと暖かいのだろうと思ったが、上条の体温と異なる熱源は、ベランダよりもっと近くに感じられた。具体的に座標を指定すると、熱源は上条の左手の先にある。
 ……左手?
「うう……ねむ………んで……」
 上条当麻は不幸な少年だ。なので、ゆっくりと慎重にまぶたを開いた。
 ここが海の家『わだつみ』の一室でもなければ超音速旅客機の中でもないことにまずは安堵する。何しろ目を覚ましたらそこは空港のロビーで、持ち物は財布も何もきれいさっぱり抜かれてましたという経験ありの上条にとって、一日の目覚めをどこで迎えたかというのはきわめて重要かつ深刻な問題だ。
 視界を巡らせるとそこに広がるのは自室の見慣れた天井、見慣れた部屋の壁紙、見慣れた家具のレイアウト、見慣れない女の子の茶色い前髪。
「……あれ?」
 今あきらかに変なものが見えたような気がする。
 気がするんじゃなくて、見えた。
 繰り返すが上条当麻は不幸な少年だ。よって、ここが自室であっても何が起きるか分からない。
 上条は寝起き直後の脳に酸素を行き渡らせるべく大きく深呼吸して、自分とは異なる熱源を感知した左手に視線を移動させた。

 上条当麻は着衣が乱れた御坂美琴を左手で抱きよせて

「……ちょ―――」
 ―――っと待て。一体何がどうなっている。
 状況によっては一戦交えた後に見えなくもないが、まさか上条当麻は理性にさよならしてとうとう中学生に襲いかかってしまったのか?
 ……そんなはずはない。上条は美琴がいつ部屋にやってきたのかを知らない。
 だいたいそんな幸せ、もとい危険なことをやらかして何にも覚えていませんなんてあまりにも不幸すぎる。
 上条は器用に首だけを持ち上げて、まず自分の服装を確認する。
 上条が身につけているのはワイシャツ、スラックス、靴下。ここまでは昼寝する前と同じだ。何も問題ない。
 次に隣で寝ている美琴の服装を確認する。
 美琴がいつも着ているベージュ色のブレザーがない。壁に向かって首を伸ばすと、ハンガーに掛かっているのが見えた。そこから視線を美琴に戻すと、白い喉元が見えるのでリボンタイを外しているらしいのが分かった。細い鎖骨がちらりとのぞいていたので一瞬ドキッとしたが、脳裏に残像が残らないよう硬く目を閉じる。美琴はおそらくブラウスの第一ボタンを外しているのだろう。
 上条はゆっくりと顎を引いてから目を開けて、足元の方へ視線を移動させると、チェックのスカートは少し皺が寄っているが美琴の腰に巻き付いているのを確認した。めくれあがったスカートの裾から短パンが見えていることにほっとしつつ、日焼けしていない美琴の太股が目に焼き付きそうだったので上条はズバン!! と顔を背ける。

 美琴はとんでもなく幸せそうな笑顔を浮かべて、上条の腕の中で眠っていた。

「……おどかすんじゃねえよバカ。人のベッドで何してやがる」
 上条はようやく安堵の息を吐いて、それから美琴を起こさないように慎重に、何故か美琴の背中に回っている自分の左手をゆっくり外した。自分の肩に置かれている美琴の右手は、美琴のブラウスの袖をそーっとつまんで引っぺがす。
 ここで風紀委員が上条の部屋に踏み込んだら、不純異性間交友と判断されて二人揃って即時拘束は免れない。
 こんなのはドッキリにしてもひどすぎると上条は思う。
「悪ふざけにしちゃやり過ぎなんだよ、お前は。俺が男でお前が女だっての忘れてんじゃねーのか?」
 短パンを履いているからと言って短いスカートが翻るのもかまわず全速力で走るとかありえない。
 本人は『女の子に対して夢見んなよー』とのたまうが、お前一応彼氏がいるんだからもっと女の子らしく恥じらいを持てよと注意したくなる。上条が過去に一度注意して、美琴の自動販売機への回し蹴りはなりを潜めたが、根本的なところは何も変わっていない。
 それでいて。
 シミ一つないキメの細かい白い肌とサラサラの茶色い髪。
 細く整った眉、長いまつげ、比較的通った鼻筋、桜色の唇。
 ところどころは発展途上だが均整の取れたスタイル。
 折れそうに細い腰。すらりと伸びた長い足。
 去年よりもまぶしいくらいに女の子になった美琴が上条の隣で寝息を立てる。
 常盤台中学のブランドを無視しても、美琴が街を歩けばすれ違う一〇人中九人は間違いなく振り返る。それに最近、美琴は年頃の女の子が持つ健康的な色気が出始めたような気がする。
「お前は何がしたいんだ? お前は何をされたいんだ? ……そのうち本当に襲うぞ?」
 最近の美琴を見ていると、上条は変に彼女を意識してしまって胸が苦しい。
 インデックスを抜きにしても、上条の人生でここまで至近距離に女の子がいた試しはない。その子が自分の彼女で、事あるごとに手をつないだり抱きしめ合ったりということもなかった。
 上条とて健康な男子高校生だ。純情であっても人並に異性への興味はある。
 そんな上条の隣に、中学生とはいえ平均点を大きく上回る女の子がいるとどうなるか。
 上条は美琴の唇に指を伸ばしかけ、刹那心に浮かぶ煩悩と邪念を吹き飛ばすべく頭を横に振る。
 上条は思う。
 美琴がこんないたずらをしでかすのだって、何だかんだ言っても上条を信頼しているからだ。信頼は裏切れない。裏切りたくない。それが自分の彼女であればなおさらだ。
 上条は隣で眠る美琴を起こさぬようにゆっくり体を起こし、ベッドから降りる前に
「…………みこと?」
 一度だけ、名前を呼んだ。
 ここで起きたなら連れて行こうかとも思ったが、マンガのように都合良く目覚めることもなく、美琴はうう……んと悩ましい声で何事かを呟きながら眠り続けている。
 窓の外は日が西に傾きつつある。午睡の時間は終わりだ。
 置き去りにすることを美琴は怒るかも知れないが、気持ちよさそうに眠る彼女を起こすのは心苦しいし、何より今は美琴の顔を見るのが少しつらい。
 外へ行って頭を冷やし、ついでに晩飯の買い物をしてしまおうと思い立って。
 美琴に気づかれる前に上条はそっとベッドを降りると、ガラステーブルの上に『お留守番よろしく』とメモを残し、ポケットの中の財布を確認してから音を立てずに部屋を出た。


 上条がいつものスーパーでショーケースを眺めながら一つ一つ値段を確認していると、上条のズボンのポケットで、携帯電話の着信音が鳴った。
 相手は美琴だ。
『こらーっ! アンタ、私を置いてどこに行ってんのよっ!』
 着信音量は絞ってあるはずなのに、つんざくような絶叫が上条の鼓膜を直撃する。
 上条は一度携帯電話から耳を離して
「……、どこって、スーパーで晩飯の買い物だけど?」
『何で私を起こさないのよ! 鍵持ってないからそっちに行けないじゃない!』
 上条はふ、と笑って
「いやー、実に贅沢だよな。学園都市第三位にお留守番させるなんて」
『その「お留守番」ってのがムカつくんだけど! 留守番じゃなくて「お留守番」ってところにそこはかとなくアンタの悪意を感じるわよ! 人を子供扱いすんなあっ!!』
 電話の向こうで美琴がぎゃあああっ! と吼えた。
「……、もうちっとで帰るから良い子で待ってろよ。じゃあな」
 美琴がほかにも何か叫んでいたようだが気にしない。
 上条は親指で終話ボタンを押し、通話を切った。


「ただいまー」
 スーパーから本日の戦利品と共に戻った上条は勢いよく玄関のドアを開けて
「お帰りー」
 美琴はドアの向こうで仁王立ちし、上条を中に入れようとしない。
「……あの、買い物行ってきたんでそろそろ飯の準備をしたいんですが?」
 部屋の中へ入ろうとする上条を遮って
「何で私を置いて行くのよ?」
 美琴が頬を膨らませる。
「何で、って……お前気持ちよさそうに寝てたしさ。起こすのもかわいそうだなって」
「それでも起こしてよ! 起きたらアンタいないんだもん、ビックリするじゃないのよ!?」
「だからメモ残しといただろ? そんなに怒んなよ……たかが買い物に行ってきただけじゃねーか」
 美琴はむーと頬を膨らませたまま両腕を組み、頑として通行拒否の姿勢を貫く。
「分かったよ。……やるよ、やってやるよー!!」
 留守番にと置いて行かれた子供がだだをこねる事ほどやっかいな話はない。
 上条は叫び、スーパーの袋を持ったまま美琴を抱きしめて
「ただいま。……これで良いか?」
「約束を覚えてたことはほめてあげる」
 美琴がお帰り、と上条を抱きしめる。
「たかがスーパー行ったくらいで、んなことやらせんなよ……ったく」
 上条は美琴を抱きしめたままいっちに、いっちにと一歩ずつ玄関の中に入っていく。
 玄関のドアが完全に閉まったところで、美琴は上条の手からスーパーの袋を取り上げて
「じゃ、ご飯は私が作るからね」
 上条はいたずらの現場から逃げ出す子供をつかまえるように、コラ待てと美琴を後ろから抱きしめて
「人が寝てるベッドに転がり込んで来やがって。お前なに考えてんだよ?」
「人がせっかく来たってのに、アンタが私をほったらかして寝てるのが悪いんじゃないのよ。おどかされたくなかったらちゃんと起きてることね」
 スーパーの袋を持ったまま、上条の腕の中で馬鹿離しなさいよと美琴がもがく。
「んなムチャクチャな……。お前が俺の部屋で昼寝すんのは構わねーけど、もうちょっと場所ってもんを考えような?」
「だってアンタの部屋はベッドしかないじゃない」
「それはそうだけど……だったら俺を普通に起こせばいいじゃねえか」
「アンタを起こしても、最後は一緒に寝るでしょうが」
「…………、」
 話が平行線のまま進まない。つか、さらっと『一緒に寝る』などと言わないで欲しい。
「お前は忘れてるかも知れねーから言っとくけど、俺は男でお前は女なんだぞ?」
「分かってるわよ……そんなことは。アンタだって私のことアンタの彼女だって忘れてない?」
 きっと美琴は、上条が本当に伝えたい気持ちの半分も分かっていない。
「……忘れてねえよ」
 御坂美琴は上条当麻の彼女で、それでもまだ中学生だから。
「……分かってるから。ちゃんと分かってるからあんまり俺を困らせんな」
 いつまでもこのままでいられる自信はないから。
 男と女では『そばにいたい』のニュアンスはたぶん違うから。
 きっと美琴はこれからどんどん綺麗になって、手がつけられないくらい『女の子』になっていく。
 これから先、今のように冷静に美琴と付き合っていけるのか、純情少年上条当麻には自信がない。
 自信がないのに言葉にも出せず、上条はただ黙って、美琴を後ろから抱きしめた。
 美琴はしばらく上条に抱きしめられるままおとなしくしていたが、左手をにゅっと伸ばして上条の頭の後ろに伸ばし、上条の頭を手前に引き寄せる。
「……馬鹿。アンタね、何つまんない事勝手に考えてんのよ。どうせ私が子供だとか中学生だとか、変な理屈を頭ん中でこね上げて、人に無断で手を出せない理由でもつけてんじゃないの? それでいていざそうなったらどうしようとかビクビクしてんじゃないの?」
「……え?」
 上条は言葉が出ない。
 美琴は何を言おうとしているのか。
 次の言葉が読めない。
「あのね。アンタに出会うまで、アンタに出会ってからも、私に失礼なことを仕掛けてきた連中を私が何人ぶっ飛ばしてきたと思ってんのよ?」
「でもそれはお前の能力で……」
「何の力もない無能力者(アンタ)相手に気張ると思ってんの? 弱者の料理法くらい覚えてるわよ」
 ハッタリだ、と思った。
 美琴の言う『弱者の料理法』は、上条の幻想殺しには通用しない。
「いくら私がアンタの彼女でも、アンタがつまんない考えで私に手を出そうとすんのを、私が許す訳ないでしょうが」
「…………あ」
『許す訳がない』。
 上条の彼女だからと言って何もかも上条の思い通りに自分を明け渡すつもりなどないと。
 美琴は宣言した。
 いくら美琴が中学生でも、美琴には一人の人間としての誇りがある。
 美琴は、自分が女の子であることを熟知していて、
 それが上条に何を思わせるかを分かっていて、
 上条がその先でたとえ何かを踏み外しても、それが自分の意に沿わぬ事であればどんな手を使ってでも止めると暗に告げているのだ。
 甘やかすのと大事にするのとは違う。
 きっとこれも、美琴がかつて口にした『アンタを大事にする』なのだろう。
 美琴は黙って上条に守られているだけの少女ではない。自分の意志でこの世界に両足を踏ん張って立っている。
 自分の意志と選択と義務と権利を最大限に行使して。
 美琴を勝手に評価していたことを、上条は心の中で恥じた。
 自分一人の身勝手な思いで、何か取り返しのつかないことをしでかすところだった。
 美琴は『おいたはダメよ』とでも言うように上条の手の甲を軽くつねりながら
「まぁ、アンタが私を見て、ろくでもないことを考えるようになったことだけは、見直してあげても良いわね。昔は人のことをさんざんさんざんさんざんさんざんスルーするし、女扱いもしてくれなかったもんね、アンタは」
 女扱いしなかった訳じゃないけど、あの頃は女の前にビリビリがついてたもんなと上条は心の中で苦笑する。
 上条が美琴を一人の女の子として意識するようになっても、美琴はまだ中学生だ。
 諸事情により美琴にはおおっぴらに手は出せないし、内容によっては美琴自身がそれを許さないだろう。
 またの名を蛇の飼い殺し。
 ならば思わせぶりな態度で変に煽らないで欲しい。
 それって結局
「……擬人化美琴たん萌え?」
「擬人化って元の私は人間扱いされてないじゃん!? つかいつまで引っ張ってんのよその話題!?」
 二人の短い午睡が終わり、時間が動き出す。
 二人の新学期の一日目は、こうして過ぎてゆく。


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