とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

10章-1

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第10章 帰省1日目 噂


1月2日 PM8:40 大雨


 上条当麻は重い足取りでとぼとぼと家路を歩いていた。
 一応ビニール傘を差しているが、完全に濡れ鼠である。トレードマークのツンツン頭も今はその勢いを
無くし、額にべったり海草のように張り付いていた。一見すると誰だか分からないかもしれない。

当麻「……ッ」

 新しい傷を撫でるせいで、冬の冷たい風が刺すように痛む。その度に何度も眉をしかめた。こんな姿を
誰かに見られたら笑われるかもしれないな、などと自嘲気味に笑おうとするも上手くできず、掠れた笑い
声は雨音に掻き消されてしまう。
 さてこれからどうしたものか。という考えが何度かループしたところで、いつの間にか実家の前に到着
している事に気づいた。
 一度だけ深く息を吸うと、いつものように、上条当麻を自分の顔の上から貼り付けて扉を開ける。

当麻「たっだいまー。もう上条さんはお腹ぺっこりんですよ」
刀夜「おう、おかえり当麻」

 髪の変貌っぷりも親にとってはどうってこと無い差異であるらしい。たまたま玄関を通りかかった父親
にさして特別なリアクションもとらずに出迎えられた。

刀夜「何だ、ずぶ濡れじゃないか。ちょっと待ってなさい」

 そう言うと刀夜は玄関の脇にある収納からバスタオルを取り出し上条の頭に掛けてやる。
 上条はそれを素直に受け取ると、わしゃわしゃと頭を乱暴に拭いた。

当麻「サンキュ。いやー参った。帰り道だけで傘を二本もゴミにしかけるわ、トラックに泥水ぶっかけられ
   るわで。……あれ、そういえば結局父さんって皆と合流できたの?」
刀夜「いいや、間に合わなかった。すまんな。今さっき家に着いたくらいだ」
当麻「別に気にしてねーよ。どうせ仕事も無理して切り上げてきたんだろ? っつーか、俺も最終的に
   はぐれちまったんで立場的にフォローせざるを得ないわけですが」
刀夜「ほう……、何かあったのか?」

 刀夜の顔は微笑んでいたが、瞳から表情が消えた。上条の着衣に泥が付いている事や、頬が少し腫れ
ている事に気づかれたのかもしれない。

当麻「ん、大した事じゃないよ。意外な知り合いに会っちまって、ちょっとしたネタでエキサイトしてしまった
   と言うか。じゃれ合いみたいなもん」
刀夜「ふむ。まあ何だ、元気なのはいいが、ほどほどにな。それにわざわざお友達のお嬢さんを放って
   おいてまでする用事だったのか? 何だか少し落ち込んでたような気がしたんだが。まさか喧嘩し
   たとかじゃないだろうな。ダメだぞ当麻。女の子は大切に扱わないと」
当麻「うッ! してねーよ」

 グッサー!! と胸に刀夜の言葉が突き刺さる。
 美琴の意志を無視して帰したのは分かっていたし、結果論ではあるが、一緒に帰った方が得策だった
ようだ。刀夜が気に掛けるほどに落ち込んでいると言うことは、よっぽどなのかもしれない。

刀夜「ホントか? 声が震えてるぞ」
当麻「寒いからだって! 風呂って沸いてる? 全身がかじかんじまって、今すぐ温まりたいんだけど」
刀夜「ああ、確かにその様子じゃな。お風呂ならさっき私が入ろうとして、そのままになっているはずだ。
   仕事の電話が来たからな。電気も付けっぱなしになってるかもしれない。入るなら早めに入ってきな
   さい。そろそろ夕飯の準備が出来る頃だし、せっかく母さんの手料理なんだ。冷めるともったいない
   だろ?」
当麻「分かった分かった。それじゃ、お先に頂きます」

 上条は刀夜の視線から逃れるように脱衣所へと滑り込む。後ろ手に扉を閉めると、息を吐いてまだ湿っ
ている頭をガリガリと掻いた。
 どうにも調子が狂っているような気がする。頭の中がゴチャゴチャして、自分の行動一つ一つに違和感
を覚える。

当麻「はぁ。不幸…………ッ」

 出かけた口癖を自らキャンセルする。今の状態を不幸のせいにするのは何となく癪に障った。
 上条は重たくなったベチャベチャの服を全て脱ぎ捨てると、驚くほど冷たくゴワゴワと固くなった自分の
体を抱きつつ、淡く弱い光が漏れる風呂の引き戸へと手を掛け力を入れようとする。
 その寸前、

美鈴「じゃあ先にあがるわね」

 中からよく知った声が聞こえた。
 ズバッ!! と手を離す。
 繰り返すが、上条当麻の頭の中は考えるべき事の多さでゴチャゴチャしていた。
 普段のように、風呂という名の地雷原で巻き起こるであろう肌色《デンジャラス》イベントを、慎重に回避
するだけの余裕は無かった。彼の現状を知る者ならば、脳が許容オーバーにより一瞬フリーズしてしまっ
た事を責めるなんてできないだろう。まあ、そんな人は居ないのだが。
 おろおろしている間もなく、ガラガラガラ、とやや古いユニットバスの引き戸が向こう側から開けられ、上条
は中の人とご対面を果たしてしまう。

美鈴「ひゃっ!?」
当麻「ふわぁっ!!」

 全裸の上条と、前をタオルで隠しただけの美鈴が正面からぶつかった。
 美鈴の口からは悲鳴が、上条の口からは変な声が不意に漏れる。
 ムニュッ! とか、ポヨン! という効果音が聞こえてきそうな感触を胸に思い切り受け、その反動で両
者共に一歩ずつ下がる。

乙姫「きゃっ!! お、おにいちゃん!?」

 短い悲鳴とともにズルッ! ドテ! という音が聞こえてくる。
 どうやら素っ裸で立っていた乙姫が慌てて湯船に逃げ込もうとして転んだらしい。とんでもないポーズで
お尻を上条へと向けてしまう。

乙姫「いたた……、ってわわわぁ、ッ!!」

 バシャッ!! と湯船のお湯をまき散らし、乙姫は頭の先までお湯に潜ってしまう。
 もちろん上条はその肌色事件を一部始終見てしまった。張りのある乙姫の素肌や、予想していた以上に
膨らんでいる胸。その中心の薄桃色だとか、逃げる際に突き出したお尻が可愛らしく揺れる様子など。全部
バッチリ視界に捉えてしまった。
 心の中は申し訳なさでいっぱいだが、恐らく当分忘れることは出来ないだろう。

当麻「だぁー! 完全しくじった。こんな安直な展開読めないなんて俺のバカ!! 二人ともごめんなさい。
   でもわざとじゃないんです入ってるとはホント露知らず」

 上条は心の準備もしていなかった突然の出来事に混乱する。とりあえず二人に言い訳を織り交ぜつつ
謝罪を述べてみるが、その格好は全裸である。

美鈴「あー、えーっと。こっちこそゴメンね。何というかその、痛くなかった? 怪我ない?」

 上条としてはここで過激な攻撃で追い出されるか、せめて悲鳴をあげて体を隠すかしてこの空気をどう
にかして欲しかったのだが、美鈴はよりによって上条の体を心配するという暴挙に出てしまった。
 普段は冷静な大人の女性である美鈴だが、さすがに上条の全裸を見てやや面食らったのかもしれない。
 というか美鈴がこの調子なら、この場にそういう的確なツッコミをしてくれる人は居ないのではないだろ
うか。やむを得ず上条はテンパりつつそれに応える。

当麻「だ、だだだダイジョブダイジョブ全然これっぽっちも痛くなんかあるわけねーっつーか、これで痛い
   なら上条さんは一日に100回はのたうち回って廃人になってます男としてはむしろ大歓迎と言うか
   ビリビリのいつもの仕打ちに比べれば天国……て、そういう話じゃなくてですね」

 上条は、柔らかく温かい感触と躍動感溢れる揺れっぷりを反芻しようとする本能をどうにか抑え、美鈴
からギリギリと視線を外す。
 美鈴の体は持参したタオルで重要な部分だけはかろうじて隠れている。だが、所詮濡れタオルは濡れ
タオルであり、ピッタリ貼り付いているせいで体のラインが丸分かり。そればかりか所々で肌の色が透け
て見えている。ある意味全裸より扇情的かもしれない。
 徹底的に管理された、14歳の娘がいるなどとは到底思えない程に若々しく引き締まった体。それに加え
元々のスタイルの良さやら大人の艶やかさやらがバランス良く配合されているという、見事なまでに完成さ
れ尽くしたミラクルボディの前では、健全な男子高校生である上条の理性なんてオカラ同然で、ズブズブと
本能めがけ浸食される。ある意味拳銃以上に恐ろしい。

当麻「あ、そうだ。戸を閉めれば……」

 数秒してようやく根本的なことに気づいた上条は、ユニットバスの引き戸を閉めようとする。だが、立て
付けが悪い引き戸は、思い切り引っ張る上条の意に反してガタガタと音を立てるだけであった。
 2秒、3秒……、と居たたまれない間が流れる。

美鈴「そうね。戸を……」

 ようやく普段の冷静さを取り戻しつつある美鈴も、視線を下に持って行くまいと不自然に明後日の方向
を見るのをやめて、上条に加勢する。しかしそれでも引き戸は地味にしか動いてくれない。

美鈴「うわ、やだ何これすっごく固い」
当麻「え、ウソッ!!?」

 上条はズバッ!! っと股間を両腕で隠す。

当麻(いや、まだ何ともない正常。ジュニアは眠…………って、ぎゃああッ!!)

 屈んだことで美鈴の体が目前に迫り、いよいよ本気で動けなくなる。見ちゃダメだ、と思いつつも、雑誌
にでも載っていそうなモデル体型と、間近で遊ぶように揺れる二つの乳房から目が離れない。
 頭に血が上る。
 かああっと、火が出る程自分の顔が赤くなるのを感じた。

当麻(……ッ!?)

 ところが次の瞬間、その血が不思議なほど一気にサーっと引いていく。

当麻「な、何……?」

 本能が先に察して、理性が後から理解する。
 ミラクルボディの向こう側。真っ赤になりながら頭までお湯に浸かった乙姫の隣り。上条から完全に死
角になる位置から、自分へと向けられるどす黒く禍々しい殺気《オーラ》を感じた。
 上条はそーっと顔を横にスライドさせて、その根源を確認する。

美琴「ふーん。アンタはこういう展開でも私だけスルーなんだ、存在を認めないんだ視界の外なんだ。
   へーえ。なるほど、なるほど……」
当麻「ひッ!!」

 ビックゥ!! と上条の肩が跳ねる。蛇に睨まれた蛙よろしく動くことが出来ない。
 声の主は怒りにわなわなと打ち震えていた。
 バスタブから茶色の頭と目だけを出して、小声で何かをぶつぶつ唱えている。
 上条には何て言っているか分からない。ただ分かる事と言えば、そのジトーっとした瞳が「KILL YOU」
と言っている事。それと、どうやら自分の命脈が尽きたらしいという事くらいだ。

当麻(……終わってしまわれましたか)

 もしこのまま嫌われてしまったら今の悩みが解決するのだろうか。なんて上条が現実逃避をしているう
ちに、美琴は器用に右腕だけをニュッと出し、静かにゆっくり着実に木製の桶を掴んで振りかぶった。

当麻「待て、バカ落ち着けって!!」

 謝る事や弁解することが一気に増えた気がしてやるせない上条だったが、1つでも片付けようと思い、
まずは最重要事項を伝えるために叫ぶ。

当麻「誤解だ!! 硬くなんかなってな」
美琴「さっさと出てけクソエロ馬鹿ーーー!!」

 ブン!! と物凄い音が聞こえたような気がした後、ゴン!! と骨が砕けるような音を聞き、上条の
意識が途絶える。

当麻「うーん」

 前屈みだったせいで、自然と前方にある柔らかい物へと倒れ込む。

美鈴「うひゃあああッ!!」
美琴「あ、アンタ人の親に何してんのよ!!」

 肩を思い切り押され、今度は後ろへ倒れる。
 ほとんど気を失っていたため、受け身も取れずに頭から落ちた。が、幸か不幸かその衝撃で意識が戻
り、痛みで声にならない悲鳴を上げる。後頭部よりおでこの方が痛いのはどうしたことか。
 同時にようやく戸がズバンと閉められた。

美鈴「あ…………思いっきり突き飛ばしちゃったけど、その……生きてる?」
当麻「…………うぐぉぉ」

 上条はのたうち回りつつ返事をする。
 地雷原から抜け出したのは良いが、どうしていつも神様は優しい救出方法を与えてくれないのだろうか
と、天に向かって唾を吐きたくなる。

美鈴「ほ、ホントごめんね当麻君。……っていうか、雨に濡れて凍えてるんでしょ? なら今更だけど一緒
   に入っちゃう? 二人はまだあがらないみたいだし」
美琴「ちょっ!! なななな、なに勝手なこと言ってんのよそんなの出来るわけ無いでしょ幼稚園児じゃある
   まいし頭おかしいでしょアンタ!!」
美鈴「(あらーん。いいのかしらこのままで? 今の流れ、美琴ちゃんに対する当麻君の心象は最悪の部類
   に入るわよーん? 美琴ちゃんの色気で当麻君を悩殺。さらに甲斐甲斐しく背中流してあげて、お嫁さ
   んポイントを稼ぐチャンスじゃないの。裸と裸のお付き合いで一気に距離を縮めるってシチュエーション
   をママがプロデュースしてあげようってんだから素直に受け取っておきなさい。水着は無理だけどバス
   タオルくらいは用意してあげるし♪)」

 上条からはよく聞こえなかったが、どうやら美鈴は普段の調子を取り戻したようである。良かったような
悪かったような複雑な心境を上条は懐く。

美琴「(アンタは年端もいかない娘が男と一緒にお風呂に入るのを何とも思わないのかー!!)」
美鈴「(ん、そんなの許さないに決まってるじゃない)」
美琴「(は??)」
美鈴「(でも当麻君だったら良いわよん♪ 特別に許してあげる。多分手も出さないだろうしね)」
美琴「(な、何よそれ。どういう贔屓勘定? てか、大体にして乙姫ちゃんも居るのよ!? ねえ、乙姫ちゃん
   も何か言ってやって!)」
乙姫「(わたし……私は、良いよ。だって……い、妹だもん。全部見られたって……おにいちゃんなら、平気、
   だし。その…………ぶくぶくぶく)」
美鈴「(んふふ。だそうよ♪)」
美琴「(全然平気そうに見えないんだけど……)」
美鈴「(うーん。そんなに不安なら私も一緒に入ってあげるけど?)」
美琴「(は??)」
美鈴「ねー当麻君、良いわよねお姉さんが背中流してあげても」
当麻「えッ!?」 美琴「なッ!?」
美琴「だ、ダメよそんなの!!」
美鈴「んふ♪」
美琴「(ち、違ッ!! ……、ほ、ほら。そんな変態母子に思われるのが嫌なのよ。……それにアンタいい
   わけ? ばれたらパパが怒るわよ)」
美鈴「(放っておきなさいよあんなバカ。怒ってでもいいからさっさと帰って来ればいいのよ)」
美琴「(……、実は怒ってるのはアンタの方なんじゃ)」
美鈴「(良いじゃん美琴ちゃん。好きな人とお風呂なんて、付き合いだしたら普通の事よ?)」
美琴「(え、ウソそうなの? ……って、そう言うんじゃ無いって言ってるでしょ!! ……、百歩譲って、
   もし仮にそうだとしても、そもそもアンタの手助けなんて余計なお世話よ。必要無いっての!!)」
美鈴「(へー。そっかなるほど。それは『既にそんなのは必要ないような関係』って事かしらーん? さすが
   私の娘。隅に置けないわね美琴ちゃぁん♪)」
美琴「(あーもーしつこいー)」
当麻「……あのーもしもし?」

 上条を放っておいて風呂の中では何やらヒソヒソと作戦会議がされているようであったが、待っていても
終わりそうにない雰囲気だったので仕方なしにそれに割って入ってみる。

当麻「お取り込み中の所申し訳ありませんが、上条さんは入らないからね? そこまで非常識な野郎では
   無いですの事よ? 何やら俺が入ること前提になってるようでちょっと心外なんですが」
美鈴「えーつまんなーい」
当麻「何そのおもちゃ取り上げられた子供のような発言は!? 俺は体拭いて先に飯食ってるから、ゆっく
   り入ってていいから。それじゃな!!」
美琴「あ、ちょっ!」

 美琴が何かを言う前に上条はバスタオルを腰に巻いて脱衣所から出て行く。バタン!! という扉の
音が耳に痛く響いた。

美鈴「あらまあ随分素っ気ない感じで行っちゃったわね。いっつも二人はこんな感じなの? 予想してた
   のよりずっとドライというかバイオレンスというか……」
美琴「……あぅ」

 後に残るはいよいよ本気で項垂れる美琴と、それを哀れみの目で見守る二人のみであった。


 ◆


美琴「ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく……」

 またやってしまった。
 上条に酷い仕打ちをしてしまった。あれほど二人で良い雰囲気になりたいと願っていたのに。
 何だっていつも上条に対してだけは理想と正反対の行動を取ったりしてしまうのだろう。

美琴(……はあ。やっぱ怒ってるかな?)

 湯船から顔を出して唇を噛む。
 古めかしくもきちんと掃除が行き届いた風呂場では、美琴だけが長湯していた。美鈴と乙姫の二人は
先に上がっていて、先ほどよりリビングの方から楽しげな声が微かに聞こえている。
 今すぐにその輪に入りたいのに、体が動かない。逆に再び沈んでいって、口からぶくぶくと泡を出す。

美琴(分かってるわよ。自分の体が貧相って事くらい。分かってるわよ。ママの前では霞むって事くらい)

 そもそも、家族サービスなどと考えて、一緒にお風呂に入ろうと母親を誘ったところからして間違ってい
たのかもしれない。
 あのミラクルボディは目の毒である。おまけにからかわれるどころか、哀れみの眼差しと共に慰められ
てしまった。「まだまだ成長途中だって」などという言葉が逆に痛い。
 今じゃなければ駄目なのである。あの馬鹿の周囲には化物級が多すぎる。多すぎると言う事は、つまり
そういう嗜好はあるのだろう。確実に繋ぎ止めておくにはこの子供ボディでは心許ない。それに、自信の
ない部分を彼にさらけ出すのは恥ずかしい。

美琴(だけど、それでも親子程年の離れた相手にあの顔ってどうなのよ。朝もそうだったし。デレデレし
   すぎなのよ。そんでもって私の方は無視?)

 先ほどの美鈴の体を見る上条の顔を思い出すと、やり場の無い怒りが沸々と湧いてくる。

美琴(まあ私は死角に隠れてたけど……。でも私だって。私だってアイツが見たいって言うならいくらでも
   …………。それとも、別にこんな体見たくなんて無いのかな)

 自分の体を抱きしめる。胸が苦しい。
 残念そうな顔をされたり、子供扱いされたりするばかりか、最悪嫌われてしまったら――――と馬鹿な
想像をしてしまう。
 なまじ以前よりその状況が起こり得る関係になったため、漠然とした悩みは不安へとクラスチェンジして
しまったようだ。

美琴(というかそもそもアイツ、私のどこら辺が好きなのかしら??)

 うーん、と悩んでみるが分からない。
 周りの人間に好かれる事はそれなりにあるが、上条に対する振る舞いは他の人間とは違う。あまり良
い印象を懐かれている自信が無いというのは付き合う前と変わっていない。いつも何だかんだで酷い
仕打ちをしてしまうのだが、それを悔やむのはいつも後になってからである。

美琴(……とりあえず素直に謝ろう。その後でもし出来たら聞いてみよう)

 ザバッと勢いよく立ち上がり、湯船から出る。
 まずは外面より内面。素直になる所から自分を変えていこう。と決断して、強めに体を拭く。
 ふと壁に目をやると、長方形の風呂鏡に自分の裸が映っていた。

美琴「……、とりゃっ!!」

 美琴は少し前屈みになり、両腕を下に伸ばし、右手と左手を前で繋ぐ。ついでに口角も上げてやや媚
びた笑顔を作ってみる。簡単に言えばアイドルが写真集でよくやるようなポーズに近い。
 こんなポーズなら上条も堕ちるに違い無い。……違い……無い?

美琴「…………………………………………」

 ピチョン。と、古めかしい蛇口から水滴が落ちる音だけが虚しく響いた。
 美琴はその体勢を無言で解すと、いそいそと再び湯船に入る。

美琴「ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく……」

 立ち直るにはもう少しだけ時間が必要な気がした。


 ◆


 上条当麻は見慣れない天井を見ていた。「疲れたから寝る」と他の連中に告げた後、風呂も入らずに
二階の和室に敷いた布団に入り、横になっていたのだ。
 実際は全然眠くない。単に考え事をしたかったのと、美琴と顔を合わせづらかったというのが真相だ。

当麻(ムチャクチャ怒ってたしな-)

 ったく、あいつは全然見られてないのに。むしろ見られたのは俺の方なのに。恥ずかしかったのにッ!
などとブツブツ文句を垂れたい気もしたが、あのシーンではむしろ助かったのかもしれない。戸を開け放
ったまま美鈴に「一緒に入る?」などと誘惑されていたら、拒否できたかは怪しい。

当麻「……って、そこは拒否しろよ!!」

 一瞬、裸の美鈴と乙姫が上条と同じ湯船に浸かる様を想像するが、頭を振ってそれを消し去った。
 オトコノコだししょうがないよね。なんて言い訳はさすがにできない。恋人の母親と従妹に欲情するとい
うのは、上条の知識によると世間的に危険人物扱いされる部類である。少し己の無節操さが嫌になった。

当麻「痛っつ。…………にしても、あいつはもうちょっと自重してほしい」

 額と後頭部がまだズキズキ痛む。特におでこの方はたんこぶが出来たらしく盛り上がっていた。今日
できた傷の中で一番重傷かもしれない。
 おまけに雨で冷えたせいか頭全体がズーンと重く、考え事をするには最悪なコンディションであるが、
そうも言ってられないので、上条は集中しようと瞼を閉じる。もちろん考えるのは、冷たい雨の中聞いた話。

当麻(結局一番重要なのは、あいつと俺の気持ちだよな。他人から疎まれようが蔑まれようが憎まれよ
   うが、決めるのは俺達自身なんだから)

 美琴の両親にどう思われるかは分からない。しかしそれはその後の問題である。明け渡すのか、相談
するのか、奪い去るのかはその時考えれば良い。
 今この時点に限って、決断は二人に委ねられる。
 しかし、当のもう一人にこの事は話せない。隠し事はしたくなかったが、こればかりは無理だ。
 美琴が素直にはいそうですか、と学園都市を離れるとは考えにくい。一人だけ逃げ隠れするような真似
は絶対にしないだろう。学園都市には彼女が離れられない理由がある。妹達の事や、白井黒子のような
美琴の友人達。それに上条当麻だって――――

当麻(あいつにとって俺は、どのくらい留まる理由になるんだろうな。離れることをどのくらい辛いと思って
   くれるんだろう)

 そもそもどこら辺が好かれたのかもイマイチ分からない。後で聞いてみようか。
 いや、と首を振る。

当麻(その前に上条当麻。テメエはどうなんだ。テメエはどうしたい? 最初に考えるべきはそこだろ!?)

 守りたいに決まっていた。誰にもやらせたくなんかない。美琴がある種の不幸を抱えている事だとか、
海原に彼女を守るよう頼まれた事すらもはや関係無かった。ただずっと、ひたすらパートナーとして、美琴
の傍に寄り添い、彼女の笑顔が絶えないよう護り続けたいと思った。細かい理由なんて分からなかったが、
それが上条当麻そのものの望む事には違い無かった。

当麻(ならそうしろよ。テメエが自分に胸を張れる答えはそれしかねぇんだろ? 他人に委ねる事なんて
   最初からできねぇんじゃねーか)

 普段ならそうするし、出来るならそうしたい。どこまでも己の信じる道を突き進みたい。上条当麻はそう
言う男だ。
 しかし、もし文津が主張するように、上条が美琴を守ろうと近づく事で彼女を不幸せにするなら、状況
は一変する。それは護っているようでいて、実は単に傷つけているだけである。
 美琴なら強いし、何があっても好きでいてくれるから大丈夫、などという言い訳は通用しない。上条が
遭遇した事件の中にはそれを超えるものだってあるし、不幸という形の見えない敵が素直に攻めてくる
とも限らない。それに、日常的に事件が起きるという状況下で、美琴がいつまで上条を慕ってくれるかも
分からない。

当麻(幻想殺し《こいつ》をどうにかするって手は? 多分原因だと思うけど)

 仮に不幸と幻想殺しを消し去ったとして、魔術サイドも科学サイドも存在が消えるわけではない。そん
な危険な世界で、美琴を護りきれると言えるのだろうか。そんな上条を、美琴はどう思うのだろうか。
 まあそれ以前にもはや一つのアイデンティティとなっている幻想殺しを故意に捨てるなんてことは上条
にとってあり得ないことだが。

当麻(……あーもうゴチャゴチャじゃねえか。判らない事だらけだし)

 上条は一度肺に溜めた息を吐きだす。

当麻「周囲の人間まで不幸にする……か」

 実際の所どうなのだろう。
 瞼を開け、右手を天井にかざしてみる。
 やはり何の変哲もない人間の右手であるが、そこには不思議な力が宿っている。
 夏から冬にかけて色んな事件があって、右手の事も少しは分かったような気もするが、だからと言って
納得出来るような代物ではない。その存在はどこまでも謎に満ちている。
 その存在のおかげなのか、上条の日常は事件に塗れていた。それは文津の言葉を借りれば『事件を
見つける性質』で、自分は巻き込まれているのだと上条は思っていた。だからこそ、色んな人達を自分
が助けたという誇りも生まれたし、この力を持つことを幸せだとも思えた。
 でも、もし『事件を発生させる性質』であり、この右手のせいで誰かを不幸にしたのなら――――
 ブルブルと体が勝手に震えた。右手を収め、布団を首まで深く被り直す。
 まるで自分の体に悪魔が宿っているような気分がした。馬鹿馬鹿しい幻想だが、完全に否定できない
のが辛い。

当麻(んな事、考えた事なかったな)

 友人の間でも上条の不幸がよくネタになっている事を思い出した。
 彼らはよく上条に不幸が吸い寄せられるから避雷針代わりになると言って、その存在を重宝していた。
それだけ見ると周りにとってはどちらかというと厄災を払う福の神だろう。実際にどうなのかは知らないが、
結果だけ見ればそういう事も多い。
 ただ、彼らと美琴には大きな違いがある。美琴の不幸は、今や上条自身の不幸と同義だ。つまり美琴
の不幸が上条の不幸に直結する。なら――――

当麻(右手《こいつ》から、美琴を離すしかねえのかな……)

 彼女を嫌いになる、何てことはできそうになかった。ならそうするしかないのかもしれない。
 それは上条にとって辛いことである。まさに不幸な事であった。しかし、だからこそ意味があるのでは
ないだろうかとも思えてくる。上条が不幸でいるなら、悪魔はそれで満足なのだろうから。

当麻(……ん?)

 そこまで考えたとき、トントントン、と階段を上がる音が聞こえてきた。ふらふらしているのか若干リズム
が乱れていている。

当麻(美鈴さんか? まさか酔っ払ってさっきの事をからかいにでも来たんじゃねーだろうな)

 美鈴の酔っ払っている姿を想像して心底げんなりする。ナーバスになってる時にアレの相手をするのは
拷問に近い。

当麻(……、全力で寝た振り決定)

 目を閉じ体の筋肉を弛緩させる。若干布団を乱し寝相の悪さをアピール。ついでに口を少し開け間抜
け面を演出。さすがにいびきの真似はウソくさいだろうか。
 でもひょっとして寝ていても悪戯されるんじゃ、とビクビクする上条であったが、その時予想とは違う声
を聞く。

美琴「おっとと。ううっ、さすがに長湯しすぎたかな。まっすぐ歩け、ない」
当麻「……」

 薄目で横を見やると、顔が茹で蛸みたいに真っ赤になった美琴が、ふらふらよろけながら上条の居る
和室へと歩いてきていた。まるで酔っ払っているかのように千鳥足だが、風呂にのぼせたらしい。

当麻(あれからずっと入ってたのか? 1時間以上経つぞ)

 もしかしてずっと自分にどういうお仕置きをするか考えていたのか。と上条は戦慄する。
 面倒くさいから瞼をがっちり閉じて狸寝入りを続行する事にした。
 やがて衣擦れの音が上条の布団の脇で止まり、続いて座るような音がする。

美琴「あれ。うわこんにゃろ、ホントに寝ちゃってる!? ねえちょっとアンタ、お風呂空いたけど入らなくて
   いいの?」
当麻「すーすー…………」
美琴「……、ははーん。何下手くそな演技しちゃってんのよ。ばれないとでも思ってるわけ? 起きてん
   でしょアンタ」
当麻(うッ!!)

 内心ギクリとする。
 ここでばれると心象が悪い。寝た振りをしていた理由を咎められそうだ。

美琴「どうせさっき私と分かれた後に何かあって、それを言いづらいとか、そんなところでしょうね」
当麻(ッ……、何でここまで的確に分かるんだよ!? やっぱ見てたのか?)

 全身にジワリと汗が滲む。

美琴「まあ良いわよ、今は聞かない。アンタ頑固だしね。言いたい時に言ってくれればいいわよ。だから
   寝た振りはやめてさっさと目を開けなさい。優しい美琴さんとお喋りでもしましょう」

 上条は猛烈に迷う。
 ばれてるなら降参するべきだが、諦めて目を開けば今日『何か』があった事がばれてしまう。今美琴は
こんな事を言っているが、果たして本当に追及されないかは怪しい。

当麻「……」
美琴「……」
当麻「……………………、すーすー」
美琴「んー。何だ、鎌かけしてみたけどやっぱり寝てるか」
当麻「ッ!!」

 全身の汗が冷えるのを感じた。

美琴「……で、なんだけど」
当麻「?」

 美琴は上条が寝ているのを確認したのに、何故か話を続ける。

美琴「えーっと……、ゴホン。あのさ、さっきはその、やり過ぎたかも。ゴメン。痛かった? あ、でもアンタ
   も悪いんだから、そこは自覚しなさいよ? かの……、えっと、人の事をスルーしといて、その母親
   の裸にデレデレしてたら、そりゃ誰でも怒るっての。あ、でも私の体に見蕩れて欲しいとかそう言う
   意味じゃないから都合の良いように勘違いすんじゃないわよ――――と、こんな感じかしら?」
当麻(……練習?)

 どうやら謝罪の練習であるらしい。
 上条は聞いてはいけないものを聞いているようでだんだん後ろ暗くなってくる。

美琴「はあ。まあ、気持ちは分からないでもないけどさ。人の母のプロポーションに見入ってんじゃない
   わよ、ほんと。さすがに呆れる……って、ん? 今思い出したけどアンタ、こっそり乙姫ちゃんの裸
   も見てたわよねぇ。それもまじまじと数秒。舐め回すように」
当麻「…………」

 徐々に美琴の声のトーンが怒りを帯びたものに変わっていく。

美琴「やっぱり、そうなんだ。アンタってば相も変わらず巨乳とかチビっ子とか母とか妹とかそういう萌え
   属性っぽい響きに弱いわけかこの変態バカー!!」
当麻「……ッ!?」

 ぎゃあああ!! と階下には聞こえない程度の声で叫ばれ、上条の体がビクッと一瞬硬直する。

美琴「……………………」
当麻「……………………?」

 が、何かされる! と思い身構えた上条に対して、美琴は一向に何もしてくる気配が無い。
 ただ、次に発せられた言葉はある意味それ以上の重みを持ってズドンと上条の心に響いた。

美琴「はあ。そんなに魅力無いのかな? 私の体」
当麻「!!??」
美琴「ねえ、アンタに好かれる体型になるにはどうすればいいんだろ」
当麻「……」
美琴「って、寝てるアンタに訊いてもしょうがないけど。あ、起きてたら訊けないか」
当麻「すーすー…………」

 上条は全力で否定しようかと思ったが、今目を開けたらそれはそれで地獄を見そうだったので、仕方
がなく寝たふりを続ける。

美琴「あーあー。何か一人で騒いでるのが馬鹿みたい」
当麻「…………」
美琴「おーい。さっさと起ーきなさーい。もう朝よー」
当麻「すーすー…………」

 そんな上条の心中を知ってか知らずか、美琴は上条を起こそうとする。
 とは言っても本気で起こす気があるのか疑いたくなるような小さな声で。体も揺するわけではなく、上条
の頬を軽くツンツン突くだけである。

美琴「朝ご飯。できてるわよー」
当麻「…………」
美琴「遅刻するわよー」
当麻「…………」
美琴「ほら、……早く起きないと、会社に、間に合わないわよー」
当麻(会社?)
美琴「(あ・な・たっ)」
当麻「!?」
美琴「~~~~ッッ!!」
当麻「…………」
美琴「…………ふぅ」
当麻「…………」
美琴「ってか、ホントに起きないのね。悪戯しちゃうわよ? いいの?」
当麻「…………」
美琴「うん。起きない、わよね。よし」
当麻「…………」

 ふと、美琴は上条のすっかり柔らかくなった髪を無言で撫で始めた。それも子猫でも撫でるかのような
優しい手つきで。

美琴「今日も色んな事があったわね。アンタは相変わらずだし……」
当麻「…………」

 上条は頭に感じる手の心地よさと美琴の優しい囁きに、本当に眠たくなってくる。

美琴「私、アンタの不幸あんまり払えてない気がするけど、ホントに幸せなのかな?」
当麻「…………」
美琴「私ばっかり浮かれちゃってさ。はあ。まったく、アンタの前だとどうにも自分が子供に思えて仕方な
   いのよね。……、ホントに隣りに居るのが私で良かった? アンタを追い掛けてた時は夢中だった
   けど、最近ふと考えちゃう事があってさ……」
当麻「…………」
美琴「……、ツンツンしてない髪も、何かいいな」
当麻「…………」
美琴「…………」
当麻「…………?」
美琴「…………………………………………………………………………………………………ちゅっ」
当麻「!?」

 頬と唇の間、微妙な位置に美琴の唇らしきものが当たる。
 それはほとんど一瞬で、すぐに離れてしまった。しかし、その感触は上条の脳裏にはっきりと残る。

美琴「(わ、糸引いた!)」

 キスした位置が布のようなもので拭われる。

美琴「(……えへへ。充電完了)」

 一仕事終えたぞ、と言うような美琴の鼻息の後、クスリと小さな笑い声が聞こえた。

美琴「にしても、ホントにお風呂入らなくて大丈夫なのかしら? 歯とかガチガチ言わせてたのに。体だって
   あんなに濡れて…………からだ…………ぬれて…………ハダカ…………」

 パチンッ! と軽い電撃の音と共に、ピチャッ、と上条の頬に滴が垂れる。

当麻「?」
美琴「ぎゃああッ!! は、鼻血!? ウソ、ティッシュティッシュ!!」

 何やらドタバタと右往左往する音が聞こえる。
 むしろこれで上条が起きないのはおかしい、と思った方が良いかもしれないが、美琴はそれどころで
ないようだ。

美琴「の、のぼせたからかな。そうよ、きっとそう! ……。だって見たのは上半身だけだし、うん。……
   じゃなくて! そういうのはマンガの中だッぴゃああッ!!」

 突然ビクッ!! と美琴が跳ねる。同時に低い振動音がテンポよく聞こえてきた。どうやら携帯電話の
バイブレーションらしい。

美琴「だだだだ、誰よ一体。こんな夜の絶妙タイミング……え、初春さん? ……、何だろ」

 そう独りごちると静かに立ち上がり、衣擦れと携帯電話の音を引き連れて遠ざかっていく。
 やがてパタンと扉が閉められる音がして、シーンと静寂が耳を突いた。
 上条は慎重にそれを確認した後で、ゆっくりと瞼を開ける。
 相変わらず見えるのは記憶にない天井の模様。

当麻「……結局あいつは一体何がしたかったんだ?」

 無性にイライラして、心がざわつく。別に美琴が悪いわけではない。
 頭をガシガシ掻くと、先ほど手で優しく撫でられていた感触は、幸福感と共にたやすく消えていった。

当麻「はあ。クソ…………俺にどうしろってんだよ」

 堪らず天井へ向かって悪態をつく。
 答えは分かっている。しかしそれを考え出すと途端に上条の胸が切ない悲鳴を上げた。


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