とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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P.S._I_LOVE_YOU



 その日の天気は、鉛灰色した低く、息苦しさを覚えるようなどんよりした雲から、銀色の滴が静かに降りそそぐ、そんな一日。
 6月17日、金曜日の午後だというのに、街並みは暗く濡れて、ひんやりした冷たさを感じさせ、衣替えを済ませた者にはもう一枚、上に羽織ろうかと思わせる、そんな生憎の空模様。
先達てまでのじっとりと蒸されるような、夏前特有の気候は影を潜め、典型的な梅雨寒の、どこか陰気に感じられる日のこと。

 とある高校の2年生、上条当麻はその日、いつもの彼には珍しく、放課後の補習も無く、課題も出なかった。
 下校途中に、いつもの公園を通りかかった時、あの自販機前で立ち止まる。
 傘を差していても伝わってくるような、冷たい空気に体が冷えて、何か温かいものをと思い、無意識に小銭を入れるとホットミルクティーのボタンを押した。
 ガコンと音がして、取り出し口に要望通りの飲み物が出てきた時、彼は今日これまで、『不幸だ』と呟きもしなかったことに気が付いた。

「――上条さんにも、たまにはこんなラッキーな日があっても良いと思うのですよ」

 温かく甘いミルクティーが、上条の冷えた身体を内側から温めていく。
 生憎のこんな天気でも、今の彼にとってはもはや些細なこと。
 朝の目覚し時計は時間通りに起床を知らせ、きちんと朝食を作れたことで、同居している暴食シスターに噛まれる事も無かった。
 登校時には犬に追いかけられることも、財布を落とすようなことも起きなかった。
 朝のHRでは、吹寄おでこDXを喰らう事もなく、昼は購買で、昼食のパンを手に入れることも出来た。
 今日一日が無事、『普通』に過ごせている。これは彼にとっては奇跡としか言い様の無いことなのだ。
 生まれついての不幸体質な上条にとって、毎日起きる何かしら不幸、不運な出来事はもはや日常茶飯事のこと。
 
「どうせこんな平穏無事な一日の終りには、とんでもない不幸の揺り戻しが来るんだろうけどな……」

 ふと口から漏れ出た言葉に、どれだけ不幸慣れしているんだよと思うと、それが当たり前のように納得している自分のことが、なぜだか無性に可笑しくなって笑みがこぼれた。


「――ちょろーっと……」

 その時上条の背後から掛けられた、いつもの聞きなれた声に振り返ると、そこにいたのは学園都市第三位のレベル5、『超電磁砲』こと御坂美琴。 

「ねぇ、こんな所で一人、何ニヤニヤしてるのよ」

 そう言いながら彼女は、見慣れたいつものカエル柄の傘を差して、上条の前に立っていた。
 口調は荒っぽく思わせるようでも、その顔にはいつもの彼女らしい笑顔があって、上条の心をドキリと震わせる。

「――おう、御坂か……」

 上条が口に出来た言葉は、たったそれだけ。
 かつては上条に出会い頭の電撃を放ってきたりした彼女も、それは既に過去のこと。今では普通に声をかけてくる。
 それどころか、課題の手伝いや、タイムセールへの協力、たまに手作りの夕食を振舞ってさえもくれるようにまでなっていた。
 いつもそこにあるのは、彼女の優しい笑顔。いつしか上条の日常には、美琴の笑顔が欠かせぬようになっていた。
 そんな彼女の笑顔に、自分の気持ちが引き寄せられる時が来ようとは、かつての彼なら夢にも思わなかっただろう。
 鈍感と言われた上条が、今では彼女に自分でも理解できない感情を抱いていた。

「いやぁ、今日の上条さんはですね、朝から何のトラブルも起きていないものだから……」

 なぜだかドキドキと高鳴る気持ちを隠して、上条が彼女に笑顔を向けた。
 今日の彼はいつもと違う。不思議なことに、朝から不幸なことが起こっていない。
 それどころか、気になる女の子に会うことも出来た。なんて今日は幸せな日なんだろうと上条は思う。
 だからこそ今の彼は、最高の笑顔でいられた。

「なんて幸せな一日なんだろうと思うわけでしてね……」

 いつに無い上条の輝くような笑顔に、美琴の顔が急に赤くなり、彼の顔を見つめたままぼぉーと立ち尽くしている。
 それに気付いた上条が、彼女が急に体調を崩したかと思い、あわてたように傍に寄った。
 その拍子に傘と傘がぶつかって、傘の端に溜まっていた冷たい滴が2人に降りかかる。

「きゃっ!冷たっ!」

「うわっ!冷てっ!」

 わずかに身を切る刃物のような、滴の冷たさが、ともすればのぼせがちな2人の感情を切って捨てる。

「もう……冷たいじゃないの」

「わりぃ御坂。それより体調でも悪いのか」

「あ……、だ……大丈夫よ……、たぶん……」

 なんだよたぶんって、と思いながら彼は、いつしか傍らに立つ彼女の顔をぼんやりと見つめていた。
 そういえば、美琴とはいつ、知り合ったのだろうなと上条は思う。
 いつのまにか彼の横にいて、気が付けば彼の世界に欠かせない存在となった女の子。
 ロシア上空で、自分に向かって手を差し伸べてきた女の子。
 病院を抜け出し、戦いに向かう自分に、記憶喪失の事実を問いただそうとした女の子。
 大覇星祭での勝負と罰ゲーム。
 夏休み最後の日の恋人ごっこと、アステカの魔術師との誓い。
 絶対能力進化実験での一方通行との戦いと妹達(シスターズ)。
 あの夏の日に、この公園のこの自販機の前で、彼女に声をかけられたのが、彼が覚えている美琴との最初の記憶だった。
 それ以前からの付き合いもあったようだが、記憶喪失となった彼には何もわからない。

――俺の記憶喪失を知ってるとはいえ、アイツだって、そんな話は聞きたくも無いだろうしな。


「ねぇ、なにぼんやり見てるの?」

 じっと彼に見つめられていた美琴が、恥ずかしげに俯きながら、上目遣いで顔を覗き込んできた。
 彼女のその仕草に、上条の心が撃ち抜かれる。思わず背けた彼の顔は真っ赤になり、心臓は口から飛び出さんばかりに、その鼓動を早めていた。

「あ……、いや、別に……」

 そう言葉にするのがやっとだった。
 この感情は一体何なのか、彼は今もわからない。
 彼女の姿を見ると、胸が高鳴り、顔は上気して口の中がからからになる。

「ねぇアンタ、明日時間ある?」

 美琴の言葉に、上条がはっと気が付いたように意識を取り戻した。

「おう、明日は補習もないし、時間はたっぷりあるぞ」

「じゃ、さ、ちょっと買い物を手伝って欲しいんだけど……、ダメかな?」

「ダメじゃない!」

 即座に返事が出来た。彼自身でも驚くほどに、すんなりと言葉が出た。
 彼女は付き合えと彼には言わなかった。上条が承諾をしやすいように、手伝ってほしいと助けを求めるような表現を使っている。それが彼女なりの上条当麻操縦術。
 そんな美琴の掌で踊らされるように、上条はどんどんと、彼女の虜になりつつあった。

「じゃ、時間はまた後で連絡するわね」

「ああ、待ってるよ」

 そう言う上条の心臓は、すでにばくばくと脈打っていた。
 自分でも説明できない胸の高鳴りは苦しくなって、その動悸を収めるように、彼は持っていた飲みかけのミルクティーを一口、口に含む。
 生温い甘さで、その高鳴りをなんとか平静に押さえつけることが出来そうだと思ったその時だった。

「あ、私にもそれちょうだい。喉、カラカラなのよ」

 いきなり美琴に缶をひったくられて、上条は我に返った。

「あ、なんだ。もうすっかり温くなってるじゃない」

 そう言いながら、彼女は缶に口をつけると、ごくりと一口、喉を鳴らして飲み込んだ。
 上条はそんな大胆な彼女の行動に、ますます内心の動揺を隠せなくなっていく。

「お……おい、人の飲みかけを……」

 おろおろと慌てるような上条を横目に、美琴は平然として笑みを浮かべている。
 
「けちけちしないの。減るもんじゃ……って飲んだら減るわよね」

「てめぇ全部飲むんじゃねーよ!」

「はいはい。返せばいいんでしょ」

 そう言って美琴が、中身の減った缶を彼に返して寄越した。
 さっきより軽くなった缶を手渡され、上条は無意識にその飲み口に目を落とした。

――間接キス……

 そんなフレーズが上条の脳裏をぐるぐる回る。

――俺がこれに口をつけたら……

 それまで普段、全く気にもとめないことに、上条は意識を奪われ、沈黙してしまっていた。

(おいおい、中学生じゃあるまいし。なんで俺はこんなに意識してるんだよ……)

 彼のそんな気持ちを見透かしたように、美琴は小悪魔のような笑みを浮かべていた。
 彼女の鳶色をした双眸に、何かを決意したような、強い光が宿っていたことに上条は気付かない。
 やがて意を決したように、美琴が二人の間の沈黙を破った。

「あのね……」

 彼女から発せられた言葉が、彼の思考を止めた。

「――私、好きな人がいるの……」


 冷たい雨が、しとしとと降り続く。
 傘に当たって、細かい粒が跳ね、ぱたぱたと音を立てる。
 同時に上条の周りで、時が止まる。
 思わず顔を上げた途端、彼はじっと見つめてくる美琴の瞳につかまえられた。
 それまでドキドキと高鳴っていた胸が、あたかも大きな手につかまれたように、ぎゅっと締め付けられた。胃の奥に黒く冷たい塊を押し込まれたような気持ちになって、呼吸が荒く苦しくなる。
 思わず――うぁ……と喉の奥から声にならない声を漏らしていた。

「初めて会ったのは、ちょうど一年前なんだけどね……」

 自分の知らない彼女が、目の前にいる、と思うことが上条には辛かった。
 ちょうど一年前。それは自分の記憶から失われた時間の中にある。
 美琴の瞳から目を離すことが出来ずに、彼の頭の中で警告音が鳴る。
 彼女の中に、自分とは違う男が息づいているのだと思った瞬間、上条の心が折れかけた。

(そうか。朝から何も無かったのは、この為だったのか……)

 上条は、今日の不幸がやって来たと思った。しかも彼の記憶の中でも、それは最大級の不幸なんだと感じられてもいた。
 そんな彼の心を、知ってか知らずか、美琴が言葉を繋いでいく。
 じっと傘を差したまま立ち尽くす上条の目の前で、彼女はくるりと向こうを向いた。
 彼からの視線に耐えられなくなって、恥ずかしさで自分の心が途中で折れないように。
 自分の思いを言葉にして、本当の気持ちを素直に上条へと伝えるために。

「不良に絡まれていた私を、助けようとして、知り合いの振りをして……」

(ああ、これが不幸だってことは、俺はこいつのことが……)

「私を連れ出そうとしたんだけど、私がぶち壊しちゃって……」

(そうか、これが俺の初恋、なんだよな……)

「そうしたら私のことガキ扱いしたから……」

 美琴の話はもはや上条の耳には聞こえない。
 何より、記憶に無い出来事だから、聞こえていてもわからない。

(――するとこれが俺の初失恋、ってことになるのか)

 そう思った瞬間、上条の視界が滲んできた。
 その衝撃に耐えられなくなりそうで、この場からすぐにでも逃げ出したいと思った。
 それでもなぜか足が震えて動かない。心が痛いという感情が沸き起こる一方で、それでもどこからか、逃げるなという声が聞こえてくる気もする。
 目の前の少女の言葉を、最後まで受け止めろという思いだけが、上条の足を止めていた。
 彼女の笑顔を守りたいのなら、お前はその言葉を受け入れろと、あの日誓った自分の中の何かが叫んでいる。

「そいつらごと電撃食らわせたら、その右手で防いじゃったのよ……」

「――へぇ!?」

 上条は思わず間の抜けたような声を上げていた。


「いや、ちょっと待ってくれ。その右手でって……」

 いつのまにか足の震えが止まっていた。胸の痛みが消えて、心臓がどきんと大きく鳴った。
 それでも、もしかして自分の聞き間違いか?という懸念も消えていない。

「――それ、どう考えても俺のこと……だよ……な?」

「覚えてない、のね?」

「ごめん……」 

「――やっぱりアンタ、その頃の記憶は残ってないんだ……」

 聞こえてきたのは、暗く沈んだような美琴の声だった。
 上条はこの時ほど、そのことを不幸だと思ったことは無かった。
 今となっては、何よりも失いたく無かった美琴とのエピソード記憶。
 どうしようもない事とは言え、今、この場でそれを彼女に聞くわけにもいかない。
 なにより目の前の彼女に、そんな暗く沈んだ声をさせたくは無かった。
 だが今の彼にそこまでの気持ちの余裕もなく、ただじっと彼女の言葉を聞くことしか出来なかった。

「――御坂。それじゃ、お前……」

 それでもやっとの思いで言葉に出せたのは、たったこれだけ。

「――そう、私、アンタのことが好きなの……」

 傘の向こう側に隠れた美琴の顔は、上条からはわからない。
 わずかに震えるような、傘の動きが物語るのは、告白する彼女の緊張なのか、それとも失った上条との思い出を知った悲しみなのか。

「だからアンタの記憶喪失のこと、私にも背負わせろなんて言わないけどさ」

「――!」

「せめて私との記憶のことぐらいは……」

 そう言いながら、彼女は上条のほうへ振り返る。
 その真剣な彼女の顔は、やっぱり優しさと強さを彼に感じさせる。
 瞳に浮かぶ一粒の滴は、上条への思いが込められたように、きらりと輝いた。

「――頼って欲しいと思ってるんだから!」

 いきなり美琴が上条の胸元をつかむと、そのまま彼の顔を自分のほうへ引き寄せて、目を瞑って上条の唇に口づけた。
 自分の思いを彼に刻み込むように、ゆっくりと時間をかけてキスをする。
 頬を赤く染めた、そんな彼女の顔を、上条は綺麗だと思った。
 温かく柔らかい彼女の唇の感触と、ミルクティーのように甘い味のファーストキス。
 それらが、自分の中の何もかもを全て蕩けさせ、彼は大きく目を見開いたまま、ただ彼女を見つめるだけしか出来なくなっていた。
 やがて美琴は、突然の出来事に固まったままの上条をその場に突き放し、身を翻すと自分の寮の方へ駆けていく。
 遠ざかる彼女を追いかけることも出来ず、彼はただ呆然とその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
 やがて美琴が差すカエル柄の傘は、銀白色をした冷たい靄の中に消えていった。
 冷たい雨は降り止む気配もなく、そのまま上条の傘を静かに濡らし続けている。


 やがてはっと気が付いたように上条が意識を取り戻した。
 今もって動悸は止まらず、胸の高鳴りも押さえきれない。
 のどの乾きを潤すように、彼は右手に持ったままの、すっかり冷えたミルクティーをぐびりと飲み干した。

「――やっぱり甘めぇよな……」

 その味は、さっきの美琴とのキスを思い出させ、上条の頭と体を却って一層ヒートアップさせる。
 空缶をゴミ入れに放り込むと、彼はとぼとぼと自分の寮へ向かって歩き出す。
 上条はもう、今日は何も考えられなくなっていた。
 このまま帰れば、おそらくインデックスのはらぺこ攻撃が待っているはずだ。おそらく今日も、頭からがぶりと噛み付かれるのは間違いない。
 たしか非常用食料はまだ残っていたはず、と彼は自分の記憶を探っていく。風呂場の天井裏まではあの暴食シスターも気づいてはいないはずだ、と。
 今日の晩御飯はそれで解決。明日の朝食は明日考えることにしよう。
 その前に……と呟きながら、やっておかなければならないことに思いを募らせる。

「――返事、しないとな……」

 携帯を取り出すと、メールを1通、美琴に送る。
 いつものように簡潔に。されど今日からは、最後に1行、思いを込めて。
 これだけはどんな不幸に見舞われても、必ず届くようにと願いながら、彼は送信ボタンを押した。

『To:御坂美琴

 From:上条当麻



明日、早い時間でなければOKだ。


それと、失くしたお前との思い出、教えてくれると助かる。






                         P.S. I Love You 』


 しばらくすると、携帯がメールの着信を知らせた。
 見慣れた名前と、見慣れた内容。
 今日はそれでも、最後に1行、美琴からの思いを込めた、いつもと違う文字が付け加えられていた。


『To:上条当麻

 From:御坂美琴


11時にいつもの公園で。

行き先はセブンスミスト。

遅れたら超電磁砲3連発だからね。






                         P.S. You Too 』



 それを見た上条は、それまで差していた傘を閉じる。
 火照った頭と、高まる胸の動悸を今度こそ押さえるために、冷たい雨に濡れてみたかった。
 もう服が濡れようとも、全く気にしない。水溜りでこけようが、横を通り過ぎる車にしぶきを浴びせられようが、あえて不幸を求めるかのように、彼は振舞っていた。
 まるで明日の分の不幸も、今日のうちに全て受け入れてしまおうとするかのように。

「うん。やっぱり上条さんにも、こんなラッキーな日があっても良いと思うのですよ」

 そう独りごちながら足取りも軽やかに、笑顔で彼は寮へと帰って行く。

「これって、なんて素敵な不幸だーってことだよな」


  ~~ THE END ~~


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