【ある日の夕方のニュース】
東京・秋葉原
カレーの激戦区とされるこの地に、あるユニークなサービスで人気を博しているカレーショップが存在する。
JR秋葉原駅から徒歩5分、電気街の路地裏にある「MUGUET(ミュゲ)」がそうだ。
店主、相馬賢司さんがこだわり抜いたビーフカレーの味は絶品で、一昨年の神田地区で開かれたカレーグランプリで3位を獲得している。
そんな店の変わったサービスとは一体?

奥から現れたのは凛々しいメイドさん。
秋葉原ではメイド姿で接客する飲食店も多いため、これだけでは珍しいとは言えないが…。
「店のメイド、実は私の息子なんです」
ん?と言うことは女装?

聞くところによると、店主の息子、朔也さんが女装をして接客するようになったのは今から4年前。店主が冗談で1日だけ女装をさせたところ、客からメイドに関する問い合わせが殺到した。その後、不定期で朔也さんがメイド姿になり、現在は基本的に5の付く日がメイドの日となっている。

時間が空いている時は朔也さんが話し相手になってくれる。これがメイドに慣れた秋葉原のオタクにとっても新鮮で、朔也さん目当てで来る常連もいるという。

女装メイドが接客する異色のカレーショップ。秋葉原で買い物した後に寄ってみるのはどうだろうか?



「父さん、今日は凄い人だったね」
「ああ、昨日テレビで放映されたからな、それもあるだろう」
カレーショップの営業を終え、店主、相馬賢司とその息子、朔也が店舗で話していた。二人共、かなり疲れた様子だ。この日は5の付いた日ということもあり、朔也はメイド姿である。
「確かに今日は一見様が多かったね。ただ、ちょっとセクハラめいた発言をする客がいて、精神的には参ったかな…?」
「そうか。客が増えてくれるのは嬉しいが、マナーの悪い客が出てくるのは問題だな。あまり続くようなら対策を考えておこう。朔也、明日は午前から授業だろう。今日は遅くまで働かせて悪いな」
「いいんだよ。父さん。大抵のお客さんは接客していて気分がいいんだ。何より、うちのカレーを美味しいと言ってくれるのを聞くのは僕も嬉しいからね。じゃあ僕はメイド服を着替えてすぐに寝る準備をするよ」
そう朔也が更衣室に入ろうとすると、思い出したように賢司は呼び止めた。
「そうだ朔也、明日の役目は頼んでもいいか?」
「いいよ」

次の日、御茶ノ水にある大学の授業を終えた朔也は神田明神にいた。
国道17号線に面する鳥居をくぐり、慣れた手つきで手水舎で身を清めると境内に入った。参拝客の様子を見た朔也はにっこりと笑い、本殿へと向かい、丁寧に二礼二拍手一礼をした。
その後、朔也は本殿の横にある文化交流館に入り、案内所にいた中年の神官を呼び止めた。
「こんにちは」
「おっ、今日は朔也くんか」
神官は朔也に親しげに話した。
「はい、今日は大学が早く終わったもので」
「そうだねぇ、賢司さんはテレビ放映で忙しいからしばらく行けなくなるのかな?」
「そうみたいですね。昨日は僕もメイド服で接客だったので疲れましたよ」
「ははは、まさか朔也くんの女装がここまで当たるとは思ってもいなかったなぁ。最初に女装した日に行った時は本当にびっくりしたよ」
「全く、父さんも最初は何言っているのか分かりませんでしたよ。それでも仕方ないなぁと思いながらやっていましたが、今では人前で女装しても全く抵抗がなくなりました」
その後しばらくカレーショップの話をした後、神官は真面目な表情をして朔也に話しかけた。
「ところで、今日のまさかど様の様子はどうだ?」
「今日も機嫌は良さそうです。いつも通りですね」
朔也がそう答えると、神官は顔をほころばせた。
「良かった良かった。また今度も頼むね」
朔也は神官に挨拶をすると境内を出て、秋葉原の店舗兼自宅へと戻っていった。



朔也の生まれた相馬家は、平安時代の関東の豪族、平将門の末裔とされる一族である。
東国にて新たな秩序を作ろうとした将門は非業のまま討ち取られ、京都の七条河原に晒されたその首は関東まで飛んでいったとされる。
将門の怨霊は崇徳天皇、菅原道真と並び日本三大怨霊とされており、大手町に存在する首塚に対し不敬な事をした者に祟りを与え、恐れられている。
朔也の一族は江戸時代より神田の地に住み続け、時の権力者より将門を監視する役目を命じられているのだ。

さて、疑問なのが「なぜ朔也の一族が将門を監視しているか」である。
将門の子孫は朔也の一族以外にも数多く存在し、その血は現在のやんごとない方にも入っている。
答えは「朔也の一族は将門の声を聴くことができる」からである。

将門には首塚以外にもいくつかの伝説があり、その中でも有名なのは「七人の影武者がいた」ことであろう。
一部の魔人学者からは「平将門は影武者を生み出す魔人能力者ではないか」と指摘されている。実際、将門の末裔を名乗る一族には魔人崇拝をするところもあり、魔人の当主も存在する。
特に朔也の一族の魔人覚醒率は70%を越えており、精神面では最も将門に近い一族とされ、彼らは将門の声を大なり小なり読み取ることができるため、江戸幕府が将門の動向を知るために、朔也の先祖に命を課したのが始まりとされている。
なお、将門の声は朔也によると「言葉としては伝えづらいが、東京の空気が重いと感じたら将門公は怒っているし、空気が軽いと感じたら将門公の機嫌が良い」とのことである。

今も尚将門を監視する命は続いており、相馬家は実際に神社本庁から幾ばくかの報酬を頂いた上で、父の賢司と子の朔也が数日に一回、神田明神を参拝しつつ、神官に将門の様子を報告しているのだ。
この報酬と、秋葉原に保有する土地の家賃収入で相馬家は十分生計が成り立つものの、賢司が一時期カレー作りに凝り、自宅を改装して始めたのがカレーショップMUGUETである。



MUGUETに取材が入ってしばらく経過したある日の昼、朔也は普通の格好で接客をするための準備が終わり、厨房にいた賢司に話しかけた。
「父さん、準備が終わったよ」
「おう、今日も頼むな」
だが、開店の札を出そうとした時、朔也は急に東京の空気がとてつもなく重くなっているのを感じた。
「…父さん、感じた?」
「ああ、これはおそらく…」
二人はほぼ同時に将門の怒りを感じていた。
「父さん、ちょっと神田明神に行ってくるよ、店番出来なくてごめんね」
「いいから早く行ってこい。店の事は気にするな。俺が何とかする」
朔也は店員の格好のまま神田明神へと急いだ。

神田明神に辿り着くと、本殿の前で中年の神官が焦っているのを見かけた。
「おお、朔也くんか。店の格好のままと言う事は急いで来たようだな。やはりまさかど様の事か?」
「そうです、将門公がかなり怒っているように感じました」
「こっちは大変な事になっている。いきなり地震のようなものがゴン!と来たと思ったら風が吹いている様子も無いのに木や絵馬が揺れたんだ」
将門が怒っている。その事を確信した神官は震え上がっていた。
「一体これから何が起こるというのか…」
「僕にも具体的な事は分かりませんね…」
朔也が神官と話していると、御茶ノ水駅の方からパトカーのサイレンが鳴っているのが聞こえた。
「まさか、御茶ノ水で事件や事故が起こっているとか…はは、それがまさかど様の怒りじゃないよな…」
「分かりませんが、今後は気をつけた方がいいかもしれません」

神田明神から店に帰ると、店番をしていた賢司が焦った様子で朔也に話しかけた。
「朔也、大変だ。緊急ニュースが入ったんだが、今東京で死体遺棄事件が急増しているらしい。ランチタイムだと言うのに全然客が入ってこない」
賢司がそう言うのを聞き、店のテレビを見ると、アナウンサーが今の状況を話していた。
「…小金井市、小平市、昭島市、日野市、青梅市でそれぞれ1件の死体が発見されております。警察によると、一連の死体遺棄事件の原因は分かっておらず、都民に対し不要不急の外出は控えるよう呼びかけています。繰り返します。本日、東京都内で非常に多くの死体遺棄事件が発生しており、警察が注意を呼びかけています…」
「…将門公の怒りとは、このことだろうか?」
朔也がこう呟くと、賢司は厳しい顔をしながら言った。
「それは分からない。ただ、状況から多数の死体遺棄事件、おそらく殺人事件だと思う、が発生した事により将門公が怒ったと見るのが自然だろうな。この状況が続くと、更に東京に災厄が起こるだろう…」
朔也は愕然とした。
「この状況をどうすればいい!?」
「勿論、神社本庁には連絡した。しかし、死体遺棄事件の犯人を全て捕まえない事には将門公の怒りが収まらないだろうとのことだ。ニュースによると警察も増員して事件の解明を急いでいるが、一体いつになるのやら…」
そう賢司が答えると、朔也にある一つの考えが浮かんだ。
「…僕が行って、犯人を一人でも多く捕まえてくる」
「何言っているんだ朔也!今街は危険なんだぞ!」
賢司は大きな声で反対した。
「それでも、このまま将門公を怒らせるよりはましだ。これ以上の災厄が起こる前に…」
朔也がそう言うと、賢司は重い声で答えた。
「…俺だって出来ることなら街に出て犯人を捕らえたい気分だ…だが、今回の件はもはや俺達の手に届く範囲を越えている。それに、俺は朔也を失いたくない。留美子…お前の母さんも6年前、将門公の怒りを止めようと外に出て、帰らぬ人となったからな…」
死んだ母の話を出され、少し動揺する朔也、それでもやることは決まっていた。
「分かっている。けど、将門公の怒りで命を失う人を見たくはないんだ!もう僕は父さんが何と言おうと外に出る!」
そう朔也が言うと、賢司は諦めたような顔をして朔也に言った。
「…ならばお前に渡したいものがある。ちょっと待っていろ」
賢司は店の札をOPENからCLOSEDにし、2階の住居へと何かを取りに行った。

しばらくすると、賢司はある衣服を持って戻ってきた。
黒を基調としたメイド服だ。だが、普段朔也が接客で着るものとは違う。
「これは…?」
「朔也はお前の母さんが冥土の案内人と呼ばれていた事は知っているな」
「2000年から2010年頃にかけ、人知れず裏組織から一人で秋葉原を守っていたメイド姿のヒーロー、敵対する者からは畏怖の念を込めてそう呼ばれていたことは知っているけど」
「これは母さんが仕事の時に着ていたメイド服だ」
「えっ!?今でもあるの!?」
「ああ、もう使い道は無いと思っていたが、母さんの形見だと思うと捨てられなかった。確かお前の服のサイズは母さんとほぼ一緒だったはず」
朔也は母の背が女性としては高く、男性としてはやや低い自分とほぼ一緒だった事を思い出していた。
「ちょっとこれを着てみろ」

賢司に言われるがまま、朔也は母のメイド服を着た。胸のところに若干余裕があるものの、それ以外は朔也にとって丁度良い大きさだった。
「このメイド服は戦闘用で、衣服の裏やスカートの中に武器を仕込めるようになっている。母さんはここに多種多様の暗器を仕込んでいた」
確かに衣服の隙間には何か小さいものを入れられそうなところがいくつもあった。朔也はそこにナイフを仕込んでみる。なるほど、確かに10本位ナイフを隠すことができ、かつ取り出しやすくなっている。
「これならお前の得意武器のナイフもより扱いやすいだろう」
「父さん…」
「だが、相手は将門公の怒りだ。冥土の案内人と言われていた母さんでも命を落とす程の脅威だ。危なくなったらすぐにここに戻って来い」
「分かった」
準備を終えて朔也は店を出ようとした。だが賢司は呼び止めた。
「待て。昼は警察が活発に動いていて犯人も潜んでいるだろう。一人で犯人を捕まえるなら、相手が動き出す夜がいい」

夜10時、朔也は一旦脱いだ母のメイド服に再び身を包み、翌日のカレーを仕込む賢司に向けて挨拶をした。
「父さん、行ってくるよ」
「ああ、行ってこい」
朔也が店を出ると、賢司は懐かしむかのように呟いた。
「…全く、留美子のこういうところも似てしまったか…。やはり、あいつの子だな…」



時刻は深夜0時、朔也は神田明神の境内で休んでいた。
「そりゃあ、そう簡単に犯人を捕らえる事なんて出来ないよな…」
2時間程秋葉原周辺を歩くも、出会うのは警察がほとんどで、犯人の様子は全く捉えることができなかった。その警察も、多発する死体遺棄事件に忙しく、夜に街を歩く女装メイドに長時間構っている暇は無かった。
「やっぱり僕が犯人を見つける事は無理だったのだろうか。仕方が無い。自宅に戻るか…」
そう一人呟くと、本殿の裏の方から足音が聞こえた。
「誰だ!」
朔也は叫び、音のする場所へと向かった。すると、裏参道の方に男がいるのを発見した。男は包丁を手にしており、その包丁には赤い液体が付いていた。
「うおおおおおおっ!死ねええええええええ!」
そう男が叫ぶと、包丁を朔也に向け、いきなり突進してきた。咄嗟に朔也は避けた。
「危なっ…!いきなり何をするんだ!」
「もう俺は終わりだ!一人でも多くの人間を殺し、死刑になる!」
男は再び朔也に向かって突進してきた。朔也も避ける。
「おいっ!まず一旦手を止めろ。落ち着いてくれ!」
「落ち着いてられるか!俺は姉貴を殺ってしまったんだ!」
「姉を殺した?」
朔也がそう返すと、男は少し落ち着きを取り戻し、姉について語った。
「そうだよ!俺は10年前に殺人未遂を起こし、刑務所にしばらく入っていた。そんな俺に出所後、唯一手を差しのべてくれたのが姉貴なんだ!なのに、俺は…」
男は泣き出し始めた。
「ちょっとした姉弟喧嘩でかっとなって…ついさっき、姉貴を殺ってしまった…。もう俺を支えてくれるやつなんていねぇよ…!」
「そうだったのか…」
壮絶な男の人生に、朔也はこれ以上、声を掛けることができなかった。
「けどさ、姉貴を殺した時、なんか知らねぇけど快楽を感じたんだよ…。ああ、人を殺すってこんなにスッキリすることなんだって」
「何だと…!」
先ほどまでの感動とは別の衝撃が朔也を襲い、再び声が出なくなった。
「だからよぉ、お前には死んでもらう!うおおおおおおおっ!」
男は三度突進してきた。避ける朔也だが、先程より突進のスピードが早くなっているような気がした。
これは、実力行使も辞さないな…。朔也はメイド服に仕込んだナイフを手にした。
「武器を出したか!お前も俺を殺す気なんだな…!」
「違う。これはお前を止めるための武器だ!」
「関係ねぇ!お前に殺される位ならお前を殺してやる!」
またも男が突進してきた。最初に突進した時よりも明らかにスピードアップしている。朔也は何とか避けた。
しかし先程から男は突進しかしていない。これは一体…?
「魔人能力か?」
「さぁな、だが俺は魔人だ。お前もそれだけの身体能力を持っているということは、魔人だな?」
「そうだ」
男は話が終わるとすぐに突進してきた。これしか攻撃の手段が無いのだろうか?だが、繰り返すなら対処のしようがある!
朔也は男をさっとかわし、腕にナイフを突き立てた。

カンッ!

「なにっ!」
まるで腕が金属の様に硬くなっており、ナイフが突き刺さらなかった。予想外の出来事に朔也はバランスを崩し、僅かながらよろめいた。
そこを男は見逃さなかった。素早く朔也の方向にターンをし、よろめいた朔也に向けて突進。朔也の腹に包丁を突き刺す。

グシャッ!

包丁を刺した部分を中心として、直径15cm程の穴が朔也の腹と背中を貫通するように空いた。背中からは血と内臓が勢いよく飛び出す。

これが男の魔人能力「千枚通し」だ。
突進する男の刃物で突き刺されたら、その部分に貫通する穴が空くという能力だ。壁に使えばどんなに厚い壁でも穴を開けることができる。男はこれを人に使う事に快楽を覚えているのだ。
但し、能力を発動するためには突進しなければならない制約がある。先程から男が突進ばかりしてきたのはそのためだ。また、突進中はまるで身体が金属のように硬くなり、対象に突き刺さらなかった場合、次に同一対象に突き刺す際、突進のスピードが速くなる。

それを知る由も無い朔也は男の攻撃によって致命傷を負い、血だまりの中、その場に倒れた。
「はははははは!何て気持ちいいんだ!この人に穴を開けた際に出る内臓と血しぶきの噴水!俺はこれが見たかったんだ!」
殺人の悦びに浸る男。

グサッ!

男は背中に痛みを感じた。手をやるとそこにはナイフが刺さっていた。ナイフを抜くと傷口からは大量の血が溢れた。
「痛ぇ…一体誰だ!」
思わず男が後ろに目をやる。
「…危ないところだった…」
「な、何故だ…!お前はさっき殺したはず…!」
そこにはメイド姿の男がいた。朔也だ。だが、全く血にまみれてなく、まるで遭遇した時のように綺麗な格好だった。
慌てて男は朔也の死体の方を見る。すると血だまりはあるものの、その中心に朔也の死体は無く、土のようなものが転がっているだけだった。
「どういう事だ!?」
「今なら僕への行為は殺人未遂で済む。だから、これ以上馬鹿な行為はやめて警察に出頭するんだ!でないと…僕はお前を殺さなければならなくなる」
「ふざけるな!俺にナイフを突き刺しておいて言えた義理か!うおおおおおおっ!」
先程朔也の身体に穴を開けた事によって、男の突進のスピードは最初の頃と同じになっていた。余裕でかわす朔也。そして男が突進をやめるとその隙にスカートからナイフを取り出し、男に投げた。
グサッ!再び背中に刺さるナイフ。
「うぐっ!」
「どうやら突進中でなければナイフは突き刺さるようだな。だから、無駄な抵抗はやめ…ぐっ!」
一瞬、朔也が苦しんだ。男はその隙を逃さなかった。すぐさま朔也に向けて突進。再び朔也の腹に穴が空き、血の噴水が湧き上がる。
「へ、きっと今のは幻影なんだろ…!死んだ人が生き返るなんてありゃしないさ。さて、こんなおっかない所は早く出て…馬鹿な!」
男は木の近くに朔也が立っているのを見かけた。
「いい加減にしてくれ…。ぐっ!身代わりをやり過ぎるとこちらの精神が持たない…」
「なるほど、お前は身代わりを作る能力を持っているのだな。そして、身代わりが失われると、お前の精神にダメージを与える。そんな所だろう」
「違う!そんなものではない!」
「それがハッタリかどうかは知らんが、俺はお前が死ぬまで何度でも突き刺すのみ!」
突進を続ける男、朔也も避け、突進が止まる隙にナイフを投げて応戦するも、二度もその手は喰らわんとすぐに振り向きナイフを手持ちの包丁で弾く。しかし、

グサッ!グサッ!

今度は左右からナイフが飛び、両腕に刺さった。どういうことかと見渡すと、前、左、右の三方向に朔也がいた。
「てめぇ…、身代わりで俺を攻撃したな!」
「やめろ!やめるんだ!お前は命が惜しく無いのか!」
「何を言ってやがる!許さねぇ!絶対に殺す!」
既に何度かナイフによって痛めつけられている男は冷静さを失い、まるで闘牛のように何度も朔也に向けて突進を行った。朔也はナイフで応戦するも、男はフェイントを織り交ぜ、ナイフが刺さる際に突進を行い、突き刺さるナイフを弾いた。次第に上がるスピードに朔也が付いていけなくなり、分身が刺され、その度に血の噴水が湧いた。そのため、神田明神の境内にはいくつもの血だまりが出来ていた。
「はぁ、はぁ、はぁ…、もう10人位殺したぞ…。いつになったらお前は死ぬんだ…!」
かなり疲労し、傷だらけになっている男に比べ、周囲に何人かいる朔也に傷は無い。しかし、皆手足は震え、表情も引きつっている。
「お前は…トウキョウヲ…将門公を…アラスモノハ…怒らせたんだぞ…オマエカ!」
「将門公?平将門の事か?そんな馬鹿な事あるわけないだろ!?」
「僕はお前を殺したくない!…早く逃げるんだ…ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

いきなり朔也が叫び出したかと思えば、すぐに力が抜けたかのように首や腕を垂らした。その後、ゆっくりと顔を上げ、今までとは異なる低い声で男に呼びかけた。
「貴様が…我が眠りを妨げる者か…」
「な…何なんだよ…、いきなり…」
「我の名は平将門、今は東京の地を守る者なり…」
「へへっ、今になってそうやって俺を脅そうとするのか…?だがもう遅い!」
「東京の平穏を乱す者は万死に値する…」
そう言うと、朔也の分身が更に周囲に現れ、合計で7人になった。
「何人現れようと関係ねぇ!」
男は突進を始める。だが、男が狙いを定めた朔也は逃げようとしない。そのまま1人の朔也に包丁を突き立てようとする。
そこに4人の朔也が全速力で男に迫り、それぞれが四肢を抑え、男を仰向けにした。その力は男が全く抵抗が出来なくなる程であった。
「な、何をする!」

朔也の能力は男の言う通り、分身を生成する能力である。いざとなれば分身に意識を移し、それを新たな本体とすることができる。
だが、朔也はこの能力を使うことを極力避けている。この能力が将門の影響を受けて覚醒したものであるため、能力を使用するごとに将門に精神を蝕まれるからだ。
将門に精神を蝕まれると自分の思う通りに身体が動かせなくなり、最終的には意識が将門のそれとなる。こうなると身体能力は向上するものの、何をしでかすか朔也には全く分からないのである。
ましてや殺人が多発し、将門が怒っている状況。朔也は絶対に将門に意識を乗っ取られたくなかった。
しかし、男は将門を呼び起こしてしまった…。

4人の朔也に動きを封じられた男、そこに残り3人の朔也が近くに立った。
「貴様に選ばせてやる。何処を突かれて死にたい。腹か、胸か、首か…」
「や…やめろ…!」
もはや男に抵抗をする気力は残っておらず、命乞いをするのみ。
「選ばないか。ならば3箇所とも突いてやろう…!」
そう言うと、3人の朔也がほぼ同時に男の腹、胸、首をナイフで一突きにした。



朔也が意識を取り戻すと、神田明神は辺り一面赤く染まっていた。
そして近くには、男が横たわっていた。
「お、おいっ!生きているか!」
様子を確認するが、男の腹、胸、首にそれぞれ深い傷があり、呼吸を全くしていなかった。

朔也は確信した。これは平将門に意識を乗っ取られた自分がやった事だと。

人を殺す。その罪の重さに朔也は愕然としていた。将門の仕業ということに、警察は耳を傾けないだろう。
「自首しないと…」
そう呟き、携帯電話を取り出そうとするが、

マダオサマラヌ…

「うぐっ!まだ将門公が意識の中に…!」
頭の中に将門の声が響くと同時に、携帯電話を取り出そうとする手が動かなくなり、同時に一連の死体遺棄事件、いや、殺人事件を引き起こした犯人に対し、強い憤りを感じた。

スベテノサツジンシャヲメッス…。

「うぐああああああああっ!」
自分に眠る良心の呵責と将門の意思に板挟みになり苦しみながらも、朔也は立ち上がり、ふらふらとした足取りで神田明神を後にした。
その姿は、全く血塗られていなかった…。
最終更新:2019年12月01日 20:30