生ぬるい秋風の吹く、夜の新宿駅。私は新幹線の中にいた。いよいよ霧生ヶ谷に誘拐されるのである。
失礼、向かう、の間違いね。つい本音が出てしまったのはここだけの話でお願いしたい。
「ねーちゃん、うまそうなのばっかで迷っちゃったよっ」
ひょっこりとドアからやってきた弟の雪祥。まったく元気である。
「あれ? ふたつ多くない?」
「え? 明日の朝飯だけど」
「ドライアイスないのに大丈夫なわけ」
「平気だよ、オレもってるし」
何でドライアイスを持ってるのよ、あんたは。違う意味で用意周到だから呆れるわね。
ドライアイス以上の温度の視線を送る私をよそに、ユキはお弁当の紙と格闘する。圧勝すると、箸をわってにこや
かにほおばり始める。
ユキがお弁当を食べはじめ同時に、私たちの旅も始まった。
乗り継ぎにつぐ乗り継ぎ、さらに乗り継ぎの、合計4回だろうか。引っ越しの準備に追われた私の脳みそと体は、ほ
とんどいうことを利いてはくれないよう。
とりあえず、何かに導かれるままに、不思議と間違えることなく、巨大な人工的な蛍光の大群がいる霧生ヶ谷の玄
関駅に着いた。名前は霧生ヶ谷中央駅。霧生ヶ谷市の中央区の真ん中にある、そのまんまの駅である。
「ねーちゃん、大丈夫?」
「んー、何とか」
ミント系のお菓子を口にするものの、体内からでる疲れには勝てないみたいだ。背伸びをしてその場を乗りきろうと
すると、目の前をものすごいスピードで何かが横切っていった。
私は腕を空に伸ばしたまま止まってしまう。
「ユキ、今何か横切んなかった」
「へ? しらないよぉ」
また、横切った。音がまったくせず、私の目の高さを、しかも地面と水平に高速移動する何か。相変わらず、霧生ヶ
谷ではわけのわからないことが起こる。
3回目が通り過ぎたとき、真正面からは、人工物の光しかなくなった。一体なんだったのだろうか。
「ねーちゃん、こんなところにつっ立ってないで、座らない?」
「それもそうね」
近くにあるベンチを指差して歩いていく弟。不思議な物体が通りすぎたところをすり抜け、ベンチに腰かけた。どうや
ら、彼には何も見えていなかったらしい。
空を見上げると、生ぬるい秋風と、東京では見られない星空が広がっている。静かな片田舎で見れるきれいな星と
は違う、何とも神秘的で、かつ、不気味に手招いているように感じた。
「かーえーでーちゃーん!」
のんびりした口調の誰か。独特の伸びた話しかたで、やってきた人物がすぐにわかる。
「やっほー、カラちゃん! きちゃったよっ。あれ? その子は?」
「いらっしゃい、雪祥君。この子は弟の加悧琳(カリン)っていうんだ。こないだ会わなかったよねー?」
「うん。こんばんは、カリンちゃんっ」
愛嬌のある笑顔で、かがみながら自己紹介するユキ。しかし、カリンちゃんは、兄のズボンのすそをつかみながら、
背中に隠れてしまった。数秒ぐらいすると、ゆっくりと頭を外側にだし、おっかなびっくりの両目でしっかりと初対面の
人物の顔を見る。
まるで、恐怖を知っている赤ん坊が見つめているかのようだ。
「ああ、ごめんね雪祥君。この子、人見知りでさー。慣れれば大丈夫だから気にしないでね~」
ほら、あいさつしなきゃ、と促すカーラ君。カリンちゃんは、しばらくユキを見ていたが、やがてメモ帳を取りだした。
何かを書いて、ユキの前にそろそろと差しだす。
メモには、こんばんは、なかよくしてください、と書いてあった。
ユキは一瞬だけとまどったらしいが、すぐに笑顔になり、よろしくねっ、とカリンちゃんの頭をなでた。
「本当は妹も来るはずだったんだけど、今日これなくなっちゃってさぁ~」
「妹もいんの? 兄弟おおいなーっ」
「ん~、4人兄妹だからねぇ~」
カーラ君は、軽く笑い飛ばしながら歩きはじめた。数歩で振り返り、
「今日は疲れたでしょ? ホテルとってあるから、案内するよ~」
と、手を挙げながら、私たちについてくるように促した。
朝になり、土曜日に変わった。私たちは荷物を置き、昨夜待ち合わせした場所に歩いていく。5分ほどの待ち合わ
せ場所には、実家にいたときにきたお客人のふたり。
つまり、カヌスという名のセミロングの少年と、カーラという名のショートカットの少年である。
「おう、昨日はよくねれたか」
「おかげ様でぐっすり眠れたわ」
「楓ちゃん、疲れて死にそうだったもんねぇ~」
「短時間であれだけの荷物をつめこめば、そりゃー疲れるって」
適当に雑談しながら歩く私たちがむかったのは、私が転校する高校と、同じくユキが転校する中学校。下見をして、
両校の中間ぐらいの住まいを探そうしているのだ。
彼らいわく、私とユキの住まうところは、中央区だという。交通に便利なのはもちろん、買い物にも行きやすいで、
生活するにはよい条件がそろっているらしい。
「あと水路の近くが条件だな」
「何で?」
「不審者の侵入が防げるぜ」
「そりゃいいやっ」
ちょっとユキ、なんでそーゆー反応するんだよ。
私が疑問に思っていると、隣にいたカーラ君が頭を少し下げ、口元に手を持ってきていた。視線を感じたらしい彼は、
「大事にされてるんだねぇ~」
「うーん、リアクションに困るんだけど」
「いいことじゃないのー? ここ最近、家族間のジョウっていうのが薄いみたいだしねぇ~」
まだ笑いをこらえているカーラ君。ひとつ息をはき終えると、
「ところでさ、雪祥君におれたちのこと話したの?」
「いや、詳しくは」
「それは良かった~。いずればれるだろうけど、余計なことは言わないでほしい~」
「それはいいけど。ところで、私は何をすればいいわけ」
「また今度話す~」
相変わらず、カーラ君は何を考えているのか読みづらい。微笑んでいる下で何を考えているのやら。
ホテルから歩いて、大体20分ぐらいだろうか。1軒の不動産屋にたどり着いた。彼らは、私たちがすぐに部屋を見
つけられるよう、いくつかの物件を選んでくれていたらしい。
「一応選んどいたけどー。あとは2人の好みで決めてね~」
「担当の人と知り合いでよ、案内もかねて1日つきそってくれるんだと」
「マジで? うわー、助かるっ」
「だろ? ついでに地理も覚えちまえって」
話しながら扉を開けると、何と、私もよく知っている顔がいた。赤毛の、サービス精神旺盛の彼である。
「やあ来たね。彼女たちが話してた人?」
「そうそう。後はお願いね~」
「了解、決まったら連絡するさ」
「おう。合流できたらする」
じゃあ、と手を振りながら店をでるふたり。残った私とユキは、さっそくカウンターに案内された。
「いらっしゃい。急に引っ越しになったんだってね。あ、私、春夏冬 瀧(あきなし たけし)と申します」
接客を心得ている笑顔でのおもてなし。以前もそうだったと、思い起こす。
「物件がこちらになります。時間ももったいないですし、他に条件が合うものも出しておきましたので、車の中でご
覧になってください」
そういって他の店員に声をかけると、鍵を持ちさっそうと外にでた案内人。ちゃっかりお店の水を飲んでいた弟を引
っ張り、タイミングよくやってきた車に乗りこんだ。
少し肌寒い時間帯になると、私たちを乗せた車は店の前へと戻ってきた。運がよいことに気に入った物件に出会え
たのだ。少し急ぎつつも、慣れていない契約書の作成や今後のこと、家賃の支払いの確認などを行う。必要な書類
は事前に教えてもらっていたので、案内人の人は困ったことがなかったらしい。
私は親に電話して荷物を届けてもらうように伝えると、携帯をバックにしまった。すると、待っていましたとばかりに、
カーラ君とカヌス君が現れた。
「決まったみたいだね~。よかった~」
「うん、ありがとう。助かったわ」
「これでロトーに迷わなくてすむよっ」
「んなことさせるかって。オレたちが呼んだんだからよ」
「次は役所だねぇ~」
「役所? 何するの?」
「住民票移さなきゃならねぇだろ」
「ジューミンヒョウって何?」
「お前らな……。いいや、教えてやるからとりあえず飯食いにいこうぜ」
どうやら、引っ越すといろいろと必要な手続きがあるらしい。これで終わりだと思っていたのに、ちょっと残念だ。
私よりはるかに経験豊富な2人は、ヒヨコたちを連れだち、巨大な蛍がともる町の中へと歩いていった。