シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

第一話「セレブ」

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kiryugaya

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 目が覚めたとき、私こと鎌ヶ谷修治は、昨日のうちに起こった事が夢であった事で欲しいとひたすら願った。
 目を開ければ朝七時ぴったりで、いつもの殺風景な部屋の清潔なパイプベッドの上であって欲しいと。
だが、それは叶わぬ夢だった。目を覚ますと六畳一間のボロアパートの一室で、大家の老婆に借りたツギハギだらけのかび臭い布団に寝ており、同時に隣には私の唯一の親友であり、上司でもある高柳元弘が寝苦しそうにしていた。彼が生まれつきだという、美しい銀色の髪は、寝返りを多く打ったせいかくしゃくしゃに歪んでいた。おそらく、私の髪もくしゃくしゃになっている事だろう。
 ああ、どうしてこんなことになったのだろう。こんなはずではなかったのに……。

 それは、昨日の昼前の事だった。
 東京にある高柳グループ本社ビルの45階・会長室で、私はいつものように高柳のスケジュールの管理をしていた。……と言っても、彼のスケジュールなど、月一回の傘下企業定例会議くらいしか無いのが現状だ(ワンマン経営ほど愚かな物は無いと言うのが、彼の持論である)。毎日毎日、仕事をするよりも暇を持て余すのが多いので、常に彼は退屈している。
……そんな彼だが、今日は珍しく雑誌を読んでいた。いつもなら『庶民の感性は良く分からない』などと吐き捨てるがお決まりのパターンのはずが、今日はおそろしく熱心に読み込んでいた。
「会長、そろそろお昼ですが、いかが致しましょう。弁当になされますか?」
「いや、いい」
 パタンと音を立てて雑誌を閉じ、彼はにやりと笑った。……長い付き合いだから分かる。これは彼が『ろくでもないこと』を思いついた時の顔だ。……会社経営に関しては十年に一度の天才だが、若くして金を得た故の性格……いや、生まれついてのセレブ故の性格のためか、時に滅茶苦茶な事を言う事があるのだ。
「鎌ヶ谷、霧生ヶ谷うどんを知ってるかい?」
「ええ。確か、モロモロというどじょうのすり身を使ったうどんですよねぇ?」
「では、その味の秘密はなんだろうね?」
 思わぬ問いに、私は少し声を詰まらせた。……スープだろうか?
「一般的に、そのどじょうのすり身がおいしさの秘密と思われがちだが、実は麺に秘密があるんだよ」
「はぁ」
「で、鎌ヶ谷。我がグループのフードビジネスはどうだったかな?」
「可も無く不可も無く、と言うところでしょうか」
「それがいけないんだよ」
 私が40分ほど前に淹れたコーヒーを飲みつつ、こちらを見やる。
「何事も中途半端はよくない。安定していると言うのは一般的に見ればいい事かもしれないが、僕はそうは思わないね。所詮、上に立とうとせず、責任から逃れる事しか考えていない負け犬の理論さ」
 飲み終わると、コーヒーカップを置いて、そばに置いてあったビスケットをかじった。
 同時に私にもビスケットを勧めてきたので、一つだけ貰い、私もかじった。
「ごもっともな意見ですが、それと霧生ヶ谷うどんと何の関係が?」
 彼はまたビスケットをかじると、にやりと笑った。
「霧生ヶ谷うどんを作っている店の麺には、『サの四六号』と言う機械製麺が使われているそうだ。その技術を使えば、我がグループの外食産業に、うどんという新しい風を吹き込めるかもしれん。それに、うどんと言うのは庶民の間でもポピュラーな食べ物だ。麺と言う土台さえあれば、どんな種類だろうが庶民は飛びつくはず。……と言うことで、今から霧生ヶ谷市にいくぞ。ヘリをチャーターしてくれ」
 そう言うと、鼻歌交じりに机を一周して、机に座った。
 十中八九、霧生ヶ谷うどんが食べたいに違いない。

「いやぁ、美味いうどんだったな」
「全くです」
 私たちはヘリで霧生ヶ谷市の北区に降り立つと、会長の希望で(というより確実に彼のメインの目的なわけだが)すぐに霧生ヶ谷うどんを食べた(もちろん領収書付で)。想像していたものよりとてもあっさりしたもので、香ばしいゴマとモロモロのすり身が食欲を増進させ、何よりも麺がつるつるしており、少し強めの弾力と歯切れのよさがすり身と絡んで絶妙なハーモニーを生み出していた。
「霧生ヶ谷うどん自体をチェーン展開する事も考えたが、肝心のモロモロがこの辺りでしか取れないなら意味は無いな。やはり麺を抑える必要がある」
 そうですね、と私は彼を見た。
……何処か、いつもと違う雰囲気だった
 いつものジッパーだらけの白い奇抜なトレーナーに、同じようにジッパーだらけの黒いジーンズ。そして、セレブの証と言ってはばからないふわふわのファー。いつもの格好と何も変わりない。
 だが、彼がいつも大事にしているバックが無い。そうだ、違和感はこれだ。
「会長、もしや鞄をお忘れでは」
「ああ、それならさっき、お預かりしますと言って店員が鞄を預かってくれたぞ。君に返してくれてないのか?」
高級レストランならいざ知らず、一般の、しかもうどん屋でそんなサービスがあるなど聞いたことが無い。それが本当だとすれば、
「……やられましたね、完全にひったくりですよ」
「何と言う事だ。……ま、仕方あるまいさ。どうせ大したものは入ってないし」
 と言いつつ、恐らくあの鞄だけでも数百万は下るまい。
 その痛くもかゆくも無い表情こそ、セレブの証だろう。
「あとはこのブラックカードだけか……」
 会長の手には、鈍く光るブラックカードが握られていた。
 世界で数人の選ばれた者しか持つ事が許されない、最高にして最強のクレジットカード。
 だが、不意に風が吹いたせいで、彼は迂闊にもカードを落としてしまった。
「気をつけてくださいよ会ちょ……」
 私は、カードを手早く拾おうとした……その時、目の前を何かが通り過ぎていった。
 白衣の女性が駆るみょうちくりんな形のバイクが、ありえないスピードで目の前を通ったのだ。
 もう少しで当たるところだった……。私はほっと息をついたが、次の瞬間には息を詰まらせる事になった。
 カードが粉々になっていた。
「どうしましょう」
「どうしよう」
 これが、悲劇の始まりだった。

(第一話・終)

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