暮香さんのさがしもの よん 作者:GildingMan
不穏、としか言いようのない空気があたりを支配している。
正面入り口である両開きの扉をくぐった者は、その原因を視覚的に、そして何より感覚的に知る。
そこは既に平和な日本のいち警察署の玄関ではなく、魂と魂がぶつかり合う紛う事なき戦場であると。
少なくとも、遺留品の管理をしている片桐婆さんと、おどおどした小学生らしい女の子を従えた独裁者ばりのオーラを纏った女性との口論には、数えるのも面倒なほどの死線を越えてきた小島をしても、そう思わせるに十分な鬼気が練りこまれていた。
一般・警察の隔てなく遠巻きに傍観している人々の目は、なんともタイミングよく現れた、一目で荒事慣れしているとわかる小島にこの状況をどうにかしろと囁く。
悠々と取り出した煙草に火を付け、一口を楽しんでから。
仕方ない、と言わんばかりに肩をすくめた小島は、世間話でもするような気軽さで二人の間に割って入った。
「ほら、片桐婆さんもそっちの姐ちゃんも、ちょっと落ち着きな」
「やかましぃわい!!外野はだまっとりゃーえんじゃぁ!!!」
「その部分だけは全くもって同意してあげるわっ!!
そこのハードボイルドな黒尽くめ!!
私は今忙しいから、りいこにでも相手してもらってなさいっ!!!」
「まったくじゃ、黒尽くめめ!!」
「…黒尽くめときたか」
「あ、す、すいません…
暮香さんが変なことを…」
「いや、別に気にしちゃいねぇさ。辛辣さにかけちゃいつぞやの吸血鬼の方がよっぽどなもんだったしな。
「へ?」
「いや、なんでもねぇよ。
で、りいこ嬢ちゃんは妹…娘か?」
「違いますよぅ!!
私は日根野谷 璃衣子で、そこで言い争いしてるのが友達の南 暮香さん!
これでも21なのに、いくらなんでも娘はひどいですよぅ…うう…」
「おっと、そりゃ失礼したな。
俺は小島。小島勝一ってもんさ。
…で、一体なんでこの二人は騒いでんだ?」
「はぁ…
最初は暮香さんが何かをなくして、それを探してたんです。
それで遺失物を管理しているっていう片桐おばあさんに、尋ねにきたんですが…」
「何か含みのある言い方だな」
「暮香さんとおばあさんがどうもそりが合わないらしくて、口論になっちゃったんですよぅ…」
「何かと思えば、そんなことか…」
「しかも、話がどう捻じ曲がったのか、既に内容が…」
「じゃから、そんなものは邪道じゃと言うとろう!
霧生ヶ谷っ子は、婆さんの婆さんの時代からうどんと決まっておる!!」
「ふっ、元々私は霧生ヶ谷っ子じゃないわ!
数年前来たばかりなのよ!!
そして、私にはなぜあの蕎麦の素晴らしさが理解できないのかわからないわ!」
「ふん、あんな音を立てて啜るような麺、邪道じゃ!!」
「音を立てて啜るのが、『粋』ってもんなのよ!
それに蕎麦のあの香り…そしてのどごしの爽快感!
これこそが麺の醍醐味ってもの!」
「麺たるもの、太く、しこしことした絶妙の腰があってこそ!
そしてそういううどん職人の熟練した技があってこそ、モロモロの味が最大限に生きるのじゃ!!」
「甘いわね、霧谷そばの、あの淡白ながら味わい深いモロモロと薫り高いひきぐる実蕎麦の絶妙なハーモニーを知れば二度とそんなこと言えなくなるわっ!!」
「…なんで、そばとうどんの話してんだ?」
「そんなこと私に訊かれても、わかんないですよぅ…」
「ま、このままほっといちゃ夜までこのままだろーからな。否応もねぇか」
やれやれ、と本人に代わって語る背中を向けて、半分以下に短くなった煙草を受付カウンターの灰皿に押し付ける小島。
レインコートのポケットに右の手を入れ、そしてすぐに出した。開かれていた手のひらは握られ、まっすぐに突き出される。草どころかすらバクテリアも逃げ出す不毛な争いを続ける二人に向かって。
指弾、またはつぶてとも言う技術がある。ビシ、という音と共に親指に弾かれたパチンコ玉くらいの何かは、口喧嘩においての銃…ふたつの口の中へ飛び込む。
気付いた時には、既に舌の上。二人の間に、一瞬だけ沈黙が訪れ…
「「かっ、からーーーーーーーーーーーーーーい!!!」」
「…何食べさせたんですか?」
「ああ、飴だよ飴。
今朝ばったり遭ったどっかの便利屋が、「新製品の試供品だ」って押し付けやがったもんだ。
…あの野郎、これが失敗作だって知ってて渡しやがったな…」
「はぁ…何か知りませんけど大変なんですねぇ…」
「まぁ、ともかくだ。てめぇら頭は冷えたか?」
「やかましぃわい!!これは女と女の勝負…
なんじゃ、勝坊じゃないかい」
「…ったく、婆さんいい年して何やってんだ」
「そこの小娘に、霧生ヶ谷のうどんの素晴らしさを説いておったに決まっとるわい!」
「こりゃダメだ。嬢ちゃん、そっちの姐ちゃん説得して…」
「ふっ、私を説得するですって!?
片腹痛いわよ、勝坊!!」
「…む、ムリですよぅ…」
「なぁ姐ちゃん、探しモンしてるんだってな?」
「…そういえばそうだったわね!
さっぱり忘れてたわっ!」
「…暮香さんはいつもこんな調子ですから。そんな哀れみの目で見ないでくださいよぅ…」
「ま、まぁともかくだ。探し物なら、警察よりもっといい場所がある。
あそこならの普通の場所にはない物もある…」
「どこ!?
今すぐ迅速に珍妙に教えなさいっ!!!」
「ゲコカッパ専門店だ。もっとも、あの店は目撃地点も証言もまちまち、ほとんど噂話みてぇな場所でな、実際に歩いて探すしかねぇ」
「構わないわ、他の場所もついでにまわればいいだけよっ!!
ほら、行くわよりいこっ!!
お婆さん、この勝負は預けておくわっ!!」
「かかっ、言うじゃあないか小娘がっ!
いつでも来な、返り討ちじゃがな!」
「ええっ、待ってくださいよぅ!
…あ、小島さん。さっきの飴、まだあったら頂けませんか?」
「あんた、正気か?」
「私、カライの好きなんですよぅ」
「まぁ、好みはそれぞれだからな…」
毒々しい赤で塗られた袋を抱えた小学生…もとい、りいこが扉から出てしばらく後。
職員と一般人、皆は申し合わせたように頷きあった。
人々は、完全な意味でお互いの意図を理解する偉業を達成していた。
完全に二人が見えない位置まで去ったことを確認してから。
外に向けて思いっきり塩を投げた。
「ところで婆さん。あの暮香って姐ちゃん、アウトローライセンスを持ってた気がするが?」
「ああ、所持しとるよ。正式に発行したわけじゃあないから、違法所持になるね」
「あれは市への貢献で与えられる危険な『許可証』だぞ? 違法所持なんざ許されるもんじゃ…」
「しとるよ、貢献ならな。いや、貢献する予定、と言うべきかね?
ともかく、ライセンス「程度」は大目に見るくらい、この市は秘密兵器『歩く非常識』を重要視しとるってだけの話じゃよ。
まぁ、儂の若いころほどじゃないがの」
「見たところ経済力、霊的な能力、戦闘力、交渉能力…どれも全くない、あるものは影響力だけの女に、一体、何があるのかは知らねぇが…
少なくとも言えるのは、霧生ヶ谷の女はなんでこうも一癖あるんだ、ってことだけだ」