シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

水路端の蝗三十五

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kiryugaya

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水路端の蝗三十五 作者:清水光

「おい蝗君! ちょいと、そこらへんから、不思議の一つでも拾ってきてくれ」
 午前も十時をすぎた頃、ようやく少しは空気もあたたまってくる。まあ流石にいかんとまずいかなと思い、ひょいと出勤してみて早々、俺の耳にはがっとその言葉が飛び込んできた。ちょいと? そこらへんから? 不思議の一つでも? 拾ってきてくれ? えーと、どーゆーことなのん?
 蝗――というのはあろうことか、でなくあったりまえのことに、知っている。この俺の名字である。フルネームで蝗三十五、筆名でも偽名でもなく、まっとうなところの本名である。名字のほうは先祖代代これなわけで、ばしっとそれを決定したご先祖様というのは、よほど蝗が好きだったんだろう。愛でていたのか食べていたのか、あるいは両方だったのかそれは定かではないが……。んで名前の三十五のほう。なんの工夫もなく、サンジュウゴと読む。こっちは十年前にくたばったクソオヤジがテキトーにつけたって、昔聞いた覚えがある。
 そんな俺、蝗三十五には混沌と不穏を巻き散らかす言語群が投げかけられたわけだが――あれ? 入ってくるとこを間違えたんか、俺は。いやいやそんなことはない。一応その意味不明言語羅列は俺に向けられていたわけだし、それを放ったと思われるその男――まるっと太った体の上に、これまた球形をした頭をのせている、その姿は俺には見慣れている。実にマンガ的なんだけれども、まあ現実なんだ、これが。球形頭にぎょろっとした眼球二つ、あぶらぎった面構えと揃ってくれば、間違いなく俺の上司にあたるカンフル編集長で大正解となってくるのだ!
 としようものならばほとんど必然的に、ここは俺がほんとのところ九時前には出勤すべきところの、いわゆる一つの職場なんだろう、十中八九。このごちゃごちゃ奥まった部屋のまた奥の、背もたれ肘かけつき椅子に、でっしりと鎮座ましましている編集長の姿しか、俺は見たことがないわけで、だとしたらここは職場以外にはありえないという、何段論法かが成立する。
 そいでもって、カンフル編集長はぎょろぎょろむき出し目ん玉で、俺のほうを睨みつけているのが現状ということ。別に敵意とか悪意とかをむけてるわけじゃないのはわかってる。それでも俺がなにか悪いことをした気になってくる。いやさ、重役でもなんでもない俺がばりばり重役出勤やってんのは、悪いっちゃあ悪いことなんだけど、そんなことはどうでもいいことだろ。うん些細なことにすぎないな。そんな小事に囚われるような人じゃないよ、カンフル編集長は、うん。
「なんでしてぼうっとつったってんだい、君は? おい、問題があるんなら、さくさくっとあげとけよ。あとでぐちぐち言われるのは面倒だかんね、とっとと先んじて言っとけ言っとけ」
「問題どうこうがうんぬんより、なにもかもが問題であるわけで、全体的にどうしようもないような気がするんですけどね? えーと、編集長って大丈夫なんですか? 頭とかそこらへんの神経系全般?」
「わしの健康を気遣ってくれる君のその心優しさは、なにかとうすら寂しい現代社会において貴重なものかもしれないが、明日は! 明日こそは月刊霧生ヶ谷万歳! 締め切り日なんだよ、超絶的に忙しいんだよ、今は!」
 月刊霧生ヶ谷万歳! をあなたは知っているだろうか? まあよくある地方雑誌というやつで、こまごまっとした地方の出来事をちょまちょまっと扱っているあれである。だいたい毎月毎月、似たようなところに似たような広告がのってるようなあれである。とにかくあれである。なんで万歳! なんて余計極まりないものがついているのかは、俺も知らない。カンフル編集長がつけたんだろうが、いちいち理由を聞く気にもなれない。とにかく万歳! なんである。
 俺はそこの編集部の一員だったりするわけで、といってもとても小さな職場であって俺とカンフル編集長のほかには、同僚はあと一人いるだけだ。それで月々なんとかなってるということなんだから、十分たりてるっつう結論になってはくる。そして明日こそマジのぎりぎりどうにもならない、その締め切りなわけで、であるからこそこの俺もしおらしく午前中に出勤してきたわけだ。だのに、不思議を探せのたわごと、本気なんだろうか?
「ああ、ちょいとね、いろいろ間違いがあってさ、二ページほどあまっちゃうわけこのままでいくとね。だから蝗君、ぱっと近所のあたりから不思議なネタを頼むよ、一つ。急いでくれよ、早くしてくれ、とっとと行け」
 やっぱりマジだ、どうにもマジだ。俺もちゃっちゃか行動せねば、編集長がぶちぎれなすってえらいことになるかもしれない。わからんはわからんままだけれど、とにもかくにもそういうことなんだ。わかれ。せっかく出勤してきたというのに、暖かな暖房器具のもとぬくぬくと暮らしていけると思ったのに、中途半端になまぬるいというかどうあっても寒いといったほうが適切な空のほうへと、俺は踵をかえしていった。小さくため息。締まりゆく重い扉の向うで、編集長のだみ声が響き渡っていた。
「どばっと一発、ぶちこんじゃろうじゃないか! がはははっはは」
 つづく品なき笑い声。カンフル編集長がカンフル編集長と言われるその由縁たるべき、得意の決め台詞が炸裂していた。編集長、確か名前は巻沢古太郎だったか、古沢貫太郎だったかと思うのだけれど、はっきりしない。とにかくカンフル編集長はカンフル編集長である、俺にとってはそれだけのことだ。
 日々聞かされるのだけれども、どうも編集長はこの霧生ヶ谷市を活性化してやろうと目論んでいるらしい。その持論に拠れば現在の市は停滞してよどみきっているのであり、その復活にはカンフル剤をぶち込んでやる必要があるらしいんである。そしてわれらが月刊霧生ヶ谷万歳! こそがそのカンフル剤なんだそうである。
 わけがわからん。そもそもここの市が停滞してるかどうかは、俺には疑問にあふれるところである。加えて何かがとどこおっているとしても、それをいちいちかきまぜてやる必要があるかも、ようとして知れない。最終的にはいっちゃわるいが、こんなしょぼ雑誌に街一つを動かすパワーがあるとも思えない。
 まあそれはそれでいいとして、俺の足は中央区から北区へと向かっていた。そこにいけば、編集長が言う不思議の一つや二つが見つかるかと思ったから――ではない。とりあえず腹がすいたからだ。ちょっとカンフル編集長と顔をあわせただけというのに、なんだか今日はぐたっと疲れたのだ。どうしようもない。そしてそういうときはうどんを喰らうに限るのだ。腹が減っては戦ができないとも言うし、そんな状況では満足な不思議探しもできはしないだろう。いや、満腹すればどうにかなるというものでもないだろうけど。
 バスに揺られながらも、俺は考えていた。どだいこの市と俺はどうもうまがあわない、どことなく。しっくりこないことが多い。俺はここの生え抜きの人間じゃない。大学がこっちのほうだったんで、ついでに近場に就職先が見つかって、そのままいついてしまったというところである。ここの気質というかなんというか、そんなものにどうにも馴染めないのだ、いまだに。不思議ってなんなんだよ? んなもんあるわけねーだろが。
 いや、ここらの生まれの人間だったら、日常茶飯、不思議がどうこうやってるってことはない。異常に直面すれば、多分慌てふためくはずである。だが、どうも、ちょっとしたニュアンスや雰囲気の問題になってくるのだけれども、ずれているのだ、ここのやつらは。というよりもこの土地全体が、そんなふうな。クソ、うまく言葉でいえん。とにかく俺はどうにもここに今ひとつ、何年たっても慣れずにいるというわけだ。平素接してる上司が特別変だってこともあるんだろうけど。
「というわけで、雑誌の穴埋めに、軽めの不思議を探してるわけなんだけれど、なんかしらんかな?」
「うーん、不思議っつっても色々あるからねー……。細かいのもあげていったらキリもないことやしねえ」
「あんま人に知られてないような、マイナーなやつが一応いいんかな。あとあたらし目の。そういう都合がいいのない?」
 銀河系一というからにはきっとそうなんだろう。NASAとかそういうの保証つきなんだろう、多分。銀河系一霧生ヶ谷饂飩。俺がはじめてこの市にやってきたとき、インパクトに負けてのれんをくぐった。今では週に二三度やってくるいきつけで、今日はモロ天うどんを昼食にとる。ついでに店の親父に聞き取り調査をおこなっている。うまいこといい感じのネタがつかめれば、そのまま記事にしたててもいい。某うどん屋店主談とかそんなふうな。
「うちのうどんは不思議なくらいにうまいよ? そういう方向性でもって、ぐぐっといい感じな記事をうってくれるとありがたいねえ」
「え、ちょ、まってくれ、おっちゃん」俺は思わずうどんをすする手を止めると、うどんに向けていた顔を店主のほうにやる。「不思議ってどういうことなん? ちょ、あんたがこれを作ってんじゃないのかい?」
 一瞬ななめうえを見上げ、首をひねったあと店主はぽんと手を叩く。「そういえばそうだねえ。うちのうどんがうまいのは自明の理というもの。なにしろ銀河系一なわけで、宇宙パワーとか入ってるだろうからねえ」
 俺はのこりのうどんをずずずっとすすって、ツユも飲み干すと、カウンターの上にぴったりのお代を置いた。がらがらがらと戸を開ければ、毎度ありっと店主の声が背中からかかる。なんともまあ、宇宙パワーが通用するわけだから、やっぱりこの街はどこか尋常でないと思うのだけれど、どうなんだろう? こうした環境にいつづけて、俺のまっとう感覚が麻痺してこないのが、まったく不思議でならない。それこそが一番のミステリーというオチはゴメンこうむるが。
 これからどうしようかと思案にくれるまでもなく、そうだ水路に行こうということになる。どうもこの市にただよう胡散臭い噂をたぐっていけば、おおよそが水路に通じるということになるらしい。なにやらその走行がどうこうあれこれで、わからんしわかりたくもないけど、水路こそが悪の元凶なのだ、とにかく。でもまあそこのところがぱっと思い浮かぶあたり、俺もいくらか染まっているといえなくもない。認めたくはないさ。
 商店街の知り合いに、軽く会釈をしながら歩いていけば、あっさり水路につきあたる。そうだ、この街で水路はどこにでも走っているのである。群青色した藻がからまって、淀んだ様相を呈している。どこもそこもがそういうわけではないが、俺にはここの水路にそういう印象しか持っていない。カンフル編集長もそれについて同じらしく、この流れの滞った水路こそが、この霧生ヶ市の退廃の象徴だとか、いきまいている。
 見下ろす水は、季節は冬、どうしたところで寒そうで、触れもしないうちから俺は体を震わせた。水底をさらってみたらば確かになんかでそうな雰囲気ではあるんだけどな。といっても、すぐ近くには商店が立ち並んでいて、今もそこではヒマそな主婦らが井戸端、つーか水路端会議をやっているという日常あり。
 ていよく手近にあった棒で、俺は水面をかきまぜてみた。平日に昼間に、炉端にすわりこんで俺はいったい何をしているんだろうか? いやまあ俺は曲がりなりにも月刊誌の編集部員でかつライターで、只今仕事中ということなんだが、どうもその実感に自覚に欠ける。どろどろとした藻はゆらめいている。曲線と曲線が複雑怪奇にからまりあって、幾何学的な図形を描く。棒を伝って手に感じる、ぬるっとした感触。ぬちゃぬちゃという音が、耳には届いている。冷たく乾いた風が手のこうをさすっていった。
 つながってはとぎれ、たちきられてはむすばれる。うつろいながら、全体は変わろうとしない。局所的にはとてもとらえきれない、絶え間ない交叉をつづけているはずなのに。水滴が跳ね波紋を作るもすぐに消えた。ゆるやかな流れとは逆向に、ざらついた風は走っていった。ぐるぐると藻はまわっている。濃緑のうずまきを形作る。もっと早く、もっと早く。一生懸命になって俺はかき混ぜる。棒の先に藻がからまってくる。それでもやめない。巻き込まれた藻がさらに周辺の藻を加え、丸々とした巨大な球をなってゆく。
 いつしかそこは流れの中心となっていた。水路の左と右、どちら側からも藻が流れ集まってくる。遠くから近くになるに従って、藻が流れ込んでくる速度は大きくなっている。みるみるうちに膨れ上がった藻玉へと、あらそうように両側からまとわりつく。ざばざばと波の音が聞こえていた。うっすらとした緑色をした霧、それがあたりを覆い始めていた。たった一つ、棒の先の藻玉だけが、その存在を明瞭に映している。俺はすでに棒を動かしてはいなかった。それでも藻玉は円運動を繰り返していた。螺旋を描いては、中心へと濁った水は吸い込まれる。
 ついには水路の両側から、津浪は押し寄せてきた。ぐごぐごぐごごと、その轟が肌に脳に迫ってくる。俺はそのときになってようやく棒切れから手を離し立ち上がった。が、どこに逃げればいいというのだろう? すえた生臭いにおいが体にまとわりつくのが、まるで緑霧が意志を持っている、その証のように感じられた。ひたひたと肌に水が触れていた。視線はなおも動いている藻玉へと、ひきつけられてやまない。津波は俺の身長をはるかに越えている。すぐそこにせまっている。だというのに藻玉に魅せられている、俺は。水路中からあつまった藻も、もうすぐ限りがつきそうである。ずるずるずるずると、藻玉は同胞を喰らって成長する。
 両側から音が響いて、もうどうしようもなく避けられないと、はっきりとわかった。だからせめて最後まで、俺は藻を見ていたいと思って、もっと近くで見たいと思って、一歩前へと踏み出した。熱にうかされているわけではない。それがさらに死へと近づくことなのだと、理解している。俺の体にしぶきでぬれていないところは、最早探しても見つからない。津浪のその大音量が、最高潮に達しようとしている。同時に今まさに、藻玉はその完成にいたろうとしている。どれだけの波が生まれ、どれだけの衝撃が俺を襲うのか? またどれだけの感動が欲求が俺を突き抜けるのか? わからない、わからない、わからない。人間ごときにわかるはずがないじゃないですか? 藻玉さま、藻玉さま、藻玉さまああああああ!
 瞬間、世界からすべての音が消え去った。残ったのは緑色をしたいやなにおいのする霧――いやそれすらも動いていた。藻玉がまわるその中心へと吸い込まれている。大量の水、二つの津浪も、そこに陥ってしまったのだ。ぽっかりと何もない空間に、渦巻きの中心に、緑色をした複雑な、完全な球ではない、生物の集合体としての、藻玉があった。俺はそれにむかって手を伸ばしていた。神々しい? そういうことじゃない。あれは生命であって、その集合であって、平穏であり、そして原初的な何かだ。触れることができたなら、俺という自我さえ喰らい尽くされ巻き込まれ、合一化することができるのだろうか?
 俺は前へと歩みだし、そして――落ちた。ぼちゃんとわかりやすい音が耳に飛び込んできたと思う、ぬるっとした水と一緒に。冷え冷えとした水路の中に俺は座り込んでいる。びちゃびちゃにぬれそぼって、体中に藻がからまっている。どうやらもなにやらもなく、俺は水路に落っこちた、らしい。空を仰いだ。だいぶ日が下がっている。下校途中なのだろう、小学生達が何が起きたと駆け寄ってくる。水路を覗いてみればいい年をした大人が一人、水路にはまって立ち往生というありさまだ。
「ざっとこのような次第なんだけれどさ。これって不思議じゃん、いい記事になると思わない?」
「はいはいそうですね不思議ですね。でも無理です。穴埋めページ、早く書き上げてくださいね」
「いえっさー、りょーかいですよー」
 俺は世間の無理解にゆっくりとかぶりを振った。自宅よりはいくらか近い、編集部のほうにダッシュで帰ってみたならば、全身ぬれねずみと冬の寒気コンボよりも、数段冷たさに勝った同僚鳥ちゃんの視線に出迎えられた。最初から最後まで、そのいきがかりを説明して、この結果が当然で仕方がないものであるという理解をえようとした。が、レンズの向うの視線の温度をさらに下げただけだった。なんだかなあ、どんなもんだろう。
 どうこう言いつつも鳥ちゃんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、いかにして原稿を埋めたものかと俺は考えていた。体は芯まで冷え切ったままで、とてもじゃないがもう一度外に出向く気にはなれない、お断りだ。鳥ちゃん判断では、俺の話はボツだという。実のところ編集長というのは名ばかりで、業務のほとんどをとりしきっているのは彼女のほうだったりするのだ。どうだこうだ締め切りだと言ってたくせに、あの編集長今いないし。
 それはいいんだ、どうでもいいんだ今は、さてどうしたもんか? どうやってなにを書けばいいのか? 不思議なこと……、不思議なことかあ……。案外なんとかなると思った、ふと。今日ぐらいの不思議ならちょくちょくで、年に一度は確実にでくわしているような気がしてきた。どれかまあ一つぐらいは使えるのがある、はずだ。そこんところを打診すべく、俺はふたたび鳥ちゃんに声をかけた。
 どうも――俺は実際のところ、この街が好きなのかもしれない。ちょっとうさんくさいというか、小さな不思議がそこらにちらばっている、外から来た人間には少しだけ馴染みづらいような、そうでないようなこの街が。恐らく、多分、きっと。好き、なんじゃないかなあ……? どうなんだろうなあ……? わかんね。

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