帝國外務省官僚で、昭和17年初頭のシュヴェリン王国との初会談に望んだ。

彼は山間部の貧農の出で、学問が出来るのを見込まれ、庄屋様(中山の村では村長を未だにこう呼ぶ)に援助して貰い、立身したのである。

その為か、貧しい者や社会的弱者を見かけると非情に徹しきれない為、私人としては良い事なのだが、自国の国益を第一に考える非情さは今ひとつである。

高所恐怖症で、運動神経も悪い。

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最終更新:2007年01月29日 08:47