帝國海軍艦上攻撃機。略称「九七艦攻」。

昭和10年(1935年)に帝國海軍が、中島飛行機、三菱重工業に十試艦上攻撃機としての競合試作を命じ、中島案を昭和12年(1937年)九七式一号艦上攻撃機として、三菱案を九七式二号艦上攻撃機として採用した。競合試作なのにどちらも採用されたのは、どちらの試作された機体もたいして性能差がなかったからである。

日本海軍として初の全金属製の低翼単葉機であり、一号機は国産単発機初の引込脚を採用。それまでの九六式艦上攻撃機?に比べて約100キロも上回るスピードが出た。乗員は3人である。日本では「九七式艦攻」または、「九七艦攻」と省略して表記されることもあり、アメリカ側のコードネーム"KATE"(ケイト)。

九七式一号艦上攻撃機
中島飛行機で開発された本機(後に九七式艦上攻撃機一一型と改称)は、同時期に開発中であった十試艦上偵察機(後の九七式艦上偵察機)に採用していた可変ピッチプロペラや蝶型フラップ、密閉式風防などを採用している。のちにこの一号機の発動機を「栄」11型に変更したものを九七式三号艦上攻撃機(後に九七式艦上攻撃機一二型と改称)として採用し、以後生産の中心は三号機に移る。一、三号機合わせて1200機強が生産されている。

九七式二号艦上攻撃機
三菱重工業で開発された本機(後に九七式艦上攻撃機六一型と改称)はオーソドックスな固定脚であり、中島機に比べ振動が少なかったため、二号機のほうを好む搭乗員もいたという。しかし油圧系統や主翼折りたたみ機構などに問題があったともいわれる。しかし先に述べた三号機が採用されてからは、生産の中心は中島機になってしまい、当機は昭和15年に生産終了となった。合計で150機ほどが生産されている。



スペック(三号)
全長10.3m、全幅15.52m、全高3.7m
自重2.2t、全備重量3.8t
発動機 中島「栄」11型 出力970馬力(公称)
最高速度378km/h、上昇時間3000mまで7分、
航続距離1993km(過荷)
武装7.7mm機銃×1、800kgまたは250kg爆弾1発
および800kg魚雷1本

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最終更新:2006年08月09日 02:41