『C-Book 憲法Ⅰ(総論・人権)』 (東京リーガルマインド:著 (2011年)) | |
法律系資格の大手専門校のテキスト。 芦部信喜説をベースとしつつ、佐藤幸治説その他の諸説を効率良くまとめており、現代日本の憲法論を概観する上で時間の節約になって大変便利だが、内容が、左翼~リベラル左派~せいぜい中間派に偏っている。保守主義の憲法論とまでいかなくとも、せめてリベラル右派(阪本昌成氏)の憲法論までは併記して欲しかった。 (※参考ページ:政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価)。 |
なぜ憲法は必要なのか |
↓ |
権力には常に濫用の危険が伴う |
↓ |
権力が濫用されると、人の権利や自由を侵害してしまう |
↓ そこで |
国家権力の濫用を抑制し国民の権利・自由を守る基本法が必要となる |
↓ |
憲法によって国家権力自体を制限していく |
憲法とは国家権力の濫用を抑制し、国民の権利・自由を守る基本法をいう。 近代憲法の本質は「個人の人格」に着目する。 すなわち、憲法の考え方は「一人一人の個人の人格を尊重し大切にする」ということを基点として展開する。 | |
→ | 国家権力に対する個人の自律的領域(近代立憲主義の特徴)の確立のため、国家権力の抑制手段として憲法は生まれた。 |
国家とは、一定の限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力を持つ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会をいう。 すなわち、国家は、①領土、②二人以上の人、③主権 の三要素によって構成される。 |
このような三要素によって構成された国家を基礎付ける基本法が憲法である。 したがって、古来より、人の集まりである社会(国家)が存在すれば、そこに憲法があるということができる。 |
(1) | 立憲的意味の憲法(近代的意味の憲法) | 古来より国家あるところ憲法があるが、ここにいう立憲的意味の憲法は、特殊歴史的存在であって、次のような特色を有する憲法である。 すなわち、立憲的意味の憲法とは、権力を制限することにより自由を保障しようという考えを基本理念とし、絶対王制における国王の権力を制限し、国民の自由を守ることを目的とする憲法をいう。 | |
ここでの憲法は、 | |||
第一に、 | 自由権の保障を宣言し、 | ||
第二に、 | 権力の制限を可能とする統治機構として権力分立を採用すること | ||
を要求された。 | |||
かかる意味において、1789年のフランス人権宣言16条が、「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」と規定しているのは、立憲的意味での憲法の観念を典型的に表現したものといえる。 | |||
(2) | 固有の意味の憲法 | 固有の意味の憲法とは、国家の統治の基本を定めた法としての憲法である。 この意味の憲法はいかなる時代のいかなる国家にも存在する。 |
(1) | 実質的意味の憲法 | 実質的意味の憲法とは、憲法がどのような形態をとって存在しているか(成文か不文か、憲法典の形をとっているか)とは関係なく、その内容に着目して理解した場合の憲法概念をいう。 上記3で述べた立憲的意味の憲法と固有の意味の憲法の区別は、憲法の内容に着目しており、実質的意味の憲法についての区別である。 |
(2) | 形式的意味の憲法 | 形式的意味の憲法とは、憲法という「法形式」をとって存在している憲法をいう。 憲法の存在「形式」に着目した憲法概念である。 |
(3) | 立憲的意味の憲法と実質的意味の憲法 | 立憲的意味の憲法は、通常、憲法という法形式で存在する。 しかし、実質的意味での憲法に含まれる規範(人権及び権力の基本概念)でありながら、憲法上の法形式として定められていないものもある(選挙法が定める選挙制度に関する諸規定や政党法に関する諸規定)。 逆に、憲法上の法形式で定められているが、内容的には憲法(基本的な人権や権力の基本構造)とはいえないような規定も存在する(典型的には、スイス憲法旧25条の2「出血前に麻痺せしめずに動物を殺すことは一切の動物の殺戮方法および一切の種類の家畜について例外なくこれを禁止する」という規定など)。 |
① | 条約 | (平和条約、日米安全保障条約、国際連合憲章、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、女子差別撤廃条約、児童の権利に関する条約、等) |
② | 法律 | (皇室典範、皇室経済法、国事行為の臨時代行に関する法律、国籍法、請願法、人身保護法、教育基本法、国会法、公職選挙法、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、裁判所法、検察庁法、恩赦法、財政法、会計法、会計検査院法、等) |
③ | 議院規則 | (衆議院規則、参議院規則) |
④ | 最高裁判所規則 | |
⑤ | 条例 | (公安条例、青少年保護条例、等) |
(1) | 憲法慣習 | イギリスのような不文法国といわれる国では憲法の重要な部分が長い間の慣行を通じて慣習法として形成されてきた。 このように慣習法の形で存在する憲法を慣習憲法という。 |
これに対し、成文法国における実質的意味の憲法は、形式的意味の憲法以下の諸形式で定められているので、慣習憲法は存在しない。 しかし、成文法国においても、憲法慣習法が問題となる場合がある。 たとえば、具体的な行為を一義に命ずる法規定がないまま特定の具体的な行為が長期に繰り返され、その後の先例や慣行となり、さらにその慣習化した先例・慣行に法的価値を承認する広範な国民の合意が形成された場合、その憲法に関する先例は法的性格を獲得し、憲法慣習(法)となるといわれている。 | ||
(2) | 憲法判例 | 憲法判例とは、ある法や行為が合憲か違憲か、また、それは如何なる理由によってかという憲法問題についての判例である。 |
我が国の違憲審査権は解釈上付随的審査権であるので、憲法判断は原則として判決の主文中にはあらわれず、主文を根拠づける理由中に示されるに過ぎない。 憲法判例とは、憲法問題についての判断を内容としている判決理由をいい、合憲・違憲の判断及びその理由からなる。 | ||
判例に、法源性、法的性格を認め得るかについて議論があるが、我が国では、判例の先例拘束性は憲法上も法律上も認められていない(ただし、事実上の拘束力を有する)。 |
1 | 成文憲法と不文憲法 | 憲法典が存在するかしないかを基準とする分類。 立憲的意味の憲法は、通常、成文憲法として存在するが、イギリスは成文憲法をもたない。 (*) もっとも、イギリスの憲法が、すべて慣習法として存在するというのではなく、その多くの部分を成文の法律として定めている。 単に成文の憲法典が存在しないというだけである。 |
2 | 硬性憲法と軟性憲法 | 憲法改正の手続が通常の立法手続と同じ(軟性憲法)なのか、それともより困難な手続が定められている(硬性憲法)かを基準とする分類。 |
3 | 欽定憲法と民定憲法 | 憲法の制定主体が誰かによる分類。 君主が制定して国民に授けたという形をとっている場合が欽定憲法であり、国民が制定したという形うぃとっている場合が民定憲法である。 |
4 | 近代型憲法と現代型憲法 | 憲法の内容をその依拠する基本思想に着目した分類。 近代憲法は近代立憲主義の諸原理を基礎としているのに対し、現代憲法はそれらの諸原理とともに多かれ少なかれそれを修正した原理も基盤としている。 |
【国法秩序の段階構造】 | |||||||
(国民) → | 憲法 | -(授権・制限)→ | 法律〔国会〕 | -(授権)→ | 命令〔内閣〕 | -(制限)→ | 国民の権利 |
国民自身が憲法をつくり、国民の権利を制限する作用を下位の法規範に授権する。 |
↓ しかし |
国家権力を制限できる法としての憲法である以上、全く無制限な授権をするわけにはいかない。 |
↓ |
権力の濫用を防止し、人権保障を図るべく憲法による枠づけが必要 |
↓ そこで |
↓ そしてこの制限規範性を実効的なものにするには |
憲法に反する法律などは効力を有しない(98Ⅰ) なぜ97条が最高法規の章の冒頭に存在するのか |
↓ |
人権の本質・重要性(97) |
↓ |
憲法はこの人権を保障している(第三章) |
↓ よって |
憲法は最高法規である(98Ⅰ) |
↓ そのために |
国家権力の行使を担当する公務員に憲法尊重擁護義務を課す(99) |
憲法は価値に満ちたものである。 しかも、その価値は人類の理想と時代の思潮を体現したものである。 従って、憲法は価値中立的に統治システムを定めるものではなく、立憲時の政府が実現すべき、あるいは、自らを支える基本価値の選択が宣言されている。 たとえば、立憲主義の憲法の基本価値は、「個人の尊厳」であり、権力の分立である。 ここにおいて、さまざまな人権保障が具体化され、この人権を保障する手段として権力構造が制度化されている。 |
近代憲法の本質は「個人」に着目する点にある |
↓ |
憲法は、「一人ひとりを個人として尊重する」という考え方を基礎にしている(個人の尊厳、13) |
13条の「個人の尊厳」を出発点とする。 国民に自由・平等・福祉の価値を実現することを目的として、そのための手段として民主主義・平和主義を保障する。 そして、このような統治体系を制度的に維持・発展させるために「権力分立」・「法の支配」の原理が基底に置かれている。 |
→ | 大陸法系の国で発達 |
→ | 国民の権利・自由の保障を目的にしているという点では法の支配と共通 |
(1) | 本来的意味の法治主義(19世紀のフランス) | |
国民の権利を奪い、義務を課す場合には法律上の根拠が必要(法律による行政・裁判) →権力分立を前提とする | ||
(2) | 形式的法治主義(第二次世界大戦前のドイツ・日本) | |
行政権は法律に基づかなければ国民の権利を制限することはできない=法律によれば国民の権利を自由に制限できる | ||
① | 法律の内容は問わない | |
② | 行政が法律に適合しているか否かの判断は行政権の一種である行政裁判所が行う | |
(3) | 実質的法治主義(現在のドイツ・フランス) | |
行政権・司法権のみならず立法権も憲法(最高法規)に拘束される=法律の内容は憲法に違反してはならない(正しいものでなければならない) →内容の適正は裁判所が判断する |
(1) | 本来的意味 |
行政権は国民代表議会の立法権に基づく法律に基づかなければ国民の権利を制限することはできない | |
(2) | 形式的意味 |
立法権は、法律によりさえすれば国民の権利・自由を制限することができる |
← | 人の支配 |
→ | 正しい法(正義の法)に基く支配(法の内容を問題にする) |
→ | 国民の権利、自由を保障することが目的 |
→ | 英米法系(イギリス、アメリカ)の国々で発達 |
(1) | 個人の人権保障 | ||||
法の支配を採用した目的が国家権力の権限濫用から国民を守り、個人の尊厳を確保することにあるから。 | |||||
(2) | 憲法の最高法規性の承認(憲法は行政権のみならず立法権をも拘束する) | ||||
∵(何故ならば)仮に憲法に優先する法が認められるならば憲法による支配を行うことが出来ないから | |||||
(3) | 手続の適正を要求する(適正手続 = due process of law) | ||||
(4) | 裁判所の役割の重視(最高法規性の担保) | ||||
→ | 行政が法律に従っているか否かを裁判所がチェック(イギリス・アメリカ) | ||||
→ | 議会が正しい法(憲法)に従っているか | ||||
① | 議会自らがチェック | → | イギリス | ||
② | 裁判所がチェック | → | アメリカ(法の支配をより徹底している) |
(1) | 第三章「国民の権利及び義務」 | 国政における人権の尊重とその強度の保障は、「法の支配」の核心である | |
(a) | 国家権力の行使を抑制する機能を持つ個人の自由権を中心におく人権規定の構造は、自由主義を前提とした「法の支配」の理念の存在を示す | ||
(b) | 人権保障規定は、「法律の留保」を認めず、また立法権をも拘束する(13) | ||
(2) | 81条(違憲立法審査権)、第十章「最高法規」 | ||
(a) | 81条(違憲立法審査権) | 法の支配の最も徹底した表現。アメリカ判例法の明文化。 | |
(b) | 97条(基本的人権の本質) | 「法の支配」の核心 →人権保障(基本的人権の永久性・不可侵性)の確認 →実質的最高法規性。個人の権利と自由が公権力により侵害されたときには憲法の基礎が崩壊することを示す | |
(c) | 98条1項(形式的最高法規性) | →現行憲法が実質的最高法規であること(97)によって根拠づけられる。憲法に反するすべての国家行為を無効とし、権力作用がすべて憲法に従うべきことを示す →法優位の思想を基礎とする | |
(d) | 99条(憲法尊重擁護義務) | 「法の支配」の理念の一つ →国家権力の行使者が憲法に従うべき義務をもつこと →法の支配の名宛人は、権力行使者=統治者であることを示す | |
(3) | 31条(法定手続保障) | ||
(a) | 規制が適正な手続のもと行われること、特に司法手続としての刑事手続が適正であること(現代においては行政手続にも適正手続の保障が及ぼされるべきである) | ||
(b) | 法の規制の実体が適正であるという法の内容の適正も憲法上の要請となる | ||
(4) | 第六章「司法」 | ||
(a) | 司法権は、民事・刑事の裁判の他、行政事件を含むあらゆる種類の法律上の争訟を裁判する権限をもつ(76Ⅰ・裁判所3Ⅰ) | ||
(b) | 特別裁判所の禁止、行政機関による終審裁判の禁止(76Ⅱ) | ||
(c) | 裁判所の規則制定権(77)、裁判官の懲戒処分に立法・行政機関が関与しない(78)、下級裁判所裁判官の指名権(80Ⅰ) |
【法治主義とその限界】 | ||
「法治主義」 | 本来、国民の権利・自由の保障を目的とする ←(自由主義) ←法律による行政と、法律による裁判←国民主権(民主主義) | |
↓しかし、形式化の危険を内包していた。すなわち、法律によって国民の権利・自由を制限する危険性を持つ | ||
(原因) | ① | 法律の内容の適正について議会が自ら判断した |
② | 民主主義の未成熟→議会は必ずしも国民の意思を正しく反映するものではなかった | |
↓これに対して | ||
法の支配 | ① | 立法権も最高法規としての憲法に拘束される |
② | 法の内容の適正が要求される | |
③ | 内容の適正については裁判所が判断 | |
(*)実質的法治主義は法の支配(現在の日本)と裁判所の位置づけが違うだけである。 法の支配においては憲法適合性を通常の司法裁判所が判断し、実質的法治主義においては司法裁判所以外の特別裁判所(憲法裁判所)が判断する |
【法治主義と法の支配の違い】 | |||
大陸法系(仏・独) | イギリス | アメリカ | |
社会的背景 | 議会への信頼 裁判所への不信 |
議会への信頼 裁判所への信頼 |
議会への不信 裁判所への信頼 |
近代において法は誰を拘束するか | 行政権・司法権を拘束=法の内容の適正は不問=形式的法治主義 | 行政権のみならず議会も拘束=法の内容の適正を要求=法の支配 | 行政権のみならず議会も拘束=法の内容の適正を要求=法の支配 |
現代において法の適正性を誰が判断するのか | 仏 - 憲法院 独 - 憲法裁判所 |
行政権に対しては→裁判所 立法権に対しては→議会自身=法の支配という点ではやや不徹底 |
行政権に対しては→裁判所 立法権に対しては→裁判所=違憲立法審査権(法の支配の徹底) |
① | 議会中心主義の国々 | → | 議会が判断 |
② | アメリカ他現在の多くの国々 | → | 裁判所が判断 |
最高法規たる憲法の担い手が裁判所に移ってきた |
↓ |
裁判所において憲法違反を主張して争えるようになってきた |
↓ |
憲法が裁判所における裁判の基準(規範)になる |
↓すなわち |
憲法は「裁判規範性」を原則としてもつようになった |
【憲法保障の全体構造】 | |||||
法律の憲法適合性を問題にするか | 問題にしない | 近代のフランス・ドイツ | 形式的法治主義 | ||
問題にする | 議会が判断 | イギリス | |||
裁判所以外の機関が判断 | 現在のフランス | ||||
裁判所が判断 | 司法裁判所 | アメリカ、日本 | ←私権保障型 | ||
憲法裁判所(特別裁判所) | 現在のドイツ・オーストリア・イタリア | ←憲法保障型 |
① | 憲法所定の手続に従い、憲法典中の個別的条項につき、削除・修正・追加を行うことにより、または、 |
② | 新たなる条項を加えて憲法典を増補することにより、 |
憲法改正の手続に従えば、いかなる内容の改正を行うことも法的に許されるか。 憲法改正に法理論的に限界があるかが問題となる。 なお、改正手続に従いさえすれば、事実上いかなる内容の改正もできるが、それは政治的問題であり、ここでの問題ではない。 |
Step① | 民主主義に基づく憲法は、国民の憲法制定権力によって制定される |
↓ そして | |
Step② | 憲法改正権は、かかる制憲権が憲法典のなかに取り込まれ、制度化されたもの |
↓ とすれば | |
Step③ | 改正権が自己の存立の基盤である制憲権の所在(国民主権)を変更することは理論的に許されないというべき |
↓ また | |
Step④ | 近代立憲主義憲法は、人権保障という自然権に由来する思想を成文化したものであり、かかる自由の原理は、民主の原理たる国民主権と不可分に結び合っている |
↓ したがって | |
Step⑤ | 改正権が、そのような憲法のなかの「根本規範」というべき人権宣言の基本原則を改変することは理論的に許されないというべき |
A | 無限界説 | |
a-1 | 法実証主義的無限界説(佐々木、美濃部) | |
法規は規律する社会の事情を基礎として存在するものである以上、社会的な事情の変動により、法規が変更されるのは当然であると捉える。 憲法の価値的序列を認めず、自然法的な規範も他の憲法規範と同列になるため、すべての規定が改正の対象になる。 また、たとえ改正禁止条項があったとしても、それ自体を改めることが出来るとする。 | ||
a-2 | 主権全能論的無限界説 | |
改正権を全能の制憲権と同視する立場であり、改正権は、憲法の外に存在し実定法的拘束を受けない制憲権と同じであるから、何らの制約を受けることはないとする。 その学説の一つは、制憲権は始源的であり無制約であるが、制度化された制憲権である改正権はそれとは異なり憲法の定める手続に従わなければならないとする。 すなわち、改正権は実質上は制憲権、形式上は憲法によって作られた権力であると捉え、改正手続を遵守する限り改正の対象は無限界であるとする。 | ||
B | 限界説(通説) | |
b-1 | 法理論的・憲法内在的限界説 | |
改正権は憲法によって作られた権力なので、制憲権の所在(主権規定)やその所産たる基本原理の変更はできないとする立場。 | ||
b-2 | 自然法的限界説 | |
制憲権も改正権も自然法のもとにあり、その拘束を受けるとする立場。 |
(*)芦部先生は、限界説に立つが、b-1、b-2のいずれかに割り切るわけではない。 たとえば、制度化された制憲権たる改正権により、自己の存立の基盤というべき制憲権の所在、すなわち、制憲権が憲法内化された国民主権原理を変更することは、理論的に不可能であるとする。 他方で、人権宣言の基本原則については、近代立憲主義憲法が自然権に由来する思想を成文化したものであり、かかる自由の原理は、民主の原理たる国民主権と不可分に結び合っている以上、改変することは理論的に許されないとする。 |
学説では、限界説が通説です。 無限界説に立つ場合、もとの憲法の基本原理を変更することも法的に認められます。 一方、限界説に立つ場合、それは法的には許されず、憲法の廃止と新憲法の制定という、法を超えた政治的事件ということになります。 なお、改正の限界としては、①国民主権原理(国民主権原理と密接不可分の関係にある憲法改正国民投票制)・②基本的人権尊重の原理・③平和主義が挙げられます。 |
(1) | 社会学的意味での憲法の変遷 | 憲法成文の規範内容と現実の憲法状態との間に「ずれ」が生じているという客観的事実をいう。 |
(2) | 解釈学的意味での憲法の変遷 | 憲法成文の規範内容と現実の憲法状態との間の「ずれ」を前提としたうえで、元の規範内容に代わって新しい憲法規範が成立していることを認めることをいう。 |
(1) | 肯定説(橋本公亘) | |
一定の要件(継続・反復及び国民の同意等)が満たされた場合には、違憲の憲法現実が法的性格を帯び、憲法規範を改廃する効力をもつと解する。 | ||
(理由) | ある憲法規範が国民の信頼を失って実際に守られなくなった場合には、それはもはや法とはいえない。 | |
(批判) | ①肯定説のうち、実効性が失われた憲法規範はもはや法とはいえないとする立場をとると、如何なる段階で実効性が消滅したと解することができるのか、その時点を適切に捉えることは容易ではない。 ②実効性が大きく傷つけられ、現実に遵守されていなくとも、法として拘束力の要素は消滅しないと解することは可能であり、将来、国民の意識の変化によって、仮死の状態にあった憲法規範が息を吹き返すことはあり得る。 | |
(2) | 否定説(橋口、佐藤(幸)等多数説) | |
(理由) | 硬性憲法のもとでは、憲法改正の国民の意思は、憲法改正手続及び、そこでお国民投票によってのみ示されるべきである。 |
1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」としている。 一方、日本国憲法の上諭は「帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」としている。 この改正は君主(天皇)主権の憲法を国民主権の憲法に変革するものであり、改正の限界を超えると考えられる(憲法改正限界説)。 そこで、この主権者の変更という事態をどのように説明するかが問題となる。 |
Step① | 主権者の変更はもはや改正の限界を超えており、許されない(憲法改正限界説) |
↓ とすると | |
Step② | 結局、新旧憲法に連続性がないことになってしまう(同一性なし) |
↓ そこで | |
Step③ | 法的革命があったと考える(八月革命説) |
↓ すなわち | |
Step④ | 法的革命によって主権者が変更した |
→ ポツダム宣言を受諾したときに(1945.8.15)、明治憲法の体制は崩れ去り、主権者は天皇から国民に移った。 それにもかからわず明治憲法の改正という手続をとったのは革命行為を秩序と平穏のうちに成し遂げるためであった |
A | 憲法改正限界説を背景とした説 | ||
a-1 | 無効説 | ||
明治憲法73条の憲法改正という形式をとる日本国憲法は、明治憲法の根本建前である天皇主権主義を否定して国民主権主義を採用しているが、これは改正の限界を超えるもので許されない。 従って、日本国憲法には正当性の根拠がない。 | |||
a-2 | 有効説 | ||
(ア) | 八月革命説(宮沢) | ||
国民主権主義をとることを要求しているポツダム宣言を受諾した段階で、明治憲法の天皇主権は否定されるとともに国民主権が成立し、日本の政治体制の根本原理となった。 → ポツダム宣言の受諾によって法的に一種の革命があったと考えて、日本国憲法が明治憲法の改正という形式で明治憲法が容認しない国民主権主義を定めたことの正当性を基礎づける → 明治憲法73条による改正という手続をとったのは、明治憲法との形式的連続性をもたせることが実際上便宜的であったことによる(秩序と平穏のうちに革命行為を成し遂げるために明治憲法73条が便宜上借用された) | |||
(イ) | 新憲法制定説(佐藤(幸)) | ||
ポツダム宣言受諾により、日本は同宣言の内容を履行すべき法的義務を課された。 そして、受諾後も明治憲法秩序は存続しているため、天皇は同宣言を履行する趣旨から憲法所定の手続に従って改正案を帝国議会に提出したのである。 その内容は改正の限界を超えるものであったが、審議過程で日本国憲法を制定するという主権者たる国民の意思が議会を通じてあらわれたと考える → この見解も一定の政治的配慮から明治憲法所定の手続の形式を借用したと考える | |||
B | 憲法改正無限界説を背景とした説 | ||
b-1 | 有効説(佐々木) | ||
憲法の改正には法的な限界は存在しない。 従って、天皇主権から国民主権へと主権の所在を変更する改正も許される。 明治憲法73条の改正として制定された日本国憲法は明治憲法との連続性がある。 | |||
b-2 | 無効説 | ||
(ア) | 押しつけ憲法論 | ||
占領軍の威力を背景にマッカーサー元帥によって強要された日本国憲法は、憲法の自律性を認める国際法にも違反し、国民の自由な意思の発動ではなく、無効または占領終結により失効されるべきである。 | |||
(批判) 当時の政府の指導者には総司令部(GHQ)の態度が単なる警告以上のものとして映ったことは推測されるものの、そうしたことも含めて諸事情を考慮し、日本政府の決断が為されたと解すべき。 | |||
(イ) | ハーグ陸戦法規43条違反論 | ||
日本国憲法の制定は、外国軍の占領下に為されたものであり、占領軍の被占領国の法令の尊重を定めるハーグ陸戦法規43条に違反し、無効である。 | |||
(批判) ①ハーグ陸戦法規は戦時占領の際のものであるから、ポツダム宣言の受諾により休戦条約が成立している以上、適用されない。 ②日本国憲法は我が国自身によって制定されたのだから、ハーグ陸戦法規違反を理由い憲法の無効を帰結するのは無理である。 |
学説では、八月革命説が日本国憲法の生誕における法理上の問題点を無難に説明するものとして評価されています。 |
① | 国家の統治権としての主権 | 統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権 | ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項) |
② | 最高独立性としての主権 | 国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権 | ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段) |
③ | 国政の最終決定権としての主権 | 国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権 | 国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。 ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段) |
日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。 それでは、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。 国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問題となる。 |
Step① | 憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1条) |
↓ この点 | |
Step② | 主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。 |
↓ しかし | |
Step③ | それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。 |
↓ そこで | |
Step④ | 基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。 |
↓ ただ | |
Step⑤ | 憲法改正権の存在(96条)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。 |
↓ | |
Step⑥ | 以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43条Ⅰ参照)。 |
A | 有権者主体説 | 「国民」を有権者の総体と考える見解。 | |
a-1 | 主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮) | 主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。 従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。 →権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない | |
(批判) ①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。 ②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。 ③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。 | |||
a-2 | フランスの議論を採り入れる説(杉原) | 日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。 しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。 従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。 →権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。 | |
(批判) 上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。 | |||
B | 全国民主体説(宮沢、橋本) | 「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。 →このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。 | |
(批判) 国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。 | |||
C | 折衷説(芦部) | 「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。 →「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質) |
【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】 | |||
フランスの主権論 | ナシオン主権 | ⇔ | プープル主権 |
憲法 | 1791年憲法 | ⇔ | 1793年憲法 |
主権者 | Nation <仏> (= Nation <英>) | ⇔ | Peuple <仏> (= People <英>) |
国民 | 観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない | ⇔ | 具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民 |
権力行使 | 授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定) | ⇔ | 国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形 |
授権の内容 | 代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし | ⇔ | 代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり |
契機 | 国家権力の正当性の根拠が国民に存する | ⇔ | 主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル |
諸制度 | 制限選挙・自由委任 | ⇔ | 普通選挙・命令委任 |
歴史的意義 | 絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的) | ⇔ | 市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的) |
学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。 なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。 この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。 |
近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。 なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。 直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。 |