2006/02/01選挙:水俣市長選候補インタビュー/中/熊本

◇産廃処分場を断固阻止――宮本勝彬候補(62)=無新【毎日】
――出馬動機は?

水俣に元気を取り戻したい。小さくても輝き、やすらぎのある街をつくり、対話と心を持って市民とともに歩きたいと思い、決意した。

――現市政をどうみる?

職員や市民が自由に物を言えない雰囲気になっている。

――主な政策は?

まず、産廃処分場の建設を止めなければならない。市長直属の対策室を作り、反対運動を全国的に展開する。1%でも可能性があれば、関連法令や条例を駆使して断固阻止したい。国の構造改革特区制度を利用し、市長が処分場の許認可権を持つ「公害復興特区」の提案・申請も考えている。首長が先頭切って反対しなければ止まらない。

――反対の理由は?

水俣病を経験した街、環境モデル都市を目指す街だから。すでに水俣湾には水銀を埋めた埋め立て地という産廃処分場があるのに、山にも造ろうというのか。計画地は水源に近く、多くの住民が反対している。

――その他の政策は?

子供の教育に力を注ぎたい。街づくりで重要なのは人材育成。学力向上のため、先生を補佐する支援教員制度を導入する。公民館活動などと連携し、地域の伝統文化を学び豊かな心を育てたい。また、担当者制で自治会や街づくりを支援する。商店主と職員、消費者による商店街活性化会議も開く。

――水俣病問題は?

避けては通れない問題。現状の対策では不十分。すべての被害者が救済されるよう、患者の声を国や県に訴えていく。

――座右の銘は?

人事を尽くして天命を待つ。【平野美紀】</P>

2006/2/2 選挙:水俣市長選候補インタビュー/下/熊本

◇災害の危険知らせたい――斉藤英雄候補(66)=無新【毎日】
――出馬の動機は?

市内に何カ所も、土砂崩れや道路の崩壊など災害の危険性をはらむ所が存在することを市民に伝えるため。

――具体的にはどんな主張か?

九州新幹線のトンネル掘削に関連する工事で、後始末などが不十分と思われる所がある。関係先に十分な対応をするよう求めているが、その前に災害が起きるかもしれないので、「自分の命は自分で守ろう」と市民に訴えたい。市の将来を語る時に、この問題は避けて通れないと思う。

――ほかにどんな政策を考えているのか?

教育問題では、水俣市から多くの子供たちが鹿児島県出水市内の高校へ通っている現状を憂えている。出水まで行かずに済むようにしたい。

――産廃処分場問題をどう考える?

建設予定地周辺には、活断層が走っており、大きな地震が起きたらとんでもないことになる。建設には反対。

――水俣病問題への姿勢は?

現状ではもう少し見直していい面がたくさんある。

――どうやって主張を訴えるのか?

選挙公報に主張を掲載したほかは、選挙運動はしない。ただ呼ばれたら話しには行く。

――選挙運動をほとんどやらない理由は?

立候補を思い立ったのが1月中旬で、準備が足りないから。災害の危険性について知りたい、という人がいれば、私の持つ資料を提供したい。【平野美紀】</P>

2006/2/4 水俣市長選3候補あす審判市議補選も産廃問題影響に注目=熊本【読売】


水俣市長選と、市議補選(被選挙数1)は5日、投開票される。市長選に立候補しているのは、再選を目指す現職・江口隆一(40)(無所属=自民・公明推薦)、前市教育長の新人・宮本勝彬(62)(無所属)、元会社員の新人・斉藤英雄(66)(同)の3候補。
このうち、現市政の継続を訴える江口候補と、刷新の必要性を主張する宮本候補が激戦を展開。市議会の21議員もほぼ真っ二つに分かれて両候補を支援しており、事実上の一騎打ちとなっている。
また、同市では民間業者が市南部で計画を進めている産廃最終処分場建設問題への対応が市政の課題となっており、この問題がどう影響するか注目される。
江口候補は計画への賛否について「県知事が許認可権を持っており、市としては中立」としてきたが、告示直前の公開討論会で初めて公式に「反対」を表明。「中立というのは企業との交渉戦略。予定地の買い上げを市議会に打診するなど当初から反対の姿勢だった。選挙前で誤解を招きたくなかったので戦略を明らかにした」と理解を求める。
そのうえで、環境を巡る施策として「世界の先進技術を集積し、環境と経済が両立したまちづくりを進める」と訴える。
これに対し、宮本候補は昨年11月の出馬表明以来、「市として断固阻止する。市役所に対策室をつくり市長自ら反対運動を展開する」と明言。チッソ水俣工場が排出した産廃が原因で水俣病が発生したことに触れ、「公害の恐れがある施設は水俣に必要ない」と主張している。
選挙戦では「経済や教育、福祉の問題も大切。商店街活性化も必要。だが、まずは産廃計画を止めなければ水俣は前に進まない」と訴え、産廃問題を最大の争点に掲げている。
斉藤候補は公報で主張を訴えている。
市議補選は、県議秘書の新人・高岡利治(47)と農業の元市議・千々岩巧(57)の2候補が争っている。
投票は5日午前7時から午後8時(一部は午後7時)まで市内22か所で行われ、同9時から市総合体育館で開票される。
有権者数は1月28日現在、2万4270人。
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2006/2/5 水俣市長に宮本氏現職江口氏に大差【熊日】

当選を決め笑顔で万歳をする宮本勝彬氏=5日午後10時57分、水俣市古賀町の選挙事務所(内田秀夫)

任期満了に伴う水俣市長選と同市議会議員の死去に伴う議員補欠選挙(被選挙数一)は五日、投開票された。三人で争った市長選は、無所属新人で元市教育長の宮本勝彬氏(62)が、無所属現職の江口隆一氏(40)=自民、公明推薦=らに大差をつけ、初当選した。

当選した宮本氏は同市古賀町の選挙事務所で「多くの市民が心配している産業廃棄物最終処分場建設阻止に全力を傾けたい」と喜びを語った。

選挙戦は、同市に計画されている産業廃棄物最終処分場問題への対応を最大争点に、宮本氏と江口氏が激しい論戦を展開。江口氏が告示前まで一貫して強調してきた「中立」姿勢のほか、同市が掲げる「環境モデル都市づくり」を踏まえた経済活性化策などが問われた。

宮本氏は江口氏の対応を批判して出馬。「建設絶対阻止」を主張し、市長をトップとする特別対策チームの設置を掲げた。また三十八年間、教育現場に携わった経験から、子どもの教育の充実なども訴えた。

政党推薦などは受けず「市民党的立場」をアピール。産廃反対の市民団体や教員時代の教え子に加え、市議十一人がフル回転し、現職批判を着実に票に結び付けた。

告示直前に産廃処分場への「反対」を表明した江口氏は、個人演説会などで「業者との交渉の戦略で中立を貫いてきた」と理解を求めた。チッソ労組や建設業協会などの各種団体や個人後援会の組織力を生かし、票固めを図ったが、批判を解消できなかった。

無所属新人で元会社員の斉藤英雄氏(66)は「九州新幹線工事現場の崩落の危険性」を訴えたが、具体的な選挙運動をせず浸透しなかった。

当日有権者数は二万四千六十九人。市長選の投票率は79・36%で、江口氏ら新人三人で争った前回(78・39%)を0・97ポイント上回った。

●水俣市長選開票結果(選管最終)

当11181宮本勝彬62無新
7692江口隆一40無現 
99斉藤英雄66無新 
熊本日日新聞2006年2月5日</P>

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2006. 02. 06水俣(熊本)市長選新人の前市教育長・宮本勝彬氏が初当選

【読売・東京朝刊】
新人の前市教育長・宮本勝彬氏(62)(無)が、現職・江口隆一氏(40)(無=自民・公明推薦)ら2人を破り初当選。投票率79.36%。=5日
当11,181宮本勝彬無新
7,692江口隆一無現
99斉藤英雄無新 </P>

2006/2/5 水俣市長選投票始まる市議補選も【熊日】

任期満了に伴う水俣市長選挙と同市議会議員の死去に伴う議員補欠選挙(被選挙数一)の投票が5日午前7時、市内22カ所の投票所で始まった。午後8時まで(久木野地区は午後7時まで)で、同9時から市立総合体育館で即日開票される。当落判明は市長選が午後11時20分ごろ、市議補選は同11時40分ごろの見込み。

市長選に立候補しているのは、現職の江口隆一氏(40)=自民、公明推薦=と、新人で元市教育長の宮本勝彬氏(62)、新人で元会社員の斉藤英雄氏(66)の3人(いずれも無所属、届け出順)。

市議補選に立候補しているのは、新人で県議秘書の高岡利治氏(47)、元職で農業の千々岩巧氏(57)=いずれも無所属、届け出順。

2月4日現在の有権者数は2万4千69人(男1万878人、女1万3千191人)。

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2006/2/6 次期水俣市長・宮本氏産廃阻止チーム設置へ初当選で抱負【熊日】

当選から一夜明け、安どした表情を見せる宮本勝彬氏=6日午前、水俣市古賀町の事務所(内田秀夫)

五日に投開票された水俣市長選で初当選した元市教育長、宮本勝彬氏(62)は一夜明けた六日午前、同市古賀町の事務所で抱負を語った。産業廃棄物最終処分場問題をめぐり、公約に掲げた建設阻止のための特別対策チームについて、「就任後できるだけ早く、三月中にも立ち上げたい」との意向を示した。

対策チームは市役所内に設置し、各課から集める職員で構成。環境対策課など関係課でつくる作業部門も設け、反対運動の方向性などを検討する。

宮本氏は、計画地の地質などの調査を専門家に依頼することも打ちだしており、「産廃を止めてほしいという市民の願いで押し上げていただいた以上、先頭に立って反対することが最初の仕事。独自の調査で危険性を明らかにし、並行して事業者に撤退の申し入れもしたい」と話した。

自民、公明両党の推薦を受けて組織戦を展開した現職の江口隆一氏(40)に、約三千五百票の大差をつけたことについては、「産廃阻止を願う市民一人一人の気持ちの強さが、票差に表れた。特に市民の水がめとなる場所に建設される危険性を訴えたことが受け入れられたと思う」。また、「二度と水俣病のような苦しみを繰り返してはならないという教訓を、市民が見つめ直すきっかけにもなった」との分析も示した。

産廃問題以外では、地域経済の振興や行財政改革、福祉や教育の充実などを訴えた。「水俣は環境というキーワードを抜きに語れない。現職の政策のいい部分は受け継ぎながら、環境モデル都市づくりをさらに追求することで経済も福祉も活性化できると考えている」と力を込めた。

「最後まで勝ちを確信することはできなかった」選挙戦を振り返り、「うれしいというより、取り組むべき課題の厳しさをひしひしと受けとめている」と表情を引き締めた。(並松昭光)

<H3>2006/2/6 次期水俣市長・宮本氏3月にも産廃阻止チーム設置へ【熊日】
当選から一夜明け、安どした表情を見せる宮本勝彬氏=6日午前、水俣市古賀町の事務所(内田秀夫)

五日に投開票された水俣市長選で初当選した元市教育長、宮本勝彬氏(62)は一夜明けた六日午前、同市古賀町の事務所で抱負を語った。産業廃棄物最終処分場問題をめぐり、公約に掲げた建設阻止のための特別対策チームについて、「就任後できるだけ早く、三月中にも立ち上げたい」との意向を示した。

対策チームは市役所内に設置し、各課から集める職員で構成。環境対策課など関係課でつくる作業部門も設け、反対運動の方向性などを検討する。

宮本氏は、計画地の地質などの調査を専門家に依頼することも打ちだしており、「産廃を止めてほしいという市民の願いで押し上げていただいた以上、先頭に立って反対することが最初の仕事。独自の調査で危険性を明らかにし、並行して事業者に撤退の申し入れもしたい」と話した。

自民、公明両党の推薦を受けて組織戦を展開した現職の江口隆一氏(40)に、約三千五百票の大差をつけたことについては、「産廃阻止を願う市民一人一人の気持ちの強さが、票差に表れた。特に市民の水がめとなる場所に建設される危険性を訴えたことが受け入れられたと思う」。また、「二度と水俣病のような苦しみを繰り返してはならないという教訓を、市民が見つめ直すきっかけにもなった」との分析も示した。

産廃問題以外では、地域経済の振興や行財政改革、福祉や教育の充実などを訴えた。「水俣は環境というキーワードを抜きに語れない。現職の政策のいい部分は受け継ぎながら、環境モデル都市づくりをさらに追求することで経済も福祉も活性化できると考えている」と力を込めた。

「最後まで勝ちを確信することはできなかった」選挙戦を振り返り、「うれしいというより、取り組むべき課題の厳しさをひしひしと受けとめている」と表情を引き締めた。(並松昭光)


<H3>2006/2/6 水俣市長選「産廃阻止」宮本さん初V市議補選は千々岩さん返り咲く=熊本【読売】
◆草の根で支持浸透
水俣市長選と、市議補選(被選挙数1)は5日、投開票された。市長選は前市教育長の新人・宮本勝彬氏(62)(無所属)が、再選を目指した現職・江口隆一氏(40)(無所属=自民・公明推薦)、元会社員の新人・斉藤英雄氏(66)(無所属)を破り、初当選した。民間業者が市内で計画している産廃最終処分場の建設問題への対応が問われたが、「市長が先頭に立って阻止する」と訴えた宮本氏が激戦を制した。
宮本氏は、同市古賀町の事務所で大勢の支持者らに囲まれ、「計画が中止されるまで行政と市民が一体となって反対運動を行う」と語った。
市長選は事実上、宮本氏と江口氏の一騎打ち。
産廃問題を最大の争点と位置づけた宮本氏は処分場建設阻止を前面に打ち出し、「市役所内に対策室をつくって市として反対する。経済や教育問題なども大切だが、産廃計画を止めないと水俣は前に進まない」などと主張。
また、団体の推薦は受けなかったが、反対団体や教諭時代の教え子らが草の根的な運動を展開し、昨年11月下旬の出馬表明からわずか2か月余りで幅広く浸透した。
江口氏は、産廃問題に関し、告示直前の公開討論会で「反対」を表明。しかし、産廃問題が浮上した一昨年春以降、「賛否は中立」との立場を取り続けてきたことが一部の有権者から反発を招き、思うように支持を拡大できなかったとみられる。
斉藤氏は公報で主張を訴えた。
水俣市は5月1日に公式確認から50年を迎える水俣病問題への対応や、雇用創出などが課題となっている。
▽当日有権者数2万4069人
▽投票者数1万9101人
▽投票率79・36%(前回78・39%)

《水俣市長選確定得票》
当11,181宮本勝彬62無新
7,692江口隆一40無現
99斉藤英雄66無新
(無効その他129)

◇宮本勝彬(みやもと・かつあき)氏の略歴
水俣市教育長。元同市立水俣第一中校長・阿蘇教育事務所長・芦北教育事務所指導課長・同市立袋中教頭。東洋大文学部卒。熊本市出身。62歳。当選1回。

◆市議補選、千々岩さん返り咲く
市議補選は、農業の元市議・千々岩巧氏(57)が、県議秘書の新人・高岡利治氏(47)を破り、4度目の当選を決めた。

《水俣市議補選確定得票》(被選挙数1―候2)
当10,577千々岩巧57無元《4》
7,959高岡利治47無新
(無効561)

◇千々岩巧57無元《4》〈1〉農業、中同窓会長〈2〉農協理事〈3〉鹿児島県伊佐農林高

【注】《》数字は当選回数。年齢は投票日現在。〈1〉現職〈2〉職・政治歴〈3〉最終学歴

写真=千々岩巧さん
写真=初当選を決め、支持者と喜び合う宮本さん(5日午後11時10分、水俣市の事務所で)

<H3>2006/2/7 選挙:水俣市長選「産廃止める民意が勝因」宮本勝彬氏、初当選から一夜/熊本【毎日】
水俣市長選に初当選した宮本勝彬氏(62)は、当選から一夜明けた6日、同市古賀町の選挙事務所で会見し「支持してくれた皆さんに感謝したい」と喜びを語った。

「手応えはあったが、最後まで不安だった」と激戦を振り返り、勝因を「産廃処分場を止めてほしいという市民の強い思い」と分析した。約3500票の大差は「支援者一人一人が、まるで候補者になったように『止める』と強い気持ちを持っていた。それが票に出た」と選挙戦を支えた支援者らをねぎらった。

産廃問題では、3月中にも市役所内に各課職員を集めた対策会議を設置し、業者側に状況説明に行きたいという。今後、反対運動を重ねた上で県知事が建設を許可した場合には、業者を相手に建設差し止め訴訟を起こすことも検討する方針。

また、他の市政運営については「薬草園構想など、江口隆一市長の斬新な発想と鋭い切り口で進めてきた良いものは、受け継ぎたい」と話し、水俣病公式確認50年事業は「一過性のイベントに終わらせることなく、水俣病の教訓を地域でどう生かすかを再構築したい」と語った。【平野美紀】

2006/2/7 水俣市長選初V宮本氏、一夜明け会見産廃阻止へ対策チーム=熊本【読売】

◆来月中めど
水俣市長選から一夜明けた6日、初当選した前市教育長・宮本勝彬氏(62)は、同市古賀町の事務所で会見した。宮本氏は最大の争点となった民間業者による産廃最終処分場建設計画に関し、3月中をめどに市役所内に産廃計画の阻止に向けた特別対策チームを発足させることを明らかにした。
宮本氏は勝因について、「産廃計画を止めなければ水俣に未来はないという市民の願いの表れ」と分析。「市長として先頭に立ち、建設計画が止まるまで、あらゆる手段を使って反対運動を続ける。業者に対しては計画撤廃を申し入れる」と述べた。
宮本氏の当選証書の付与式は8日に行われる。任期は22日からで、同日に初登庁する予定。

写真=初当選から一夜明け、抱負を語る宮本氏

2006/2/7 水俣病50年第2部産廃市民の選択(1)真の教訓「過ち繰り返すな」【熊日】

当選を決め、支援者に花束を掲げる宮本勝彬氏=5日午後11時すぎ、水俣市古賀町の選挙事務所

水俣市に民間が計画中の産業廃棄物最終処分場建設に「絶対阻止」を掲げた新人が、現職を大差で破った水俣市長選。処分場問題が最大争点となり、住民投票の様相を呈した。その選挙戦では、これまで水俣病に口を閉ざしがちだった市民が「水俣病の教訓」を語ったのがもうひとつの特徴だった。水俣病の公式確認から五十年を迎える節目の年に巡ってきた市長選。「水俣病50年」第二部では市民の選択を振り返る。

◇◇

「産廃阻止という市民の願いが実った」「環境都市水俣にふさわしい新市長だ」。五日夜、初当選を果たした宮本勝彬氏(62)の選挙事務所には、詰め掛けた支持者の高ぶった声が未明まで響いた。

産廃処分場の建設計画は、二〇〇四(平成十六)年三月に表面化した。直後の六月には、計画に反対する「水俣の命と水を守る市民の会」が結成されたが、現職市長の江口隆一氏(40)が取り続けた立場は「中立」。「処分場の設置許可権限は県知事にある。市長の賛否は関係ない」という主張だった。

これに不信感を募らせた市民の会が中心となり昨年十一月、元市教育長の宮本氏を擁立。処分場阻止に絞り、論陣を張った。

こうした中、水俣青年会議所は今年一月二十四日夜、市文化会館で両氏を呼んだ公開討論会を開いた。席上、会場にどよめきが起きる一幕があった。江口氏の口から「処分場反対」が飛び出した時だった。江口氏は「もともと反対だった。業者と話し合える環境を保つため、戦術上、中立と言ってきただけだ」と説明した。

こうして両陣営が「反対」の旗を掲げる構図になり、対立軸がぼやけるかに見えた選挙戦。しかしこの中で、両陣営が産廃問題に絡めて展開した「水俣病の教訓」は、対照的な論理をなしていた。

宮本氏は街頭で、集会で、声をからして訴えた。「私たちは(水俣病の原因物質である)水銀ヘドロを封じ込めた埋立地を既に受けとめている。海に産廃があるのに、今度は山の上の水源地に、命の水を生み出す場所に、処分場を造るという。水俣にとってあまりに過酷な仕打ちだ」

これに対し江口氏は「教訓」を別の側面からとらえた。「人間関係に大きなひびが入ったのが水俣病。もやい直しが進む中、けんかせず仲良く手をつなぐことが水俣病の教訓ではないのか」と新人陣営をけん制。さらに「自分の考えに合わない人間は敵だという。まさにもやい崩しだ。こういう人たちが水俣の教訓を口にすべきではない」とまで言い放った。

江口氏は前回同様、自民、公明の推薦で臨んだ。しかし前回、約三千二百票の大差で対立候補に勝利した江口氏が、今回は逆に約三千五百票の差をつけられ敗北した。陣営幹部は「前回の勝利の決め手となった浮動票がすべて相手に流れ、組織票さえ崩れた」と肩を落とした。

この結果は何を意味するのか。水を守る会代表世話人で、宮本氏の後援会副会長を務めた坂本ミサ子さん(78)は勝利をかみしめながら語った。「水俣病の教訓とは、同じような過ちを繰り返してはならないということに尽きるんです。そうした市民の気持ちが表れたんじゃないでしょうか」


<H3>2006/2/9 水俣病50年第2部産廃市民の選択(3)患者たちは後方支援に【熊日】

宮本氏当選の喜びを語り合い、「産廃阻止」に向けて決意を固める市民連合のメンバーたち=7日夜、水俣市幸町の事務所
七日夜、水俣市幸町の小さな事務所に三十数人の男女が集まった。五日投開票の市長選で当選した新人の宮本勝彬氏(62)を支援した「水俣に産廃はいらない!市民連合」が選挙後初めて開いた会議。市民や水俣病患者が一つのテーブルを囲み、宮本氏当選の喜びを口々に語り合った。

市民連合は昨年十一月、同市に民間が計画する産業廃棄物最終処分場に反対する「水俣の命と水を守る市民の会」「水俣を憂える会」と、水俣病患者や支援者でつくる「本願の会」の有志で結成された。建設計画の阻止を最終目標にした上で、目前に迫った市長選で建設反対の新市長を誕生させようと二月末までの期間限定でつくられた組織だ。

この日の会議では「これまではPTA活動を通して患者との交流を深めようとしてきたが、なかなか溝は埋められなかった。でも産廃問題では溝が埋まったようだ」「子どもたちも、産廃問題を通して、水俣病事件とは何だったのか、水俣で生きていくことはどういうことなのか、ということを考えてくれるようになった」と、それぞれ選挙戦がもたらした成果を発表。事務所に笑顔が広がった。

会議の終わりには今後の会の在り方に話が及び、「立場や団体の枠を超えて、産廃阻止という最終目標に向かって連携を深め、新市長をバックアップしていこう」などと誓い合う光景が見られた。

認定患者の杉本栄子さん(68)=同市袋=は今回の選挙を「市民一人ひとりが水俣のこと、水俣病のこと、産廃のことを勉強し、自分のこととして考えてくれた」と評価。未認定患者で今も自らの病の理由を問い続ける緒方正実さん(48)=同市月浦=も「選挙を通して、水俣病問題の議論の輪も、市民に広げていける土台ができた」と振り返った。

今回の選挙戦は市民が「水俣病の教訓」を掲げて戦ったことが特徴の一つだった。とはいえ、患者が前面に立って宮本氏支援をマイクで訴える場面は見られなかった。本願の会のメンバーは直接宮本選対に加わる形をとらず、産廃の危険性を訴えるビラを制作・配布したり、市政を風刺する川柳を市中に張り出したりと、「後方支援」に回った。

その理由を同会事務局長で水俣病支援者の一人、金刺潤平さん(46)はこう説明した。「もやい直しが進んだと言っても、まだまだ市民には水俣病に対する抵抗感があるのは事実ですから」。公式確認から五十年を経てもなお、市民の心の奥底に沈む水俣病事件への複雑な感情。「後方支援」はそれに配慮した“作戦”でもあった。

市民と患者との間にいまだに存在する壁。「党派や立場を超えて、多様な主張ができる水俣をつくり上げること。そのような地域づくりを実現することが本当のもやい直し。また、新たなスタートです」。金刺さんは市民と患者の融和を新市長に期待している。
熊本日日新聞2006年2月9日朝刊

2006/2/10 水俣病50年第2部産廃市民の選択(4)根強い「国、県とのパイプ」論【熊日】

水俣市街地にあるチッソ水俣本部(中央部分)。労組は市長選で自民、公明推薦の現職を推薦した
「革新系の人たちが推す市長が生まれれば、チッソは水俣から撤退する」。現職と新人が激しい舌戦を繰り広げた水俣市長選で、自民、公明推薦の現職、江口隆一氏(40)の陣営ではそうした論調が飛び交った。これに危機感を持った無所属新人の宮本勝彬氏(62)の陣営は「チッソの撤退が許されるはずがない」と反論するビラをまいた。

今回の市長選では、水俣病の原因企業チッソの水俣本部と関連企業の労働者約千人が結集する水俣地区労働組合連絡協議会が、江口氏を全面支援した。前回も江口氏推薦ではあったが、今回は組合員に電話で「家族にも江口氏支持を徹底しているか」と念を押した。

チッソは「会社として動いた事実はない」としているが、労組の動きの背景に会社の意向を感じ取る関係者は少なくない。実際、選挙期間中、江口氏の集会を激励に訪れる会社幹部の姿があった。

労組幹部は「過去にない努力をした」と認めた上で、その理由を「国、県政で多数を占める保守政党によってチッソ支援の枠組みが作られ、維持されてきた。患者補償の完遂という目標を着実に履行するために、この事実に配慮しないわけにはいかない」と説明する。

チッソ支援とは、水俣病患者補償に伴う同社の経営危機を乗り切るため、熊本県債の発行や国の抜本的金融支援策という形で投入してきた公金。同社が返済しなければならない公的債務は現在、千三百億円弱に上る。

それだけに、チッソ関係者の市長選対応への評価は分かれる。「水俣はチッソで成り立っている。チッソをつぶしてでも水俣病補償をしろという人たちには入れられない。現職支援は当然だ」とする主張と、「チッソは多額の公的債務を抱える、いわば”半官半民”の企業。なぜ特定の候補を支援するのか」という声が市民の間で交錯した。

チッソ社内には水俣病問題からの“卒業”をうかがう空気がある。今年一月二十三日、東京で開いた創業百周年の謝恩会。招待客に配った会長、社長連名のあいさつ状には、一九九五年の政府解決策以降、「水俣病問題は終息に向かいつつある」と記していた。潮谷義子知事はもちろん、小池百合子環境相も「水俣病問題は現在進行形」などと不快感を表明した。

「チッソは本当に水俣病に対する反省をしているのか」と憤るのは、水俣病患者連合事務局長の高倉史朗さん(54)。「市長選の争点となった産廃処分場が計画されているのは水源地の近く。かつて水質汚染によって多くの人の命を奪った企業が自らの歴史を反省しているならば、この問題をなぜもっと真剣にとらえようとしなかったのか。世話になったから支援するというレベルの話ではないはずだ」

一方、かつてメチル水銀というチッソの産廃で豊かな漁場を奪われ、組合員に少なくない患者を抱える市漁業協同組合。ここも今回、自公推薦の現職を支援した。

岩崎巧組合長(71)は「私自身も、組合員もほとんどは産廃反対だ。ただ漁協は漁業補償や補助金などで国、県に陳情していく立場。パイプを持った候補を支援するのは当然の成り行きだった」と話す。

水俣病の加害企業と被害を受けた団体。選挙対応の背景には、産廃問題より優先する論理が横たわっていた。

<H3>2006/2/11 水俣病50年第2部産廃市民の選択(5)“環境都市”へ生かせ「財産」【熊日】
水俣病犠牲者慰霊式で過去の水俣病対策について行政の長として初めて謝罪する吉井正澄水俣市長=1994年5月1日、水俣市の水俣湾埋め立て地
「水俣病の原因が明らかになってくるにつれ、水俣市もあるいはまた市民も、水俣病問題を国と県に委ねがちになってしまいました」

一九九四(平成六)年五月一日、水俣湾埋め立て地で開かれた第三回水俣病犠牲者慰霊式。その年二月の市長選で初当選したばかりの吉井正澄氏(74)=在任九四~二〇〇二年=は式辞で、患者や犠牲者に行政のトップとして初めて謝罪した。

水俣病五十年の歴史の中で、水俣市長はこの問題とどうかかわってきたのか。

公式確認の年となる一九五六年は、橋本彦七氏(故人)=一九五〇~五八年、六二~七〇年。チッソの水俣工場長を務めた市長だった。

行政と漁民や患者らの対立が激化したのは五九年の「漁民紛争」。水俣病発生で魚が売れず困窮した漁民が、排水停止をチッソに直訴した。交渉は難航し漁民が工場内に乱入、多数の負傷者が出た。当時の市長は中村止氏(故人)=五八~六二年。「工場を守れ」という地域世論を背景に、市議会とともに漁民をけん制する動きに出た。

一次訴訟で患者側が勝訴、チッソとの間で補償協定を勝ち取った後は認定申請者が急増。それに伴い未認定問題が焦点になり、八〇年には国、県の責任を問う最初の国賠訴訟が起こされ、水俣市は問題の第一線から遠ざかったかのようになる。

八六年まで連続四期市長を務めた医師の浮池正基氏(故人)は「患者救済」を掲げながらも、疲弊した水俣芦北地域の振興を求める陳情に重点を置いていった。

吉井氏は「水俣の発展がチッソとともにあった時代。同じころに私が市長をしても、歴代市長と異なる対応はできなかったかもしれない」と、企業城下町水俣の置かれた難しい現実を指摘する。

水俣病問題を市政の軸に据えるようになったのは、革新系市長の岡田稔久氏(82)=八六~九四年=から。「環境モデル都市宣言」を掲げた岡田氏は、市主催の水俣病犠牲者慰霊式開催、水俣病資料館の建設、水俣病を語る市民講座のスタートなど、次々に早期解決に向けた施策を展開。市民の融和に向けた機運を盛り上げた。

その後、吉井氏の在任中の九五年、未認定患者問題は「政治決着」にこぎつける。同氏は、水俣病問題で荒廃した市民の連帯を回復する「もやい直し」を提唱した。

吉井氏の引退後は、県議出身の江口隆一氏(40)。市民は長引く不況を背景に、「環境と経済の両立」を掲げた若いリーダーに期待した。

そして今回の市長選。「水俣病の教訓」を強調し産業廃棄物最終処分場の絶対阻止を訴えた宮本勝彬氏(62)が、江口氏を退けた。

市長選では産廃問題をきっかけに、少なくない市民が「水俣病が教えてくれたものは何だったか」を口にし、市内全域で水俣病を自分の問題としてとらえる動きが出始めた。しかしまだ市民と患者たちの間に存在する見えない壁。

「水俣病は市にとって重荷ではなく、大きな財産。環境をキーワードにしたまちづくりも、基本は水俣病問題の解決にあることを忘れないでほしい」。吉井氏はそう力を込めた。=第2部おわり

※第2部は並松昭光、東寛明が担当しました。

2006/2/22 宮本新水俣市長初登庁産廃対策チーム、3月1日発足へ【熊日】

初登庁の後、市長室で職員から花束を受け取る宮本勝彬・新市長=水俣市役所

五日投開票された水俣市長選で初当選した宮本勝彬・新市長(62)が二十二日午前、初登庁。初の定例会見で、三月中の設置を表明していた産業廃棄物最終処分場建設阻止の方策を検討する対策チームについて、庁内三部十四課の部課長ら十八人をメンバーとし、一日に発足させることを明らかにした。

宮本市長は午前八時半前、職員が拍手で出迎える中、公用車で市役所に到着。女性職員から花束を受け取り、にこやかな表情を見せた。

その後就任式に臨み、職員や市議、市民ら約二百人を前に「市は産廃問題をはじめ多くの課題を抱え、さらに厳しい状況が予想される。一つ一つの課題に誠心誠意取り組んでいかねばならない。皆さんと十分議論を尽くし、決断していきたいvと決意を語った。

記者会見では、空席の助役人事について「できるだけ早くと考えている。産廃処分場に反対する路線に沿い、ぶれない意見を持った人を選びたい。行政経験も重視する」と述べ、三月三日開会予定の定例市議会に選任案を提出する意向を示した。(並松昭光)

<H3>2006/2/23 宮本・新水俣市長が初登庁産廃処分場阻止を強調【西日本】
五日に投開票された水俣市長選で初当選を果たした宮本勝彬新市長(62)が二十二日、市役所に初登庁。同市に計画されている産業廃棄物最終処分場建設を阻止する姿勢をあらためて示した。
任期スタートの同日朝、市役所玄関前で出迎えの女性職員から花束を贈られ、拍手で歓迎を受けた。就任式で宮本市長は約二百人を前に「市は産廃問題を筆頭に多くの課題を抱えている。危機意識を持ち、市民とともに輝く水俣づくりに頑張る」と決意を語った。

記者会見では二十一日に退任した滝沢行雄助役(73)の後任人事について「産廃問題があるので庁内全体の意見を集約し、三月議会に提案したい」との意向を明らかにした。五月に公式確認五十年となる水俣病の犠牲者慰霊式への首相出席について「二十七日、環境省に要望書を出したい」と国に直接求める方針も示した。

2006/2/23 水俣市の宮本市長が初登庁産廃対策チーム、来月発足へ=熊本【読売】

今月5日投開票の水俣市長選で初当選した宮本勝彬氏(62)が22日、初登庁した。公約に掲げた民間業者による産廃最終処分場計画の阻止に向けた取り組みについて、「産廃対策プロジェクトチーム」を3月1日に発足させる考えを明らかにした。
対策チームは3部14課の部課長17人と、助役で構成。専門家の意見を交え、計画阻止の具体案を練る。近く事業者の「IWD東亜熊本」に撤退を申し入れる。
このほか、水俣病の公式確認50年事業に関し、「単なるイベントに終わらせず、二度と悲劇を起こさないという強い決意を促したい」と強調。27日に環境省に出向き、5月1日の慰霊式に小泉首相の参列を求める要望書を提出するという。
市職員や市議ら約200人を前にした就任式では、「市民の皆さまと共に行うことを基本にすえ、職員の意見を聞き、議論を尽くし、決断したい」と述べた。

写真=職員から花束を受け取り、初登庁する宮本市長

2006/2/24 <産廃施設判決>建設禁止の処分取り消し命令名古屋高裁【毎日】


三重県紀伊長島町(現・紀北町)で産業廃棄物処理施設の建設を予定していた業者が、計画を対象に制定された町条例に基づき建設を禁止されたのは違法として、町を相手取り、処分の取り消しを求めた訴訟の差し戻し控訴審判決が24日、名古屋高裁であった。熊田士朗裁判長(満田明彦裁判長代読)は「(施設の設置によって生じる)問題があることを理解できるように業者に指導すべき義務があったのに、これに反して処分を行った」と述べ、処分を適法とした1審・津地裁判決を取り消し、建設禁止処分の取り消しを命じた。

産廃施設の建設を巡っては、条例で規制する自治体と、営業の自由を主張する業者との争いが全国で広がっているが、今回の判決は自治体側の規制に一定の枠をはめるものと言え、今後、議論を呼びそうだ。

判決などによると、同町の産廃業者「浜千鳥リサイクル」の産廃中間処理施設計画を察知した同町が94年3月、水道資源を枯渇させる恐れのある施設の建設を禁じる「水道水源保護条例」を制定。この条例を基に、95年5月、処理施設を禁止施設と認定した。

1、2審は業者側の請求を棄却したが、最高裁は04年12月、「業者の権利を制限する際は十分な事前協議が必要」との配慮義務を初めて示し、審理を名古屋高裁に差し戻していた。【月足寛樹】

奥山始郎・紀北町長の話主張が認められず、大変残念。今後の対応は町議会などと相談したい。

2006/2/24 牛乳パック再生率8割マイバッグ持参3割大学研究者が名古屋住民調査=愛知【読売】

全国7大学の研究者でつくる「生活環境研究会」(代表=海野道郎・東北大大学院教授)は23日、名古屋、仙台、熊本県水俣の3市民を対象に実施した、ごみに対する住民の意識・行動調査の中間結果を発表した。名古屋市は、牛乳パックの資源ごみリサイクル率が8割強と高い反面、レジ袋を減らすマイバッグ持参率は約3割にとどまっていることがわかった。
16種類のごみ分別をする名古屋市、6~7種類のごみ分別をする仙台市、22種類のごみ分別をする熊本県水俣市と、ごみ分別に特徴のある3市を選び、昨年10~12月、各市1000人ずつ無作為に抽出し、1772人から複数回答を得た。
調査結果によると、牛乳パックのリサイクル率は名古屋市で約8割強だが、他の2市は3~4割を可燃ごみで処理していた。レジ袋削減を目指すマイバッグの持参率は、仙台市が4割と最も高く、名古屋市は3割、水俣市は2割だった。
名古屋市は一昨年度は1日当たりの1人のごみ量は約900グラムで全国平均(約1キロ)を下回り、政令指定都市の中で最も少ない。

読売新聞2006年2月24日中部朝刊

2006/2/27産廃処分場「市民連合」、名称変更し建設阻止へ再出発水俣市【熊日】

「水俣に産廃はいらない!市民連合」の解散集会であいさつする宮本勝彬市長=水俣市公民館

水俣市長崎に民間が計画する産業廃棄物最終処分場の建設に反対する「水俣に産廃はいらない!市民連合」の解散集会が二十六日、同市公民館であった。処分場建設阻止の目標に向け会員の連携を維持しながら、名称を「「市民連合」から「みんなの会」と変更、再スタートすることを決めた。

市民連合は、建設反対の住民でつくる「水俣を憂える会」「水俣の命と水を守る市民の会」と水俣病患者や支援者らで組織する「本願の会」の有志で昨年十一月に結成。当面の目標に、今月五日投開票の水俣市長選で処分場建設に反対する候補を支援することを掲げ、今年二月末までの期限付きで産廃問題を考えるビラ発行などを行った。

集会には約七十人が出席。みんなの会会長に、市民連合の坂本龍虹会長(71)が就くことを了承。今後、同市が水道水を送っている芦北郡津奈木町と天草郡御所浦町に、反対運動に加わるよう求める文書を提出することを決めた。宮本勝彬市長も出席し「阻止運動はこれからが勝負。皆さんの力を借りたい」とあいさつした。(並松昭光

2006/2/27 産廃反対派、新団体発足へ団結確認水俣で集会=熊本【読売】

水俣市南部の山林で民間業者が進めている産廃最終処分場建設計画に関し、反対派の市民による新団体「水俣に産廃はいらない!みんなの会」が3月1日に設立される。同市公民館では26日、約70人が参加して集会が開かれ、建設阻止に向けて団結することを確認した。
昨年11月結成の「水俣に産廃はいらない!市民連合」を発展的に解消し、新組織として名称を改めた。市民連合は、今月5日の同市長選で、建設計画の阻止を公約に掲げた宮本勝彬氏を支援。宮本市長が誕生したことから、活動を強化するために再スタートすることにした。
市民連合は「水俣を憂える会」「本願の会」など3団体が中心となって組織していた。みんなの会は3団体のほか、農産物の生産者団体など13団体が加入し、会員は約300人になった。
集会には宮本市長も出席。「環境にこだわる街として計画を阻止したい」とあいさつした。


最終更新:2007年10月05日 17:55