黒魔術 1
西の空が茜色に染まり始めていた。
公衆トイレの陰に置かれた、満タンまで水が入ったポリタンク。
後ろで手を組むようにして隠した、布を巻いた金槌。
ポリタンクがとても重かった。左手に握った金槌も重い。
何よりも、心が重い。
「ごめんお姉ちゃん、お待たせー!」
大切な従妹が駆け寄ってくる。空いている右手を、爪が食い込むまで握り締める。
「う、うん。大丈夫、全然待ってないから」
「どうしたの? こんなところに呼び出すなんて。お話なら学校とか家でもできるのに」
高校から少し歩いた場所にある寂れた公園。彼女はそこに呼び出されていた。
準備は完全に整った。後は左手の金槌を振り下ろすだけだ。
この、心の底から大切な、目に入れても痛くないほどかわいがっているゆたかめがけて。
「お姉ちゃん……顔色悪いよ?」
「……気のせいだよ。行こ」
そう言って公園の出口を指差す。うん、と返事をしてゆたかはこなたに背を向け、歩き
出した。
誰でもいい、誰かにいてほしかった。それなら諦めざるを得ないから。
だが辺りに人影はない。誰も自分を止めてくれない。
「……ごめん」
呟き、左手を振り上げる。
「え、今何か言っ――」
授業の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「お、ほな今日の授業はここまでーっと。礼!」
「はー終わった終わった! 勉学に励んでるとお腹すくねぇ」
「コォラ泉ィ、自分爆睡しとったやんけ」
「いやぁ昔偉い先生が『授業は一番重要な十五分だけ真面目に受ければいい』と」
「ウチの授業は最初から最後までとーってもありがたーいんやで? そないなこと言っと
るようならそのうちバチ当たるから覚悟しときぃ」
「つ、謹んでご遠慮させていただきます……」
「私もすごく眠くてノートが途中暗号みたいになっちゃったよ……」
「というわけでみゆきさん! 私たちに愛の手をー!」
「なーにが愛の手よ。みゆき、もうこいつらにノート貸さなくていいわよー」
「そ、そうですか? ですが後々困ることになりますし……」
「さっすがみゆきさん、かがみんとは違うのだよかがみんとは」
「……もう二度と宿題見せてやらん」
いつもと変わらず談笑に花を咲かせながら四人は近くの机を動かし、昼食の準備を始め
る。
「あれ、今日はあんたお弁当作ってきたのね」
「ゆーちゃんが料理覚えたいって言い始めてね、じゃあ一緒に作ろうかって話になってさ」
「そうなんだ。ゆたかちゃんならどんどん上達しそうだよね」
おそらく、こなたの役割はあくまでゆたかのアシスト程度だったのだろう。
その弁当は簡素ながら精一杯華を出そうと努力した様子がよくわかるものだった。
「へー、おいしそうじゃない」
「でしょー。それにひきかえ今日の柊家のお弁当はとても質素でいらっしゃいますことで」
「悪かったわね! どうせ私は料理は苦手よ!」
「で、でもお姉ちゃんのお弁当もおいしいよ?」
「お料理は努力九割、才能一割と言いますから。かがみさんもすぐに上達しますよ」
「そうよね、こんな家庭的とは程遠いこなただって料理できるんだしね」
「それは偏見にも程があるよかがみん……」
「おーい泉に高良、一年の小早川が用ある言うてるで」
黒井先生が大声で呼びかけてきたのは、今まさに弁当に箸をつけようとした瞬間だった。
「あれ、噂をすれば」
「私もですか?」
「はよう来ーい」
箸を置き、四人は廊下に出る。
「あ、お姉ちゃん。みなさん、こんにちは」
「どうしたの?」
「あのね……今日、みなみちゃんが学校来てなくて。うちのクラスの担任の先生が家に電
話したんだけど誰も出ないみたいで……」
「一家揃って旅行……だったら連絡あるわよね」
「それで、高良先輩はお向かいさんだから何か聞いてるかなって思って」
「……いえ、特に何も聞いてはいなかったと思いますよ」
「そうですか……こんなこと今までなかったから心配だなぁ」
「今日、家に帰ったら様子を見に行ってみますね」
「お願いします。それじゃ、これで失礼します」
「また後でね、ゆーちゃん」
階段へと消えていくゆたかの背中を見送り、こなたたちは教室へ戻った。
「ただいまー」
「お帰りお姉ちゃん」
「みなみちゃん、結局あの後も来なかったの?」
「うん……」
ゆたかからいつもの元気が消えていた。
半ば運命の出会いを果たしたような親友だ。きっと本当は心配でいてもたってもいられ
ないのだろう。
「ゆーちゃん、心配なのはわかるけどあんまり思いつめちゃダメだよ」
「わかってるけど……」
「ほらほら、気分転換にゲームでもやろ?」
「う、うん」
「あ、ゆーちゃんそこ下B!」
「えいっ! ……あ、回復した!」
「あの攻撃なにげにエネルギー系だからね、どうみてもミサイルなんだけど。……よしト
ドメ! ファルコンパーンチ!」
「お姉ちゃんそれ当てるのうまいよねー」
「64の頃からずっと使ってるからねぇ。キャラ愛のたまものってやつだよ。」
心配の原因は払拭できなくても、少しの間気をそらすくらいはしてあげたい。それが姉
としての義務というものだろう。
ゆたかとの協力プレイを楽しみながら、こなたはそんなことを考えていた。
「いよいよ最後だね!」
「ゆーちゃん、いい? 真ん中に出てきたら……」
「えっと、端っこからタブーに向かって緊急回避三回だよね? がんばるよ!」
「よろしい! そんじゃいざ最終決戦……ん?」
珍しく携帯していた携帯電話の着信音。
「みゆきさんだ。ゆーちゃん、ちょっと待ってて」
「あ、うん」
「
もしもしー?」
『もしもし、高良です』
「どうしたのみゆきさん。みなみちゃんのこと?」
『……実は、その』
電話してきて用件を言いよどむなんておかしな話だな、そうこなたは首を傾げつつもみ
ゆきの返答を待つ。
何度か聞こえたため息の後、彼女は言った。
『お願いがあります。……いえ、泉さん。あなたに命令します』
「へ?」
命令? 突然飛び出したありえない言葉に思考が付いていかない。
『手伝っていただきたいことがあるんです』
「そりゃ私に手伝えることは何でも手伝うけど……」
『近くに誰かいますか?』
「ゆーちゃんがいるよ」
『では、申し訳ありませんが話を聞かれない場所に移動していただけますか?』
「う、うん……」
電話が長引きそうだとゆたかに伝え、こなたは自室に戻った。
「……それで? そんなに人に聞かれたらまずいことなの?」
『ええ……』
何か事件に巻き込まれたのだろうかと思いつく。
さっきのよくわからない発言はまさかその犯人に指示されたこと?
「みゆきさん! 今どこ!? すぐ助けに――」
『い、泉さん!? 何か勘違いをなさっているんじゃ……』
「え? 逃げ遅れてコンビニ強盗の人質になったりとか」
『……ええと、私は今自宅にいますし強盗に入られてもいませんけど』
「あれ? じゃあさっきの命令とかってのは?」
電話口が黙る。息遣いから察するに、どうやらこなたに対して呆れているらしい。
『……いいですか? これから私が言うことを今日中に実行してください』
何かがおかしい。
みゆきはこんな高圧的な態度を取る人間じゃない。
だけど焦っている様子なんかもない。本当に非常事態というわけではなさそうだった。
「わかったよ。何すればいいの?」
『泉さんのお宅に灯油を入れるようなポリタンクはありますか?』
「ポリタンク? ……どうだろ、探してみないとわからないかな」
『では、ないようでしたらホームショップで調達してください』
「ん……いいけどさ、なんで?」
『理由はお話しできません。お話ししたら泉さんは拒否なさると思いますし』
「話してくれないならなおさら嫌だよ!」
こんなのみゆきじゃない、何もかもがおかしすぎる。
先ほど冗談で言った人質うんぬんが実は本当のことなんじゃないか?
「みゆきさん、本当に何もない? 後ろに誰かいてみゆきさんに命令してるとか!」
『えっ……』
え?
後ろに誰かいて、と言った瞬間にみゆきが声を上げた。
なぜそこで驚いたような反応をするんだろう?
「みゆきさ――」
『黙って私に従っていただけませんか?』
やっぱりおかしい。うろたえたかと思えば威圧するように声を張り上げてきたり。
別人がみゆきを騙っている、なんて突飛な説も思いつく。もちろんそんなわけがないと
思い直し、すぐに捨て去ったが。
じゃあなぜこうして意味のわからない発言を繰り返す?
自分なりに推理しようと、まとまらない考えをまとめようと頭の中で奮闘する。
だが。
「み、みゆきさんおかしいよ……理由言ってくれなきゃ私は何もできないよ」
『……そうですか。仕方ありませんね』
「……え?」
『あなたが中学生の時にしてしまったこと……私は知っているんですよ』
その言葉で、こなたの思考は唐突に、そして完全に絶たれた。
「なっ……何?」
『忘れたわけではありませんよね? ご自分のなさったことを』
彼女の口から語られたそれは忘れたくとも絶対に忘れられない、まさに忌まわしい記憶
と呼べるもの。
それをなぜ高校で出会ったみゆきが知っている!?
「嘘でしょ……なんでそんなこと……」
『……別にこのことを振りかざすつもりはありません。もう一度言います。私に従ってく
ださい』
振りかざすつもりはない? そんなの、暗に「従わなければつかさやかがみに話す」と
言っているようなものじゃないか……。
断れるわけがない。友達が離れていくのは……嫌だ。
「わかった……何でもするよ」
安堵の息が漏れるのが受話器越しに聞こえた。
『申し訳ありません。こうでもしないと泉さんは協力してくれそうにありませんでしたの
で……』
協力。みゆきは自分に何をさせるつもりなのだろう。
強制的に従わせなければ首を縦に振らないようなこと。そんな頼みの内容など、こなた
には想像もつかなかった。
「……ポリタンク調達してはい終わりってわけじゃないんでしょ?」
『はい。次のことはまた追々』
自室から戻ってきたこなたはひどく落ち込んでいるように見えた。
みゆきとの電話でなぜそんな表情になってしまうのか、ゆたかにはわからない。
「お姉ちゃん、顔色悪いよ?」
「気のせいだよ。さ、続きやろ」
彼女にかける言葉も見つからず、ゆたかも隣に座りコントローラを握った。
「げ……当たっちゃった」
「あー、もう少しだったのに惜しかったねぇ」
「油断しちゃったよ、失敗失敗……」
「でももう一回がんばれば今度はいけそうだよね!」
「ごめん、ちょっと用事ができちゃってさ。また今度やろ」
「うん、わかった」
……物置で探すのは面倒だな。そう高い物でもないしさっさと買ってきてしまおう。
そう考え、こなたは財布を持って家を出た。
「買ってきたよ」
どこにでもあるような青いポリタンクを片手に、こなたはみゆきに電話をかけた。
『ご苦労様です。ひとまずはそちらで保管していただけますか?』
「うん……」
『明日は短縮授業ですから放課後にまた色々と手伝っていただきますね』
「……わかったよ」
『申し訳ありません……一人でできるならあんな脅迫まがいのことをする必要もなかった
のですが』
……わからない。みゆきの口から出るのは「申し訳ない」ばかり。他人の弱みを握る人
間が言うような台詞ではない。
本当はこんなことはしたくない、と彼女の顔に書いてありそうな気さえしてくる。
やっぱり何か事情があるんだ。そう考えるとこなたにはみゆきに対し悪い印象を抱くこ
となどできそうになかった。
それに、みゆきは友達なのだから。
「ん……いいよ、気にしないで」
『……申し訳、ありません。それと連絡は極力電話のみでお願いします』
今後、誰かに知られるのが好ましくないことも頼まれるということなのだろうか。
いや……別に構わない。どうせ彼女の指示を拒否できる立場でもないのだし。
「わかった。また明日ね」
『はい、また明日』
「ゆきちゃんおはよー」
「おはようございます」
翌日、教室にはいつもと変わらないみゆきがいた。
「みゆきさん……ちょっといい?」
「泉さん? 顔色があまり良くないですよ」
「え、いや」
連絡は極力電話だけで――か。
「……ううん、やっぱ後でいいや」
「そうですか? わかりました」
そういえば、みなみは登校してきているだろうか。
みゆきの身に何かが起きているとしか思えない今、近所に住んでいる彼女も巻き込まれ
ていないとも限らない。
……考えすぎなら良いのだが。
「私ちょっとゆーちゃんのクラスに行ってくるね」
「え、もうすぐチャイム鳴るよ?」
「すぐ戻ってくるから大丈夫ー」
「ゆーちゃん!」
「あ、お姉ちゃん」
ゆたかは教室の前に立っていた。……おそらく、みなみを待っていたのだろう。
それでも、彼女に半形式的に尋ねる。
「今日はみなみちゃん来てる?」
「ううん。いつも私より早く来てるんだけど……」
「そっか……気を落とさないでね」
気を落とさないで。
それはむしろ自分にかけてほしい言葉だった。
あまり考えたくはないが、最悪命の危険にすら晒されているのかもしれない。
それほどの背景でもない限り、他人の過去まで調べ上げて脅すような真似をするわけが
ない……。
やはり一度みゆきからちゃんと話を聞いてみなければ――
「じゃあチャイム鳴るから戻るね」
「うん、また後でね」
早足で自分の教室へ戻る。
だが、階段に差し掛かるところでみゆきが立ちふさがっていた。
「みゆきさん?」
「これ、読んでおいてください」
折りたたまれた紙切れ。何か文字が書いてある。
「わかった」
こなたが教室へ戻り、一分ほど間を空けてみゆきも戻ってくる。
また普段と変わらない一日が始まる。
……そう思っていた。
だが、それすらも渡された紙切れ一枚に台無しにされてしまうことになる。
「みゆきさん! あれ一体何なの!?」
呼び出された場所にこなたは血相を変えて現れた。
「何、と言われましても……そのままの意味ですよ」
涼しい顔で受け流すみゆきが信じられない。
“田村さんを殺す手伝いをしていただけませんか?”
何度見直してもメモに書いてあったのはその一文と呼び出しの場所だけ。
「みなみちゃん、今日も来てなかった……やっぱり何か関係あるんでしょ!?」
「……ええ。今は私の家にいらっしゃいますよ」
生きてるの? 喉まで出かけたその質問を飲み込む。
きっと聞いても無駄なのだ。聞きたくない。聞くのが怖い。
その代わりに、違う質問を口にする。
「この後も続けるつもりなの?」
「もう、後戻りできないところまで来てしまいましたから」
「なっ……」
それが口に出さなかった問いへの答えのようなものだった。
なんで? どうしてこんなことを?
みゆきとみなみは幼馴染で、お互いに姉妹のように思っていたほど仲が良かったんじゃ
ないのか?
「仕方ないんです。目的のために親しい人の死が必要なんです……」
そう呟くみゆきはとても悲しそうだった。
電話の時にも抱いた疑問が再び頭をもたげる。これが友達を殺してしまった人間の浮か
べる表情だとはどうしても思えない。
「ねえ、その目的ってどうしても話せないの?」
「申し訳ありません……」
「みゆきさん、本当はこんなことしたくないんじゃない? すごくつらそうだよ……」
「……泉さん。あなたは何も考えずに私に協力してくださっていればいいんです」
「っ……」
……駄目だ。
彼女を説得するには、今の自分の立場はあまりにも弱すぎる。
あるいは、かがみやつかさなら?
だけど、とこなたはすぐに思い直す。
あの二人に助けを求めれば、自分の過去をきっと暴露されてしまう。
そうなってしまえば二人は自分から離れていき、みゆきも止められずに終わる。
結局――何もできないのか。
「……私は、何すればいいの?」
ひよりはアニメーション研究部の部室で一人、原稿を描いているようだった。
その邪魔にならないよう、こなたは静かに戸を開ける。
「ひよりん」
「あれ、先輩? どーしたっスか?」
「急なんだけどさ、今日ひよりんの家行っても大丈夫?」
「少し時間かかってもいいなら私の方は大丈夫っスよ」
「うん、待つよ」
「それじゃあ部誌とか読んでテキトーに暇潰ししててくださいっス。なるべく早く仕上げ
るんで!」
「んじゃ読ませてもらうねー」
最新号を手に取り、壁にもたれる。
自分は普通を装っている。特に怪しまれたりなどはしていない、はず。
こなたが部室に現れるなどこれまで一度もなかったことだが、ひよりは気に留めていな
いようだった。
部誌の内容自体は以前読ませてもらった時に把握しているから興味は薄い。
読む振りをしながらひよりの様子を伺うことができるという点で、今のこなたにとって
は都合の良い物だった。
数分が経ち、みゆきに渡されたペットボトル入りの烏龍茶を鞄から出し、キャップを開
ける。
彼女がこの学校の自動販売機で買い、こなたの目の前で少し飲んでみせた物だから「今
のところは」安全だ。
それを半分ほどまで飲み、わざとらしく息をつく。
そして、制服のポケットに忍ばせていた「モノ」を掌に乗せる。
風邪薬だ――と言えば、誰だって信じるだろう。
ごくありきたりな円盤型の錠剤をそっとペットボトルの中に落とす。
消化を遅らせるコーティングがされているわけでもなく、それは茶色い液体に揉まれ間
もなく姿を消した。
作業に集中しているひよりは、彼女の一連の行動にも気づくことはなかった。
「んー、疲れたぁ!」
それから四十分ほど経っただろうか。
ひよりが盛大な伸びと共に作業が終わったことを告げた。
「あ……ひよりんお疲れー」
「すいません先輩、お待たせしちゃいまして」
「いや、気にしないでいいよ」
謝るのは、自分の方だ。
結局ほとんど読まなかった部誌を棚に戻し、いそいそと後片付けをする彼女を見つめる。
あの烏龍茶を飲むことを拒否してくれないだろうか。
そうなればたとえ一時的にでもみゆきは諦めてくれるはず。
そんな考えは甘いのだろうか。
「ねえひよりん、喉渇いてない?」
「実は結構……集中してる時は気にならないんですけどねぇ」
「……そこの烏龍茶、飲んでもいいよ」
お願い、いらないと言って。
「んー、それじゃお言葉に甘えてちょっとだけ」
あ――
叫びは声にはならなかった。
ペットボトルに口をつけたひよりを止められない。
人を殺すという禁忌に手を出してしまったみゆきを止められない。
そのみゆきに加担してしまった自分を止められない。
石は、転がり出してしまった。
二人はこなたの提案――と言っても指示したのはみゆきだが――で駅までの「近道」を
歩いていた。
大通りの喧騒が嘘のように、不気味なほど静まり返った裏道。
よくこんな場所を知っているものだと、こなたは少し感心してしまう。
「で、冬はハルヒ本も出してみようと思ってるっス!」
「ひよりんのことだから朝倉×長門とか?」
「や、それもありますけど普通のカップリングも描くっスよ!」
「まあ購買層はできるだけ広めにしておきたいよねぇ」
……白々しいな、とこなたは心の中で呟く。
彼女と同人の話をする資格なんて自分にはもうないのに。
だんだんとひよりの足取りが重くなり始めている。あの薬が効いてきているのだろう。
「あーちょっと眠気が……ここんとこ毎日遅くまで原稿描いてたせいっスかね……」
「大丈夫?」
大丈夫だなんてよく言えたものだ。
自己嫌悪に陥りながら、こなたは半ば肩を貸す形で足を進める。
だがそれも数分ほどしか持たず、やがてひよりは膝からがくりと崩れ落ちた。
「ひよりん……」
前方から見計らったかのようなタイミングでシルバーのミニバンが近づいてきた。
車は二人を覆い隠すように停まり、運転手が降りて近寄ってくる。
やはりと言うべきか、ハンドルを握っていたのはみゆきだった。
「……すごいね。車まで運転しちゃうなんて」
「ATは単純ですから。少し練習すればどなたでも運転できるようにはなると思います」
「みゆきさんOLに間違われたこともあったんだっけ? 私服だと高校生には見えないし」
「ええ。それでもパトカーが停まっているところを横切る時はかなりびくびくしてしまい
ましたが」
拉致に殺人、そして無免許。彼女が本気かどうかを疑う余地などもうどこにも残されて
はいない。
「さあ、田村さんを車に」
「……うん」
二人でひよりを寝かせるように後部座席に乗せる。
「ごめんね、ひよりん……」
表情のない寝顔を見つめながら呟いたその言葉は、誰にも届かない。
「泉さんもご自宅までお送りするつもりだったのですが――」
「いいよ。みゆきさんも長い時間乗り回したくはないでしょ」
「……率直に言わせていただきますとその通りなんです」
「じゃ、また明日ね……」
早々に彼女に背を向けこなたは歩き出す。
一人になりたかった。誰かに自分の顔を見られたくなかった。
あれが今生の別れなのか。
きっとひよりはこれから数時間もしないうちにみゆきの手によって命を落とすのだろう。
別れの言葉をかけるどころか、自らその瞬間を早めるようなことをしてしまった。
友達失格どころか人間として失格じゃないか。
「私、絶対地獄に落ちるよね……」
家に帰り着き、こなたはすぐに自室へ引きこもった。
着替えることすら億劫――と、鞄を床に投げ捨てどさりとベッドに倒れこむ。
「あぁ……そういえばまだあったっけ」
みゆきに返すのを忘れていた睡眠薬入りの烏龍茶を引きずり出し、何のためらいもなく
一気に飲み干す。
もう何も考えたくない。そんなこなたにとってこれほど都合の良い物はなかった。
ぼうっと天井を見つめるうち、やがて泥沼のような睡魔が彼女を侵食し始める。
二度と目が覚めなければいいのに。
朦朧としていく意識の中で、こなたはそう願った。
黒魔術 2へ
最終更新:2025年02月24日 20:53