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2020年総評案5 大賞:LOVE・デスティネーション

【2020】 クソゲーオブザイヤーinエロゲー板 総評審議所
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/game/58649/1613181301/
82: 総評5 :2021/04/04(日) 21:52:08 ID:???0
時の流れの下では、様々なものが変わりゆく。
環境も、価値観も、そしてクソゲーも。
afterチーズwithママの時代における、ニューアブノーマルとは何か。
新たな問いを掲げ、新たな段階に入った2019年のクソゲーオブザイヤーinエロゲー板(KOTYe)は、多様なクソ要素が相互に作用するコンボを決めた『崩壊天使アストレイア』が制した。
しかしそれは幕引きではなく、あくまで一区切りでしかない。
アウトサイダーなりの矜持を胸に灯し、ハンターたちは今も道なき深淵に挑んでいる。
ただし心せよ、怪物と闘う者たちよ。
その過程で自らが怪物と化さぬように。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。

2020年春。
干支2巡目となる13年目のKOTYeは、奇しくも干支をテーマとする『神様のしっぽ ~干支神さまたちの恩返し~』によって始まった。
十二支+巫女で13人もの攻略ヒロインを擁立する意欲は認めるが、多すぎて作り切れないのでは意味がない。
ひときわ目立つのは、立ち絵と一枚絵の差分不足と、それをごまかすためだけのシナリオ展開や設定である。
面と向かって会話中のヒロインすら表示されないことがあったり、巫女服で学園に通ったり、立ち絵のある服に着替えさせるためだけの強引な展開があったりと、何かにつけて寂寥感が漂う。
また、全員分の顔見せと親睦を13連直列繋ぎで綴ぐ構成は冗長で、個別の短さとヒロイン間の格差を際立たせるのに一役買っている。
なまじ美点も備えているだけに、最優先で整えるべき箇所の見誤りが際立つ、歯抜けの美形のような残念さであった。

春先に縁起の良い作品で開幕を飾れたおかげか、探索行は続く成果を着々と上げ始める。

次に届いたのは、怪しげな都市の発見報告と滞在記。
アストロノーツ・シリウスの『絶対女帝都市~叛逆の男・カムイ~』に関する手記であった。
荒廃した近未来を舞台に、圧政を敷いて男を迫害している高慢ヒロインたちを屈服させていくというコンセプトであるが、それを成立させるためのお膳立てがあまりにも即席すぎる。
特殊能力を持つヒロインたちは、個の力で支配体制を維持できるほどの圧倒的武勇を誇るのだが、それに抗する手段として主人公が選ぶのは一騎打ち。
北斗の拳のやられ役のような風貌の手下たちが囮になるだけで敵本陣中枢へと肉薄、あっさりエリアボスとのタイマンに持ち込み、これといって特殊能力への対策もないまま力押しで勝ってしまう。
主人公に超人設定はなく、せいぜい雰囲気が「左腕にサイコガンをもつ不死身の英雄」っぽいだけでは、説得力も何もあったものではない。
ヒロインとの接点も、街頭ビジョンで一方的に煽られるのがメインで、イラつきはするが関係性は薄弱なまま。
敵が弱小で、積み重なっていく因縁も少ないため、打ち破ったときのカタルシスもまた小さいのである。
また、前年度次点作品『ギルドマスター』で暗転フリーズの恐怖を振りまいた影響からか、ゲーム性は全削除に近い大幅カット。
簡素なマップを端から潰していき、敵と遭遇すれば戦力の単純比較で勝敗を判定するだけの単純作業にすぎず、探索と戦闘の様子を文章では書きたくないという本音が透けて見える。
あとは同じ展開をヒロインの人数分だけ繰り返し、最後に主人公の旧知と思しき新キャラが突如現れ、俺たちの戦いはこれからだ気味のオチを迎える。
途切れた手記を前にして、住人たちは都市の未来を憂うばかりであった。

廃都市を旅立ったハンターの前に、体中にブーメランを生やした痛々しいオ○ニストが現れる。
その正体は、新規ブランドJADEの意欲作、『LOVE・デスティネーション』であった。
開始してすぐ判明する問題点は、多種多様なルビの乱用である。
「人生(ルート)」「本能(ゴースト)」「現実(そ)の」「草食系(そんなん)」等々、伝わりやすさより格好つけを優先する自己満ルビの数々が目に余る。
ルビは普通に読める平易な漢字にも余すところなく振られており、特異なルビへの着目を妨げている。
また、「自動台車(トラック)」「図★(ずぼし)」「R(テッキン)とC(コンクリート)」のように、本文のほうが理解困難なものも混在しているせいで、ルビは無視すると決めてかかることも難しい。
加えて、すべての指示語にはもれなく傍点が付けられ、引用符も多用されており、満遍なく強調しすぎて強調になっていない。
以上のように、本作の文章は脳に余計な処理を強いる無駄な装飾に汚染され尽くしており、内容以前に文字を目で追う行為そのものに徒労感が伴うのである。
筆致も回りくどく抽象的で、簡単なことを難しく書いて悦に入っているだけの悪文と評して差し支えない。
ストーリーはというと、おまいう主人公本位なご都合主義が支配する胸糞展開一辺倒である。
本作のイタさを込めて要約すると、底辺を自認するオッサン主人公が超常存在の手違いで学生時代へと死に戻り、ヒロインと適当に過ごしていると現れる中ボスを説教風に罵倒している間に、超最強な主人公パパの暗躍によって、独善上級国民フェミ女特殊工作員にして未来の売国独裁総理大臣という名ばかり設定の黒幕が失脚してハッピーエンドになる話、となる。
なかでも特筆すべきは、罵倒とオチであろう。
黒幕の横暴の被害者でもある大人たちに対し、主人公は相手の事情や心情に一切寄り添わず、自分のことは棚に上げた上で上から一方的にこき下ろす。
例えるなら「罹災して苦しい生活を送る家族の大黒柱を、怠慢な甘ったれと罵倒する余所者のすねかじり中年」という何様の化身なのだが、作中では「やむなく巨悪に従っている戦士を一喝して反抗を促す勇者」のごとき扱いである。
オチにしても、主人公の活躍といえる場面はほとんどなく、未来の記憶に基づいて一言二言注意を促すだけで、あとは大人たちが全部やってくれる。
黒幕の打倒すら例外ではなく、どのルートでも両親か叔父夫婦が裏で根回ししてきれいさっぱり解決し、主人公は説教を終えた頃合いで結果報告を聞かされるだけである。
特に痛々しいのは、黒幕に反抗しようと決めたところで、主人公の両親による同時多発爆破テロが発生し、母親から「テロを仕掛けられたので反撃して関係者ごと全滅させた」と電話がかかってくるオチ。
内容はもちろん、母親のてへぺろ口調とコント風のBGMが相まって、神経をヤスリで逆撫でしてくる。
このように、主人公の両親と叔父夫婦は、大統領からテロ組織にまで顔が利くコネ、ついうっかり某国の政府軍を滅ぼしてしまう武力、総理含む主要な大臣を雁首揃えて辞任に追い込む諜報力を兼ね備えた超人集団として、寒いオチを一手に引き受けている。
そして全部やってもらった主人公は、なぜか「俺は……勝ったんだ……」と感慨に耽り、事の顛末を自嘲気味に「父子の武勇伝」と評して、やったった感を溢れさせる始末。
もはや脱帽というほかはない。
一方、ヒロインたちには期待ごと予想を裏切る隠し設定が多く、さながら地雷の見本市である。
実は淫紋入りドM、男の娘と思わせて実はふたなり、実は膜だけ残して薬漬け陵辱調教済みの新品性奴隷あたりは特に悪質といえよう。
こうしたやりたい放題を「お気楽コメディ」と定義する公式サイトは、結果的に嘘まみれになっており、製作者とプレイヤーとの感性の隔たりを感じさせる。
「型を身につけてない者が型破りを目論むと形無しになる」を地で行く浅薄さであった。

地雷の連鎖爆発から生還したのもつかの間、その衝撃は10年間眠っていた人形機械を呼び覚ましてしまう。
戯画謹製の古代兵器、『ジンキ・リザレクション』による侵攻の始まりであった。
本作はロボットバトルものを装っているが、プレイ時間の大半は既視感に満ちた日常の反復でしかない。
ゲーム内期間30日×1日4回のコマンド選択に対し、イベントが少なすぎるのが原因である。
普段は操縦者であるヒロインとの交流や訓練を重ね戦闘に備えるのだが、基地内での親睦および訓練はSD絵が表示されるのみで内容はなく、汎用外出イベントは最初の戦闘を迎える前に枯渇し、以降は既読スキップが唸りを上げるほどの使い回しが始まる。
そして本筋は、ループする日常の合間にかろうじて存在する程度の薄さである。
中盤までは人物紹介や状況説明のためのイベントばかりがだらだら続き、ようやく現れた敵部隊はキャラを掴む間もなく次々と退場。
締めもヒロイン無双だったり敵が内紛で勝手に壊滅したりで、全体的に投げやりである。
戦闘にしても、各機1枚ずつしか無い立ち絵と搭乗者の顔グラだけの紙芝居で、躍動感が感じられない。
ワンクールのアニメでいえば、本筋がせいぜい2~3話分しかなく、残りを新規要素のないエンドレスエイトで埋めて早めの打ち切りエンドくらいの惨状である。
その上、不親切なフラグシステムが反復作業の苦行度を格段に高めている。
中盤から終盤にかけて複数回発生する戦闘に勝てばシナリオ進行、負ければバッドエンドに強制分岐するにもかかわらず、勝敗の判定に使われるヒロインのステータス及び勝利条件を任意に確認することができない。
また、バッドエンドには固有の陵辱シーンが付随するため、回収するには1ルートにつき平均4回ある判定すべてを1度は失敗する必要がある。
つまり、目当ての戦闘まで勝ち進んでから負けるように、見えないステータスを、見えない勝利条件に合わせて、毎回手探りで調整するしかないのである。
加えて、一部のHシーンには「ランダムイベントで入手した特定の衣装を着用した上で特定の場所でランダム発生」という難解な条件がある。
これをヒロインの人数分、3周に渡って繰り返さなければならない。
必然的にシーン回収はスキップとリトライを駆使した作業と化し、評価基準は「効率的か否か」へとシフト。
E-moteを筆頭に見栄えがする演出も、テンポを阻害する障碍に転じて牙を剥くのである。
表面だけは美しく塗装されていても、中身は10年前どころか前世紀の遺物級であり、現代に呼び戻されたこと自体が不幸であった。

次なる事件は、あかべぇそふとすりぃから発射された『墓多DYINGZOMBIES ~Second Chance for BEAUTIFUL LIVE~』の着弾。
それは、KOTYeとは異なる「修羅の国」からの不敵な挑戦状であった。
第一印象は『ゾ○ビランドサガ』の基幹コンセプトを丸パクリしたゾンビアイドルもの。
ただし舞台設定は、治安が悪く修羅の国の異名をとる架空都市『墓多』である。
さらに、公式サイトに注意を向けると、「ゾンビ化の際になぜか血液がワインに」など、ゾンビ由来の腐臭とは異なる悪臭が嗅ぎ取れる。
それらはパロ元と差別化するための香り付け程度かと思いきや、実態はアイドルよりもゾンビよりも、下ネタやマフィアとの抗争に重きを置いたギャグゲーであった。
歌やダンスの練習や披露といったまともなアイドル活動は、少ない上に端折られ気味。
それを補うように、実弾発砲をロックと主張したり、銃撃や爆破から一般人をかばって好感度を稼いだりする荒業で、アイドルとしてステップアップしてしまう。
ゾンビ設定にしても、ゾンビ姦で特殊性癖持ちにアピールするでもなく、水に濡れるとボディペイントが落ちると言いながら普通に入浴するなど、あまり活かされないどころか忘れられることさえある。
反面、ギャグには力を入れており、首から下がシリコン製のヒロインがオナホを材料にして失った右腕を復元するも、オナホに芽生えていた自我に肉体を乗っ取られる展開に至っては、尋常なセンスでは到底作れまい。
ギャグゲーとしてなら面白くないわけではないが、ゾンビアイドルものとしては大いに疑問符が付くクオリティであった。
とにかくふざけすぎているため、ネタ元の街や作品の関係者からお叱りを受けないように願うばかりである。

ゾンビ臭が初夏の風に拭われたころ、ensembleが野に放った忍ぶ気のない忍び、『Secret Agent~騎士学園の忍びなるもの~』の姿が捕捉された。
KOTYeでは二大鬼門ともいえる騎士と忍びを融合させたタイトルには、発表と同時にハンターに察知されたほどの卑怯なインパクトが備わっている。
しかし、本作がエントリーに至った理由は皮肉にも、タイトル及びコンセプトの有名無実化であった。
御大層な舞台設定は活用されず、人物設定は掘り下げられないどころか忘れられがちで、心理描写も不足している。
女性と接するのが苦手なはずの主人公はヒロインたちと普通に会話。
主人公が各ヒロインにうっすら良いとこ見せるイベントをひとつずつ済ませば、もう全員から好かれおり、仲良くなる過程は無いも同然。
結婚相手も含め将来設計が全て決められているはずの財閥令嬢は、実にスムーズに主人公と結ばれる。
退場した悪役は、改心する理由が曖昧なまま主人公のピンチに駆けつけ、主人公もそれをあっさり信用し受け入れる。
等々、どれもこれも唐突な展開にしか見えない。
そもそも、近未来である作中において、忍者と騎士の設定はごっご遊びレベル。
忍者といっても現代風の諜報員で、クナイや手裏剣は忍者っぽさを出すための小道具以上の意味を持たない。
主人公の任務からして、要約すれば「謎の文○砲使いの正体を探れ」であり、失敗したところで善人への直接の害はなく、緊迫感に欠ける。
上司でもある主人公の実母も「青春を謳歌しながら任務を遂行しなさい」とのたまい、任務は片手間でいいと言わんばかりである。
また、騎士の実態は強権を与えられた生徒会役員と各委員会長の集まりでしかないし、学園ならではといえるイベントにも乏しい。
そして、主人公は素性の隠匿より目前のトラブル解決を常に優先するため、忍んでいるとも言い難い。
以上をもって、Secret Agent、騎士、学園、忍びなるものの各要素は概ね否定され、タイトルの全面形骸化は見事に成されたのであった。

夏には、探索先のハンターたちから3通の暑中見舞いが届いた。
ヒロインのヤンデレビッチストーカー出力が高すぎて、主役のはずのメガネ属性が死にかけている『メガスキ! ~彼女と僕の眼鏡事情~ 伊波乙葉編』、
メイン要素であるドロップアイテム収集がセーブ&ロードを繰り返すだけの作業に行き着く『創神のアルスマグナ』、
事あるごとに脈絡のない豆知識を開陳するため本筋に没入できない『彼女がアイツで、俺はだれ!?』、
と続いた選評からは、旅路の順調さが伺い知れる。
その淀みなさは住人たちに滔々と流れる大河を想起させ、酷暑にひとときの涼をも届けたのであった。

しかし、まだ暑苦しい夏は終わらない。
製作がSAGA PLANETSでライターが5人時点で、かの『カルマルカ*サークル』の二の舞と予期されていた『かけぬけ★青春スパーキング!』が、前評判通りに参戦したのである。
前例にもれず複数ライターの諸弊害を抱える本作には、作品全体を貫き支える芯がない。
主人公の設定および主題である「青春」の取り扱いが、いずれも覚束ないと言い換えてもいいだろう。
まず主人公は、義妹と二人暮らしの苦学生で、敵視している親族からの援助を断固拒絶中という境遇である。
しかし、個別に入るとあっさり援助金に手を付けて遊び呆け、敵役も実は悪人ではなく主人公が誤解していただけと判明してしまう。
プレイヤーが見たいのは壁を乗り越える過程であって、壁が無視されたり勝手に消えたりする様子ではない。
また、青春というメインテーマも漠然としており、それこそ甘くも辛くも苦くも、どうとでも描けるものである。
それを複数ライターに投げた結果、ルートによって毛色がバラバラに。
メタネタパロネタてんこ盛りのドタバタやらイチャラブやら感動系やら、とにかく節操がなく、それでいて大半がド平凡オブ平凡ズな使い古しエピソードの羅列にすぎない。
数撃ちゃ当たる方式では外れ弾が増えるのは自明であり、フルプライスで1~2ルートしか好みに合わないともなれば、不満の声が上がるのも当然といえよう。
かくして本作は、複数ライターの危険性を改めて世に示したのであった。

ようやく炎暑を乗り切ったのも束の間。
ソーシャルディスタンス軽視という新たな火種、『Honey*Honey*Honey!』が、謎のブランドおうちじかんによって生み出された。
最大の特色として提示されているのが、男女は2m離れて生活するのが当たり前で、男女交際にも許可が必要と定めた、通称「男女接近法」の存在である。
発売時の世相をパロディした珍奇性の高い設定で、インパクトは十分。
しかし、男女の濃厚接触を制限するというエロゲーには厳しい縛りを自らに課し、物語をどう展開するつもりなのか。
製作者の出した答えは、「無理筋設定なので無視する」であった。
登場人物たちは普段から2mを意識して生活しているようには見えず、むしろ常時違反しながら「見咎められたらまずい」とたまに思い出す程度。
この設定でなくても容易に成立するストーリーであり、実際ほとんど使われておらず、メインコンセプトとして掲げること自体が不誠実といえよう。
全体の構成も、共通でキャラと世界観の紹介が済めば分岐してエロ三昧という、抜きゲーの最小テンプレをなぞるのみ。
個別にしても、
「取り締まる立場なのに自分だけ交際するのはずるいと言われた→今後は交際許可をどんどん出します→大団円」、
「教え子と男女の関係なのがバレた→幼児の頃書いた婚姻届があるから淫行じゃない!→万事解決万々歳」
といった茶番以下の内容である。
もはや、雑に作った無個性抜きゲーに、キャッチーな設定をあと付けして耳目を集めようとした、と考えたほうがしっくりくる。
結局、男女接近法が輝いていたといえるのは、歩行ルートが赤青に塗り分けられた背景画像に対し、「境界線上なら密着もできる」、「廊下の教室入り口側が赤一色なので男子が入れない」「そもそもこの設定の下では共学はありえない」などとツッコまれていたときくらいのものであった。

2m詐欺を切り抜け、社会的距離を保ちながら探索を続けるハンターたちであったが、今度はSUKARA DOGの『スケベな処女のつくりかた』による完成詐欺に見舞われた。
タイトルからして、エロく染める過程を楽しませる作風かと思いきや、ヒロインは最初からスケベとして仕上がっている。
料理番組で言えば、冒頭で何を作るか宣言した直後に、
「それでは出来上がったものがこちらになります」
と完成品が出てきてあとは食べているだけ、くらい作っていない。
導入が「恋愛に慣れるためにパパ活する」の時点で才気は煥発しているが、以降も性的なことに抵抗があるような素振りは上辺のみ。
主人公との初対面時にキス&手コキ、さらに毎週会うたびに率先してフェラやら素股やらと急ピッチでスキンシップレベルを上げていく。
主人公によるレ○プで処女喪失しても距離を置くどころかますます依存していき、最終的には行為中に本命彼に電話して乗り換え宣言をかます豪胆さを見せつけてくるのである。
また、物語の途中でヒロインが本命彼と付き合い始めてNTR要素が入ってくるのも引っかかる。
こうして本作は、まだ処女なだけで斜め上に完成済みのビッチをヒロインに据え、とかく未完成品が問題になりがちな業界を鋭く風刺してみせたのであった。

秋の暮には、クライマックスに向けて狩猟ペースが向上し、発見後に判断保留ないしは調査続行となっていた作品の選評が次々と届き始める。
祭りの始まりであった。

皮切りは、evoLLの『Hではじめた絶品バーガー ~え?ご注文はおっぱいですか~』との戦いであった。
特筆すべきはCGの少なさで、「各種CG数をいかに減らすか」から逆算して物語が作られているとしか思えない。
ハンバーガーショップの店先で声をかけられた主人公がそのまま住み込みでアルバイトを始める場面から幕を開け、最後まで敷地の外が描かれることはない。
こうすることで、背景は時間帯差分を含めて10枚程度にまで削減。
さらに、立ち絵はヒロイン3人に仕事着とコスプレが1枚ずつで、表情差分はあれどポーズは常に一定である。
一枚絵は3人×15枚の45枚で、一応ミドルプライス相応とはいえる。
しかし、差分が平均4枚と少なく、当然のように地の文との齟齬が起こり、一枚絵限定の衣装も無いためバリエーションに乏しい。
シナリオもあってないようなもので、共通は各ヒロイン1回ずつのラッキースケベだけで半分を占め、個別に入り次第すぐに性交渉乱舞で終了する。
尺稼ぎとして主人公による怖い顔ネタが採用されているが、具体的な描写も顔グラも無しに連発したところで、モブが逃げる際の悲鳴と逃走音を混ぜたようなピャー音の不快感が耳に残るばかりである。
また、ヒロインの顔アイコンは無駄に大きく、セリフのたびに現れては消えてを繰り返すため、特にHシーンでは鬱陶しい。
そしてUIは、メッセージウィンドウの透明度調整すら不可能な充実度である。
見せ場といえば、風でスカートがめくれた瞬間だけ黒ストッキングが消失する超常現象くらいか。
何もゲームの中でまで外出自粛しなくてもと思わせる、閉塞感に満ちた狭すぎる世界の話であった。

次いで、Loseの『まいてつ Last Run!!』がレールを外れて戦場へとなだれ込んだ。
主な不満点は、売り方とエロの削減である。
販売形式には、いわゆる完全版商法を採用。
無印『まいてつ』と追加エピソードを抱き合わせてのオーバープライス販売のみで、追加部分だけのバラ売りは無し。
無印版が幾度となくワンコインで投げ売りされていたことも、いっそう割高感を強めている。
その無印版の本筋部分からは、海外展開に向けて裸立ち絵を含むアダルト表現を撤廃。
メーカーはこれをブラッシュアップと称しているが、エロを求める者からすれば劣化でしかなく、不完全版商法とも揶揄された。
追加部分のエロは単純にシーン数が少なく、無印39回に対して追加19回と半減している。
さらに非道いのは、パッケージで最前列に大きく描かれている新ヒロインのHシーンが1回も無いという不文律破りである。
これらは公式サイトをよく読めばある程度までは把握できるが、シーン数を合算でしか表記しないなど、長所は最大限誇張、短所は最小限かつ目立ちにくくという、リボ払いの勧誘文句さながらの不親切な説明と言わざるを得ない。
とはいえ、過去作の高評価が落差をより際立たせていることもあり、評価としては“汚い売り方のガッカリゲー”あたりに落ち着いた。
しかし本作はこの後、不名誉な脚光を浴びることになる。
事件発生は本作の発売日よりおよそ1ヶ月後。
メーカーの要請によって、大手データベースサイトから、Lose名義の全作品に関するデータおよびレビューが根こそぎ削除されたのである。
期待するがゆえの苦言と切なる願いが渦巻くさなかに、メーカーの実績とユーザーの批評の積み重ねを、ただ黙って、ごみ箱を空にでもするかのように削除する。
それが何を意味し、どんな事態を引き起こすか、なぜ理解できないのであろうか。
当然ながら、消せば増える法則が発動、騒動の概要はYah○oニュースにまで取り上げられ、業界史でも一二を争う規模の大炎上となった。
慌てて本作のレビュー以外のデータ復旧を認めたものの、万引きがバレた後で代金を払おうとするのと同じように、失った信用は戻らない。
裸立ちパッチの追加やHシーン追加告知などのフォローも、去った者には届かず、残った者には冷ややかな視線を浴びせられる始末。
鉄道事故を埋めて隠す「埋鉄」作戦の発動は、更なる怒りと失望をもたらすだけの逆効果に終わった。
惨憺たるラストランの終点は、未だ見えない。

悲鳴のように哀しく響く汽笛が徐々に遠ざかっていく中、行き着く間もなく野盗との交戦が開始された。
エウシュリーが『天冥のコンキスタ』を用いて不意打ちを仕掛けてきたのである。
「シンプルなステージクリア型のSRPG!」という触れ込みは正しいものの、そのシンプルさは度を越している。
魔族と天使が争う世界で魔王の死が招いた混乱を好機とみなし、体が人間になってしまった睡魔族の主人公が覇権を狙って決起する、というストーリーであるが、やることといえば目先の敵対勢力への襲撃、もしくは防戦しかない。
しかも主人公は脳筋で、戦闘は常に力押し。
余計な挑発をしてはピンチを招き、わかりきった状況分析をドヤ顔で開陳してはイキり倒す有様である。
また、ヒロインたちはメインの一人を除いて任意加入のため、メインストーリーには登場しない。
個別シナリオもないに等しく、どいつもこいつも「くっころ風ほのぼのレ○プを経て魅了一発で完堕ち」のワンパターンで、おまけのモブエロ要員並の扱いである。
残るメインヒロインにしても、SRPGパートの合間にひたすら主人公を賛美し説明的セリフを繰り返すばかり。
挙句、わずかに存在する伏線らしきものはすべて放置して俺たたエンドである。
中心人物の心情や動機をシンプル化の名目で削り落としてしまっては、もはや物語とは呼べまい。
一方、SRPGパートは良くも悪くも古典的。
何をするにも敵の捕獲ありきのシステムが特徴らしい特徴といえるが、その捕獲にはストレスがともなう。
捕獲を行えるユニットの絶対数が少ない上、敵は最も耐久の低い相手にひたすら突撃してくるため、死をも恐れぬ特攻兵を限られた手段で捕獲するハンデ戦を強いられるからである。
予約特典ディスクがあれば、捕獲可能ユニットと稼ぎ用ステージの追加によって改善されはするが、特典前提のバランス調整はやはり問題であろう。
単純なSRPGは、突き詰めればただの作業にすぎない。
それを娯楽へと昇華するのは、ストーリーやキャラクターといった装飾、そしてパズル的な面白さであるが、本作はいずれも不十分である。
仰々しい設定に反し、お山の大将を目指す野盗のチンケな略奪をトレースする、剥き身の脳筋将棋止まりの出来栄えであった。

宴もたけなわとなったところで、Wonder Foolの『まおかつ! -魔王と勇者のアイドル生活-』がステージに上がった。
魔王でアイドルをコンセプトに、勇者として異世界に召喚されたプロデューサーが、元魔王のヒロインたちをアイドルとして育成していく物語である。
概要に嘘はないが、様々な意味で著しく描写が不足している。
まず、魔王および異世界の要素は主要登場人物に恩恵だけをもたらしており、アイドルもののお約束ともいえる苦労や挫折とは縁がない。
元魔王であることは隠し通すため恐怖や憎悪の対象にはならず、それでいてスペックは桁外れ。
アイドルという概念が存在しない世界は未開拓市場で、後に結成されるライバルユニットも良きライバルという立ち位置で、文字通り敵が存在しない。
現代の設備や道具も、「開発した」の一言で簡単に手に入れる。
かといって無双する爽快感を描いているわけでもなく、盛り上がる要素が見当たらない。
そして細部は、大胆な編集技術によって細切れである。
プロローグでの魔王との対決シーンからして、
「よろしい。では始めようではないか勇者よ!」
からの1クリックで暗転中に勝敗が決し、
「ふふっ、見事だ勇者よ……」
となる豪快な断絶が生じている。
そこは本筋に深く関わらない場面として目を瞑ったとしても、レッスンを軽く流し終えたところで半年飛んだら既に人気者になっており、過程を「色々あった」で片付けるのは看過できまい。
選評者から「その色々を見せろ」とツッコミが入ったのは当然といえるが、おそらく順風満帆すぎて描くことがないのであろう。
ほかにも、初回の練習で音痴を克服してから自主練を1回挟んだだけで歌姫級の歌唱力になっていたり、記念すべき初ライブで二言三言のMC以外を全て省いたりと、描き込むべき場面があからさまにカットされている。
個別は例によってHシーンの羅列で、隙間にかろうじてシナリオの欠片が存在する程度。
その内容も、倒れた主人公をひたすら看病し続けるだけ、突拍子もなく復活した真の魔王討伐に旅立って1クリックで8ヶ月後のエピローグに飛ぶ等、アイドル要素が薄い。
歌でいえば、イントロから即アウトロにつないで終わったり、間奏だけが長々続いたりするだけで歌わなかったりするような、拍子抜けの詰め合わせアルバムとでも評すべき仕上がりであった。

続いて、まさかの二の矢が戦場を射抜いた。
デビュー作で次点に食い込み、スワン系列の捨てブランドと見做されていたももいろPocketの第2作、『オレは姫武将を孕ませたい!』である。
現代からタイムスリップしてきた主人公の視点で描く戦国武将女体化ものであるが、歴史や武将へのこだわりや習熟が感じられないどころか、物語の内容が薄いを通り越して無に近い。
おもな原因は、歴史上の大戦や大事件を軽く流し、何事もない幕間を延々と説明し続けるバランスの悪さである。
信長・蘭丸・光秀のルートでは、本能寺の変を回避するとタイムパラドックスにより主人公が消滅するジレンマがテーマとなるが、尺の9割は「主人公がどうすればいいか悩む→Hシーン→悩む→Hシーン……」の繰り返し。
オチはヒロインごとに若干変わるが、結局どうにもならずに主人公が信長を見捨て、本能寺の変を数行の説明で片付けて終わる点は共通している。
信玄と謙信のルートは、川中島の戦いを決着させないことが目的となるが、要は余計なことをして歴史を変えなければいいだけなので、何の面白みもない。
信玄ルートは戦場に出ても活躍しすぎないように俺tueeeけど自重する話、謙信ルートは越後と甲斐を往復して二重スパイごっこをしているうちに健脚になる話である。
退屈が骨身にしみる中、唯一衝撃的といえるのが信玄エンド。
病床の信玄を救うため、自分たちの子供に発現した能力で主人公は現代に帰還するのだが、
「必ず戻ってきます。貴方の為なら、タイムマシンだって発明してみせますよ」
と豪語しておきながら、帰るやいなや「戻る方法がなくなってしまった……」と絶望。
その後、信玄の生まれ変わりと思しき女性と出会って感動にむせび泣き、過去に残した妻子は放置して自分だけハッピーエンドである。
CG関連も、相変わらず粗雑そのもの。
背景は使い回しが多く、城内・城門付近・城下町は、どこの領地でも景色が変わらない。
また、孕ませがテーマでありながらボテ腹立ち絵はなく、バストアップになるまで拡大してごまかしており、ときにはそれすら忘れて引きの立ち絵を表示するミスも発生する。
そして、EDで一枚絵があるのはヒロイン5人中2人だけである。
Hシーンも、絵柄は不安定で、テキストは見ればわかることを念入りに説明する食レポのように冗長かつ味気ない。
褒めるとすればただ一点、「射精に至った!」「果てる!精液が放たれる……!」「射精する……彼女の中に放つ!」のような、射精時に必ず生じる一瞬のダイナミズムだけであった。

フェスティバルの締めくくりは、新種のキメラ『まごかつ ~可愛い孫のためなら中出しOK…』との遭遇戦となった。
CG・設定・ストーリーの狂いが絡み合うイカれた作風は、アパタイト老女シリーズの新境地と呼ぶにふさわしい。
まず、「定年を迎えた老ヒロイン視点で男の子を次々と逆買春していく」というコンセプトの時点で相当に人を選ぶ。
これが、極めて限られた性癖の持ち主のためだけにと開き直った結果ならば、それはそれで見上げた心意気といえよう。
しかし、ヒロインの容姿はせいぜい中年止まり、竿役もバキバキの青年にしか見えず、コンセプトと乖離している。
貫き通す気がないならば、尖った看板を掲げるべきではない。
また、デッサンと塗りが低劣なため、ヒロインがミュータントと化している。
原型を留めない加工写真のようなつるつる小顔。
首から下の質感がブリキのおもちゃ。
それでいて、脇腹に乳袋があるスーツにもジャストフィットしてみせる変幻自在の体型変化。
挙句、絶頂時には股から触手を放出するのである。
加齢による体型の崩れを新解釈で表現した前衛芸術だとしても、常人の理解が及ぶところではあるまい。
ストーリも、雑で短い中に確かな狂気を孕んでいる。
少年たちを玩具で釣って逆ハーレムを作っていく話で、ターゲットは揃いも揃ってばあちゃんに欲情する守備範囲モンスター揃い。
最終的にはばあちゃんを性的に独占したいと主張するまでに進化し、ここで説き伏せればハーレムエンド、失敗すれば親に通報されて逮捕エンドとなる。
この展開は、選評者をして「逮捕こそトゥルー」と言わしめ、狂気の世界における最後の良識として、住人たちの心にせめてもの救いをもたらしたのであった。

冬を前にめぼしい標的をあらかた狩り終え、ハンターたちは余裕を残して締めくくりへと向かう。

捜査や推理ではなく、お粗末な真相を後生大事に隠しているヒロインと仲良くなって口を割らせるだけの話をミステリーと豪語した『鍵を隠したカゴのトリ』、
似たようなプレイを繰り返してからヤリ捨てるだけで変化に乏しく、テキスト・塗り・声の調子に至るまで、全体的な質の低下が指摘された『巨乳女士官洗脳催眠 「お前のような男の命令に従う訳がないだろう」』、
ペラペラ設定の脳筋姫たちが無策で突撃しては嬲られるだけの内容で、主人公が敵味方の二役を演じているというおいしい振りをスルーして正体バレしないまま終わる『プリンセスクライシス』
の3作を、年を跨いで次々と制覇。

そして締め切り間際に滑り込んできたのは、『黒ビッチギャルがキモオタに堕ちるまで ~監禁〇辱配信日記~』であった。
昨年に「ほとんど処女みたいなもの」で一斉を風靡したTRYSET Breakによる3年連続エントリーの達成である。
本作は、直球のタイトルに反し、そこに含まれる各要素の確度が低い。
ライターのクセなのか、感嘆だけでなく喘ぎであっても「ああ」が徹底して「嗚呼」と漢字表記されており、ヒロインのギャルっぽさを損ねている。
これでは公式サイトで項目名をあえてひらがな表記にする工夫も台無しであり、神は細部に宿ることを再確認させてくれる。
また、監禁○辱と称しているが、どちらかといえば神待ち援交からのほのぼのレ○プ気味であり、鬼畜要素は薄い。
配信にしても、再生数を伸ばさなければならない強い動機や強いられたノルマがないため、プレイの一環程度の軽い扱いである。
反面、主人公のキモさの描写には力が入っている。
クリーチャーじみた醜悪な体型をベースに、陰茎以外を透明化するチンファンネル系の表現とみせて、射精の瞬間に豪快なフレームインを決める斬新な手法は一定の評価を得た。
全体的に格調低くまとまっているといってよく、マイスターとしての貫禄すら漂い始めたTRYSET Breakの動向は今後も注視されることであろう。

以上をもって全エントリー作品22本が出揃ったところで、本年の大賞および次点を発表する。

次点は、
『ジンキ・リザレクション』
『天冥のコンキスタ』
『オレは姫武将を孕ませたい!』
『まごかつ ~可愛い孫のためなら中出しOK…』

そして大賞は、
『LOVE・デスティネーション』
とする。

2020年は終始安定して選評が届き、最終的に各エントリー作の発売月が12の月すべてをカバーするに至った。
2013年以来7年振りとなる全月制覇、グランドスラムの達成である。
にもかかわらず、豊作感と同時に飢えも覚えるのは、不満点の多くが何らかの「不足」に由来するためであろう。
特にシナリオの空疎化は深刻で、おもに設定の消化不良がコンセプトの未実現へと繋がっている。
すなわち事前告知と内容の乖離であり、この傾向は前年より引き続き変わっていない。
エロゲーにおいて事前告知が評価の要点となる理由は、性的嗜好という前提が存在し、良し悪しと同等以上に合う合わないも重視される娯楽ゆえである。
「良い」と「合う」の両方を満たすエロゲーこそが、真に「面白い」と言い換えてもいい。
そして事前告知とは「こういうのが好きなあなたのために作りました」という約束であり、それを「面白そう」と思ったエロゲーマーは、その紳士協定に対価を支払うのである。
よってエロゲーを売ろうする際は、「面白い」より先に「面白そう」を実現せねばならない。
そのため、優先度は大抵の場合、事前に見える部分である絵柄や設定が第一、次にエロを整え、最後にシナリオの順になる。
そして途中で力尽きたとき、絵は良く設定も面白そうに見えても不満だらけの作品が排出されるのである。
本年のエントリー作品の大半がこのパターンに該当するなか、次点以上の作品はさらに踏み込み、掲げたコンセプトを自ら卑しめる段階へと踏み込んでいる。。
主役のロボットとエロを単純作業の底なし沼へと沈めた『ジンキ』、
シンプル化の大義を掲げてゲーム性とシナリオを骨まで削った『天冥のコンキスタ』、
戦国ものの人気にタダ乗りする安直な企てすら失敗した『姫武将』、
奇を衒うためだけに特殊性癖を雑に利用した『まごかつ』
いずれも凡俗から一歩抜きん出た、深淵に名だたる難物といえよう。
しかし同時に、エネルギー不足の域を出ることは叶わなかった。
対して『LOVE・デスティネーション』は、あり余る熱意に基づく全力の空回りの産物である。
土台を支えるキラキラルビがもたらす疲弊、軸となる何様主人公への嫌悪、そして脇を固める地雷ヒロインズへの失望。
盛りだくさんな要素が渦を巻き、幾重にも重なり合って引き起こされるクソの厚みは、他を圧倒する威容を成している。
とりわけ、ルビの悪用で本文を汚し、シナリオゲーの根底たる「読む」行為に無駄な負担を強いるやり口は、過去のKOTYeにおいて類を見ないものであった。
熱意をもって道を拓き未知へと至ったその功績には、素直に敬意を表したい。
未知への好奇心こそ、歴戦の魔王を擁する黄金期の思い出に浸ることに満足せず、現役として戦い続けるハンターたちを突き動かす原動力なのだから。
よって『LOVE・デスティネーション』をKOTYe2020の大賞に選出し、本年随一の実力を気概を備えた革新者として賛称する。

さて、結果は発表し終えたが、ひとつ片付けねばならないやり残しがある。
それは、『まいてつ Last Run!!』の選評において提起された、
「盤外要素でも作品本体の評価に影響を与えうるのではないか?」
という問いかけである。
返答を兼ねて、この機会にKOTYeのコンセプトと理念を再確認しておきたい。
まず、KOTYeはゲームの出来の悪さを競う場である。
よってメーカーの言動が俎上に載るのは、ゲーム内容の欠点に紐付いた原因として、そうでなければ完全な余談として、このいずれかに限られる。
しかし、レビュー削除を引き金とする炎上騒動によって悪化したのは、メーカーの印象であって、ゲームの完成度ではない。
そして、ユーザーの怒りや憎しみは「メーカーから愚弄されたという確信」から生じており、ゲーム内容への不満は、その確信に至るまでに積み重なった様々な要因のひとつという位置づけに留まっている。
つまり、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のことわざ通り、作者を嫌いになったので作品も嫌いになった、というのがこの問題の本質といえよう。
これは、心理学においてバランス理論とも呼ばれ、認知の不均衡を解消しようとする自然な心の動きではある。
とはいえ、作品の内容に関係なく成立する感情論に偏りすぎており、KOTYeの評価基準としては不適当と言わざるを得ない。
「ゲームの出来の悪さを競う」という基幹コンセプトに反するからである。
ファンの怒りはもっともであるし、Loseの言動が業界史上まれに見る大失態であることに疑いの余地はない。
それでも、感情に囚われ、独りよがりと自己満足に陥り、自ら掲げたコンセプトを軽んじるようなことはあってはならない。
それはクソゲー誕生の構図そのものであり、まさしく、怪物と闘う過程で自らも怪物と化した姿ではないか。
ハンターとは、復讐や快楽のために虐殺を行う者ではなく、怪物と合体して勃ったまま死ぬ弩級変態でもない。
罪も業も覚悟も背負い、敬意と感謝を抱いて怪物と闘う者のことである。
作品と真摯に向き合い、本質を探って解体し、咀嚼し、腑に落として血肉に変える。
解釈をもって介錯とし、止揚に至りて供養と成す。
そのための標として、「クソゲーを掴んでしまった怒りや憎しみを笑いに昇華する」というKOTYeの理念は存在するのである。
ユーモアとは、理不尽や不条理を寛大な心で眺め楽しもうとする精神の発露である。
嫌う対象を笑いものにしてやろうと画策するのではなく、哀しき怪物の顛末を、まとわりつく負の感情ごと、どうにか笑い話に着地させるために足掻くのだ。
たとえ今が、後に黄昏期と呼ばれる痩せた時代なのだとしても。

では最後に、自ら排出した本年の大賞作をコメディと称したJADE御大に対抗し、我々なりの喜劇論を提示してKOTYe2020の結びとする。

「ユーモアをもってマイナスをプラスに変える。それこそKOTYeが目指す“愛ある旅路の果て(LOVE・デスティネーション)”なのだ」
最終更新:2022年02月02日 23:52