35:総評2:2024/03/02(土) 18:33:50 ID:???0
クソ路はすべて闇の中である。
2022年のクソゲーオブザイヤーinエロゲー板(KOTYe)は、熱意なき駄作同士がつまらなさを比べ合う、苦難の道行きとなった。
泥濘の底で覇者となったのは、流行のポップソングをボソボソ歌う音痴の自称ロックンローラーこと『悪魔と夜と異世界と』
王道に便乗しながら王道を茶化し、傲岸不遜と自己卑下、中二病と高二病という異なる概念を低い次元で両立してみせ、修羅の国の強者にして怯者として名を成したのであった。
常闇に沈んだ暗黒大陸に、一寸先の光は差すのか。
かつてない祭りが始まろうとしていることを、住人たちはまだ知らない。
未だ前年の総評審議も始まっていない2月末日。
それは遅れすぎて最初にやってきた。
年末の魔物を超越せし年始の魔物、RTS+ADV形式で開発されたファイナル戯画マイン、『JINKI -Unlimited-』である。
前年12月初旬にはマスターアップが宣言され、12月末の発売を予定されていたが、「思いがけない重大な不具合」を理由に1ヶ月延期された経歴を誇る。
このとき戯画は3月末をもって開発・販売およびサポート業務を終了する旨を告知しており、真のデッドラインが差し迫る中で迎えた発売日当日。
我先にと戯画の遺作に突貫したプレイヤーたちは、特定箇所で確定フリーズする進行不能バグに見舞われた。
そして、自分たちが有料デバッガーとなったことを悟る。
その日のうちに修正パッチが出されるも、その先でまたも確定の進行不能バグが発生。
さすがに手詰まりと思われたそのとき、先のパッチでデバッグモードが解放されていたことが判明する。
真の意味での有料デバッガーたちが誕生した瞬間であった。
バグの壁を飛び越えてのフルコンプへと道が拓かれた一方、その力ですべてのシーンを回収し、賢者となって戦線を離脱する者も現れる。
事態を重く見てか、戯画は次なるパッチでデバッグモードを封鎖。
対して、あえてパッチを当てずデバッグモードを使い続けるといった駆け引きもありつつ、アップデートは繰り返されていく。
そうして、ユニーク敵が無限に湧く・パイロットのレベルが99を超えると1に戻る・セーブデータが肥大化する等々のバグは駆逐されていった。
かくしてパッチ絡みで七転び八起きしたプレイヤーたちであったが、本編は七転八倒を強いられる。
いや、正しくは本編開始前、起動した時点からであった。
というのも、本作はフレームレートが無制限となっており、並のGPUでは常時稼働率100%は免れない。
文字通り「Unlimited」であり、起動した瞬間にタイトルを回収する大記録を打ち立てたのである。
ほかにも、RTS・ADVの両面において多岐にわたる問題点が指摘されたが、報告者は完走を前に力尽きてしまう。
全容の解明は、後に続く者へと託された。
最後の戯画マインは、墨染の空に風穴を開けた。
やがて春を迎えたそのとき、空の穴から選評が降り注ぎ始める。
花びらのようにしんしんと、しかし絶え間なく、過去に類を見ない物量で。
それは、解散した戯画や、眠りについた据置版クソゲーオブザイヤーへの慰労か、あるいは最後の現役戦士となったKOTYeの生存本能か。
葬送の桜祭りは拡大の一途をたどり、選評数は5月までで20本に迫ることとなる。
近年の常連組からは6作が祭りに参列した。
先頭は、3年連続となるエントリーを果たしたNorth Boxの『高嶺の花と魔法の壺』である。
前作では相反する設定の不協和が指摘されていたが、それは完全に解消されている。
潔すぎる手段、すなわちシナリオをできる限り無に近づけることによって。
というのも本作の中身は、「主人公がひょんなことから手に入れた魔法の壷の精に、やりまくりたいと願って叶えてもらう」、ほぼそれだけなのである。
加えて、演出面の省エネ効果も際立っており、出番の多い壷の精も含めてヒロイン以外のボイスなし、モブの立ち絵はシルエット表示。
30年近く前の著名サウンドノベルをオマージュした、温故知新の精神の表出であろう。
ピストン音にはバリバリというノイズが交じっており、これもまたかつて存在したバリッと響く射精音を思い出させた。
HシーンにそぐわないBGMも健在であり、今回は琴の調べを思わせる典雅な音色が煩悩を霧散させる。
思い切った決断でハマったのは壺ではなくドツボであったと見るべきか。
続いて、evoLLの『ラブカフェ~童貞な俺でも、巨乳女先輩と同棲できるってマジですか?』が、あらすじ詐欺を仕掛けた。
「4人の同棲生活」との触れ込みながら、実態は2人の同棲生活×3ルート。
最後に解放されるハーレムルートでようやく実現かと思いきや、非処女ビッチ化したヒロインたちとやりまくるだけの妄想オチで終わってしまう。
思い描いた「4人の同棲生活」など、夢のまた夢である。
ほかに強く印象に残るのは、射精のことを「放精」と表現する独特の言語感覚くらいであった。
ここで2人のヒーローガールが会場に舞い降りる。
1人目は、SUKARADOGの『虜囚の女ヒーロー ~怪人たちとの闇の狂宴~』
悪の組織ポルチオーンに破れた突破戦隊テクノブレイカーの紅一点が、仲間を人質にされてバトルファックを強要される話である。
この時点で察せられる通り、本作には突っ込みどころが非常に多い。
まず、ヒーロー調教モノとしての様式美は無視されている。
戦闘敗北の描写を割愛して監禁済みの状態から始まり、怪人の精液による催淫効果で1回目から即発情、快楽に抗えないままあえなく絶頂である。
徐々に快楽堕ちしていく過程など描いていては、現代のスピード感にはついていけないという判断であろうか。
また、主人公の思考回路が頓狂であり、いかなる状況下でも戦隊ヒーローとして実力を行使する発想に至らない。
脱出のために見張りの戦闘員の無力化を試みる際にも、力づくで勝てる相手だと認識しながら率先してバトルファックを仕掛ける有様であり、正義のヒーローならぬ性技の披露と揶揄されている。
ほかにも、省コスト感あふれる怪人の造形、マ◯ンガーZの劣化パクリに出てきそうな敵ボス「ポルチー王」など、総じて昭和の荒唐無稽な特撮の欠点を煮詰めたような出来であった。
2人目は、アパタイトの『清純ヒーロー×ビッチ墜ち!! ~悪の組織に調教される乙女の心の移ろいは…~』
見せかけは魔法少女凌辱モノであるが、内実はそのお約束を茶化し続けるコントであった。
なにせ主人公には悲壮感がない。
もっと堂々と調教しろと敵を説教し、売春を強要されそうになれば報酬の安さに怒り、敵に料理の腕前で負けて悔しがる。
そいて敵側にはゲスさがない。
農家との提携について主人公を交えて真剣に会議し、拠点のローンが未完済であることに悩み、主人公の孕ませを助産師不在を理由に一度は断念する……といったように、立ち位置もわからない。
ほかにも、快楽ではなく充実した職場環境に堕ちた主人公が孕んだり、悪堕ち後と見られていた姿は敵が用意した衣装に着替えるだけで、投げやりな生着替えを見た敵のほうが恥ずかしがったりと、最後まで仲良くエロ行為に励む。
バカゲーならバカゲーとして、もっと堂々と告知しろと説教されたのもやむなしであった。
そして常連部隊の後詰めは、
内容以前に、未読・既読スキップの切替やクリック後の音声継続すらない一方で、アニメーションのオンオフ設定はあるがアニメ演出は未搭載という劣悪な使い回しシステムが問題視された『ママ僕だけを愛して… ~キモデブ息子を溺愛する母の歪んだ愛情~』と、
タイトルに掲げた「盗聴」要素はモノローグで説明されるだけでボイスなし、「妄想」要素は見当たらないという世知辛いタイトル詐欺をやらかした『カノジョの性癖 -盗聴×妄想-』が務めた。
常連といえばのアトリエさくら勢も、当然のように臨席。
単独ですでに4本ものエントリーを果たし、大いに面目を躍如している。
過去のエントリー作品から話の骨子を流用しただけでなく、導入部の選択肢の主旨と背景に至ってはまったく同じだった『好きだった幼馴染がクラスメイトのオモチャになっていた件』、
立ち絵ミスによる「全裸からの瞬間着衣」に「返信→変身の誤変換」がシンクロして起こった正常化現象と、竿役が五七七の韻律で放った台詞「その前に一度イクからちょっと待ってて」が好事家を唸らせた『他人棒でイキ狂い快楽に溺れていく最愛妻 ~見せつけられた快楽に絶頂する妻の痴態』、
「チャラ男に薬を盛られてレ◯プ→脅されて関係継続→快楽堕ち」のテンプレ展開が、薄っぺらいキャラ設定すら置き去りにして儀式のごとく粛々と進む『堕とされた義姉 ~憧れていた義姉がクラスメイトの手で快楽調教させられていく~』が、それぞれの個性で場を温め、ときに冷やした。
中でもとりわけ耳目を集めたのが『妻、宇佐見恋を抱いてください ~夫公認公開恥辱NTR~』であった。
NTR+痴漢をコンセプトとしており、その性質上、多少の不条理展開やご都合主義は許容されうる。
しかし、それを差し引いても「筋書きありき」の度が過ぎ、登場人物たちの言動は不可解極まる。
ヒロインは、物事はっきり言う上に罵倒もスラスラ出てくる強気なタイプにもかかわらず、痴漢にあっても口撃以外はされるがままで、肉体的な抵抗や反撃は一切しない。
理由は「被害者扱いされたくないから」とされているが、現在進行系で行動をエスカレートさせていく痴漢に対し、有効かつ実行可能な抵抗を放棄してただ耐える理由にはなるまい。
さらに、同じ理由で通報すら拒否しておきながら、再度痴漢にあった際、妻の意思を汲んで手出しせず耐えた主人公に対しては、なぜ助けてくれないのかと不満と不信を募らせる。
一体どうせよというのであろうか。
ほかにも、主人公が仲違いした妻との仲裁を頼む相手がよりによって竿役、イケメンで女に不自由していない竿役がヒロインに痴漢した理由が「巨乳だったから」のみ、等々、ストーリー展開に納得感がなさすぎる。
また、ヒロインと竿役は若い男女でありながら、台詞回しに加齢臭が漂っている。
恋愛経験がほとんどないヒロインの語彙に「他人棒」「弾丸みたいなピストン」「弾丸というより男根」やらが含まれるのは興ざめであり、竿役は、
「イッてよし」
「キミのマ◯コの声は……キミより俺のが聞けてる」
「熱いマ◯コを初体験という俺の童貞……捧げてやったぜ」
のような凍える台詞を吐く。
そんな本作の最大の見せ場は、主人公が妻を奪還するかあるいは離婚かを賭けて竿役との勝負に挑む場面であろう。
夫の勝利を信じて応援する妻、それを受けて意地を見せる主人公。
夫婦愛は感じさせるが、しかし競技内容は「射精我慢比べ」である。
竿役がヒロインを抱き、主人公はそれを見ながら自慰をする形式となっており、非常にシュール。
その際の、
竿役「さあ旦那さんイケよ!」
主人公「僕はイカない!!」
ヒロイン「あなたはイカないでぇえええ!(私は)イクぅう~~~~~ッ!!」
という掛け合いは噴飯ものであった。
近年、粗製乱造を繰り返すアトリエさくら作品の中では、パワー感のある仕上がりといえよう。
常連組以外からも、新規・久々あわせて多数のメーカーが馳せ参じた。
露払いを務めたのは、悪女属性を特色と謳うEvilHealの『Aphrodisiac -女神の欲望-』
サイコパス気質のマッドサイエンティストをメインヒロインに据えているが、その特異な設定を貫けていない。
というのも、オチがあまりにあっけないのである。
惚れ薬を飲んだら恋心を自覚してハッピーエンドやら、ヤクザに襲われるとあっさり屈して情けなく許しを請うやら、悪事を暴露すると言われるとすんなり受け入れて逮捕やら、マッドの矜持を放り出す結末が多い。
また、誤字脱字が非常に多く、「それはいいんだけが」「当たり間ですよ」「変ことしようしてます?」「初めての浮かぶ環状」「え、それは早くマジいですね」等々、校正したか疑わしいほどの数が確認されている。
結果、作中の迷言「嫉妬がボンバー」になぞらえ、プレイヤーの頭がボンバーと皮肉られたのであった。
次に現れたわるきゅ~れの『病みつきヤンデレハーレム!』は、同じく誤字が目立つだけでなく、日本語が怪しい部分までも散見された。
中には、
「扉が開かれると、そこから顔を出したのは、学生服に身を包んだ、幼馴染の美愛が入ってきた。」
のように、主語と述語の係り受けがとっ散らかっている例までも確認されている。
作中で主人公は、ヒロインから文章のおかしさや誤字脱字の多さを指摘され、
「慌てて書いたでしょう?それとも『ながら作業』でもしていた?」
と注意されるが、それを言いたいのはプレイヤーも同じである。
それでいて、精液の表現は「オス汁」「生殖汁」「遺伝子汁」などと無駄に豊富なのがしゃらくさい。
また、HシーンにそぐわないBGMも採用されており、メーカーの垣根を超えた流行の兆しが垣間見えた。
本作においては、まず探偵モノの推理中を思わせる曲が流れ、1回射精すると、激しいクラシック調の曲に切り替わって2回戦に突入する演出になっている。
ラスボス戦さながらのテンションをHシーンにぶち込んで笑いを取る、その手法が最も「病みつき」であったやもしれぬ。
変わり種から花開いた大輪の曼珠沙華、Rosettaの『星と乙女が占う未来』も、祭りに死色を添えた。
女性同士の交流を描いたライトな百合作品であり、PC版に先行してNintendo Switch版が一般向けゲームとして販売されている。
そうした経緯もあってか、PC版も本編にアダルト要素はなく、エンディング後にまとめて追加収録という構成である。
そして、その追加部分こそが大いなる波紋の発生源となった。
Hシーンは4つあれど、主要登場人物同士の絡みは皆無。
すべてのシーンが、主人公と、前触れなく追加された謎の恋人「あなた」との組み合わせであった。
この「あなた」なる存在は、名前や姿はおろか性別に至るまで明確な描写がない。
最初から最後まで一言も発さず、透明人間であり、透明チ◯コの描写すらない。
ただし、大きくなったモノを主人公に挿入する主旨のテキストはあるため、少なくとも生えてはいるらしい。
要するに、百合作品に対する不意打ちでのチ◯コ投入であった。
百合好きにとっては、男の影がちらつくだけでも異物混入事件たりうる。
まして一物挿入ともなれば、冷や汗・動悸・息切れ・めまい・嘔吐などの重篤なアレルギー症状を引き起こしても不思議あるまい。
また、事前に純正百合を装う前フリも周到であった。
すなわち、
- メーカーの過去作は百合と男の娘モノで、男臭さがない作風だと認識されていた
- 過去作のジャンルは、それぞれ正しく告知されていた
- 本作にも、販売サイトで百合やレズビアンのタグが付けられていた
- 百合ゲー専門のレビューサイトには一般向け版が提供され、最後までプレイして間違いなく百合作品であると認定されていた
といった念の入りようである。
数々の仕掛けは功を奏し、本作は「百合と『あなた』がまぐわう地雷」として悪名を轟かすのであった。
この波に乗じて、
マッシブで気丈な女騎士に、舌っ足らずのたどたどしい声を割り当てる重大なミスキャストをやらかした『上司の巨乳騎士団長は俺の肉オナホ! ~年下恋人から中出し漬けで寝取って孕ませ穴に!~』と、
17年前の作品のほぼベタ移植をフルプライス販売するも、ウリにした追加部分は絵柄と声が本編とちぐはぐなスキップ13秒の夢オチだった『淫堕の姫騎士ジャンヌ RE:BORN ~オーガの仔種を注がれる気高き姫!~』もエントリー。
前後して、ZIONの『ワケありJK従属学園 ~強制絶頂は終わらない~』も、絵に全振りで残りは雑な近年流行のスタイルで参加している。
シナリオ冒頭から早くもあらすじと矛盾しており、「ヒロインは男子生徒たちを手玉に取っているはずが、いつの間にか絶頂地獄へ~」のはずが、処女喪失シーンで絶頂を寸止めで完全にコントロールされて完敗を喫する始末。
その際にヒロインが「ヌアァーーー」と咆哮を上げるところにも現れているが、本作のテキストには珍妙なセンスが充満している。
男子生徒たちの名付けからして、まず頂点に君臨する3人がS1・S2・S3、みんな揃って「SⅢ」(スペシャルスリー)である。
そしてモブたちは、男子生徒A~Dやらαやら2やらが順不同で現れるという、マドハンドもかくやの乱立ぶり。
文体も独特であり、「男根の美味を味わう」や「子宮口を亀頭が消しゴムのように削ってくる」といった、わかるようで引っかかる言い回しが多い。
「黒光りするイチモツが信じられないほど高速で揺れている」というピストン表現は、字面だけ見れば全裸での激しい腰振りダンスである。
しまいには、射精を「放精」とする表現が他メーカーと被ってしまう「放精マイフレンド現象」をも引き起こした。
絵にしても、モブが貧相すぎてヒロインとの格差が際立っており、金持ち男子と借金苦女子というコンセプトを毀損している。
大切なのは全体の調和であり、「ハンバーグだけ上等でも、バンズが釣り合わねば忌まわしいハンバーガーの域を出ない」話を想起させる仕事ぶりであった。
突然の確定演出とともに、とこはなの『ナマイキユメちゃんはおにぃとメチャクチャHしたい! ~ギャルと教師のドキドキ同棲生活~』も姿を表した。
紹介文によると本作は、「ときに傷つき迷う等身大のキャラクターを配し、関係性を掘り下げ、低価格帯であっても満足感のある濃密な内容を提供する」らしい。
しかしながら、これは実態と大きく乖離している。
最初から最後までダダ甘ライトで、傷つくことなど一切ない。
主人公が教師と生徒という立場に悩むのも最初だけであり、ヒロインに全裸で迫られるとあっさり陥落して猿と化す。
そもそも、主人公とヒロインが急接近するきっかけからして「ヒロインがアナニーに使用したペンがケツ穴から取れなくなり、主人公に取ってもらう」である。
恋人同士になった後ならまだしも、それが急接近のトリガーとなるのはさすがに前代未聞であり、「ついに修羅の国にもけつあな確定の波が」と驚きをもって迎えられた。
また、本作は主人公の名前に関する不具合も搭載している。
デフォルトネームが存在せず、手動で入力を求められるが、ここで設定した名前はシナリオ内の「主人公」という単語をすべて上書きしてしまうのである。
例えば、主人公名を「ゲルググ」にすると、「俺つえー系ゲルググ」なる新型なろう系MSが誕生し、作中のアニメ作品は「3話で早くもゲルググとヒロインがキスする」内容に変化する。
かくして本作は、ケツアナユメちゃんとしてのみならず、KOTYeにおける命名遊び史の1ページとしても名を残した。
宴もたけなわとなったところで、アンモライトの『女体化転生したボクはふたなりで無双する!? ~でも、お姉ちゃんたちには絶対に勝てません!~』が、風変わりなテキストでスベリ倒した。
主人公は天然を通り越してバカであり、女体化してなお自分は雄々しいと猫口調でにゃあにゃあ力説し、子供じみた言い訳を繰り返すため見苦しい。
さらに、「精液が出発進行する」「お腹がぽんぽこタヌキになってしまう」「頭も身体も、ぽあぽあのぷあぷあだ」といった表現に加え、テキストがバグったかのように出鱈目な絶叫も炸裂する。
挙句、馬並みに肥大したチ◯コから鏡を割る威力の射精を旧友めがけてぶっ放し、選評者から殺人未遂の嫌疑をかけられている。
バカゲーとして見てもなお、ただ薄ら寒いだけの惨状というほかない。
降りしきる秒速5センチメートルの走馬灯たちをすべて見届け、屍山血河の桜祭りは終結した。
例年ならばおよそ一年分に相当する数の選評が、半年足らずの間に届く異常事態。
住人たちは戦々恐々としながらも、しばしの休息に入り下半期の戦いに備えるのであった。
本格的な夏が到来した7月の後半には、半月に5本の選評が集中的に届いた。
口火を切ったのは、アトリエさくらの『背徳の強制種付け ~愛する妻の子宮に注ぎ込まれる他の男の精液~』
背景差分が足りないせいか、「主人公が24時間トイレに籠もっている間に、竿役とヒロインは徹夜フェ◯からの朝から晩までセッ◯ス」という持久戦が勃発したかに見える事態を引き起こし、住人たちを困惑させた。
これを受け、とうに桜の時期は終わっているとばかりに、対抗戦力たちも決起した。
陣頭に立ったのは、コンフィチュールソフトの『ギャル姉妹 ~ハーレムタイムが止まらない!~』である。
いわゆる「オタクに優しいギャル」がテーマながら、ギャル属性に対するこだわりが感じられない。
姉妹ヒロインの姉の方は、見るからに強気ギャルの外見に反し、主人公に対してまさかの敬語。
立ち居振る舞いも、生徒会長でもやっていそうな優等生のそれである。
妹の方は、陽キャギャルとして概ね許容範囲に収まっていると思いきや、Hシーンでいきなり東リベパロをぶち込んでくるなど、薄ら寒いネタが目立つ。
話の展開もあまりに適当で、導入からして「ヒロイン(妹)に振られた主人公は、その場で『だったら1回やらせてくれ』と土下座してドン引きされるも、それを見ていたヒロイン(姉)に1回やらせてもらえる」である。
これは購入前でもあらすじとして確認できるため、ストーリーには期待できないと推察できる点は良心的といえよう。
実際、導入部以降はひたすらやりまくるのみであり、ノイズ入りの「ギャル」という記号を抱くエロゲーと評された。
第二列として、
主人公が精神的に調教されてNTR性癖に目覚め挙句、汚れた妻を抱きたいというさらなる性癖の変化を機に「本人も納得の上で去勢された」ことがさらりと明かされる『調教カテイ ~性開発された肢体は元カレを忘れられない~』、
展開の理由付け・設定の落とし込み・心理描写のことごとくを不足どころか欠落させ、ヒロインたちの性知識の由来に至っては全員一律でエロゲーにして「侵・放課後エロゲー生徒会」の異名を得た『侵・性奴会 ~美人会長と爆乳書記の調教日報~』が続く。
負けじとアトリエさくらも『俺の幼馴染がエロ配信をしていた件 ~地味な彼女の裏の顔はエロエロな配信者でした~』で押し返しを図る。
開幕3クリック目にして「言葉にしなくて、もうそれでけで彼女には~」なる奇怪な文章による先制パンチをかまし、以降も誤字を頻出させて雑さを見せつけた。
一方で、絵柄を今風に寄せる、非エロの一枚絵を用意するといった試行錯誤の跡もみられる。
メーカー恒例の「馴れ初め3行解説」も廃止され、導入に適切な文量が割かれるようにもなった。
しかしながら、その分だけHシーンが削られている。
回想枠は14あるが、そのうち本番は6枠しかなく、残りの8つはあの手この手の水増しによるもの。
内訳は、脱いで見せるだけの短いシーンが4枠、自慰が2枠、一続きのシーンを分割して増やしているのが2枠である。
古の王アーベルが多用した水増しの手法をも取り入れはじめたアトリエさくら。
一皮むけようとしたはずが、化けの皮をかぶるも同じ皮肉な結果に終わった。
7月の戦いの後は騒動もなく、気付けば秋を迎えていた。
修羅の国においては、狂騒の収穫祭が勃発しがちな季節である。
しかし、さすがに春に続く大祭とはならず、2作品による小競り合いで収まった。
先にやってきたのは、『エルフェンキング』
近年は催眠モノに傾倒していた老舗ルネが久々に手掛けた、ファンタジー凌辱モノである。
かつてのお家芸といって差し支えないジャンルのはずが、シナリオとエロの演出に手抜かりがありすぎて、フルプライスエロゲーに求められる水準には程遠い。
まずシナリオは、「劣等種として虐げられてきた主人公が、世界の王たる力を得て、高慢なエルフ族に下剋上する」であり、ありきたり極まる。
そして主人公が得る能力は「イメージの現実化」および「他者への能力の伝授」という万能ぶり。
実質なんでもありの能力ながら使い方は単調で、相手を上回る魔法の威力で押し勝ち、自由を奪って凌辱、その際たまにチ◯コサイズの調整、その反復に終止する。
主人公の行動原理も単純で、やられたからやり返す、エルフだから犯す、ただそれだけ。
決起から連戦連勝連姦でトントン拍子にエルフの国を滅ぼし、全ヒロインを奴隷化して嬲る、それ以外の内容はなきに等しい。
最序盤に、力を求めずに「運命は自分で切り開く」と宣言する選択肢もあるが、切り開けずに即バッドエンドである。
全編通して新鮮味がまるでないため、せめて一捻りは欲しかったと嘆かれた。
次に演出は、端的にいえば色々と端折りすぎている。
絵の質と枚数は価格相応ながら、差分が少なく、ヒロインたちは表情の変化に乏しい。
精液差分を増やしたところで、焼け石に水である。
他方、過程の省略も度を越している。
凌辱モノの流れとして、1回の凌辱をどんな段取りで進めるかの短期的なものと、その繰り返しを経ていかにヒロインが屈服していくかの長期的なものとがあるが、その両方に深刻な欠落が見られるのである。
まず、個々の凌辱シーンは前フリの軽視が甚だしい。
シーン開始時点で全裸なのも珍しくなく、すでに挿入済みの場合すらある。
つまり、「挑発して歯噛みさせてから服を剥ぎ取る」のような凌辱モノにおける前戯が、まるごと省かれているのである。
屈服までの過程にも欠けが多く、ヒロインによっては、プレイヤーが見ていない間に経験人数が数百人に達して心が折れかけている。
しかもそのことが説明されるのは、いざ本格的に凌辱・調教を始めようという個別エピソード1回目の冒頭である。
それでもなお「ほとんど処女みたいなものだな」と受け入れる剛の者は少なかろう。
気分を盛り上げるために適切な段階を踏むことの重要性を、嫌になるほど知らしめた作品であった。
秋の2本目は、またも現れたアトリエさくらの尖兵『恋人・亜依理を抱いた他の男達 ~愛する恋人が俺の元から去った理由~』である。
ヒロイン1人に対して男主人公が3人おり、ヒロインの男性遍歴を複数の視点から描いている。
しかし、少ないボリュームが章仕立てで分割されているせいで話が薄すぎ、独占欲が強く幼稚で我儘なメイン主人公への嫌悪と、取ってつけたような理由で尻を振り股を開くヒロインへの困惑しか印象に残せぬまま散っていった。
師走に入ると、一年を憂いなく終えんと冬の戦いが開幕する。
恐ろしい攻撃で先手を取ったのが、TinkerBellの『せをはやみ。』であった。
第一に、独特なシステム設定に対する説明が不足している。
射精カウントダウンとは別に存在する「アクメーター」や、「むんむんほかほか効果」といった、なんとなく予想はつくが明確ではない設定を複数搭載してプレイヤーを困惑させ、この調子では「ぽあぽあのぷあぷあ機能」もいずれ出現するのではと囁かれた。
一方で、固有名詞にはルビを振る親切さも見て取れる。
しかし、テキストの1行目がメッセージ枠の上端スレスレに表示されるため、ルビが枠を超えてしまい非常に見づらい。
必然的に目を凝らす機会が増えるが、それが次なる仕掛けの効果を増す仕組みにもなっている。
それこそが、会話しているヒロインの顔が突然ドアップになるサプライズ顔面アタックである。
専用に書き込まれた高解像度の顔面が、画面を覆い尽くさんばかりのサイズで、なんの脈絡もなく表示されるその技は心臓に悪く、いわゆる精神的ブラクラを思い出させるほどであった。
縮地法のような距離の詰め方は事前の心構えを許さず、しかも日常の茶飯事として連発してくるため、プレイ中は常に戦々恐々とさせられ、否応なくストレスが積み上がっていく。
いつ技をかけてくるかわからないヒロインたちへの警戒心は、次第に嫌悪を帯び始め、瀬をはやみの和歌に詠まれた慕情とは乖離していくばかりとなるのであった。
続いてcalciteの『AI(愛)妻と娘への調教性活』が、流行りに浅く便乗した。
特色は、亡き妻の人格を投影したAIヒロインである。
ただし、スマホに表示されるキャラでしかないため、Hシーンはスマホ画面の痴態を見ながらのオ◯ニーとなってしまう。
スマホ内に主人公のアバターを生成して行為に及ぶアクロバティックな展開もあるが、実体の方はやはり見ているだけである。
そして、タイトルに調教とありながら、AI妻への調教要素はまったくない。
義娘ルートには、なぜか妻の部屋から出てきたSMグッズを「俺たちに遺してくれたのかも」と使う無理やりな流れが1シーンだけ存在するが、「調教性活」を冠するにはあまりに弱い。
また、整然とした連続性が欠落した不条理な展開も散見される。
とりわけ、義娘に初めて手を出す場面で義娘が開口一番、
「……そういえば、手でしたことってあったっけ」
と話すのは理解に苦しむ。
「すでに幾度となく性的な行為に及んでいるが、手でしたことがあるかは記憶が定かでない」としか解釈できず、「手を出そうとした直後の暗転時に、さんざん手を出した後の未来へとワープした」説が提唱されたほどである。
安易な題材すら腐らせるのは毎度のことながら、整合性のなさに磨きをかけてきたところは、常連らしい流石の貫禄であった。
そして大晦日には、海外在住の有志による選評を住人が代理投稿するという国境を超えたバトンリレーにより、『JINKI -Unlimited-』の追加報告が届く。
最初の報告と合わせ、ついに年始の魔物がその姿を現すときが来た。
本作最大の特色といえば、やはりRTS形式の採用であろう。
RTSの娯楽性の真髄は「リアルタイムで移り変わる戦況を、戦略的思考と臨機応変な判断で勝利に導く達成感」にあり、その実現のためには高い操作性と戦略性が欠かせない。
しかしながら本作は、その両要素が致命的に欠如しているのである。
まずは操作性について。
まずUIの軸足が後発のコンシューマー版に置かれており、PCでの操作に最適化されておらず、キーコンフィグすらもない。
例えば、ホイールのクリックとスクロールにはそれぞれ必殺技と視点変更が割り振られており、誤操作の発生は必定である。
その他の操作も全体的に煩雑で非効率的であり、各ユニットに指示を出すのも一苦労。
そして指示を出しても、移動系の補助・補正機能が貧弱すぎて、壁に引っかかるか目標を見失うかしての棒立ちが多発する。
ゲーム操作の理想にして常識たる「直感的に効率よく正確な制御ができる」には程遠いと評すほかあるまい。
次いで戦略性について。
直言すれば、ユニットとマップが単純かつ画一的すぎて、戦略云々の生じる余地がない。
ユニットのカスタマイズは武器のみであり、それすら攻撃力以外は実質死にステータス。
マップは、狭い・ギミックなし・使い回し過多と三拍子揃っている。
攻略がワンパターンになるのは当然の結果といえよう。
敵が硬すぎたり、適宜レベル上げ作業が必要になったりとテンポも悪い。
さらに、後半に入ると敵の物量と火力が激増し、前述の操作性の悪さが組み合わさって理不尽な難易度となる。
それでいて戦闘回数はやたら多く、実に100を超える。
単純・理不尽・冗長にして、操作性も悪く、爽快感も達成感も味わえないまま疲弊させられるばかりの、RTSを名乗るも烏滸がましいストレッサーの集合体であった。
一方、ADV部分にも様々な欠落が見られる。
まずストーリー以前の問題として、ADVの標準機能が備わっていない。
言い換えるなら、ADVに関する設定変更そのものが存在しない。
つまり、テキストスピード変更・メッセージウィンドウの透過率変更・オートモード・未読スキップ・バックログ等々が軒並み未搭載である。
CGモードもないため差分は見られず、シーン回想は、シナリオの既読部分にいつでもジャンプできる機能で代用されている。
そしてストーリーは、ご都合主義でボリューム不足の尻すぼみである。
新主人公は、最初は巻き込まれた一般人という立ち位置ながら、実は敵勢力の天敵ともいえる特別な存在であり、さながら創造主より遣わされたメシアのごとし。
これまでの戦いが意義を失う無双の働きにより、問答無用でシリーズを完結へと導く。
おそらくは「主人公が仲間との共闘や交流を経て成長し、特別な存在へと至る王道の物語」を描こうとしたのであろう。
しかし、そのために必要な描写を削り落とした形跡があり、特に終盤で目立つことから、時間と資金が尽きたのではないかと推察された。
褒められるところは、敗北if凌辱に振り切ったHシーンくらいか。
ただし、一部シーンはリョナを通り越したゴアのため刺さる対象が限られすぎており、そのわりにCGでの表現がかなり控えめになっている点は、中途半端さが指摘されている。
そして総仕上げとして、オールクリアには3周を要する周回前提仕様を搭載。
周回によってストーリーが分岐するため、共通ルートにあたる重複部分を周回ごとに既読スキップなしで通過せねばならない。
かくして、つまらなさと不便さのアンサンブルに加えての「3回周って徒労も3倍だな」仕様により、数多の購入者をクリア断念へと追い込んだ。
これもまた「Unlimited」と呼ぶにふさわしく、再度のタイトル回収が成る。
かくして、プレイヤーとその所有PCを同時に屠らんとする死のダブルミーニングは、修羅の国を震え上がらせたのであった。
予備期間には、昨年の大賞を生み出したWendyBellの『モラトリアム ~ブルーアワー幸せの時間~』が、満を持して参戦した。
前作『悪魔と夜と異世界と』と同じく、本作もすべてが低質。
画面比率は今なお4:3、立ち絵が動くときメッセージウィンドウが消える仕様も、頻度こそ減ったものの受け継がれている。
そもそもボリュームが不足しており、フルプライスに近い価格帯でありながら、ヒロインは2人のみ、容量は1GB未満。
比例してストーリーも薄い。
大部分は面白みのない細切れの日常が続くのみであり、ヒロインたちがそれぞれ別の異国出身という設定も活かされていない。
一方、主人公は自己中イキリクソ野郎と評されたが、作中では自他ともに認める協調的な人物として扱われている。
原因は、主人公がイキるたびになぜか信頼や好感を得るというギャップの積み重ねである。
例えば、ヒロインとの出会いの場面からして、
「ナンパ学生たちに絡まれているヒロインに対して『お高くとまってるのは媚び売ってるのと同じだからやめた方がいい』と哲学的な説教をかまし、男に凄まれたら逃げる」
という行動に出て、ヒロインの歓心を買い、プレイヤーからは嫌われた。
この件、公式のあらすじでは「ヒロインは驚きつつ反論し、ナンパ学生は呆れて退散」となっており、早くも食い違っていることが今後の不安を煽った。
小オチの「実は某国の姫でした」は見え透いており、ただ落胆されるばかりであったが、大オチが住民たちの度肝を抜く。
それが、黙って母国に帰ったヒロインを追い、君主制を廃しての民主化に絡むという超展開であった。
入りからして毎度のパターンの強化版であり、主人公が、
「騙し討ちみたいに急に去られて納得できるか!直接話して一発ぶん殴る」
と感情を爆発させると、姫の護衛役に覚悟を認められ、都合よく準備されていた偽造パスポートで渡航する。
とはいえ、さすがにイキって民主化運動して革命とはならず、イキって要人や国王に気に入られ、ヒロインを口説くのみである。
過程のほとんどは「様々な障害がありつつも」で割愛され、離れ離れになった2人は数十年かけて民主化が終わってから再会したことがざっくり語られて終了。
一連の経緯は、
「そして…僕は偽造旅券を手に入れたのだった。
ずっぷ!ずっぷ!
ああ…民主化しそう」
と的確にまとめられている。
突然の民主化展開はKOTYeをしばし政治学スレへと変え、経緯を知らずに顔を出した者が困惑する事態となった。
この内容で、キャッチコピーを「それは青くて一瞬で大切な時間」とするセンスには恐れ入るほかない。
絵も上等とはいえず、一枚ごとに顔つきや体形がブレており、不出来なAI生成画像に通ずる不気味さを有している。
そのため戯れ半分でAI画像識別ツールにかけられ、誤認識ながら、AIに生成された確率が40%台をマークする画像も発見された。
ついでにママⅡの画像も招集され、うち1枚が実に80%超えを叩き出している。
格の違いを見せつけられた形ではあるが、逆に考えれば、本作はママⅡの半分もの絵力を有しているともいえよう。
その上で追加の欠点も多数抱える姿はまさしく強者のそれであり、前年王者の血に連なる者として、その実力を十分に示したのであった。
そして予備期間の終わり際には、貪欲に記録更新を狙うアトリエさくらがしんがりを買って出る。
まず『妻・倉崎桜菜の浮気調査 ~寝取られ妻の淫らな下半身事情~』では、さすがにマンネリ感が囁かれ始めたのを察してか、新たな暴挙に打って出た。
かつて見た爬虫類顔を想起させ、ママⅡ風味すら微かに薫る絵の採用である。
最終防衛ラインたる「絵はそれなり」までも崩壊させてしまい、「もうBGMで抜くしかない」と選評者を絶望させたのであった。
そして最後に、ヒロインが主人公への恋慕の情や罪悪感を有さぬただのビッチでしかない『略奪された婚約者(フィアンセ)~恋人・真澄(ますみ)と弟の秘密』をもって、新記録となる同年内9本のエントリーを達成したのである。
なぜこのような出来事が起こってしまうのか。
最大の原因は、メーカー側のNTRの定義が広すぎて、狭義のNTRとして成立し難いことであろう。
NTRの本質を、アリストテレスが『詩学』において定義したような悲劇とするならば、その目的は適度な感情の浄化、すなわちカタルシスに至ることである。
それは例えば、判断誤りから相応しくない不幸に陥る主人公に哀れみを覚え、募った感情から物語の終わりとともに解き放たれることで、気持ちがすっきりと軽くなる心理現象を指す。
ただし悲劇を通じてカタルシスに至るには、満たすべき重要な要素がある。
代表的なものを挙げると、十分な感情移入・倫理的な共感・登場人物の感情と行動の一貫性・無理のない展開・適度な予測不能性・有意義な結末である。
こうして並べてみると、アトリエさくら作品に欠けている要素のいかに多いことか。
ただ、月1本の販売ペースと低価格相応のボリュームという制作時間と尺の制約を考慮するに、先に挙げた要素を網羅したNTR作品の制作は至難であろう。
「間男がヒロインに挿入すればNTR」と大雑把に定義しての薄利多売がアトリエさくらの生存戦略ならば、そこに狭義のNTRの真髄を求め続ける者たちとの溝が埋まることは、この先もおそらくあるまい。
少々話がそれてしまったが、役者が揃ったところで2023年の「アレ」を発表する。
次点は、
『エルフェンキング』
『モラトリアム ~ブルーアワー幸せの時間~』
そして大賞は、
『JINKI -Unlimited-』
とする。
2023年には30本を超えるエントリーがなされ、過去最多を更新した。
内訳を価格別に見てみると、低価格作品の比率が高い。
4000円台までの作品が2/3以上を占めており、粗製乱造の傾向はいっそう強まった。
その煽りを受け、内容面も近年同様に、低質でつまらないという身も蓋もない欠点が根底に蔓延っている。
ただし、本年の際立った特徴は、そのつまらなさの上で発揮された。
さながら星明かりに閃く暗器のごとく、インパクトと独自性を兼ね備えた一発芸を披露する作品が、数多く登場したのである。
シンクロ放精・百合に竿・けつあな確定・突然の去勢・顔面アタックあたりがその代表例といえようか。
本来の狙いは実現できていない代わりに、狙ってもなかなかできない天然の副産物が多彩さを発揮し、良くも悪くも住人たちの心を動かしたのである。
しかしながら、次点および大賞となった作品は、もはや一発芸の枠には収まらない。
総体として負の一芸の粋に達していると評してよかろう。
『エルフェンキング』は、エロの機微を理解できないばかりに、いかにもそそる素材を用いていながら、テキストと演出だけで心凪ぐ無感動物語を創造せしめた。
『モラトリアム ~ブルーアワー幸せの時間~』は、見るも怪しいバリエーションを誇る絵を筆頭に、あらゆる点での低質さを確保しつつ、突然の民主化超展開でも話題をさらった。
しかしそれらと比較してなお、『JINKI -Unlimited-』がもたらす辛苦は幅広く、そして根深い。
盤外では進行不能バグ・デバッグモード・絶え間ないGPUへの過負荷で畳み掛け、本編は、尻すぼみするご都合シナリオと戦略性のないRTSで盤石のつまらなさ。
欠陥コンフィグはプレイ環境の最適化を許さず、無駄な負担をプレイヤーに強い続ける。
広げすぎた大風呂敷に包むべき中身はなく、それでも完成を目指した理想の姿は垣間見えるだけに、ひときわ悲哀が漂う。
かように、折れる方向に心を動かす力は大きく、なおかつ的確な角度で、じっくりと時間をかけて発揮されたのである。
醜態ではあったが、最期までエンターテイナーたらんとした結果と思いたい。
さながら、芸を抱いて腹上死すると息巻いて舞台で果てた老芸人の大往生。
天晴な“醜大成”であった。
ゆえにKOTYe2023大賞の栄冠は、偉大なるマインマエストロの遺作に捧ぐ。
さよならのかわりに。
「ありがとう」の花束を添えて。
本年は、KOTYeの15周年にして、最後の現役クソゲーオブザイヤーとしての第一歩でもあった。
この節目を機に、KOTYeのこれまでと今、そして未来について考える時間をいただきたい。
開闢当初は、何をもってクソゲーを定義し、優劣をつけるかについて、それぞれが持論の正当性を主張しあうのが常であった。
真剣な激論は幾年も繰り返され、ときには決着がつかない年もあった。
だからこそ身に沁みて理解できた。
自分には自分の真実があるように、他者には他者の真実があると。
真実は人と癖の数だけ存在するのである。
絶対的基準を探し求めるのではなく、自分の価値観に基づく自分だけの基準を磨く。
そして、他者のそれも等しく尊重し、押し付け合うことはするまい。
いつしか総評にはすべてのエントリー作品が載るのが通例となり、クソゲーのリストではなく、その年を振り返る目録であり総決算のような位置づけとなった。
テンプレの文言においても、クソゲーと明言して決定しているのは「一番のクソゲー」すなわち大賞のみであり、それとて相対的な判断でしかない。
わかりやすい例として取り置いていた最後のエントリー作品を、ここで紹介しよう。
それが『サクラノ刻』であり、端的にいえば攻略不可ヒロインの多さと後半の展開に物言いがついた。
一方で、2023年の最優良エロゲーを選ぶとするなら大本命となるだけの圧倒的好評を獲得している。
しかし、それを理由にエントリーが拒絶されることはなく、クソゲーか否かジャッジされることもない。
ただ「定められた手続きに従って不満を表明した者が1人いた」と記録されるだけである。
「クソゲーオブザイヤーとは、厳格かつ公正な審査を行い、一定以上の格を有するクソゲーだけを選りすぐって紹介する場」という概念は、今や幻想でしかなくなった。
『サクラノ刻』のエントリーが、その幻想を破壊してくれることに期待する。
では審査せず何をするのかと問われれば、エロゲーに不満を覚えたという悲劇を通しての感情の解放と答えよう。
そしてそれは、苦しみを笑いに昇華するという理念の追求にも繋がっていく。
選評システムは、その手段として合理的に機能してきた。
選評者は選評の執筆を通して己の感情を認識し、受容し、理解し、表現する。
議論するのではなく、事実たる作品内容をもとに自身の体験を語る。
不満を感じた箇所を引用し、どう不満だったかを具体的に述べる。
住民はその悲劇の聞き手として、傾聴し、適度に質問し、共感したならそれを示すが、審判は下さない。
共感できずとも理解して受け入れようとし、理解できないならできないままに、そういう苦しみもあると認知する。
それができれば、未知の苦しみがひとつずつ既知に変わってゆく。
経験ではなく想像によって感情を模倣した贋作にすぎないとしても、そのストックを増やすほど、精神は様々な怒りや悲しみに対応しうる柔軟性と強靭さを得る。
この効果は、「何のお墨付きも与えない代わりに、参加を広く受け入れる」方針の大きな意義のひとつといえよう。
反面、作品内容に基づき丁寧に持論を語ればまず通る環境は、危うさも孕んでいる。
個人の意見であると前置きすれば、何を言っても許されるわけではない。
語り手として、聞き手として、傍観者として、KOTYeにいかなる意味を見出し、いかなる立場に立ち、その上でどう振る舞うのか。
KOTYeの在り様と行く末は、関わる者たち一人一人の仁義に委ねられている。
それでも、ではなく、だからこそ、KOTYeは誰でも自由に自身の悲劇を語りに来られる避難所であれ。
怒りも悲しみも、語り合って解き放ち、前向きに笑い流せる隠れ家であれ。
果てのない闇も繰り返す後悔も乗り越え、ともに銀燭の明日を探せる船であれ。
そう切に望む。
末筆となるが、戯画謹製の名作『バルド』シリーズの文言に覚悟と願いを託し、KOTYe2023の結句として強く書き刻む。
「Don't believe THE TRUTH,
Believe YOUR JUSTICE and YOUR HEART.
さあ、お前のJINGI……貫いてみせろ!」