私の半生
2007年04月07日
19:25 私の半生
19:25 私の半生
だんこん
物心ついたとき、既に監視は開始されていた。 その頃は気付かなかったが、恐らく両親共々、組織から金を受け取り、逐一僕の状況を報告していたものと思われる。
僕が5歳になる頃、初めて交通事故に巻き込まれ、その直後、家は新築に建て替えられる。
そこを境に両親の羽振りは突如良くなり、服装も変わった。その頃の母親の悪魔の如き喜び様が、今も鮮明に甦る。
多額の金銭を組織からまわされた結果に違いなかった。すべては仕組まれていたわけだ。
そこを境に両親の羽振りは突如良くなり、服装も変わった。その頃の母親の悪魔の如き喜び様が、今も鮮明に甦る。
多額の金銭を組織からまわされた結果に違いなかった。すべては仕組まれていたわけだ。
幼い頃の僕は段々と世の中に立ち込める不穏な空気、なんとも胡散臭い 両親の奇麗事の並べ立てに代表する、世の中(裏組織)からの押し付けがましい洗脳に気付き始めていた。
教育者共は鎖の付けられた豚と言ってよく、偏見という名の教育を振りかざしながら、自分たちは豚小屋の中で自分の糞を食い散らかしていた。
お前たちも、自分の糞を食べなさい、食べなさい。大きくなれません、立派な大人になりませんよ。
教育者共は鎖の付けられた豚と言ってよく、偏見という名の教育を振りかざしながら、自分たちは豚小屋の中で自分の糞を食い散らかしていた。
お前たちも、自分の糞を食べなさい、食べなさい。大きくなれません、立派な大人になりませんよ。
僕は恐ろしかった。ただでさえ、信頼できる人間がいない中で、たとえ豚小屋の住人だとしても、ここ(あの頃、教育現場には裏組織の手はかかっていなかった。)でさえ認められないのなら、自分の居場所はない。
勉強だけはし続けた。あらゆる偽情報に踊らされないためにも、知識と、考える訓練は必要だった。
が、小学校4年の時だった。豪雪の音を聞きながらひどい金縛りにうなされた、懐かしいような暖かいような桃色の光にどれくらいの時間包まれていただろう?気が付くと僕は宇宙船の中にいた。
目の中身も宇宙空間になっている奴等の顔を見て、不思議と恐怖は感じなかったが、そのときに後頭部に埋め込まれたマイクロチップにより、僕の人生は更なる過酷な道へと進むことを決定つけられたのだった。。。
目の中身も宇宙空間になっている奴等の顔を見て、不思議と恐怖は感じなかったが、そのときに後頭部に埋め込まれたマイクロチップにより、僕の人生は更なる過酷な道へと進むことを決定つけられたのだった。。。
2007年04月09日
04:51
04:51
1: かわだ
質問ですが、偽情報に踊らされない為に得た知識、その知識自体が偽情報から得た知識ではないのでしょうか?
偽情報と偽じゃない情報はどのような違いがあるのでしょう?
どうやって判別すればよいのでしょう?
偽情報と偽じゃない情報はどのような違いがあるのでしょう?
どうやって判別すればよいのでしょう?
2007年04月09日
13:23
13:23
3: だんこん
>かわださん
良い質問です。 正しい情報と偽情報の見分け方ですね。
はっきり言いますと 見分け方はありません。それどころか偽情報ではないものなどありません。
良い質問です。 正しい情報と偽情報の見分け方ですね。
はっきり言いますと 見分け方はありません。それどころか偽情報ではないものなどありません。
一足す一が二であることすら疑わしい。
昔、地動説を唱えたガリレオは裁判に掛けられましたね。あの時代は誰もが天動説、つまり宇宙は地球を中心に回っていることを信じて疑わなかった。
しかし、今では 地球が太陽の周りを回ることは常識になっています。
しかし、それだって分からない。間違っていない保証なんてどこにもないんです。
昔、地動説を唱えたガリレオは裁判に掛けられましたね。あの時代は誰もが天動説、つまり宇宙は地球を中心に回っていることを信じて疑わなかった。
しかし、今では 地球が太陽の周りを回ることは常識になっています。
しかし、それだって分からない。間違っていない保証なんてどこにもないんです。
つまり、全部が疑わしく、あらゆる情報は砂上の城の如く 不確かなものの上に成り立っている、体重を預けてはならないあやふやなものだと いう、 そういった意識を持つことが重要なのです。
ただ、疑い、吟味し、騙されないように考えて考えて 今のところ採用していいものなのかを考え抜く 過程に意味があります。
だから、まずは自分の頭で考えて考えて考え抜きましょう。
だから、まずは自分の頭で考えて考えて考え抜きましょう。
どうやって判別したらいいのか?
まずその甘えを捨ててましょう。その甘えに奴らは突け込んできます。
考えて、騙されて、を繰り返す中で、言葉には言い表しにくい 組織の持つ独特の匂いをかぎわける 嗅覚を鍛えることで、僕らは戦う術を身に付けていくのです。
2007年05月03日