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判断力

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判断力 03/07/17

  時事ネタを扱わない理由とは、時事・社会・国際ネタ専門のメールマガジンをいくつか購読しているせいで、どう考えても敵わないし、それを読んで論旨を盗んだところで寝覚めも悪い。ど素人としての的外れな見解を書いても後々恥となるだけであるし、ただの感想であれば更に情けなくて自分が許せなくなる。

  そもそも加工され、取捨選択されたニュースだけを見て生きていくほうが遥かに楽ではある。我々には加工されていないニュースは届かないが、ニュースとしての価値がないと見なされた、あるいはニュースに出すべきではないと判断された出来事を推測する程度の頭はある筈だ。

  「知らない人について行ってはいけません」と教え込み、自らの頭で判断することを教えない親が、TVや新聞を見て「TVや新聞の批判と同じように」TVや新聞が批判すると決めた対象を批判する。それを見て育つ子供はさぞや従順で扱いやすいことだろう。マスメディアの偏向に批判を向けようとしないのはお笑い種だが、それは決して「メディアが偏向しているのは仕方がない」ことを前提としているわけではなくて、「メディアは一応中立である」ことを前提としているわけだから手におえない。

  犯罪に流行などなく、類似の事件が特別頻発しているわけではない。類似のニュースが多いだけなのだ。あらゆる出来事を網羅することが出来ない以上、取捨選択により我々のところまで届かないニュースが一体どれだけあることか。何か大きな事件があれば直ちに類似のニュースを連発しておいて「最近こういうニュースが多いですね」お茶目なことを言うじゃねえか。「流行の犯罪」という流行を造り出しておいて、次の瞬間野次馬に変身とは忙しいこっちゃのう。

  「マスメディアは信用できない」という言葉を信用する人が少ないのは情けない限りだが、それを利用して個人的に信用するに値する人とそうでない人を見分けることが可能なのは救いと呼べるかもしれない。

  巨視か微視か、どちらかを選んでしまうことの出来る人もいるし、両方を使い分ける能力を持つ人もいる。しかし大抵は巨微混用して話にならない場合が多い。

  他人の言葉に蝕まれ
  判断力が失われてゆく

  自らと自らの判断力を信じることが出来ないならば、すべてを信じて生きていくがいいさ。痛い目に遭おうとも誤魔化しの言葉さえ信じて生きていくなら尊敬するぜ。正直者は馬鹿を見て、善人から順番に死んでゆく世の中巧く渡って行きなよ。ついでに、天寿を全うする家畜などいないことは知らないほうがいいと思うぜ。
 
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