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うわごと
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うわごと 03/12/09
その国で育った者が海外から来た人間を全て「子供みたいな奴」と考える理由とは、どの社会に於いてもまだ社会のルールや習慣とマナーや価値観を習体得していない子供の姿が、その社会の約束事を心得ていない外訪者に重なる為であって、だから外国人は子供っぽいと考えてしまうのだ。ストロースだ。だから日本人の評判が「まるで子供」というのは当然の結果でもあるし、その日本人は日本国内で外国人を「子供のように我侭」と言うのだから根は深い。
如何に理不尽であろうとも社会が存在する以上規範も存在する。規範が存在する以上遵守する人と突破する人が存在する。しかしその突破する人はその社会では理の人とならない。それは理不尽が社会の規範であるならば、理不尽こそが正しいのだから、正しい人は正しいとされない。
そもそも一対一の結婚なる制度は「文化の衝突」と形容されている程であるから食に限っても味噌汁紛争鋤焼戦争朝食大戦が勃発する。一対一の相互理解も困難である人間が異なる言語の文化を理解など出来よう筈がないのだ。そのことを前提に置けば、「話せば判る」という立場で序々に絶望感を拡げるよりも、「話しても判らない」という立場から少しづつ希望の灯が燈るほうが幸せである。形を変えた先駆的了解と言えなくもない。しかし「絶望感」に対して「希望感」なる言葉は余り使わないね。これは「絶望感」という用法に何か秘密があるのかもしれんね。
文化の衝突が引き起こすのは混乱だ。そして混乱の中に進歩の芽がある。混乱のない進歩は一見進歩に見えて実はただの醗酵である。陽気に爛れた元禄文化は鎖国の中で進んだ極上の蒸留酒の上澄に今からなら見える。しかし元禄文化を彩る数々の文化的作品は当時でも先鋭的な退廃文化であったに過ぎない。例えるならば、数百年後に発見された紀元二千年前後の文化資料がエロ漫画エロ雑誌エロ本エロビデオ裏ビデオエロDVD無修正DVDのみであるならば「この時代の人間いかれとる・・・」と考えられてしまう。一部の先鋭をその時代の看板化することは避け難い以上、「なめ猫」を時代の象徴とせねばならない恥も受け入れねばならないわけだ。
というわけでバブルと世紀末の間でひっそり育った我らが世代は「失われた十年」などと言う心無い言葉に表された時代を何となく歩いて気が付けば物憶う年頃、第二次ベビーブーム世代の煽りをもろに受け続けていくわけですよ御同輩。我々の文化は我々が誇れる物を我々の手で作ろうよ。
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