「森国人+医師+整備士」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

森国人+医師+整備士 - (2008/11/05 (水) 23:27:40) の最新版との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#center{ *治(直)す者、その始まり }  玄霧藩国の医師と整備士。  玄霧藩国の医師として有名なマッドサイエンティスト(厳密に言ってしまえば治療行為はついていないが、玄霧藩国のマッドサイエンティストは治療が可能である)は、整備と医療の両立が可能な職業として知られているが、彼らの源流というべき、医療と整備を両立した存在は、藩国建国当初から存在していた。  当時としては高い治療能力と整備能力は、戦闘の役にこそ立たなかったが、その存在した意味は、後に皆の知られるところとなる。 #image(center,isi m.jpg,title=今日も今日とて仕事です) #clear ---- #center{ &ref(アイコン(カプセル).gif,,title=さあ)&font(30px){たすくるもの}&ref(アイコン(カプセル).gif,,title=飲め) もし、あなたの目の前に、何種類もの力があって。 その中からどれかだけを選べといわれたら、あなたはどれを選びますか?  人の言う『力』には無数の定義が存在し、それらのもつ価値もまた、人それぞれによって異なる。  それは剣をもて切り結ぶ力かもしれないし、  魔法によって炎を起こす力かもしれないし、  あるいは機械を自在に操る力かもしれない。 &ref(isi 2.jpg,,title=hakoさん)&ref(isi 1.jpg,,title=玄霧藩王)  これは、玄霧藩国の選んだ力がたまたま『なおす力』であっただけという  だが決してそれだけでは終わらない、そんなお話である。 } ---- #center{ &ref(アイコン(カルテ).gif,,title=中身は)&font(30px){なおす}&ref(アイコン(カルテ).gif,,title=秘密よ) }  医師と整備士。生身と機械という違いこそあれど、両者に共通する性質として、なおす能力を持っている事が挙げられる。  どちらの技術も根幹は同じ。『構造を理解して、問題部分に手を加え、機能を改善する』事を指して「なおす」と言うのだ。  メスをもって病巣を切開することも、スパナとレンチによって老朽化した部品を交換することも、薬を処方して風邪への対処法を教えるのも、全て同じ。  そこには、必要な知識分野の違いしか存在せず、そしてその両方を習得しているのが、玄霧藩国の医師と整備士達であった。 #center{ #image(手術台.jpg,inline,title=ここもまた戦場) 病院にて白衣を纏うもの達が振るうメスも、&br() 整備工場にてツナギに身を包むもの達が掲げるレンチも、 #image(整備工場.jpg,title=今宵も不夜城と化す) }  その存在意義は共通している。目的意識が統一されているからこそ、見えてくるものもある。  目指す頂があるからこそ、伸ばした手が掴むものもあるのだ。  そして、そんな彼らが掴んだものに、こんなものがあった。 #center{ /*/ } #image(right,しじま1.jpg)  『理想再現(イメイジング・グローリー)』  その言葉を、今でも覚えている玄霧藩国人はそう多くない。  かつては医師であり整備士である彼らと、その能力を指し示していた言葉である。技名と言い換えてもいい。  理想を再現するもの。栄光の体現者。  輝かしい文言であるこれらは、確かに彼らを称えるものではあったがしかし、決して彼らの天才性を意味する言葉ではない。  才能と言うものも間違いなくあろう。だが、数ある中で万人に許された才能はただ一つ。  その名を、努力と言う。  特別でなく、ただ地道に、ひたむきな修練が、考え付く最高効率の動きを体現してみせるまでに技術を磨きぬく。  遠き果てない理想に手を伸ばし、求め続けあがき続けたからこそ、掴み取った栄光。それが彼らの技であり、誇りなのだ。  だから、誰しもがその言葉を忘れ去った今でも。その誇り、その志が彼らの胸に息づいている限り、理想は再現され続ける事になるだろう。  過去から現在に、やがては未来へ。 #clear *だから、と、そして #ref(アポロ1.jpg) #ref(マイム1.jpg)  とはいえ、彼らのの歩んできた道のりは、決して優雅で栄光に満ちたものなどではない。  古くはそもそも出撃の機会がなく、医療能力が求められる機会もなかった。誰かの役に立つこともなく、ただ別の『力』を持った者が活躍するのを横目に見ていた。  やがて、死者が出始めて初めて、存在を求められた。戦場で死に掛けた者の息を吹き返すのが、主な役割になった。  戦場で控え、被害がなければ待機で終わり。誰かが死んだときのための、保険。 「医師は仕事がないほうがいい」  その心に偽りはなかったが、そもそも死と向き合う事しか出来ないということが歯痒かったと、当時の医師達は語っている。 #ref(hako1.jpg)#ref(マイム2.jpg)  それでも。幾多の人々の願いと声を力に代えて、誰もが諦めるような難手術を成し遂げ、数多の人々の命を救ってこれたことを、彼らは正しいと信じているのだ。  戦争である以上、どうやっても犠牲は出る。ならば、その犠牲をどれだけ減らせるかが彼らの戦いであり、それこそが求める『力』なのだということ。  あの時選んだ『力』が、決して間違いではなかったのだと信じて、彼らは医療に、修理に従事し続けている。 #ref(イク1.gif) 「私はまだ、歩き続けることが出来ています。我々の土台を築いたあなたに、恥じることがないように。 だから、また、いつか」 #ref(文月医.jpg) &ref(isya.jpg)
#divid(layout_isi){ &anchor(01){} #center{ *なおす者、その始まり } ---- #center{&link_anchor(02){たすくるもの}/&link_anchor(03){なおす}/&link_anchor(04){だから、と、そして} } ---- #image(center,isi m.jpg,title=今日も今日とて仕事です) #clear  玄霧藩国の医師と整備士。  玄霧藩国の医師として有名なマッドサイエンティスト(厳密に言ってしまえば治療行為はついていないが、玄霧藩国のマッドサイエンティストは治療が可能である)は、整備と医療の両立が可能な職業として知られているが、彼らの源流というべき、医療と整備を両立した存在は、藩国建国当初から存在していた。  当時としては高い治療能力と整備能力は、戦闘の役にこそ立たなかったが、その存在した意味は、後に皆の知られるところとなる。 ---- &anchor(02){} #center{ &ref(アイコン(カプセル).gif,,title=さあ)&font(30px){たすくるもの}&ref(アイコン(カプセル).gif,,title=飲め) もし、あなたの目の前に、何種類もの力があって。 その中からどれかだけを選べといわれたら、あなたはどれを選びますか?  人の言う『力』には無数の定義が存在し、それらのもつ価値もまた、人それぞれによって異なる。  それは剣をもて切り結ぶ力かもしれないし、  魔法によって炎を起こす力かもしれないし、  あるいは機械を自在に操る力かもしれない。 &ref(isi 2.jpg,,title=マイムさん)&ref(isi 1.jpg,,title=玄霧藩王)  これは、玄霧藩国の選んだ力がたまたま『なおす力』であっただけという  だが決してそれだけでは終わらない、そんなお話である。 } ---- &anchor(03){} #center{ &ref(アイコン(カルテ).gif,,title=中身は)&font(30px){なおす}&ref(アイコン(カルテ).gif,,title=秘密よ) }  医師と整備士。生身と機械という違いこそあれど、両者に共通する性質として、なおす能力を持っている事が挙げられる。  どちらの技術も根幹は同じ。『構造を理解して、問題部分に手を加え、機能を改善する』事を指して「なおす」と言うのだ。  メスをもって病巣を切開することも、スパナとレンチによって老朽化した部品を交換することも、薬を処方して風邪への対処法を教えるのも、全て同じ。  そこには、必要な知識分野の違いしか存在せず、そしてその両方を習得しているのが、玄霧藩国の医師と整備士達であった。 #center{ #image(手術台.jpg,inline,title=ここもまた戦場) 病院にて白衣を纏うもの達が振るうメスも、&br() 整備工場にてツナギに身を包むもの達が掲げるレンチも、 #image(整備工場.jpg,title=今宵も不夜城と化す) }  その存在意義は共通している。目的意識が統一されているからこそ、見えてくるものもある。  目指す頂があるからこそ、伸ばした手が掴むものもあるのだ。  そして、そんな彼らが掴んだものに、こんなものがあった。 #center{ /*/ } #image(right,しじま1.jpg,title=両手に宿るは練達)  『理想再現(イメイジング・グローリー)』  その言葉を、今でも覚えている玄霧藩国人はそう多くない。  かつては医師であり整備士である彼らと、その能力を指し示していた言葉である。技名と言い換えてもいい。  理想を再現するもの。栄光の体現者。  輝かしい文言であるこれらは、確かに彼らを称えるものではあったがしかし、決して彼らの天才性を意味する言葉ではない。  才能と言うものも間違いなくあろう。だが、数ある中で万人に許された才能はただ一つ。  その名を、努力と言う。  特別でなく、ただ地道に、ひたむきな修練が、考え付く最高効率の動きを体現してみせるまでに技術を磨きぬく。  遠き果てない理想に手を伸ばし、求め続けあがき続けたからこそ、掴み取った栄光。それが彼らの技であり、誇りなのだ。  だから、誰しもがその言葉を忘れ去った今でも。その誇り、その志が彼らの胸に息づいている限り、理想は再現され続ける事になるだろう。  過去から現在に、やがては未来へ。 #clear ---- &anchor(04){} #center{ &ref(アイコン(注射).gif,,title=待ったなし)&font(30px){だから、と、そして}&ref(アイコン(注射).gif,,title=容赦もなし) }  彼らの歩んできた道程は、決して優雅で栄光に満ちたものなどではない。  古くはそもそも出撃の機会がなく、医療能力が求められる機会もなかった。誰かの役に立つこともなく、ただ別の『力』を持った者が活躍するのを横目に見ていた。 #image(left,アポロ1.jpg,title=戦場の医師たち)  やがて、死者が出始めて、存在を求められた。  戦場で死に掛けた者の息を吹き返す。  それが、主な役割になった。  戦場で控え、被害がなければ待機で終わり。  誰かが死んだときのための、保険。 #clear #image(right,hako1.jpg,title=野戦病院)  「医師は仕事がない方がいい。少なくとも、戦場では」  その心に偽りはない。  だが、死と向き合う事しか出来ないという事が歯痒い。  そう、当時の医師達は語っている。 #clear #image(center,イク1.gif,title=家に帰す。ただそれだけ)  それでも。幾多の人々の願いと声を力に代えて、誰もが諦めるような難手術を成し遂げ、数多の人々の命を救ってこれたことを、彼らは正しいと信じているのだ。  戦争である以上、多かれ少なかれ犠牲は出る。ならば、出てしまった犠牲をどれだけ減らせるかが彼らの戦いであり、それこそが求める『力』なのだということ。  あの時選んだ『力』が、決して間違いではなかったのだと信じて、彼らは医療に、修理に従事し続けている。 #center{ &ref(マイム1.jpg,,title=さあ)&space(5)&ref(マイム2.jpg,,title=頑張って行こう) } #center{ /*/ 「私はまだ、歩き続けることが出来ています。 我々の土台を築いたあなたに、恥じることがないように。 だから、また、いつか」 } #right{ ――差出人不明の手紙&space(20) } #image(center,文月医.jpg,title=そんなお話) #center{ &link_anchor(01){<トップへ戻る>} } &br()&br()&br() }

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
記事メニュー
目安箱バナー