《dj nagureo》
ビーマニシリーズの原点を生んだ偉大なる創世主。
というか南雲玲生という一人のKONAMIスタッフがいなければ、ポップンひいては
ぐた☆ぎとすら誕生しなかった、といっても決して過言ではない
ビーマニシリーズの黎明期からゲームクリエイター、プロデューサー、コンポーザーとして幅広く制作にかかわり、「
ポップンミュージック」というタイトルの名付け親もまた、南雲である。彼の代名詞的な曲といえる「20,November」はビーマニシリーズを代表する名曲と言って否定するものはほぼいない。他にも弐寺のRシリーズといったレイヴ系の楽曲、「KAMIKAZE」などのテクノ系楽曲、「
platnic love」といったロックテイストの曲からポップス、レゲエまで幅広く手掛ける。
また、ポップンキャラの一人である「レオくん」のモデルでもある。
レオくんの好物がチョコレートなのも、南雲本人もチョコレート好きだからであるようだ。
こうして古くからビーマニシリーズにかかわり続けた南雲であるが、2006年の「IIDX13 DistorteD(
歪寺)」
公式サイトで「tiger YAMATO(南雲がRシリーズのクレジットとして用いていた名義で、設定上ではnagureoとは別人とされる)の活動を休止する」と宣言。
南雲はすでに2000年にKONAMIを退社。後に2003年には青山学院大学で経済学を学びながら(既に卒業済み)新会社ユードーを立ち上げた。
この事から、ファンの間から「nagureoはビーマニシリーズそのものから手を引いたのではないか」と騒がれた。
それを裏付けるかのように、彼が私設した音楽投稿サイトに関連した事項でコンマイと行き違いが生じたとうわさされ、2008年稼働の弐寺新作「16 EMPRESS」では「KAMIKAZE」など5曲を除いて20曲を越す南雲の曲が全て削除されたこと、2009年2月稼働の「ポップンミュージック17 Movie」でも南雲が関わった曲が何曲か削除されたため、その風説に真実味を与えることとなった。
それに関連し、AC17ロケテの頃「もし本稼働でロケテになかった南雲曲どころか、ロケテで存在が確認された曲(
ミスティやホンコンユーロ)まで消えてたら、ポップンのユーザー離れを一層加速させることは確実
っつーかもう俺だってやらねーよバーカ!」的な意見も随所で見られ、現在の
熱帯人口衰退に多大な影響を与えているという見解も当然のごとくなされている。
dj nagureoとは、それほど古くからの音ゲーファンにとって偉大な存在なのである。
余談であるが、南雲はあるインタビューにおいて「音楽ゲームって“曲”の存在が“敵キャラ”になるんですね。そのため、新曲をどんどん作り続けるスパイラルに陥ってしまいます」と述べている。
これをビーマニシリーズの黎明期からその変遷を見続け、音楽性を二の次にした超高難易度譜面が続出する現状に対しての皮肉、と受け取るとしたらうがち過ぎた見方なのかもしれないが…。
最終更新:2012年12月26日 15:52