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夜の狙撃手(後編) - (2024/03/14 (木) 22:58:36) のソース
「ヨシネの弁当いつもおにぎりネ」 と、傍で声がした。 (あれ……?) 葉月は、周囲を見渡す。道場の片隅。 下は道着、上は無地のTシャツを着ている桐生ヨシネと、黒いインナー姿の姚莉鈴。 「私のは春卷。師匠が作ってくれたヨ」 「ふん、美味しいじゃない。他には無いのかしら?」 「誰が食べていい言ったネ!? 食べ物の恨み恐ろしいヨ!」 ぎゃあぎゃあと子犬のように取っ組み合う二人を横目に見ながら、葉月は不可思議な感覚に囚われていた。 これは、現在(いま)ではない。 もうずっと前、まだ葉月が八歳かそこらの頃の記憶。 この頃は、葉月の父親の人脈で、何度も武術交流会が開かれていた。 葉月の父、陣内葉介は武術家としては祖父の才能を受け継がなかったが、経営者の才はあった。 剣術家として名を売り、伝統を脚色した著作を出し、芸能人に見栄えだけの技を教え、様々な人脈を形成した。 葉月は、父のことが好きだった。 お前は天才だ、と褒めてくれる。 古風な口調を強要されることは辟易していたが、門下生のアイドルとしてちやほやされたり、父親に連れられて武術家たちにその才能を絶賛されることは楽しかった。 幾度となく開かれた武術交流会には、葉月と年代が近い子どもたちも多くおり、その中でも突出した才を見せていた葉月、ヨシネ、莉鈴が仲を深めるのにそう時間はかからなかった。 今にして思えば、きっと武術が被っていなかったことが、三人の仲を良好にしたのだろう。 剣術、謎武術、中国拳法。 三人はそれぞれの分野の若き才媛であり、いずれは頂点に立つ存在である。大人たちは皆そう思っていたし、きっと葉月たちも口には出さないが、それを自覚していた。 自分たちは強すぎる。 (けど、誰が一番強いのかって話は、一度もしなかったな) 遠慮があったわけでもなく、臆していたわけでもない。 きっと興味が無かったのだ。ヨシネは、あまり親の流派を継ぐことは乗り気ではなかった。才に溢れる故に周囲の大人たちは気づいていないが、当時の葉月は何となく、ヨシネはそのうち辞めるのではないかと感じていた。莉鈴もまた、拳法を技術の一つに過ぎないと考えているようだった。 ご飯食べられれば何でもいいネ。 そう話す莉鈴の目には、何不自由なく生きてきた葉月には推し量れぬ闇があった。 そして葉月もまた、最強という言葉にさほど興味は無かった。 剣の練習をする。皆が偉いと褒めてくれる。 それだけでいい。 ヨシネや莉鈴といった友達もできた。 それだけで十分だ。 (この二人とは、ずっと一緒だと思ってたっけ) これは、過去だ。 夢、なのだろうか。 幼馴染二人の姿が幼い。今のヨシネと莉鈴を、葉月は知らない。 これから一年後、ある武術交流会で陣内葉介と陣内葉月は、新顔の零細道場から来た親子と模擬戦を行い、完敗する。 それ以来、武術交流会にヨシネや莉鈴が来ることはなかった。きっと、見放されたのだろう。 あの時集まっていた三人で、葉月だけが場違いだった。 自分を天才と思いあがった、凡人。 きっと、まだ子どもである二人にそこまで能動的な意識はなかったはずだ。 ただ、彼女たちの師匠、ヨシネの父親(巌のような体格の壮年の男)や、莉鈴の師匠(十代にすら見える、美しい中国人女性)は、葉月の父よりストイックに見えた。 自分の父親が幼馴染の師匠にあまり尊敬されていないことは重々承知していたし、きっと師匠の方針で、会えなくなったのだろう。 その後、門下生たちの噂によれば、莉鈴は消息不明、ヨシネもまた両親が怪死してからは消息を絶ったという。 二人とはもう二度と会えない。 その事実を胸に、葉月はノスタルジーに浸る。 この頃は、そんな風には思っていなかった。 死闘の果てにヨシネのおにぎりに齧りつく莉鈴を見て、葉月は微笑む。 二人とも、今はどうしているのだろう。 ◇ 場面が、切り替わっている。 葉月は、息を顰めていた。 気配を殺し、そっと客間の様子を窺う小学生の葉月……といっても先ほどより二年ほど経っている。 (ああ、挫折した頃か……) 自身が同年代の剣術女子に、完敗した後の時代。 やはり、奇妙な感覚だった。同じ肉体に二つの意識が宿っているかのようだ。 十歳の葉月に、十五歳の葉月の精神が入り込んでいる。 それでいて、行動そのものは過去をなぞったものだ。 ガラス戸を僅かに開けて、葉月はそっと、客間の様子を覗いている。 豪壮なソファに腰かけ、背中を向けているのは自身の父、葉介。 対面しているのは抜刀道場師範、抜刀銀蔵と、その娘、金。 一年前、葉月と葉介を完敗させた親子。 居合術と剣術という異色の対決であった。互いに防具を付け、武器は竹刀で向き合い、先に三本取った方の勝ち。居合術という奇襲を得意とする武術を試合という正面対決に持ち込む父の政治力と姑息さに十五歳になった葉月は感心すら覚えるが、当時はただ新顔の同年代の女の子に自分が凄いんだということを見せつけようとして——負けた。 竹刀という居合にはおよそ不向きな武器をあてがわれたにも関わらず、金の居合は閃光めいていて、瞬く間に葉月は三本取られた。 なまじ才能が多少はあった故に一本目を取られた段階で気づいてしまった。 勝てない。 齢十歳で、既にこの子は、葉月の父より強い。 残りの二本は、勝ち負けを通り越し、もはや好奇心の世界だった。 びっくり人間ショーを見ている気分だった。 だから、三本取られた後、今まで見たことも無いほど激怒した父親に叱責され、ようやく葉月は、自身がとんでもない大罪を犯したことに気づいたのだ。 父親の築いた名声に泥を塗った。 獣のように吠えたてる父親は怖くて、それ以上に醜かった。 試合に負けたことより、父親のそんな姿を見てしまったことが辛くて、葉月は涙を零しながらトイレへ逃げ出した。 途中すれ違ったヨシネと莉鈴は小声で言葉を交しており、きっとそれは葉月の弱さに呆れていたのだろう。 トイレで散々泣き、涙を洗い流して道場に戻ると、父親が介抱されていた。 抜刀銀蔵に三本取られ、三本目では無理な体勢で攻めようとし、こめかみに竹刀が直撃したらしい。 騒然とした空気の中で、その日の武術交流会は終わった。 父はそれから二度と抜刀家の話題は出さなかった。 ——その抜刀家が、客間に居る。 やつれた顔の抜刀銀蔵と、浮かない表情の金。 以前あった時はずっと涼しい顔をしていた少女。 「おたくらの道場が苦しいのは、俺も知ってるよ」 と、父は言った。 その声には愉悦が隠しきれていないことを、葉月は幼心に察していた。 銀蔵が頷き、隣の金は視線を机に這わせていた。 「同じ武術家なんだ、俺としてもあんたがたを助けてやりたい思いがある」 銀蔵の顔に喜色が拡がるが、葉介はまぁ待て、と手で静止した。 「条件が一つある」 「条件、ですか……」 嫌だな、と葉月は思った。 困っているなら助けてあげればいいのに。 当時十歳の葉月はそう思った。 十五歳の葉月なら、物事はそう簡単ではないと知っている。零細道場を立て直すには、かなりの資産が必要だ。それこそ金の延べ棒でも無いと。 「どういった条件でしょうか……」 「一年前に、おたくらと模擬戦をしたね。あれを——騙し討ちだったと公表してほしい」 「なっ……!?」 銀蔵の顔が驚愕に変わる。 葉月も、息を呑んだ。 あれが、騙し討ち……? 違う。 銀蔵と葉介の試合がどうであったのかは知らないが、葉月と金の戦いは真っ当なものだった。真っ当に戦い、単純な実力差で金は負けたのだ。 「そう、あれは騙し討ちだったんだ。お互いの長所を上手く披露し合えるようある程度約束があったにも関わらず、おたくらは一時の名声に目が眩んで、約束を無視して奇襲をしかけた。それが、あの事件の真相だ」 「ま、待ってください……そんな約束、無かったじゃないですか!?」 銀蔵は困惑と共に立ち上がる。 黒檀のテーブルが揺れ、葉月は身体を震わせた。 「だいたい、それを認めてしまったら、私の道場の信頼は地に堕ちます……! どうにか、他の条件というのは……」 「おたくら、自分が何をしたのか分かっているのか?」 葉介は怒気を発した。あの時のような、獣じみた怒り。 きっと一年間、父はこの怒りを内に秘め、育ててきたのだ。 「うちの娘はぁ、葉月はなぁ、天才剣士としてプロモーションしてたんだよッ! 無敗の美少女剣士としていずれうちの道場の広告塔になる存在だった。 それをおたくらはぶち壊したんだッ!」 ああ、何て身勝手な怒り。 葉月は納得した。ヨシネや莉鈴が自分を見限った理由がようやく分かった。 陣内道場は——あまりにも、武術からかけ離れた場所に居る。 「陣内葉月は、試合では無敗なんだ。そういうことにならなきゃ、駄目なんだよ……! あんたも娘を持っているなら、俺の気持ちが分かるだろ!」 その時、十歳の葉月は強烈な嘔吐感に包まれた。 試合に負けた時より、父に怒られた時より、その何倍も、何十倍も、悔しさが襲ってきた。 あの時のように逃げ出したい。誰にも見えない場所で泣き喚きたい。 なのに、その場を動けない。 抜刀銀蔵は顔を白黒させながら惑っている。 金はずっと視線を机に這わせていて。 その視線が上に上がり、葉月の視線と交わった。 (あ…………) 見られた。 刺すような羞恥心が葉月を襲った。 違う、とガラス戸を開け客間に躍り出し、大声で喚きたかった。 私はそんなこと思っていない。私は負けを消したいとは思っていない。勝者を貶めたくない。 なのに、身体が動かない。ショックで金縛りになったかのようだった。 金の瞳は、透き通るように綺麗だった。彼女の居合のようにどこまでも真っすぐで。 すぅ、とその瞳が細められた。 ああ。 葉月は悟った。 きっと抜刀金の中で自分は剣士として雑魚であり、かつ父親に泣きついて負けを消そうとする我儘で卑怯な子供として見られたのだろう。 軽蔑の視線。 金は、もはや視界にも入れたくないとでもいった様子で葉月から視線を外した。 そして 「騙し討ちをして、申し訳ありません」 感情を一切載せない声で、ソファから立ち上がり、その場に跪いた。 そして、深々と頭を——。 葉月は目を閉じた。 彼女の姿をこれ以上見てしまうと、心が死んでしまうと思った。 そしてぐちゃぐちゃになった十歳の葉月の中で、十五歳の葉月は、自身に起こっていることに、ようやく気づいた。 ——これは、走馬灯だ。 ◇ 三度、場面は切り替わる。 深夜の公園、キャッチボールしか出来ない程度の広さのそこに、十メートルを超える竜の死骸が横たわっている。 竜は、額に二本の角が生えている。 頭部には鬣じみた形状の器官があり、四足歩行の足は大樹のように太かった。 竜は竜でも、恐竜。 夜間にのみ出現する恐竜型エネミー。それが、十五歳になった陣内葉月の前で粒子化しているエネミーだった。 「す、凄いです……」 隣で感嘆しているのは、陣内葉月、魔法少女名ブラックブレイドの、年下の先輩、七海真美。 「物理攻撃が一切通らないと分かったときはどうしようと思いましたけど、まさかブラックブレイドさんの魔法が——固体じゃなくても、切断できるなんて」 「…………」 はしゃぐ真美とは対照的に十五歳の葉月の顔は暗かった。 同じ十五歳、正確にはこの時の半年後の葉月は思う。 (まぁ、ショックだよね……まさか発現した魔法が『なんでもぶった斬れるよ』……剣士である意味を無くしちゃう魔法なんだもん) 魔法少女になれば、非才の身、紛い物の無敗でも使い物になるかと期待したのもつかの間。 発現したのは剣術遣いである自分を否定するかのような魔法だった。 何でも切断できる。そんな魔法があれば、ブラックブレイドの剣術スキルは意味を為さない。 それこそずぶの素人でも、どんな剣士よりも威力の高い斬撃を放てる。何しろ、何でもぶった斬れるのだから。 何て、無様。 (これが、私の本性) ああ、きっと今なら抜刀金に勝てるのだろう。 彼女の居合はあくまで技術であり、ブラックブレイドのようなインチキでは無いのだから。 今しがた斬ったエネミーもそうだ。 実態を持たない、幽霊のような恐竜。 剣士なら攻略不可能な敵だが、ブラックブレイドにかかれば、一方的に切断できる。 刀の届く距離なら、無敵。 相手が硬かろうが、実体が無かろうが、斬れる。 当時の葉月は知る由もないが、半年後には斬撃も飛ばせるようになる。 いよいよ外道も極まれりだ。 真の武術家が連日死ぬような鍛錬をしても会得できない技術を、たった半年で。 「あれ、ブラックブレイドさん、なんだか浮かない顔してますけど……」 心配そうに真美が覗き込んでくる。 優しい子だと、ブラックブレイドは知っている。 助けたいという気持ちの大きさだけ強くなる。そんな主人公みたいな魔法を発現した子。 自分のような敗北を後から覆す外道とは大違いだ。 「どうかしたんですか……?」 「いえ、少し、迷いがあって……」 抜刀金との経緯は話せない。 だから、真美を嫌な気持ちにさせないように……それは欺瞞だ、失望されないように、当たり障りのない返答をする。 「私は、今まで剣術をやって参りました。けれど、私の剣術はこのエネミーにはまるで通用しなかった。結局付け焼刃の魔法で事は納められましたが……今までの剣術修行は何だったのかと、すこし憂鬱になりまして」 「うーん……」 と、他人事にも関わらず、真美は深刻そうに悩む様子を見せる。 「……でも、結果として、エネミーは倒せたわけですよね」 「ええ、まあ」 「確かに、ブラックブレイドさんの剣術だけじゃ、このエネミーは倒せなかったかもしれないです。けど、事実として、ブラックブレイドさんの魔法で、エネミーは倒せたわけで、それで、ええっと」 真美は拙くも真剣に言葉を選び、ブラックブレイドに伝えようとしている。だからブラックブレイドも、この年下で優しくて頼りになる先輩の言葉に耳を傾けた。 「ブラックブレイドさんが剣術頑張ってたのって……将来恐竜の幽霊を倒すため、ってわけじゃないですよね」 「……ええ、まあ」 褒められたかったから。たったそれだけの理由だった。 「じゃあ、いいんじゃないですか?。陣内葉月さんと、ブラックブレイドさんは別で」 「別……?」 「たぶん、剣術始めたのって、陣内葉月さんにとって、何か大切な理由があったと思うんです」 「買い被りすぎです……。私はただ……」 「けど、ブラックブレイドさんがこの街に居るのは……」 真美はにっこりと笑みを作った。 「きっと、誰かを助けるためですよ」 誰かを助けるため。 真美の言葉は、ブラックブレイドの心を揺らした。 「私は思うんです。どうして私たちは魔法少女に覚醒したんだろうって。人によって理由は様々ですけど、けど魔法少女は、そうじゃない人には出来ないことが出来るのは確かなんです。じゃあきっと、私たちは、誰かを助けるために魔法少女になったのかなって」 「誰かを、助けるため……」 「エネミーは、人を襲うこともあります。だから、発見したら早急に退治しないといけない。そして、今この場にブラックブレイドさんが居なかったら、退治は出来なかった。私は死んでたかもしれないし、街の人々にも犠牲者が出てたかも」 だから、と真美は続ける。 「気兼ねなく魔法を使っていいと思うんです。どんどん強くなって、どんどんチート魔法になっていいと思うんです。それで、助けられる人が増えるなら。 何でも斬れるようになれば、きっと何でも助けられるようになるから」 「……いいのでしょうか。私みたいな者が強くなっても」 「いいんですよ! ……実生活とか、その、試合とかで使っちゃ駄目だと思いますけど……。けど、私たちにしか出来ないことがあるなら、私たちが強くなることにひけめを感じる理由は無いと思います……!」 「……陣内葉月と、ブラックブレイドは、別か……」 なるほど、そう思えば、この外道な魔法も、受け入れられるかもしれない。 褒められるためでも、父を喜ばせるためのものでも、幼馴染を繋ぎとめるためのものでも、試合に勝つためのものでもなく。 魔法は、誰かを助けるために。 (ああ、そうだ。だったら私は——) まだ、死ぬわけにはいかない。 何でも、斬ってやる。 ◇ (…………帰って来た) 目を開く。 全身が悲鳴を挙げている。 腕を見る。 装束は破れ、二の腕は焼け爛れている。 ゆっくりと起き上がる。痛い。重い。熱い。 きっと全身、酷いことになっている。そういえばここは夜の学校だったっけ。お化けだと、思われるかも。 (いや、もうお化けみたいなものかな) 実感する。致命傷だ。 飛んできた砲弾を斬撃で迎撃できたまでは良かった。けど、抜刀金のようにはいかない。所詮未熟な陣内葉月の剣。 無力化するには反応が遅すぎた。結果、砲弾は爆発し、自分とハスキーロアは吹き飛ばされた。 「そうだ……ハスキーロアは……」 周囲を探る。 居た。 一度視た、黒髪の長身女性が、火傷を負って倒れている。 ——気を失っているが、命に別状は無いはずだ。 (守れた……のかな) いや、まだだ。 まだ敵は残っている。 給水機を見上げる。 彼我の距離はどれ程か。 500m以上はある。 剣士が意味を為さない距離。 きっと抜刀金でも、手も足も出ない距離。 けど、ブラックブレイドなら。 (誰かを助けるためなら、いくらでもズルしていい……) 認めよう。自分の本性を。 きっと、何でも斬れる魔法は、私のトラウマが元に発現している。 何をいっちょ前に傷ついているのだろう。勝利を覆され、騙し討ちのレッテルを貼られ、俗物に頭を下げた抜刀金の方がよっぽど傷ついただろうに。 それなのに被害者ぶって、こんな魔法まで発現して。 本当に無様で滑稽で、生恥だ。 けど。 (あの敵を生かして置いたら、もっと犠牲が出る) 真美ちゃん先輩や、大勢の魔法少女が。あるいは街で暮らす人々に。被害が出るかもしれない。 だから。 「——斬る」 ◇ メンシュ・パンツァー。上半身から口部にかけてが骨を材料とした砲弾を撃ち出す長大な砲身に、両目にあたる部分がスコープと化した、迷彩柄の鱗で覆われた人型の異形。魔法王によって放たれた、ボスエネミーの一体である。 異形の狙撃手に、感情は無い。 ただ、与えられた命令に従い、魔法少女を攻撃する機構。 それでも、知恵はある。狙撃手の下半身は人型であり、その脚力は常人を遥かに凌駕する。故に、人間の狙撃手と違い、撃った後、即座に場所を移動し、すかさず二撃目を放てる。 一撃目でナサリーブラウンを殺し、その後得物の動きを予想し場所を移動。工場の屋上からマンションの給水塔まで人間離れした跳躍と疾走で移動し、予想通り後者の裏側に逃げ込んだ獲物に二撃目を放った。 直撃する前に魔法で防がれたが、誤差の範囲である。 異形の狙撃手の砲弾は、魔法少女を絶命させる威力がある。 全知全能を一殺したミストアイの下位互換であるとはいえ、メンシュ・パンツァーもまた、多くの魔法少女にとって脅威に数えられる。 何よりその感情を排した冷酷さは、こと殺戮という面においては、ミストアイより優位であるとも言えるだろう。 緩慢に立ち上がったレオタードの少女に対して、メンシュ・パンツァーは無感情に照準を合わせる。 そして、砲弾を発射しようとし。 少女の姿が、スコープから消失する。 「遅いよ」 声は、頭上から聞こえた。 メンシュ・パンツァーが上を向こうとする。 が、それは永久に為されなかった。 狙撃手の砲身も、スコープも、人間を模した下半身も。 刹那の間に、無数の肉片に分解されている。 まるでシュレッターにかけたかのように。徹底的な破壊。徹底的な切断。 ——徹底的な斬撃。 キン、とブラックブレイドは納刀を終えた。 同時に、賽子ステーキ状に斬られたメンシュ・パンツァーの身体がマンションの屋上に散らばる。 ブラックブレイドは月を見上げた。 瀕死である。 もうすぐ死ぬ。 けれど、死の狭間で掴んだ。 きっと、本来ならもうしばらくの修練の果てに会得した領域。 自身の魔法の真髄。 『なんでもぶった斬れるよ』。 鉄でも、刀でも、恐竜の幽霊でも、砲弾でも。 ——空間さえも。 給水塔まで遠かった。だから、ブラックブレイドは、給水塔までの距離を『斬って』、瞬時に移動した。 空間だけではない、とブラックブレイドは直感する。きっと魔法も斬れる。 もっと色々斬れると、理解できる。「不死」、「転生」、「呪い」、「因果」といった概念的なものまで、断ち切れる気がする。否、事実として断ち切れる。 ブラックブレイドは笑みを浮かべた。 自分のような半端者に、こんな神に等しい魔法が与えられていいのだろうか。 ——いいのだ。 きっと、今、ブラックブレイドが覚醒したのは、意味がある。 もうすぐ死ぬとしても、無駄ではないはずだ。 何故なら。 「今のうちは、何でも斬れる……」 だから。 「このゲームを、斬る」 そう念じるだけで、ブラックブレイドはぼんやりと、ゲームの輪郭を掴むことが出来た。 魔法少女たちは呪われている。この呪いのせいで行動を制限され、ゲームから脱出できない。 ならば、呪いを断ち切ろう。 自身の呪いではない。後数分の命の者を解放しても、意味が無い。 斬るのは、個々人の呪いではなく——その大元。 根本を、斬る。 「——斬」 ブラックブレイドは抜刀する。 そして、全参加者を束縛する楔を断ち切ろうとし——。 ——刀が、振り下ろせない。 (身体が、動かない……!) 遂に限界が来た、わけではない。 まだ生命は残っている。余力を、出し尽くしたわけではない。 けれど、身体が動かない。 (これは、一体……!?) 「あーしはさぁ……」 と、背後で声が響いた。 ブラックブレイドは振り向こうとしたが、金縛りにかかったかのように動けない。 「あんまり出張りたくないんだよね……」 (誰だ……?) 声色からして、ギャルである。 だが、ギャルのイメージである明るい、軽い、前向きといったポジティブな印象はまるで無い。 どこまでも沈痛で、奈落のように重い声で、背後の女は憂鬱げに言葉を響かせる。 「出来るだけ自主性に任せたいっていうか……そうしないと儀式の完成度が下がっちゃうし……あいつの対処もしなきゃだし……面倒なんだよね」 (どうして……どうして動けない!?) 今のブラックブレイドは何でも斬れるはずだ。 今、拘束されているのは、きっと背後に居る女の魔法だ。ならば、切断できるはずだ。 それが出来るだけの魔力は残っている。 なのに、斬れない。 概念だろうと、斬れるはずなのに……! 「あー……君の魔法じゃ、あーしは斬れないよ……今、君はあーしの『支配下』だし ……」 「っ……!?」 支配下。やはり、魔法によるもの。 「魔法だったら、今の私は斬れるはず、なのに……」 支配する魔法ごと斬って、どう考えても危険人物である背後の女を斬る。それが出来るだけの力が、ブラックブレイドにはある。 「無理だよ……」 と、背後の女は吐き出すように言った。 「相性バトルは……同次元の存在でしか、発生しない……。君があーしと同じ場所に立てば、相性で君が絶対に勝つだろうけど……まだ君は、天蓋に触れた程度……天上には辿り着けていないし……」 「な、何を言っている……!?」 「こっちの話……序盤でもう天蓋まで迫られてるの、マジ怖いけど……まぁ、始めた以上はさ、あーしも頑張るよ……」 頑張る、という言葉とは無縁そうな雰囲気を漂わせながら、背後の女は身勝手に言葉を紡いでいく。 ブラックブレイドに、女の言葉を考察する余裕はない。 今この瞬間にも、絶命してもおかしくないのだ。 たくさんの人を助けるはずだった時間が、無為に消費されていく。 「くそっ、くそっ、畜生……っ!」 脳裏に、様々な顔が浮かぶ。ヨシネ、莉鈴、父親、金、真美、ナサリー、ハスキーロア。 (諦めて、たまるかっ!) 「————斬ッッッ!」 残りの生命力全てを費やし、ブラックブレイドは刀を振り下ろした。 果たして身体は動いた。 それは、女の言う天上に、ブラックブレイドが辿り着いたからか。あるいは、女の支配に、何らかの欠陥があるのか。 理由は分からない。 ただ無我夢中で、呪いの根本を断ち切るべく、ブラックブレイドは刀を振り。 さくり、とその首が胴体より離れた。 力なく胴体は崩れ落ちる。呆然とした表情のまま首は屋上を転がり、月を見上げ静止した。 その様を、女は怠そうに見守り。 興味を失ったかのようにその場を後にした。 やがて全ては粒子へと還り、屋上には何の痕跡も残らなかった。 &color(#F54738){【陣内葉月/ブラックブレイド 死亡】} &color(#F54738){【残り 35人】} ◇ 二度の砲撃音は、学校周辺に住む者たちの眠りを妨げ、喧騒させるのに十分だった。 何があったのかと不安に駆られた住民たちは高校へと集まる。 破壊された校舎。 そして、火傷をして倒れている女性が一人。 救急車に載せられながら、犬上沙美は涙を流していた。 意識は無い。ブラックブレイドが亡くなったことを、彼女はまだ知らない。 きっとそれは、無意識によるものだ。 あるいは、犬系魔法少女に変身する彼女は、人間態でも微かに魔力を感知できるのか。 それとも。 「……………………ぶった、きる…………」 かつて姉の魔法少女を引き継いだように、何かを引き継いだのか。 病院へと走る救急車の中で、沙美の意識はただ、深く沈んでいた。