(投稿者:鉄)
「神は出る杭を望まず、またそれを作るものを赦さない。」
ニーベルンゲ郊外のとある建物の一室で、少女は壁に貼られた旗の前で何かを言っていた。
少女はその小さな身体に不相応な服、すなわち軍服をきちりと着こなしている。
その袖から見え隠れする男性的な筋肉は男性の目から見ても特異なものではあったが、少女の顔がそれを相殺しているかのようにも見えた。
「神は出る杭を赦さない。杭は槌で埋められなければならない。」
少女は壁の黒い旗に向かって何かを祈っているかのようにも見えた。
旗の横には黒旗の首魁であるグスタフ・グライヒヴィッツの顔写真。
「神はその為に私を遣わされた。私の責務は神の拳と成る事。」
帽子を深く被り、少女は己の装備を整え始める。
軽機関銃と拳銃、そしてナイフを然るべき部分に積め、少女はもう一度は旗の方向を向き敬礼をし始めた。
「然るに、血と鉄を以って出すぎた杭を排除する事が私の使命。」
そして少女は部屋に備え付けてある通信機で一節の文を周囲に送った。
―特定者に死か絶望を!
その一節は他の黒旗メンバーに対する、作戦開始の合図であった。
すぐさま少女は窓から身をなげだして、屋根にぶら下がった。
ここまでの手並みが早いのも、やはり鍛錬された鋼のような筋肉が成せる技なのだろうか。
早朝で月がまだ出ていたせいか人の姿は見えず、少女はその未だ月が見える空を見ながら天井へよじ登った。
自らの体重すらも軽々と持ち上げる様は、まるで体操選手と言った所だろうか。
それにしたって、副業が物騒ではある。
少女が感じた屋根の感触は冷えていて、まだ肌寒い季節だと言う事を物語っていた。
「まだ肌寒いかな。でも滑る心配も無いし大丈夫みたい。」
その肌寒い
空の下、少女は屋根の端へ向けて駆け出した。
正常な人間がまともに考えても常識外の行動でしかない。
屋根の端から先は重力と言う名の地面への片道切符によって叩きつけられると言うのに、少女は屋根を蹴り、宙に舞った。
すると、少女は落ちればも2度と這い上がってこれないであろう地面ではなく、また別の屋根に着地した。
「うん、大丈夫。これなら屋根も十分使える。」
恐れすら抱いていない少女は体操選手ではなく軽業師の類であろうか。
慣れた動作で次々と屋根を跳んでいく。
いや、もうそれは既に跳ぶと言うよりは飛行しているのだろう。
そんな少女の羽根は恐らくサーカスなどで重宝されるであろうが、
少女が黒旗などに所属しているとは誰も思わないだろうし、
黒旗を副業にしているのであれば大問題だ。
しかしそれ相応の身体能力でなければ屋根から屋根へ伝うなどと言う事は不可能だろう。
しかも下の人間に気付かれないように静かに…だ。
「あー、ルート間違えちゃったかな。」
目の前には十字路が立ちふさがり、その幅は大きく見積もっても十数メートル。
如何に軽業師と言えどもこれは不可能であるはずだ。
いや、これを可能にし得る術など無い。
しかし、少女はその十字路を飛び越えようとしている。
それは既に正気の沙汰でもないし、それに対しての恐れすらない。
一つ、強いて言うならそれを面倒としか考えていないと言うところだろうか。
それとも屋根と屋根を伝いすぎたせいか感覚が麻痺しているのか。
どちらにせよ、少女は死ぬだろう。
それもむごたらしく、重力に引かれてつぶれた果実のように死ぬ。
そんな可能性を帰り見ず少女が大きく助走をつけ、またもや宙に舞った。
「この瞬間は楽しいけどなあ…やっぱり疲れるよ。」
その瞬間、少女は文字通り鳥になっていた。
弾丸の如く飛び出す少女。
それを阻む空気抵抗と重力。
少女は誰よりも過酷な戦いに誰も知らない場所で挑んで居た。
世の中には単純に能力に頼ってこの壁を突破する術を身に着けている者も存在するらしいが、
少女はそうではない。
確かに、この身体能力はメードである事に他ならない能力ではあるが、彼女はその空気抵抗の壁も、重力の鎖も、
自らの肉体だけで抗っている。
彼女もメードであって空を飛ぶだけならば羽根や装置に頼れば直ぐに解決するだろう。
しかし、彼女はそんな"ドーピング"には頼らない事を誇りとしていた。
それは金メダルと言う栄光に向かって闘うアスリートに通じる気高き心を持つことに他ならなかった。
少女は驚くべきほどの距離を跳躍し、向かいのアパートメントの屋上に着地する。
周囲を確認し、物陰に隠れて跳躍で乱れた着装を暫し座り込んで直していた。
彼女は真正面から軍施設へ行くわけでもないし、行くにしても乱れた着装の兵士などオフィスに居るものか。
であるから、乱れたジャケットや帽子などを直している。
「ふぁあ…眠い。」
しかし、ここに不運な輩は出るもので、何も知らない市民がノコノコと屋上へやって来たのだ。
恐らく散歩か何かの日課であろうが、不運にも程がある。
少女としては、誰かの目に付くことは避けていたい。
しかし、この屋上にSSの服など目立ちすぎるものだ。
その状況で目に付かないなどは不可能だ。
そのような状況だからこそ、少女は即座に行動を起こした。
瞬時に市民の後ろに立ち、首を持つ。無論片方の腕は口を押さえて。
「ふぁあ…あ?!」
「ごめんなさい。貴方には罪は無いですけど……運が無かったと思ってください。」
鈍い音が響き、市民の首は本来の旋回許容から簡単に外れた。
首の骨が外れ、市民は白目を向いてその場に倒れる。
更に追い討ちと言わんばかりにその頭蓋に一撃殴って、善良な一市民の人生を停止させた。
無論、懐にはナイフや拳銃、更には小脇に短機関銃まで抱えていたのだがそれらでは一つ一つ問題が有る。
まず、銃では人目につくどころではない。
ナイフは血が噴き出し、潜入するのに必要な服に血が付いてしまう可能性が出る。
それでは任務どころではなくなる。
このような配慮も必要ではあったが、どれもむごたらしい死に様になる事は同じであっただろう。
このようにして哀れな犠牲者を出しながらも、少女は今作戦の目標であるメードと担当官の居る建物の屋上付近まで接近した。
―後編に続く。
最終更新:2009年02月05日 02:16