(投稿者:エルス)
――空は、どんな人の上でも青い――
by Richard Matheson
空を見るのが僕の趣味だ。青い空が白い雲と共に作り上げる世界は、見ていると心が躍る。
けれど僕はそれを表情に出そうとは思わない。
空に比べたら地上は何もかも重い。
空は青と白だけなのに地上は緑とか深緑とか黄色とか、見ていて目が疲れるような色の多さ。
それに何より、地上では落ちることが出来ない。
全てを捨てるような、あの感覚が、地上では感じられない。
だから、僕は地上が嫌いだ。
地上なんて空から見下ろせばちっぽけな世界でしかないし、そこに存在するものなんてもっとちっぽけで下らない事だらけだ。
無駄なしがらみばっかりで皆、僕を妨害する。
たまには良い人とかも居るけど、悪い人の方が多いのが世界の常識ってヤツ。
何にもしてないのに僕を物扱いする人間なんて、最低の馬鹿野郎だ。
ああいうのがGに喰われれば良いのにと心底そう思う。
次会ったら拳銃で撃ち殺しても良いかもしれない。
そう思うこともあるけどあとが面倒だから僕はまだそれを実行したことはない。
何度かこんな面倒から解き放たれてみたいと思って自分のこめかみに拳銃を突きつけてみたけど、それより銃を咥え込んで撃った方が死に易いって思い出して止めた事もある。
手首を切ったりとかも考えたけどメードは死ににくいらしいから無理だって考える。
墜落死も良いかもしれないけど、グシャグシャになるのだけは嫌だな。
「ああ」
そこで、僕は気づいた。
すごく簡単な事に僕は悩んでいたと知って、思わず笑いそうになったけど、僕は笑えなかった。
笑わなかったのかもしれない、けれど、僕にはそれがどちらかなんて分からない。
そんな事、分かっても無駄なものだし、分かったところで僕が得をすることなんてない。
笑えば良いのかな、と思うときはあるけど、僕は笑わない。相手に手の内を見せるようで、僕にはそれが弱点を晒しているような気がするのかもしれない。
もしくは、僕の中の僕がそんな事してたまるかって意地になってるのかも。
どっちにしても、僕はこのままで良い。笑わない方が気軽でいられるから。
「何してる」
坂井の声だ。僕は滑走路脇の草原で横になってたから、何処に居るのかは見えないけど、多分僕から見て右横だと推測する。
目に比べて耳は普通だからあってるかどうかなんてどうでも良いんだけど。
「僕は死にたくないんだな・・・って考えてた」
僕は素直にそう言う。空を見てたとも言えたけど、僕の考えとしてはそれを坂井に評価してほしかったからだ。
僕個人の意見なんて単なる下らないエゴだけど、坂井がそれはそうだなって言ってくれれば、エゴなんかじゃなくなる。
でも、エゴのままで良いのかもしれない。前の僕は、そんな事気にしてなかったから。
坂井が僕の隣に座った。飛行服を着ていて、火の点いた煙草を咥えている。
紫煙を吐き出して、僕はそれが空に昇って行くのを暫く眺めた。
「少し驚いたな。お前ぐらい生に無頓着な奴はいないと思ってた」
ちっとも驚いてないような顔をして、坂井が言った。僕は何となく酷いねって言って、煙草の銘柄を聞いてみた。
起きてから暫くして気付いたことだけど、煙草がきれてた。僕が吸ってるのはアーリヤって言う銘柄だけど、坂井が何時も吸ってるのはジークって言うやつだ。
今回も同じだと思ったから、僕は貰おうと思っていたのだけど、僕の考えは坂井の言葉で撃ち落された。
「ファオ・ツヴァイ」
「うわ・・・」
よりにもよって僕が一番嫌いな銘柄だった。『V2』って書いて「ブイ・ツー」って言ったり、坂井が言ったように「ファオ・ツヴァイ」って言う
エントリヒ帝国の煙草は、煙が火薬臭いのだ。
戦場に行って何時も嗅いでるから良いじゃないかって言う人も居るけど、僕は全然良くない。
空だったらそんなに気にしないけど、地上であの臭いを嗅ぐのだけは絶対に嫌だ。
何で戦ってる時みたいにあんな嫌な臭いを嗅がなきゃいけないんだ。僕には理解できない。
「そういえば、嫌いだったな」
「うん、物凄く」
「あぁ、まぁ、気にするな。それで、お前は死にたくないと、そう思うわけか」
「まぁね」
「なるほど、お前でも死にたくはないのか。俺も死にたくはないが、お前の死にたくはないとは違う意味だな」
「えっ?そうなの?」
僕は驚いて身体を起した。坂井は相変わらず空を見て目を細めている。星でも見ているんだろう。
そして紫煙を吐いて、帽子とゴーグルを取って、地面に置いた。
僕が答えを待っていると、坂井は此方を向いた。
V2の火薬臭い煙がこっちに来て、僕は少し顔を顰める。
「俺は痛いのが嫌だから死にたくない、他にも色々理由はあるが、そんな所だ。だがお前は違う。空が飛べなくなるからとか、死んだ後の事を考えてる」
へぇ、と僕は思わず声を漏らした。やっぱり坂井は僕の心が読めるんだろうか?なんて馬鹿げたことを考えたりする。
それとそろそろ煙草が欲しいなって思った。出来れば銀鶏が吸いたいな、それが出来れば僕は笑えるかも。
「否定はしないよ」
「やっぱりか。差し詰め、人間最後には100%死ぬんだ。覚悟はしておけ」
「坂井は何を言ってるのさ」
「何って・・・アドバイスだ」
「アドバイスになってないよ。覚悟なんてする前に死んじゃうんだから。分かってるくせに」
「知ってるんじゃないか」
鼻で笑う坂井が僕から目を逸らして、遠くの方を見る。坂井は隻眼だけど、僕よりもずっと目が良い。
前よりは見えなくなったって言ってるけど、僕はあれが嘘だって決め付けた。だって、坂井が弱くなってるなんて信じられないからだ。
対人ならドッグファイトをしたがる坂井は、何時も一撃離脱戦法でGを堕とす。
僕は僕で勝手にやらせて貰ってるけど、坂井に助けられた事は何度もあるから、その恩人が弱くなったなんて信じたくない。
だったら、その弱くなった坂井に助けられてる僕は一体何だって言うんだ。
「お客さんだ。機種は轟龍だな、左発動機から煙を吐いてる。オーバーランしなければ良いが・・・」
「えっ?何処?」
「教えてる暇がない。危ないから格納庫に逃げ込んどけ、今からなら小走りで間に合う」
煙草を吐き飛ばして立ち上がり、火の点いたままだった煙草を踏み潰して滑走路に走っていった坂井を見送って、僕はどこに轟龍がいるのか探してみた。
それはすぐに見つかったけど、物凄く小さい。大きさとしては1mmもないかもしれない。何であんな小さいのに轟龍だって分かったのかが分からない。
形状としてはMe262とそんなに大差ないはずなのに、なんで坂井は轟龍だって分かったんだろ?
僕は少し不思議がって首を傾げたけど、次にはもう格納庫へ走り出していた。
小走りで間に合うって坂井は言ってたけど、それじゃ駄目だ。
ジェット戦闘機が間近で見られる機会なんだから、急がないと。
格納庫に辿り着くと、僕はもう動きたくなくなっていた。格納庫では榎本達整備員が大声で何か言いながら走り回っている。
轟龍の方はと言うと、誰だって肉眼で確認できるくらいになっていた。
確かに機体両側に
楼蘭皇国の陰陽が描かれていて、左発動機から煙を出している。
「耐熱材料をケチるからだ・・・熱で燃焼室かタービンが溶けたんだ」
煙草を咥えながら榎本が呟いた。それからニッケルとかコバルトとか何とかブツブツ言ってたけど、恐らく専門知識なので僕は無視した。
轟龍は引き込み式脚を出して、アプローチに入っている。左右にフラフラして危ないけれど、進入角は間違ってない。
レシプロエンジンとプロペラの音じゃない、始めて聞くジェットエンジンの音に不快感を感じる。
そして着地。タイヤと地面が擦れ合い、互いを傷付け合う。金属が軋んで、機体が傷む。思わず歯を食い縛った。
機体が長い距離を滑走して、オーバーランになるかと思ったけどギリギリで止まった。
それと同時に整備員やら野次馬の飛行士達が格納庫やら機体の上から飛び出して来て、僕は遠くから見るだけにする。
あんなに人が集まってる場所になんて行きたくない。
だから僕はさっきからブツブツ言ってる榎本と話すことにした。
「大体楼蘭が斗国の機を量産しようなんて夢を見すぎなんだ・・・何であれが戦闘爆撃機なのか俺には全く理解できない」
「榎本も忙しくなるね」
「そうでもない。俺達はあれを直せる技術はないし物もない、それに直したところで飛べるかすら不明だ」
「どうしてさ」
「離陸するまでの距離がこの滑走路にはない。その為の物もここにはないんだ」
「へぇ、複雑なんだね」
「レシプロだって複雑だ。でもジェットは楼蘭じゃ駄目だ。幾ら人が試行錯誤しても上はそれをとろいとか言うんだからな」
「酷いね」
「まぁな」
そんな他愛無い事を話していると、寄宿舎の方から坂井が出てきてこっちに来た。
何をしてたのか気になったけど、面倒だから聞かない事にした。
そして榎本が右手を軽く上げて簡単な挨拶をすると、坂井は煙草の箱を放り投げてきて僕はそれをキャッチして銘柄を見た。
グレーに四つの三角形が並んだデザインのそれは、僕が何時も吸っているアーリヤだ。
何処から持ってきたんだろうと思って坂井を見ると、少し笑っていた。
「柏木から貰ってきた。ライターは持ってるな?」
「うん、ありがと」
「何、気にするな。それで、榎本」
「何さ」
「見た感じどうだ」
「飛行時間過多だ。燃焼室かタービンが溶けてる。それか
フライの破片を吸い込んだかのどちらかだ」
「そうか。話が通じる奴なら良いんだがな」
坂井が轟龍を見ながら言った。僕はポケットからライターを取り出して煙草を咥えてそれに火を点けた。
轟龍からパイロットが出てきた。飛行服だけ見ると普通だけど、長身だ。そして、髪が茶色い。
整備員に何か言って、ポケットからマッチと煙草を取り出して、煙草を咥えてマッチを片手で擦って、それで煙草に火を点けた。
マッチの火を消すとそれを真ん中で折って、滑走路の外に出たあたりで捨てた。
そのパイロットは僕たちの方へと歩いてきて、あと四歩くらいでぶつかるかなって距離で坂井にラフな敬礼をした。
「第343海軍航空隊所属、柊勲少尉だ。左発動機の不調で無理矢理着陸した。久しぶりです、坂井少尉」
「俺が本国送りの合間に鍛えてた新人があんなのに乗ってるとは驚いた、勲少尉」
握手する二人を僕と榎本は見てるだけしか出来ない。だって僕と榎本はこの勲って人を知らないからだ。
坂井と勲はそのまま色々昔話をしてて、僕と榎本は煙草を吸って時間を潰してた。
轟龍はその合間に基地の一番端にある格納庫に入れられてる。
暇だって、坂井を見たら坂井は勲に僕を紹介して、僕に勲を紹介した。
色々言われたけど、要するに「エースパイロット見習い」って事だ。
勲は坂井に挨拶する時以前からずっと無表情だった。こういう奴なら、僕は許せる。
「宜しく」
僕がそう言った。自分で言って思うのも何だけど、凄く気だるそうだ。
でも、勲はそんな事関係ないようで紫煙を空目掛けて吐いてから、此方こそって返してきた。
「それで、ベテラン
空戦メードから見て、轟龍はどう見えるか聞きたい」
「それはベテランとしての意見が欲しいのかな、それとも、僕個人の意見が欲しいのかな?」
「君個人の意見が欲しい。自分の乗機がどのように見られているか、それが知りたい」
「うん、そうだね。僕としては二式の方が機体として優れてると思う。それに手間も掛からないし、音が良い。実戦に出すには早いって感じかな」
「なるほど。そうか、ありがとう。撃ち込まれたままでは気分が悪いので言っておくが、轟龍は確かに実戦に出すには早い機体だ。しかし、一撃離脱にかけては二式と対等だと僕は思っている」
こうして喋ってる合間にも勲と僕はスパスパと煙草を吸っていた。坂井と榎本はまた二式のエンジンについて話してるみたいで、僕は勲と話してなきゃいけないみたいだ。
そして僕はうろ覚えだけど轟龍がどんな機体だったかを思い出していた。坂井から何度か話は聞いてたけど、断片的で紙に書かれてた事だけだ。
元はエントリヒ帝国のMe260A1aで、武装は機首に30mm機関砲が四つ。爆装は翼下55mm粉塵弾。最高速度850km/h。
だけど轟龍は榎本が言ってるように色々ケチってるから、そんな性能は出ない。ただ、一撃離脱戦法なら威力のある30mmでどうにかなるんだろう。
二式だって20mmと12.7mmがあるけど、それと30mmじゃえらい違いだ。7.7mmと比べるなんて持っての他、出てくる競技が違う。
勲と僕は他愛無い事を話した。偶然なのか、勲は僕と同じで本国の軍人が大嫌いな人だった。今の部隊にいるのは、単に成績が良かった事と、批判的な態度をしていたかららしい。
そうこう色んな話を四人でしていると、坂井が寒いから寄宿舎に行こうって提案した。僕達3人はそれに同意して、寄宿舎の談話室でまた話をした。
上についての批判、気に入ってる機体、他の航空隊の戦果、乗ってみたい機体などなど。
僕はあんまり喋らなかった。ソファに座って煙草を吸いながら、三人の話を聞いていた。
少しびっくりしたのが、坂井が乗りたいのがアルトメリアで試作された重戦闘機だって事だ。
榎本の話だと空冷星形複列28気筒レシプロエンジンって言う化物を積んだ機体で、20mmモーターカノンと両翼に二挺づつ12.7mmを装備する単座らしい。
坂井は流れてこないかな何て子供みたいに言ってたけど、整備が大変だって榎本が言うから不満そうな顔をしてた。
勲は本国で試験飛行中の先尾翼式局地戦闘機だった。本人はどう思ってるか分からないけど、新しい物に興味を持ちたがるみたいだ。
「茜はどうなんだ?」
「えっ?」
「乗りたい機だ」
坂井が聞いてくる。
僕は紫煙を吐きながら考えた。僕には自前の翼があるから、そんな事考えたこともない。
色んな機体が出てきては消えてくけど、僕は少し笑いながら答えた。
「シュトルヒ」
「は?」
「ん?」
「え?」
三人が同時に変な顔をするところを見て、僕はまた少し笑ってみた。
坂井がまた聞いてくる。
「何で連絡機なんだ?」
それに、僕は素直に答えた。
物凄く簡単で、子供でも理解できる。
「だって、あいつは軽いから」
三人とも唸りながら頷いてた。
僕は紫煙を吐く、談話室は煙で曇ってる。
酒が飲みたいなって思いながら、僕は柔らかいソファを満喫して、ちっぽけな話をしながら空の事を考えていた。
青い青い空。次は何時になるんだろう、何て考える。
早く飛びたいな。
気付かないうちに、僕は笑っていた。
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最終更新:2009年11月17日 01:15