別れ

(投稿者:Cet)



 俺はバーテンダーだ。だからそいつを観察していた

 その男はいつもその席に座っていた
 飲み方が比較的控えめだったから目に付いた
 ウィスキーをストレートで二杯ゆっくりと味わってから、後はボトルごと持ち帰るというのがセオリーで、誰と話すでもなく隅っこの席に、夜が深まるその間際に現れてはすぐに消えた
 別に大した話じゃあないが、どうしたことか少なからず気になった


 ここはユーリカ、エントリヒとルインベルグ大公国の境にある辺鄙な村だ。俺はその町の隅っこでバーテンダーを職業にしている。
 男は俺の職場の隅っこで蹲っているという具合だ。
 蹲っているといっても男が破滅的な飲み方をしていたわけじゃない、ただ単にそういう印象を覚えたというだけだ。
 何といっても男はお上品だった、くすんでいて尚存在感を主張する銀髪は人種的な優越を感じさせたし、コートに包まれた体躯は平均的ながらも背筋がキチンと伸びていた。堅苦しいとまで感じさせる男は場末の酒場にはどこまでも不似合いだったのだ。
 だからこそ、辺鄙な酒場に勤めている俺としては興味が湧いた。娯楽の場にいて娯楽に親しまず、何をするって言えばそれは何だが、まあ男が嫌いだとかそういう問題じゃない、要はコミュニケーションだ。
 その日男はいつもと同じような、日付が変わろうかという時刻に来て、その上で引き上げようとしていた。だから俺は男と意識的に目を合わせた。男の青い瞳はどことなくくすんだ輝きに包まれていて、男の放蕩振りを主張しているかのよう。
 よう兄さん、もうお帰りかい、ゆっくりしていけよ
 男は凄まじく怪訝そうな表情でこっちを睨み付けた、俺はと言えばニヤニヤと下らない笑いを貼り付けて、精々下らない野郎として振舞うだけで、まあおあつらえ向き、というのを演出してみせた。
 男が腰を上げる、ゆっくりと時間をかけてカウンターまで辿り着く。その隣でシチューを啜っている男が一瞬、顔を上げて銀髪の男の方を睨んだが、拮抗するまでもなくぬるま湯になった。
 絡み合う元気すらないのだ、銀髪の男にも自発的な動機があったわけじゃなし。
 銀髪の男がこちらに視線を寄越した。
 何の用
 いやね、お宅が一体なんで毎夜同じように、健康的な飲みっぷりを見せにくるのかと気になってね
 俺が健康的ね、違いない。慎ましく過ごす日々に酒を添えたところで、怒る家内はいないのさ
 なるほど
 俺が短く答えると、男は三杯目のウィスキーをグラスへと注いだ。
 兄さんここの生まれじゃないだろう、どこから来た
 首都にいたけどね、追い出されちまって
 訳アリかい
 まあね
 それから男は視線を外すと真っ暗な窓の外へと遣った、街灯が建造物の輪郭を辛うじて縁取ってはいたものの、だからと言って実のある風景には程遠い。感傷を覚えさせる先端すら見当たらない。
 首都に似てるよ、この辺りはさ
 ホントかい
 俺がにやけ顔で相槌を打つと、男は初めから俺のことなど相手にしちゃいないかのような口ぶりで続ける。
 どこの路地裏もこんなもんさ、訳の分からない不鮮明さが沈着している、蠢いているとも言える
 兄さんの暮らしてた町の路地には、何が蠢いてたって
 お前さんに言ってやる義理はないよ
 全くだ
 ちょっとした笑いが起こった、かといってそれは調和に持っていく為に最低限必要だっただけだ。
 まあ飲めよ
 言われなくたって飲んでる
 男は窓の外をずっと眺めていた。確かにそうするしかないだろう、会話もなく男二人顔を突っつき合わせるのはこっちだって御免だ。とは言え男が幾ら経っても語る気を起こさないんだから仕方ない。
 こちらもとりあえず仕事をするだけしてみせる、だからと言ってここに訪ねてくる客が求めているのは、命の霧、すなわち酒に他ならない訳で、つまりこっちとしては大体が磨くか濯ぐか、差し出すかをしていれば円は閉じる、という訳だ。
 その内訪ねてくる人間もいなくなる。静かになったバーに居残った男のボトルはほとんど空になっていた。 
 そのボトル俺の奢りになんないか
 男は半分蕩けていた意識を辛うじて形成する。
 いいのか
 いいともさ、ところでアンタどうして
 俺が言いかけると男の瞳に理性が戻った。
 例えば女が止めてた酒を飲むには女の許しが必要だ
 違いねぇ
 少しばかり気圧されつつも応える。
 言ってしまえば、そんなところだ。でも最近はそうでもないね、自主性だよ
 ってことは兄さんもアレかい、円を閉じるにゃ
 まあ、最初の状態ってのがつまりは終点なのかもね
 男は立ち上がった。
 だったら、あそこに行けばいい
 どこ
 つまり淫売宿
 少なくともおあつらえ向きだろうと本気で思って言って。
 どこ
 この正面の通りの突き当たりの左角さ、何でも最近になって上玉が入ってきて
 どんな
 ようやくノってきた。
 青髪のさ、いい女だよ、俺も拝むだけ拝んだことはあるんだけど、肌が白くて、みすぼらしさの欠片もねぇや。強いて言うなら昔の男の名前をうわ言みたいに呟くのが
 気が滅入る、そう言い掛けて視線が遮った。それ以上は言うなと言外に語っていたのだ。
 ありがとさん
 男はそう言うなり酒場を出て行った。
 それが最後だった。男のくすんだ瞳は哀しみを湛えていた気がした。
 暫くして雨が降り始めた。


 かく言う俺もその淫売宿に行ってみた。それから一週間も経たないある日のことだ、男はとっくに酒場に顔を出すのをやめていた、男と何か関係があるのかどうかも気になったし、それにどこかしこりが残っていたからだ。
 夜になってその宿のある通りに赴くとどこか近寄りがたい、暖色の灯りが誘蛾灯のように揺れているのに対し、屈強な男共がたむろするように警備に当たっている。たかだか用心棒にしては仰々しいくらいだ。
 但し俺は只の客だった。玄関をくぐる際も身長が二メートルはあろうかという大男が睨みつけてきたが、特にお咎めはなくロビーに入ることができた。赤い絨毯が床一面に敷かれた薄暗くて狭いロビーのカウンターには、経営者だろうか、先ほどまでの男達と比べると幾らか柔和なホワイトカラーじみた男がいて、笑顔を浮かべていた。
 お客さん、本日はどんな御用で
 青髪の娘、逢って話するだけ
 すると男はどことなく怪訝そうな表情をする。
 何か最近似たようなこと言う人が多いね、払いが悪いったらない。まあいいよ、でも御代は頂くよ、五百ってとこだ
 黙って頷くと、男は不承不承に案内を始めた。ロビーの脇から生えた薄暗い階段へと導いて、こちらを気にせずに歩みを進める、それに続く。
 この部屋だ、詰め所とは違う個室を用意してやってんだがね、あの娘もあの娘さ、まああまり客好きのする娘ではないんだけどね
 ドアノブを捻った。軋んだ音と共に部屋の様子が目に飛び込んでくる。暖色の灯り、ドアの反対側には窓が一つ。そこからは通りが覗えるようになっており、先ほど通りから覗えた内の一部屋であろうことが知れた。左手には小物入れ、壁には意図不明の絵画が掛かっている。
 右手奥にはシャワールームらしい別室への入り口があり、その隣に寝台が据えられ、一人の娘が座っていた。青い髪の娘、肌は白く、身なりだって整えられていた。素朴な緑色のドレスは、どことなく娘の雰囲気を柔らかく感じさせた。
 こんばんは、いらっしゃいお客様
 娘は笑う、背後で一礼する男を尻目に、俺は後ろ手で扉を閉めた。
 黙って娘を観察する、にこにこと笑う口元は作り物だ、それぐらいは確信できる。一歩二歩と近寄ると、その瞳に映ったものにも判別がいくようになる。光の失せたくすんだ瞳に、何やら温かいものを感じてしまうのは錯覚だろうか。
 どうしましたお客様、今夜は一体なにをなさいます
 娘の言葉を無視してその顔をじろじろと観察する、そこで確信がいったのは娘がどことなく嬉しそうで、そのくすんだ瞳の向こうにはぼんやりとした光が覗える、とまあこんなところだ。ベッドの脇に座ると幾分か軋む音がした。
 君、何か嬉しそうだね
 え
 一瞬虚を突かれたように呆けたが、すぐにまた笑顔を見せて。
 お分かりですか
 今度こそ、その瞳に映ったのは人間味に溢れる光であった。
 分かるさ、これでも客商売して長い方なんだ
 それは、私も一緒です
 ふふ、と笑う仕草は全く垢じみていない。
 それで、何があったんだい
 娘は曖昧な微笑みを浮かべて黙った。恐らく扉の向こうにはさっきの男が立ちすくんで、耳を澄ましているに違いない。
 銀髪って好き
 え
 再び同じような問答に、何かを得たのだろうか。
 ええ、大好きです
 青い瞳も
 はい
 まるで少女のように笑う。
 じゃあ、俺は君の好みの格好でもしたくなるね、前に俺の客にそんなのがいてね
 そうなんですか
 もし今の君みたいな笑顔を拝むには、そんな男のどんな言葉があればいいんだい
 回らない頭で考えるも、核心に迫る質問は繰り出せない。
 幸せにしてあげよう、ですね
 何だいそりゃ、えらく弱気の発言にも取れるが
 ええ、それでもいいんです、約束すること自体に意味があるんですよ
 なるほどと一人納得したようにしていると、少女は人差し指を立てて唇に押し付けてきた。静かにしてて、と言外に笑う。
 少女はベッドから静かに降りると、俺も降りるよう仕草で示した、それに黙って従う。それからベッドのマットを僅かに持ち上げて、寝台の基礎部分との間に挟まった一枚の紙切れを示してみせた。
 それを静かに抜き取って、俺に手渡す。そうか筆談という手があったじゃないか。今にして思えばそうだ。俺は黙ってその紙切れを眺める。そこには一言、こう書いてあった。いつかきっと、もう一度一緒になろう、だからその日まで待っててくれ。
 約束ね、そんなもんはつまらないよ、いつ叶うかなんて分かったもんじゃない
 そうかもしれませんね
 そうやって笑う娘の目は、俺のことなんかさっぱり気に留めてないようだった。

 扉を開けた、怪訝そうに突っ立っている親父が眼に入り、お互いに渋そうな表情を見せつける。
 何もしやしなかったでしょうね
 何もしていやしないよこの野郎
 俺はそれなりに身長の高い方なのを含めて言ってやる。
 ぎすぎすとした空気を振りまきながらロビーまで戻り、御代の五百マクスを払うと俺はその宿を後にした。随分なボリ宿だ。
 玄関を潜り通りに出る頃になって、しとしとと雨が降り始める。俺は振り返って、例の部屋から漏れる暖色を暫し眺めた。それから屈強な男達の視線に気付き、あまり濡れてしまわない内に自宅に帰ることにした。
 雨はこれから酷くなりそうだった。


最終更新:2009年02月26日 23:03
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