ルインベルグ大公国

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概要

 クロッセル連合王国の東端、エントリヒ帝国との国境に位置する小国。
 人口は中規模都市のそれとほぼ同じで、豊かな水資源を湛えるミューリッツ湖を擁する。
 大公はエントリヒ皇族の血縁者でもある、アルベルト・フォン・グランデューク・ルインベルグ

瑛語表記 Grand Duchy of Ruinberg
楼蘭語表記 瑠韻辺瑠久(瑠国)
国家元首 ルインベルグ大公(アルベルト・フォン・グランデューク・ルインベルグ)
首都 ヴァーラスケルブ
モデル ルクセンブルク他

歴史

 国の始まりは856年頃、クロッセル帝国皇帝シオドリク1世が、実弟ジェレマイアを初代ルインベルグ大公に任命したことによる。
 東のエントリヒ帝国と国境を接する広大な領地を与えられはしたが、帝都セントグラールを擁するグリーデン島から遠く離れた、エントリヒ帝国との戦争が絶えないこの地への大公任命は、854年の皇位継承闘争に敗れたジェレマイアを放逐する意味合いの強いものだった。
 899年ジェレマイアが死去すると、ルインベルグ大公は息子のルドルフに受け継がれ、以後1300年代までの間、世襲制を敷き歴史を積み重ねてきたが、1405年に即位したナサニエル2世の代に状況は一変する。
 エントリヒ帝国の政変によって落ち延びてきた、エントリヒ帝国皇位継承権第9位シャルロッテ・ヴィ・ヴィヌ・エントリヒの亡命を受け入れたナサニエル2世は、その後彼女を正妻として娶り1男2女を設けた。
 クロッセル皇室に許可を得ない、敵対国の皇女との婚姻により、ルインベルグ大公とクロッセル皇帝の軋轢は頂点に達した。
 激怒したクロッセル帝国皇帝アドルファスは領地剥奪などの強攻策に打って出ることを検討したが、既に国土分裂の兆しが見え始め、権威が低下していた皇帝にその余力は無く、またエントリヒ帝国との国境線を不安定化させることに慎重にならざるを得なかったためにこれを断念。
 そこでルインベルグに隣接する在地貴族を侯爵に任命し、その権力を追認することで切り崩しにかかった。これが後のガリア侯国である。
 膨張するガリアとエントリヒ帝国との度重なる紛争によって疲弊したルインベルグは、衰退の道を歩むこととなるが、1458年クロッセル帝国の事実上の崩壊により、領土を保持することに成功する。
 旧クロッセル帝国圏内に次々と独立国家が誕生する最中、1460年初頭、ルインベルグ大公国もまた群雄割拠する国家群の一つとして旗を掲げた。
 しかしその領土は大公領時代の最盛期の、約6分の1程度にまで落ち込んでいる。

 1914年、時のフリードリヒ大公の長男夫妻が暗殺されたことを切っ掛けにルージア大陸戦争が勃発。主戦場となることこそ避けたものの、多額の賠償金を背負うこととなった。
 しかし戦後大幅に発展した鉄鋼産業により経済は浮上し、現大公アルベルトの代にあってルインベルグ大公国の国民総所得は、クロッセル連合王国内でも極めて高い水準にある。

関連項目










最終更新:2009年07月26日 23:25
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