ラサドキン大佐のドクトリン 後編

 横たわる三人の兵士。三人のうち二人はわき腹を刺し貫かれて折り重なるように倒れており、もう一人は鼻
の下あたりを銃で打ち抜かれていた。何れも急所を正確に射抜かれており、即死したようである。

「三人か…手練の兵士を三人もか」とラサドキンは関心した風な様子で周囲に視線を巡らす。住民はとっく避
難して管理されてる様子も無い二階建ての廃屋。室内はさほど荒れた様子も無く、全ては不意をついて一瞬の
うちに始末したのであろう。
こうした住居には敵によって物資や書類などが隠匿されていることがあり、またそれらの量や使用した形跡な
どから、敵の行動範囲や規模などを大よそながら推測できる。

ラサドキンは部下を引き連れて捜索していたところに、室内のどこかに隠れていたゲリラが部下を襲ったのだ。
ラサドキンが銃声を聞きつけて二回から駆け下りてきた頃には、すでに殺戮は完了していた。
そしてそれを成したのは二人の子供である。その内の一人はラサドキンの一本貫手によって、眼窩から眼球ご
と脳をえぐられ既に事切れている。

そしてもう一人はラサドキンによってうつぶせの状態で取り押さえられている。
 みれば彼女の腹はカエルのように膨れ上がっており妊娠してるようである。腹の大きさから察するに五、六
ヶ月くらいであろうか。おそらくゲリラに誘拐された後に犯されたのであろうとラサドキンは推測した。だが
敵である以上は女子供とて容赦しない。部下を殺されたとなればなお更だ。

「フフッ…この暴れん坊めッ!!」

 そう言うやラサドキンはマリューシャの首根っこを一層強く掴み、床に押し付ける。人差し指の付け根の骨
が頭のつけの頚骨にゴリゴリと押し当てられて、神経を轢きしだくような嫌な痛みが首周りを這いずる。
 その力は無慈悲そのもので加減というものが無く、機械仕掛けの処刑装置のようであった。そのまま体重を
かければ、少女のか細い首など梢のようにたやすく折れてしまうだろう。

 なんとか逃れようとして必死で足掻くがラサドキンは小揺るぎもしない。床に転がった拳銃を拾おうとする
が届きそうに無く、かといって他にこの事態を打開しうるような適当な凶器もなく。ただ闇雲に四肢がのたく
って板張りの床に散らばった薬莢をバラバラと四方に散らすばかりだ。
 次第に意識は遠のいていき、視界はゆっくりと暗くなっていく。マリューシャは自分のの下腹部からじんわ
りと温もりが広がっていくのを感じ、それが尻にまで伝わると、ようやく自分が失禁していることに気付く。



 当初数ヶ月で鎮圧できるはずだった紛争は、ヴォ連指導部の思惑をはずれ数年の長きに渡って続いた。その
間にも情勢は二転三転し、同じカラバフ系住民を取り込んで、反対勢力を駆逐し中央よりの指導体制を築こう
としたヴォ連政府の目論みは失敗に終わった。
 それどころかバスキンジを支援する某国の工作機関による懐柔工作によって、厭戦機運が蔓延していたジャ
ディドの兵士たちは次々と敵に投降し、当初ヴォ連側の尖兵として戦っていた民兵組織ジャディドは今や反政
府側について戦っている。
 マリューシャも反政府側についてるが、それは彼女自身の意思とは関係なく所属する部隊ごと敵に寝返った
からだ。奴隷に等しい彼女に選択の余地などもとより無い。また軍に投降した所で保護してくれる保証もない。

 脱走したところで家族や知人の行方もわからず、仮に出会えたとしても彼らの目の前で殺戮を繰り広げた彼
女を果たして受け入れてくれるだろうか?
そも逃げられないように残虐な行為を強要したのだ。彼女の生活基盤たる共同体を傷つけさせたのだ。それは
彼女の本意ではなかったとしてもその事実は変わらない。
 だからずっと戦い続けるしかない。その行為には生き残るという以上の意味は無いが、それにしてもよくも
まぁ五体満足で生き延びれたものだ。と自分でも感心するがそれだけのことで感慨も湧かない。

 戦いの最中には不思議と恐怖は鳴りを潜め、代わりに極限状態の中で得られる一種の充足感で満たされるが
それも刹那的で空疎なものだった。

 お漏らししながら死ぬのか。かっこ悪いな。とマリューシャは今際にそんなことを気にしてる自分を少々滑
稽に思えた。
 絶望によって滑稽を解するだけの精神的なゆとりが生じたためか全身から力が抜け楽になったそのとき。

「…くひひ」

と自嘲か苦笑か、その何れかは自分でもわからない。マリューシャは我知らず、声帯を絞り上げるようにして
笑声をかきだし出していた。そして己の最後を確信し、不気味なくらいに静寂な心境でそれを待ち受けた。

「大佐!!お待ちください大佐!!」
 戸口の向こうから大声が、慌しい足音共に飛び込んできた。するとラサドキン大佐は素早くホルスターから
銃を引き抜きくが早いか振り向きもせず、その声した方向に向けて、立て続けに二発。躊躇なく発砲した。

 ひぃっ!!短い悲鳴をあげて、逆光の中に浮かんだ影は、体を咄嗟にのけぞらして間一髪でか弾を交わすが、
しかしバランスを保てずそのまま後ろにむけて尻餅を付いた。
 ラサドキンはやおらその方向に顔を向けると「あ、すごいね。今のもう一回やってくれないか?」と悪びれ
もせず言った。影は土ぼこりを払いながら腰を上げつつ「大佐、ご冗談を。僕は死ぬかと……」と言いかけた
ところで、それをさえぎる様にさらに銃声。間髪いれずさらにもう一発!!二発!!三発……その度に影は右に左
に体をくねらせ弾をかわして見せた。
 結局ラサドキンは弾倉が空になるまで引き金を引き続けた。

 「いやぁお見事お見事。で、誰だね君は?私になんの用かな?」さほど感動した風も無く感嘆を漏らして、
それからようやく相手の用向きを質した。

 「ちょっとそりゃ順序が逆じゃありませんか!?ボクぁ死ぬかとと思いましたよ」
 「規則だ。不意の来訪者には一発ぶち込んでから誰何することになっている。私がそう決めた。たった今」
 「一発どころかワンマグ撃ち切ってんジャン!!」
 「……で、誰だね君は?」と、ラサドキンは男の非難をさらりと聞き流して、ゆっくりと彼の顔を見やる。
 浅黒い肌に堀の深い顔立ち。明らかにこの国の人間とは異なる風貌。黒い二重回しをまとい、目は濃いサン
グラスで覆われており、表情はうかがい知れず、唇や耳たぶにはジャラジャラと装飾品が連なっている。
 どうみても軍人ではなさそうだが、はて?どういう種類の人間であろうか?
 男は尚もブツブツと文句を言っているが、ラサドキンに用向きを言うよう促されると渋々それを切り上げ、
一旦口をつぐみ悪態と共にツバを飲み下して、「一応事前に連絡を入れておいたんですがね。電話でもそちら
にお話したはずなんですが……」と尚も不満げに口を開く。
 「連絡ねぇ…」そう言われてラサドキンは首を捻り記憶を探る。…たしか。そういう話がきていたようなと
記憶の糸を手繰ると、おぼろげながら電話の内容が脳裏に蘇ってきた。

 『あ、もしもし?ボク、ボク。ボクです。永核の件なのですが…はい。ご要望の品の準備が出来ましたので
……ええ、それでですね、素体のの都合をつけてもらいたいと……でー何人か捕虜を確保してもらいたいんで
すよ。――ええ、なるべく若くて生きのいいヤツ。女の子なら尚いいんですがね。それで数日中にそちらにお
伺いしますので。お願いしますね。……ハイ、それで代金はですね僕の指定する口座に――』

 相手は名乗りもしなかったが、たしか電話の声もこんな感じだったな。するとこの男が…

 「すると君がコロブチカ(行商人)かな?ボクボクなんて言うもんだからてっきり振り込め詐欺かなんかか
かと」というと、ええそうです。と相手はそれを一旦肯定し、いえいえ詐欺では御座いません。とつけたした。
 「あ、でも、それは通信で用いるコードネームでして、この場では僕のことはピチエフとでもお呼び下さい」
そういうとピチエフと名乗った男は慇懃にお辞儀をする。

 「でですね大佐」
 「何かな?」
 「捕虜の件なんですが……」
 「もちろん用意はできている」
 「それで彼女も…」と言ってピチエフは指を刺す。ラサドキンを指された先を目で追い、そして目線は自分の
手元で止まった。
 「あ、いかん」ラサドキンはあわててマリューシャの首から手を離す。しかし彼女の顔は既にチアノーゼ現象
で紫がかっており、ビクビクと小刻みに痙攣している。
 「大佐って意外と天然ですね」
 「わかるかね?」
 「わかりますとも」
 「これはご愛嬌。わらうといい」

 ラサドキンはマリューシャの顔をしげしげと覗き込んでいるが、その不吉な顔色はどう見てもやばげ。
 「あーあ。いくつもの修羅場土壇場執念場を潜り抜けたであろう有望な素体を殺しちゃってもったいない」
 「どれどれ」とラサドキンは、マリューシャの首に指を当て脈を確かめる。
 「……いや。まだ生きてる。かろうじて」

*

最終更新:2009年03月25日 03:06
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