翼色のラプソディ

(投稿者:Cet)



「なあジャック
「どうしたねアズ」
 狭く汚い研究室で二人は言葉を交わす。
「お前の好きだった女、って、どんなの?」
「ああ、俺よりも四、五歳年上でな。今生きてるとすれば四十二、三ってとこだな。
 何といっても男勝りでな、口調も女っぽくなかった」
「俺はお前みたいな男のことを認めねぇッ、……ってか」
「いや流石に二カ月しか経験のないお子様の発想は貧困だ」
 アズの額に青筋が立つ。
「いや俺はクールさ、丁度ここの地下冷蔵棟くらい」
「オーケー。
 こんな感じだ。
 お前、もうちょっと男らしくすれば」
「醒めてるだけじゃね?」
「いや女同士で交わらない雰囲気なんだ、それでいて慕われていたような」
「なんていうか、惚気か。信用に足らず」
 ジャック・ノルデンロープはニヤリと笑った。
「お前には分からん」
「ああ分からんよ、少なくとも今世じゃ。
 またなジャック」
「ハロー・グッバイ」
 アズは踵を返すとひらひらと手を振りながらその場を後にした。飛行翼はどこだ、と叫ぶ。


 接続ジャック(ソケット的なアレの方ね)に飛行翼を接続し、研究所の裏にある少しばかり急な坂を駆け下りる。
「いやッほぉうううッ」
 芝生を踏みしめる度に歩幅が大きくなっていく。三段跳びの要領で一気に跳躍すると、飛行翼から青白い閃光が噴出する。
 滑空状態に移行し、続けざまに機首、すなわち推進方向を急激に上方へと傾け、更に右手へと旋回する。ペーパープレーンの施設の外観が小高い山の上に浮かび上がっており、彼の視覚にはジャックを含めた数人の科学者が手を振っているのが映った。
 ついでに手信号を感受する。コウウンヲイノル。
 同様のものを返しながら研究棟の真上を通過する。そのまま先ほどの滑走進路に方向を定めると、一気に加速していった。


 何時間飛行を続けただろうか。優に五時間は超えているだろう。しかし彼にとって持久力の不足はほとんど問題にならなかった。早朝から飛行を始めて、太陽の照りつける位置が僅かずつ移動していく。
 あの大きな光の方を目指せればそれはそれでロマンなのだろうと思う。
 沈め、沈むなといつまでも朝焼けを追い続けるのも、悪くはない。というか既に経験済みだ。
 しかし進行方向は西と命令されていた。彼はそれに従ってただただ飛び続けた。
 そして太陽がほとんど真上から照りつけ始める、昼を回った頃、それを発見した。
 ソコノメールトマリナサイ。
 毎度毎度の手信号である。一部を除いて軍属のみであるメード・メールをしての警告だろう。
 これは演習ではない? 演習ではない。
「ああッ」
 飛行翼のソケットから二振りの短小銃を取りだす、そしてそれぞれを正面のそいつへと照準する。
 射撃。
 持ち上げかけられていたM34が、遥か前方にいたそのメードの手からもぎ取られる。
 メードは即座に反転し、その場からの緊急離脱をはかった。
「行かせるかよっ」
 そしてそれを先回りしようと、高度を落とすメードの上空から接近を図る。
 バチン。何かが大気を弾く音がした。ぱぁんっ、と遅れての轟音。狙撃である。
「ああッ!?」
 慌てて降下を行い、回避行動に移る。遠距離から好き勝手やられては堪らない。そもそもアズは一対一の格闘戦において戦果を上げるべくして開発されたメードなのであって、一方的な射撃戦には対応し辛い。
「畜生」
 あの群雲のどこかにいるのだろう、射撃音から大体の方角の見当はついていた。だが接近は無用だ。むしろ撤退が望ましい。
 それに、ジャックの望むような戦闘も、恐らくは先ほどの散発的戦闘から焚きつけてくれるに違いない、アズはそう判断し、ひとまず先程撤退していったメードとは逆方向に飛ぶことにした。
 バチン。ぱぁぁんっ。
「いい加減にしてくれよなあ!」

 待つこと数十分。いや十数分だろうか、視界の果てに浮かぶいくつかの点を視認する。アズは黙る。
 死は怖くない。問題は、この翼でどこまで飛べるかなのだ。
「精々楽しもうかね」
 へら、と笑ってみせる。彼が笑うところの、いわゆる憎たらしい笑みにしかならず、愛嬌とはかけ離れたそれである。
 前方への加速を計る際に、その加速過程を瞬時にこなすと、最高速度に達する。
 歓喜は、そこに無かった。
 青空が広い、突っ込んでいくのではない、その表面を滑り続ける。
 成層圏よりも少し下。点の群れが散開して、こちらに向かってくるのは一つきりとなった。
「ひはは」
 笑い声は声にならない。双方の『ブルーハンド』を構えた。ぴたり、と正面に照準する。
 射撃。一繋がりの銃声がドカドカと物騒なリズムを奏でる。
 その射撃と同時に点が軌道を変えた。銃声は、届いていないはずだった。
「へ?」
 慌てて減速を行う。敵を見失ったのだ。
 何がどうなってる、ああ、確かさっきあいつは上に昇ったはずだった。恐ろしく素早くそいつは動いた。
 上
 ガギィィンッ
 無言でブルーハンドを掲げたところに飛び込んできた短刀は、金属フレームを削ぎ取って耳障りな音を響かせた。そいつの表情は一瞬の驚き、瞳は冷静。容姿は幼女。
 必殺するために銃身を振るった。幼女が笑う。人を食ったような笑み。
 そいつが視界から掻き消える。銃身が空を切る。
 その瞬間をアズは覚えていない。太陽の中に突っ込んだかのような光に、包み込まれた。
 ような気がするだけだった。気がつけば再び幼女と空中戦を演じている。
 幼女の動きが止まっていた。かと思えば引鉄を引くそのタイミングでこちらの右手方向へと動いた。逃すまじ。
 射線を奴の機動に一致させようと、銃身を振り回す。と、次に幼女は射線を振り切るように、逆方向へと移動した。
 接近されたことに一瞬気付けない。
 蹴り。認識した時には両のライフルを掲げ、身を引いていた。
 がぁんと爆発的な一撃が顔面に襲来する。しかし泡を食っている暇はない。
 連撃! 幼女の繰り出した短刀による一撃は見事にライフルで受け止めることができた。
 冗談じゃねぇ
 彼は距離を取ることを最優先に急降下する。
 見たところそいつの攻撃は近距離戦闘に特化したものであり、せめて中距離にさえ戦闘距離を広げることができれば勝機を見いだせる。
 彼はそう信じて、体を反転させる。いない。
 風が吹く音がした。ブルーハンドで受け止める。死角からの一撃であると認知するのがその後。
「はっ」
 そして、彼は嗤った。
 何を羨んだのか、何を憎んだのか、彼には分からなかったが、でもしかし、その胸に湧いてきたのは微かな諦観と、そして僅かな余裕。
 ああ殺してやるよ、殺してやる。そうすればいいだけだ。
 ライフルで受けた衝撃をそのままに上空へと離脱。何も難しいことはない。
 回り込む暇も与えぬ、急上昇の後、反転。
 片方のライフルが使い物にならなくなっていることにその時点で気付いた。
 ああ
 鉄塊と化したライフルを取り落とす。そして、右手に唯一残ったライフルで、防戦に転じ後退するそいつを殺そうとした。
 そしてその瞬間、再び意識が飛んだ。

 俺は穏やかな空を飛んでいた。その翼は貧弱で、今までの強かなそれに比べれば、いや比較にならないほど貧弱だった。
 それでも、その幾度となく再考と修正を重ねてきた翼は、どこか危なっかしげに風を捉え、そして宙に舞っていた。
 穏やかな風のもと、どこに向かうのかも知れない。そして視界は丘の上を緩やかに下り、平地を目指す。丘の上から走る一本道が続く。
 その道の途上に一人の少女の姿があった。
 白いワンピースに、長い黒髪を纏い、そして鮮やかにこちらを振り向いた。覚悟を秘めた瞳に、俺には少女が一目で良い女だと分かった。
 ああ
 少女は俺を掴み取った。
 俺の役目はこれにて終了、あばよ

 少女はその紙飛行機を広げてみた。
 その強かな少女は、一瞬表情を歪ませる。これは先程の少年の直筆である、手紙を織ったものだった。彼女はそれに目を通す。理解した、これはラブレターであった。少女は丘の上を見遣る。そこから少年の姿を確認することはできない。
 少女は想いを巡らせる。少女の未来。女性としての生き様を。
 一人の男に愛され、子を生み、幸せの中に死んでいく、その未来を。
 一人の男に手放され、子を奪われ、孤独の中に、光を見つける。その結末を。
「もう遅いってんだよバカが」
 少女は涙を流す。そして、膝を折った。

 一人の四十代女性が睡眠中に急死した。孤独死だった。死後数日経って牛乳配達人の男性により発見された頃には腐敗が進み、もはやその骸に人間の残り香などなかった。


 同じ頃に一人の男性が死んだ。冷凍施設に隠れていたところを、阿呆ほど自動小銃の弾丸を叩き込まれて死んだ。

 少年が丘の上から駆け降りてくる。泣いている少女に向けて、一目散に。
 夏の始まりと終わり。


「あれ……?」
 シュワルベは泣いていた。空中での待機と、引き続き所属不明メールの偵察を命じられていた。
 感情の行き場をなくした涙は、ただただ溢れた。


「報告! 赤の部隊のシーアによって『敵』メードは撃墜されました」
 通信メードは直立不動の上、敬礼をした状態で述べた。
「御苦労、やれ殺してしまったか」
「は、申し訳ありません」
「いやいいんだ、しかし、年の所為か何となく気がかりでね」

 カラヤ・U・ペーシュは遠い目をして言った。


最終更新:2009年04月15日 11:29
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