(投稿者:エルス)
今は朝。頭の回転は遅く、体も重い。そんな中で私は動こうとする。
左手を動かそうとする。相変わらず左手はないが、動く。
次は左足を動かそうとする。これもないが、動く。
相変わらず何時もと変わらない。何時だってこうだ。当たり前のことなのに
不自然に感じるのは五体満足で生まれた脳が異常だと知っているからだろう。
「やはり慣れませんね、朝起きた時のこの感覚は……」
知らない内に呟いていた。口が勝手に喋ったのだろうか。
もう無い筈の左手に腕をつけながら立ち上がる。硬い手が足に当たる。その左手が憎らしい。
次にない左足に体重をかける。重さの関係で少し手間取ったが何とかバランスを取る。
洗面所に歩いていく。義肢の左足が少し重い。左手もだ。
鏡を見ると右目の瞼に傷のある女が映っていた。私だ。
鏡の前に置いてある義眼を一度水洗いした後右目にポッカリとあいている穴に入れる。
少し違和感と水の冷たさががあったがすぐに無くなった。
そしてもう一度ベッドに戻り、さっきの右目を隠すように眼帯を付ける。
何日生きただろうか?何回死にたいと思っただろうか?何回思い踏みとどまっただろうか?
この体の一部を代償に何を得たのか?彼の死は必要だったのか?
必要の無い事が次々に頭の中に浮かび上がる。やめろ、それ以上考えさせるなと頭を左右に振る。
意味は無い。ただそうすれば雑音が一つでも頭の外に出ると思ったからだ。
死に掛けた兵士を犠牲にして生きたのはお前だろう?他人の命を切り捨て、生きてきたのはお前だろう?
死を見続けて学んだ死を何故語らない?正面から見る勇気が無いからだろう?
気づけば呼吸が荒くなっていた。心臓の鼓動も早い。
額を触れば汗もかいていた。怖かったのだろうか身体も震えている。
たまに起こる発作のようなものだ。
自分の知っている事を話さないのは理解されない事を自分が知っているからだ。
電気、水、家、学校、全部揃った環境で育った人間は他の事を理解しようとしないのだ。
私と同じで闇を見る勇気が無いからだろう。要するに臆病者だ。
それに私はメード、この戦場から離れる事は出来ない。語る口すら、閉ざされるのか。
ノックと共に部隊長のマクスウェル中佐の安定した低音の、少し渋めな声が部屋に聞こえてきた。
私は緩慢な動作で髪を整え、ゆらゆらと覚束ない足取りでドアまで歩き、少し深呼吸してから開けた。
表情は何時もの微笑みで、私はマクスウェル中佐を見た。
「起きていますよ、マクスウェル中佐」
「おっと、返答が無いからまだ寝ていたかと思った」
「それで、何か用ですか?」
「特には無いのだがな、お前が大丈夫か、気になってな」
「私は大丈夫ですよ」
「そうか?
エルフィファーレが離反してから、顔色が悪いようだとミラーが言っていたが……」
「ミラー大尉の考えすぎですよ、私は大丈夫です」
「………それなら良いんだがな。背負い込むなよ?あれは君の責任じゃない」
「えぇ、分かっています」
「それなら私は事務に戻る。色々と面倒な書類が舞い込んできてデスクを占拠していてな」
「――――――」
「ん?」
気付けばマクスウェル中佐の軍服を右手で掴んでいた。それはさっきのように、右手が勝手に動いたようだった。
自分のしでかした事にも関わらず、私は無責任にも顔を伏せ、マクスウェル中佐から視線を外した。
酷く自分に腹が立ち、そして言い切れない思いが込み上げてきた。
自然と右手に力が入り、マクスウェル中佐が更に不思議そうな顔をするのが頭に浮かぶ。
「おい―――」
「すいません……何か…最近おかしくて……」
「……背負い込むなと、ゴドウィン大佐にも言われてただろうに」
掴んだ軍服が無理矢理離れ、私は不安で顔を上げた。瞬間、マクスウェル中佐と目が合った。
「………涙を拭け、ナイトホーク」
「え?」
また、私は泣いていたらしい。指摘されてから、何処に隠れていたのか、嗚咽が込み上げてくる。
抑えても抑えきれない感情が、ボロボロと表に出てきてしまう。
隠してきた感情が一気に吹き出て、見せたくもないのに見せてしまった。
「何で……こんなに…」
「…………」
不意に暖かさと鼻を擽る埃っぽさを近くに感じた。それがマクスウェル中佐の体温と軍服だと、自分が抱きしめられていると気付くまで長い事掛かった気がした。
嗚咽は止めようとしても止まらない、涙は流れているのも忘れるくらい、流れ続けた。
酷く悲しく、酷く――――――何だろう?
ゴドウィンも、バーバラも、神狼も、
シリルも、エルフィファーレも、私の前から消えていった。
それらを失った喪失感?それとも自己中心的な責任感?分からない、何が何だか、私が何だかすら、全然分からない。
訳が分からない、何で泣いてるの?何でこんなに悲しいの?分からない。分からないんだ。
「泣くだけ泣け、それで良いんだ。それは間違ってない選択肢だ」
「――――――……私は、このままで、良いんでしょうか?」
「あぁ」
「こんな、全部微笑みだけで、全部返してしまう、そんな人間で、本当に良いんでしょうか?」
「あぁ」
「こんなに泣き虫で、良いんでしょうか?」
「あぁ」
「良いんですね?」
「良いに決まってるだろう、試しにアンケートでもやってみようか?」
顔をマクスウェル中佐から離して、視線を上げると、彼は口元を吊り上げて笑っていた。
涙を拭いて、私は笑ってしまった。随分と不器用な笑い方なので、自然と笑えてしまうのだ。
「……フフッ」
「……何で笑う」
「中佐は笑い方が下手ですね」
「……死んだ妻と同じ事を言うんだな、君は」
「みんな同じ事を思ってるんですよ」
「何故か酷く馬鹿にされている気がしてきたぞ」
「馬鹿になんかしてませんよ、マクスウェル中佐」
「それなら良いんだがな、落ち着いたか?」
「えぇ、まぁ」
「これくらいなら別にどうとも思わん。こんな男の胸なら幾らでも貸すぞ」
「出来れば、これっきりにしたいです。私が弱さを見せると、色々と不味いでしょうし」
「うむ、そうだがな、ルルア。人間、重荷を背負うようには出来てないんだ。無理はするな」
「それ、ゴドウィンからの受売りですね」
「そうだ。彼は良い人間であり、良い軍人だった。教育担当官としても、あれ以上適任な人物はそういないだろう」
「過大評価ですよ。彼は極普通の、父親だったんです」
「そうだな、彼は……確かに父親だった。息子に対しても、兵士に対しても、メードに対しても」
「それで付いた仇名が軍のハンプティ・ダンプティ、でしたね」
「あれには笑った。自分から言う人が居るか、とね」
マクスウェル中佐が控えめに声を出して笑うと、自然と私も笑っていた。
そうだ、私にもまだ縋れる人が居たじゃないか、こんなにも不器用で、優しい人が。
苦しい時は誰も居ない所で抱きしめてくれれば良い。楽しい時は一緒に笑いあってくれれば良い。
どんな時も心を共有する必要なんてない。ほんの一瞬でも、私を守ってくれるなら、他には何もいらない。
それに私は微笑み返すのだ。ありがとうと言って。
「―――っと、笑ってる場合ではないな、仕事に戻る」
「はい、私は部屋で寛いで、外に出ようと思います」
「報道員に見つかるなよ、最近何かと多いんだ。しつこいからな、あいつらは」
「忠告ありがとうございます。それと………―――」
「それと?」
「―――……苦しくなったら、また泣かせてください」
「なっ!?」
顔を真っ赤にしているマクスウェル中佐を見ながら、私は部屋に入り、ドアを閉めた。
言ってから恥ずかしくなってきた。顔が熱を持って、赤くなっているのが自分でも分かる。
だけど、柄でもない事を言ってしまったと言う後悔も、妙に軽くなった胸の中も、してやったと言うこの満足感も。
全てが、久し振りに私の前に現れてくれたような気がした。
多分それは、全部背負い込もうとして、見られないようにポケットに詰め込んだ『弱さ』と一緒に、
随分とクシャクシャに丸まって、光が当てられないまま忘れられて、今やっと外に出て来れた、
私のような、生き残りなんだと思う。
どうしてそう思うのかは、分からないのだけど。
今は、何と無く、そう思うのだ。
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最終更新:2009年05月12日 22:49