逆鱗接触プッツンダー

(投稿者:怨是)




 俺の名は隆光。
 ちょいとワケありで、苗字は持ってない。
 数年前に、俺は人間をやめちまったらしい。
 そこより前の記憶も全部フッ飛んじまった。

 世界中にはGという巨大な害虫が居るこの世界。
 そいつらを駆除するのが俺達の仕事だ。
 俺達はそう教えられて育ってきた。
 ま、記憶が無かろうが何だろうが、俺は俺さ。

 おぉ、そうだ。
 偽悪と偽善。アンタはどっちを選ぶんだろうな。
 アンタが女なら、偽悪は辞めといたほうがいい。
 変な屁のつっぱりなんざ、俺達みたいな馬鹿な男の仕事と相場が決まってる。

 ……ところがどっこい。
 とんでもなく頑固な女ってのは、男の道理を簡単に圧し折ってくれやがるのさ。







 楼蘭皇国……四方を海に囲まれた島国。
 ルージア大陸より東に位置するその小さな小さな島国は「侘び寂び」をはじめとする、数多の独特な文化を持つ。
 その楼蘭のとある田舎町――与志野の、寂れた駅に二人の人影があった。

 さて、その雰囲気を和やかと呼ぶべきか。殺伐と呼ぶべきか。
 どちらとも付かぬ空気を肺胞に含ませながらも、二人はぼろベンチに腰掛けていた。

「本当に行くのかい」

「あぁ……私は、戦う理由を見つけたよ」

 濡れ羽色の髪を風になびかせながら、女性は静かに双眸を閉じる。
 初夏の夕凪の心地良さは、喉を洗うかのような涼しさを含んでいるのではないか。
 そのまま砂になって消え去ってしまいそうなほどに安らかな笑みを浮かべる彼女を、いつまで見つめていられるのだろう。
 少しでも、明日になってもその横顔を眺めたいからこそ、敢えてこちらは表情を険しくする。


「そう簡単に“見つけた”なんて決め付けるもんじゃないぜ。ちょいと昔の航海士が見つけた新大陸でさえ、先住民が居たんだ」

 少し昔、クランボスと呼ばれた航海士がアルトメリア大陸を見つけた。
 彼はそこを“マハーラ”と思い込み、その先住民を“マハーリアン”と呼んでいたか。
 先住民の大半は迫害され、どこかの自治区へと押し込まれ、そして巨大害虫であるGに喰われてその半数を失ったというのは記憶に新しい。

 無論、この男――隆光はその話を伝聞で知った程度であるし、それ以上の知識を持ち合わせていない。
 もう少し知識を蓄えていたのなら、アルトメリア大陸にいる彼らマハーリアンにも会ってみたいという気分にでもなったのだろうか。
 おそらくは会わない。そこまでに興味が及ばない。
 興味が及ぶのならば勉学に励んだ上で行くのかもしれなかった。
 得てして行動に出るというのは、興味の及ぶ範囲で何らかの火がついてしまった時だ。
 目の前の女性の場合はそれが“戦い”に関する事柄らしい。

「早まるのは見聞を広めてからでも遅くはないんじゃないか――藍羅」

 藍羅と呼ばれた濡れ羽色の髪の女性は双眸を開いてこちらを見据える。
 力強い眼差しの半分は羨ましかったが、もう半分は恐ろしげな何かが含まれていた。

「貫いて、その先に掴み取ってみせる。見込みも無しに飛び出すほど私は愚かじゃないさ」


 この藍羅という女性は――隆光と同じく――エターナルコアという鉱石の力によって人外の力を得た存在であった。
 これらはMAID、男性の場合はMALEの通称で知られ、彼らはGとの戦いに毎日のように駆り出される。

 楼蘭生まれのMAID達はその戦いを生き抜く為に楼蘭各地で訓練を受けるのだが、藍羅はそこで一つの問題を抱えていた。
 訓練所として使われていた道場から、彼女は破門されてしまったらしいのだ。

「そこまでして、強さばかりを追い求めて……何か大切なものをぼろぼろと零して行って……それでも、ある一つの何かを掴むっていう事かい」

 彼女はとある戦いで部下を失った。
 その負い目を今日まで抱え続けながら戦ってきた。
 ある時、彼女は道場の師範に直訴したのである。

『私はこの国に居るだけでは強くなれない。世界で、自分を磨きたい……楼蘭一ではなく、世界一の高みへと進みたい』

 ある意味では道理が通っているかもしれない。
 藍羅と同期だった一人のMAIDは、より抜きん出た能力を持っていた。そして、藍羅はいつまでもそのMAIDを超えられずに居たのだ。
 ならば同じ道を辿るのではもはや彼女を超えられる術は無いのではと、そう判断したのだろう。
 国内で鍛えても駄目なら世界に旅立って自分を鍛えれば、より高みを目指せるのではと彼女は考えた。
 なるほど、ある意味では道理が通っている。
 この狭い島国で鍛錬を積んだとて、それが世界で通用するとは限らない。
 だが、いたずらに強さを求めて世界一に辿り着いたところで、何になろうか。

「“一番”より“唯一無二”って、そう考える事はできないもんかねぇ」

「私にとっての“唯一無二”が、世界における“一番”だった場合はどうすればいい。私はこの刀を振るう事でしか、己を見出せない」


 ひどく悲しげで重々しい、紋切り型での締めくくりが隆光の胸を萎縮させる。
 自己を確立する上で何を軸とするかは人それぞれ。
 藍羅の女性の場合はそれが“戦い”に関する事柄であった。
 もっと掘り下げて形容するのならば、むしろ“力”であり“己の無力に対する憤怒”だろうか。
 藍羅と付き合いを持ってからおよそ八ヶ月ほどの月日を重ねてきたが、彼女はその辺りの事を殆ど話そうとしなかった。
 所属する隊が違うせいなのか。否、違うからこそ情報交換も兼ねて与太話に花を咲かせるのも一興だったろうに。
 こちらが饒舌になればなるほどに彼女は、ただ、ただ、相槌をうつばかりであった。

 喧嘩の時でさえ罵詈雑言ばかりで、ひとしきり怒鳴った後の彼女は、涙も見せようとしない。
 枕を抱えて顔をうずめ、嗚咽までをも押し殺すという状態が続いていたか。
 丁度、喧嘩の前触れは今のように、彼女が眉間の皺を深めて押し黙っている状態だ。
 ここからどこかで火花を散らすだけで火の手が上がってしまう。


「なぁ頼むよ、思い直してくれ。美人に眉間の皺は似合うもんじゃないぜ。同じ国の生まれって事でさ。な」

「黙れ。お前は何も解っていない!」

「何もって……話さなきゃ何も解らないのは当然だろ。なんで今までもっと話をしてくれなかったんだ。俺がそんなに信用ならなかったのか」

 嗚呼、いよいよ弾けてしまった。
 こうなってしまえば、暫しの衝突の後にひとつの波が押し寄せて、灼熱の渦中に抱かれる事となるのだ。

「……寄りかかりたくなかった。私は、私だけで戦えるだけの力が欲しい。ただ、それだけだ」

「だぁーから、古来から、生き物っていうのは独りで何でもこなせるようには出来ちゃいないんだって」

「それは進化に行き遅れた単細胞生物に限っての話だ! 私は違う!」

 彼女の圧縮された苛立ちが“単細胞生物”という言葉によって強調される。
 単細胞生物と云えばアメーバやら何やらが思い浮かぶが、それらのほとんどが捕食される運命にあるではないか。
 そもそもからして――MAIDの場合、子供は作れないが――進化して単細胞ではなくなった生物のほうがよほど複雑だ。
 ナメクジやカタツムリでさえ、たった一匹では子作りが出来ない。
 何より、これまで様々な深謀遠慮で取り繕ってきたという自負を“単細胞”の一言で片付けられるのが我慢ならない。

「なッ……俺が単細胞って事? そりゃ無いぜ」

「あぁ、お前は単細胞生物さ! 甘めに見積もったところでせいぜい猿止まりだ!」

「自惚れてんじゃねぇぞ? じゃあ何だ。お前はこれから世界中を救う英雄サマでも目指そうってのか?」

 僅かばかりの眩暈と鼓動の高鳴りが、喉を鳴らして語気を荒げさせる。
 藍羅が、彼女の云う所の“世界一”になったとしたら、その後は何をするのか。
 そもそも強くなりたいと思った最大のきっかけは、部下を失った事だった。
 だとすれば、彼女が力を求める理由から類推するに“何かを救うため”という一心こそが、その最もたるものではないだろうか。

「なるとも。なってやるさ! 私はお前みたいな怠け者とは違う! ずっと我慢していたが、もう限界だ。お前とは縁を切る!」

「あぁそうかい! じゃ、次の男は腐れ縁の龍馬なんか丁度いいんじゃな――……いや、その。ごめん……」

「いや……私も、少し云い過ぎた」

 ――だせェな。俺も。
 冷静に考え直してみる。藍羅はどういうMAIDだったか。
 まずは責任感が強い。何でも“私がやらねば”と動いて回る。そうしないと気が済まない。
 Gとの戦闘で部下を失った当時、彼女は自責の念に駆られて塞ぎ込んでいた記憶がある。

「行きがけの駄賃って事で用意してきたんだけど……これ」

「団子と花か……じゃあ、私は団子を選ぶさ」


 それと、性別やらで物事を語るのをひどく嫌がっていたか。
 おそらくは、女だからという事で片付けられたような、嫌な思い出でもあるのだろう。
 事実として隆光自身がそれをやらかしていたのだから。

「云うと思った」

「そろそろ汽車が来る。もう会うことは無いだろうな」

 切符を片手に、藍羅は遠くを見やる。
 隆光もそれにつられて同じ方角に視線を向ければ、汽車の上げる白煙が見る見るうちに近付いて来ていた。
 あと幾ばくかの猶予も無い。あの汽車がここへやってくるまでに抱きしめられるだろうか。


「寂しいじゃないか。また与志野に戻ってこいよ」

「またお前と顔を合わせる事となったらこっちの身が持たん。金輪際の別れだ」

「フるのは本気だったのかよ。俺ほどの色男なんてそうザラには居ないぜ」

 隆光の冗談めいた言葉に藍羅は口を堅く噤みながら、汽車の扉を開ける。
 手動で開閉せねばならないのだから、ある程度の時間の余裕はある筈だったのに。
 汽車が小さくなって見えなくなる頃になってさえ、隆光は口の鍵を開けられずにいた。

 もう少し頑張れば説得できたのだろうか。
 もとより、波長が合わなかったのかもしれない。
 もう少し頑張れば、互いに歩み寄る事もできたのだろうか。
 もとより、過ぎ去ってしまった事をいくら悔やんだ所で結局は“過去”として、その記憶は色を失って行く。
 飲み込むまでにひどく時間がかかるそれを、水でも飲み干すかのような魔法の言葉で押し流そうか。
 全ては、諦観の溜め息と共に。

「仕方ないね」






 ……と、いうのが俺の初恋さ。
 俺もまだまだひよっ子だったかんな。
 今ならアイツの気持ちも解るかもしれない。そんな気はしてるんだ。
 恋人としてじゃなくって、そうだな。
 ただの友達として、かな。

 そうだ。
 友達といえば、アイツも忘れちゃいけねぇな。
 故郷に古いダチがいるんだがね。そいつもまぁ……

~次回~
東西別嬪白書・序章

牛飯晩餐スキヤキオン

 ――ダチと喰うスキヤキは、最高だぜ。


最終更新:2009年05月24日 18:58
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