(投稿者:怨是)
1945年2月21日。国際展示会Frontier of MAIDの開会式は無事に行われた。
――ただし、会場は
グリーデル王国から
エテルネ公国へと移されて。
飛行場の格納庫を繋げて作られた特設会場には一万数千人程度の客が来訪し、展示されたMAID達が彼らに微笑みと共に手を振る。
それぞれのブースでは詳細なプロフィールが記されたボードが立て掛けられ、ホール中央のプロジェクターは彼女らの活躍を記録した映像で飾られていた。
大手のカメラメーカーまでもが専用の大型映写機を用意し、機材の仔細にわたって様々な企業が出資している事が窺える。
有り体に云ってしまえば、各国対抗の『うちの子すごい』大会のようなものだ。
EARTHのMAID研究部門から審査員が選抜され、出展MAIDを品定めし、最優秀を決める。
どれだけ美しいか。
どれだけ強いか。
どれだけ家事をこなせるか。
どれだけ優れたアイデアが盛り込まれているか。
これらの基準によって最優秀MAIDを選ばれた国家には、G-GHQから多額の報奨金や様々な名誉、貧乏な一般市民の考えの及ばぬありとあらゆる“何某か”が与えられる。
二年前は
マーヴもここにエントリーしていたが、最優秀には選ばれなかった。
それでも警備に当たらせつつも来場した人々に笑顔を振りまくようジラルド達が指示したのは、あの新聞記事盗用事件を未だに引き摺っているからである。
また、かの黒旗が復活の兆しを見せていると聞いた各国はなるべく多くの余剰戦力を警備に割かねばならなかった。
戦力増強の為、盗用事件で物議を醸したマーヴも暫定的に復帰させざるを得ない。
その台風の目とも云える彼女は一通り来場者を捌き終え、ジラルドの監視の下で控え室に閉じ篭っていた。
ダンボールだらけではあるが、あの二酸化炭素中毒になりそうな通路よりは心安らぐ場所だ。
他国のマスコミが入場者などお構い無しに取材を始めようとし、それを警備員達が追い払う度に白い視線が突き刺さっていたのだ。
帰りたいという気持ちを抑えつつ、傍らに座るジラルドを無視して独り言を呟く。
「……にしても、さぞや頭の痛い決断だったろうねぇ。
せめて黒旗がもう二度と湧いてこないって保障があったなら、アタシを閉じ込めて置けたのに」
皮肉な話だった。保証が無いからこそ、こうして胸中は晴れやかになる。
漸く、この隣の偏執狂と顔を合わせなくても良い日々がやってくるのだ。
朝礼の直後に擦れ違った眼鏡の男――ジラルドが彼のことをレイ・ヘンラインと呼んでいた――が“15:00”と一言告げ、懐中時計を片手に人混みへと姿を消した記憶が、未だに脳裏にこびり付いている。
チケット、もとい手紙は無事に手渡した。レイらしき男は確信を以って頷いていた。
「それが人の業というものだ」
隣の馬鹿男は何を云っているのだろう。意味深長な言葉は、使う場所を誤ると途端に滑稽になる。
口元が自然と吊りあがってしまうのを押さえ、それが結果的にニヒルな微笑みへと変わってしまうのを更に心の中で冷笑する。
「ところで十字架はどうした。まさか忘れてきたのか」
「無くても大した事ァありませんでしょや」
「何を云っているのだ。勝利に対して最善を尽くす事は、最強への一歩に繋がる」
本当なら今すぐにでも離れたい気分だったが、マーヴは眉間の皺を細かく振動させ、胸中に溜まった熱を少しずつ外気へと放出する。
鈍感な彼の事だから多少の嫌味、皮肉は通じそうに無い。それが逆に苦痛でもあった。
溜め息を挟み次の言葉を用意したマーヴの口元は、自然と下方へと歪められる。
「常々思ってきた事なんですがね。アタシを最強にしたら、それで何か得をするもんなんでしょうか。教官ではなく、アタシが」
「黒旗は恐らく、空戦MAIDを優先的に潰しにかかる。だが、一定水準以上の力を発揮すれば、たとえ大量の戦闘機に囲まれても数分で殲滅できるだろう。
お前はそれだけの可能性、無限の潜在能力を秘めている。私はそれを発揮する事に対し、協力を惜しまないつもりだ」
「いや、そうでなくて。最強に仕立て上げられる事に対するメリットを訊いてるんですよ」
「己に降りかかる火の粉だけでなく、他人に降りかかる火の粉さえも払い除けられるぞ」
嗚呼、ジラルドの父よ、母よ。何故もっと聡明なご子息を授からなかった!
マーヴの苛立ちが恋心に所以するものであったなら、第三者はどれだけ微笑ましかったであろうか。
生憎と、彼女を苛むこの感情は色恋沙汰とは程遠いものだ。彼の頭の中は確かに愛に満ち溢れていた。
ただしそれはこちらの都合など全く無視した、下らない絵空事に対する愛だ。
当初からGの集まりとMAIDの塊を見る度にこの男は『支援してやれ』だのとのたまってきたが、それは全くの見当外れだ。
自分の身くらいは手前のカードで守ってみせるだけの気概は、殆どの者が持ち合わせているではないか。
押し付けがましい英雄伝説ほど戦場の回転を妨げるものは無い。多くの兵士にとって、そのようなものは邪魔でしかない。
窮地を救うのはいつの日も偶然である。彼はその偶然と云う名の青い鳥を追いかけているだけに過ぎないのだ。
マーヴの向こうに青い鳥を見つめたまま、ジラルドは更に続ける。
「弱者を守る事こそが、強者の務めだ」
「はぁ。然様で」
「何だその返答は。国からナイトの称号を授かり、永遠の名誉が後世まで語り継がれるのだぞ。
ジークフリートのように」
「英雄だの名誉だの、吸う空気くらいは自己責任で選ばせて欲しかったんですがねぇ」
溜め息でジラルドを牽制する。
マーヴには、他人を救済できるだけの余裕も酔狂も持ち合わせていない。
何より嫌な記憶を想起させる名前を出されたのが我慢ならなかった。ジークフリートには責任は無いが、記事盗用事件から日は浅い。
それでいて尚も引き合いに出す彼の神経が理解し難い。反省の色など全く見られないではないか。
「――新聞記事盗用とかそういうゴタゴタばかり持ち込まれて。
生憎とそんな状況下で“アタシゃ素晴らしいMAIDだ!”なんて自己陶酔できるような図太い神経は持ち合わせてないんだよ。もう限界だ」
「限界だと。お前、まさか」
誰が為のこの身体か。守りたいものだけを守り、糧にしたいものだけを喰う為だ。
誰が為のこの両手、両足か。己を大地に立たせ、この世のありとあらゆる物を己の意志で掴む為だ。
誰が為のこの双眸、誰が為のこの魂か。己の信じるものを見、それについて己で考える為だ。
誰が為のこの口か。己の心を、相手に語る為だ。
ありとあらゆる行動は、己に還元する為ではないのか。
綺麗事は自らの選択で身に纏う、礼服のようなものだ。
誰かに強制される類のものでは断じてない。
「そう。お別れのお時間がやってきたって事さね。……教官ちゃん」
乾いた音が――一方は破裂するような、もう一方は皮膚を平手で打つ音が――同時に響き渡る。
腐っても軍人か、ジラルドは銃声のほうへと咄嗟に顔を向けた。
「銃声――ありえん、ここの警備体制は万全ではなかったのか!」
「知らないよ。展示MAIDの誰かが暴走したんだろうさ」
この期に及んで冷静なのか、神経が何本か足りていないのか、ジラルドは沈黙を守った。
マーヴは期待していたのだ、この男が取り乱す様を。否、きっとこの男は状況をすぐに飲み込めるような器量を持ち合わせていないのかもしれない。
三行半は確かに突きつけた。後は腕力に任せてこの男を行動不能に追い込んでやるだけだった。
が、マーヴもまた沈黙を続ける事にした。反射神経に関しても、MAIDと人間では雲泥の差がある。
もしもあちらが銃を突きつけようものなら、こちらは懐に潜り込んでしまえば良いのだ。
戦うまでも無い。ジラルドとて、応援を呼びつけようにも、会場の騒ぎに邪魔をされてしまう。
にも関わらず彼の、口元を上に吊り上げてみせる程の余裕は、何処に根拠があるのだろうか。
「……両腕を血に染める度胸は、お前には無いようだな」
マーヴの中で急激に内臓が上昇し始めたような心地がしたと同時に、両の拳がより強く震え始めた。耳の辺りにまで熱を帯びる。
古巣を蹴飛ばす事への躊躇や恐怖が今頃になってやってきたのか、それともふてぶてしいこの男の態度に苛立ったのか、どちらかは判然としない。
判然としないが、こめかみの血管が脈を打つ程に感情が沸騰してしまうのを、マーヴは抑え切れなかった。
世に云う『とさかに来た』とは、こういった現象を指すのだろうか。
気が付けば、ジラルドの鳩尾に拳をめり込ませ、吐瀉物を右肩に浴びていた。
声を震わせたまま、マーヴは続ける。両肩が上下するほどに呼吸は荒い。これが怒りだ。
「お情けかと思ってるのかい? アンタはそのまま生き恥を引き摺り続けるんだよ。飼い犬に愛想を付かされた奴としてね」
「失敗作として、水に流せばいいだけだ……」
「は?」
ジラルドの髪を掴み、唾を吐きかけ、左の膝を頬骨に強打させる。
これでどれだけの歯が折れただろうか。彼の口中を事細かに察するのは後回しにし、マーヴは今しがた聞いた言葉を繰り返させた。
「教官ちゃん……ちょっと聞こえなかったねぇ」
「し……失敗作として水に流し、新しい空戦MAIDを、今度は」
「あぁ、今度は?」
「今度は、お前の失敗を踏まえて、より理想的な英雄として、この世界を」
足の裏で鼻の柱ごと蹴倒し、その勢いでジラルドの側頭葉に衝撃を与える。
ジラルドは真っ赤な花を咲かせたまま地面に倒れ、頬を床と靴に挟まれた。
抵抗の意志を見せないのは何か。“愛娘”とやらが掌を返したとはいえ、まだ未練があるのではないか。
「へぇ。世界中に盗用事件の恥を晒したのにまだやろうってのかい? そんな救世主ごっこを」
「瑣末な事だ……それに、記事の一致は偶然であるし、私の管轄では、ない」
「あぁそうかい。あばよ、教官ちゃん。無事に帰れたらママと人生相談でもするこったね」
丁度良く投げ出されていた両腕を思い切り踏み砕き、マーヴは控え室を後にする。
涙を流すほどの感傷も無いのは、おそらく飼い主が悪すぎたのだ。彼らはあまりにも、私物化しすぎていた。
青い鳥を追いかけるその道中で、数多の大切なものを踏み躙りすぎていた。踏み躙られた者達の怨嗟さえもまた、踏み躙ってしまっていた。
「ま、素行不良なのは認めてやるからさ」
無論、卑怯な戦いでスコアを稼いだマーヴ自身にも非はあった。
しかしそれを影から謗る者もまた、マーヴにとっては疎ましい有象無象に含まざるを得なかった。
権力を持ちすぎた馬鹿な親に全てをなすりつけ、彼女は銃声以前とは違った喧騒に包まれた会場へと足を進める。
黒旗としての最初の仕事――お迎え前の仕事を済ませるべく、武器も抜かりなく用意した。
大型のボウガンと、ロケット式フックショットだけだ。他には何も要らない。
扱いづらいだけのレールガンも、重いだけの専用ビームガリング・ガントも、装飾を施されただけのお飾りロングスピアも。
関係者の中では空力特性を意識して揃えたとされているが、実のところは死荷重だ。
身の丈にあった武器だけで良いのだ。無駄に持たずとも、自分の世界は自力で廻せる。
「……さて、タクシー代の分は働こうかねぇ」
最終更新:2009年09月17日 22:08