パピヨン

(投稿者:Cet)



 燃える!
 燃えていく!



 心は煉獄に在った。
 いつも私の心は著しく捻じれていた。
 体は殻であった。
 心の軋む音がそこに反響する。
 世界が半球状であるとすれば、きっと最上部から罅割れて、砕けて落ちてくるだろう。そう何度か思ったことがある。
 しかし実際にそんなことは起こらなかった。
 俺はただ生きている。
 独白。
 独白。
 独白。
 いつまで続けるのだろうか。
 あらゆる存在は”フォーミュレイト”されていた。
 呟きもまた同じで、それは俺にとってありふれた物質でしかない。
 独白。
 独白。
 独白。
 夜が白んでいく。
 今日も今日が始まる。
 独白。
 独白。
 独白。
 俺はあっちを睨んだ。
 白んでいく日を睨んだ。
 割れろ! 心の中で叫んだ!
 何も起こりはしない。そんなことは最初から知っていたのだ。
 割れろ! 何度も唱えた。
 割れろ!
 割れろ!
 割れろ!

 われろ!



 そろそろ良いかな、と俺は顔を上げた。
 つま先にかかる程度の高さの草が繁茂した森林。
 俺は樹木に背を任せ、座り込んでいた。
 朝が始まるのが分かった。
 がやがやと、ずっとずっと背後の方から人のざわめく声が聞こえてきた。
 あれは俺の所属する部隊の隊員達の声だった。
 俺は彼らにあいさつをしなければならない。
 しなければならない、というか、する。
 俺はここに居る為にここに居たのであって、あいさつをすることもまた俺の欲求の内の一つだろう、そんな風に思いながら腰を上げた。
 ふらふらと歩きだす。俺の服装は今どんなものだろう。
 オリーブドラフの軍服。
 朝露で湿っていて、何やら独特な臭いが漂っている。
 俺はそれを意識的に無視した。
 俺はそっちへと向かった、ベースキャンプへ。
 あいさつをしなくちゃ。
 俺は歩いた。とぼとぼと歩いた。百メートル程の距離を歩いて、ようやくその場所が見えてきた。
 それはベースキャンプだった。間違いなく。
 歩哨の一人がこちらの姿を見咎める。
「おい、早く戻ってこい。一人で勝手な行動をするな」
 その歩哨は雑然と言った。彼は、言語野の混沌を、アウトプットすることで、処理したのである。
「了解です。おはようございます伍長」
「ああおはよう」
 男は、俺と目を合わせようとはしなかった。
 それでもいい、そう思った。俺はとりあえずどこに行かなければならないっけ。俺はどこに行かなければならないんだっけ。そうだあいさつをしなくちゃならないんだった。そう言えばそうだった。そうだった。
 俺はあいさつをしなければならないんだった。
 そうだった。

 俺はあいさつをしなければならないんだった。
 そうだった。そうだった。
 そうだった。
 心が捻じれる。捻じくれる。
 煉獄に心はあった、今までもそうだった、これからもそうだろう。
 もし世界が半球状の存在であれば、いずれどこかが罅割れて、そこから亀裂は全体へと伝わっていくだろう。そう思った。
 そう思った。
 そう思った。
 そう思った! 思った! 今こうして俺は思考していた。
 さあ次はどうする? どうする?
「おはようございます、少尉」
 俺はあいさつをしなくてはならないんだった。
「おう、パピヨンじゃないか」
「おはようございます、少尉」
 それはさっき聞いただろ、と、少尉は笑って言った。
「お前は飯食ったか?」
「いえ、まだです」
「よし、じゃあ一緒に食べよう。あ、お前支給品はどこにやった?」
「私は自分のテントにそれを置いていきました」
 そうか、そうか、と、少尉は満足そうに笑った。
 嘲笑ではない。
 笑っていた。
 笑っていた。
 思考が停まりそうになる。
 笑っているのは俺でもあった。
 俺も笑っていた。
 俺はご飯を食べよう。そうしよう。
 俺はご飯を食べるぞ!
 大きな声で自分に対して呼びかけてみた。
 確かにそうしようと実感していることを味わう為に。


最終更新:2009年11月03日 02:39
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