「――神よ貴方を信じます。私を恥から救い勝利をお与え下さい」
この祈りを捧げるのは幾度目だろうか?
神など元から信じておらず、それが都合のいい幻想でしかない事も、すがるべき偶像である事も知っている。
そんな私が祈りを捧げたところで、何の意味があるというのだろうか?
神も、いい迷惑だろう。
でも――
祈りを捧げるたびに、記憶の彼方に消え去ろうとする“彼”の存在を感じる。
この祈りを大事そうに呟いていた“彼”を取り戻せる。
それこそ、夢幻の類。都合のいい幻想でしかないのだろうけど、この一瞬だけ、この一瞬だけは、その幻想に浸りたい。
この一瞬だけ、あのとき彼が見せてくれた笑顔にまみえたい。
「さて……」
右手に握っていた十字架を大事そうに胸元に仕舞い、
アレッシオは空を見上げた。
漆黒の夜空に浮かぶ半月は彼女に笑いかけるように、たゆたう。
吐く息は白く、風に吹かれ、ふわりと舞った後に消える。
今度は前方を見据える。
死の匂いが漂う廃墟がそこには広がっていた。
ほんの数日前までは、様々な人々の、喜びも苦しみも、笑顔も涙も、そこに全てが詰まっていたはずなのに、今は何も無くただ空虚な暗闇が広がっている。
その暗闇に、蠢く影。
敵意と害意と悪意と殺意。負の感情を煮詰めたような、粘度を持った気配。
天敵の出現に色めき立つように、少しずつゆっくりと、路地から建物から地中から這い出してくる。
街に住んでいた人々の屍を踏みつけるその様に、多少なりとも怒りは感じる。だけど憎しみは感じない。そして、少し悲しい。
(……因果ね)
アレッシオを品定めするように徐々に眼前に集う“敵”を眺め、彼女はこれからの、自分達の運命を憐れんだ。
そして、左手に持っていた長大な重機関銃の砲身に右手を添え、ゆっくりと持ち上げる。
装甲車から無理矢理外したそれは銃架もなく剥き身の状態であったが、彼女は危なげもなくそれを保持し、ポイントする。
そして――
「……始めましょうか」
その一声と共に、トリガーを引き絞った。
連射音。
KBV重機関銃は分速600発の速度で14.5×114mmの焼夷徹甲曳光弾を吐き出し、眩いマズルフラッシュを断続的に明滅させる。発射された弾丸は銃口から離れるころには亜音速を超え、それによりソニックブームが発生し爆音となって周囲にまき散らされる。
姿勢を少し落とし、腰の高さでその重機関銃を操るアレッシオは、総重量50kgを超える重量も、その人間では到底制御できないであろう反動も意に介する事はなく、その細身の体からは想像が付かないほどの力で暴れる銃身をねじ伏せていた。
連射音。
さらにその力の源であるコア・エネルギーは銃身を通し弾丸にも伝播、弾頭が持つ運動エネルギーを加速度的に高める。
容赦なく叩き込まれた銃弾は、標的であるワモン種Gの黒光りする外殻を食い破り、発火しながら内容物を引き裂き、楕円形をした大きな体躯を突き抜ける。発砲を初めてから数秒で3匹ばかりのGが見るも無惨に砕け散り、それでも殺しきれない銃弾の勢いに巨体が宙高く弾け飛ぶ。体長3m、体重300kgを超すその質量が吹き飛ぶ様は、射撃の威力の凄まじさを物語っていた。
連射音。
掃射というにはあまりにピンポイントに浴びせられる銃撃は、来訪者に反撃を浴びせようと前進するGから順に葬り去っていく。
赤熱していく銃身と途切れない曳光弾の線が光のオブジェでもあるかのように、周囲を照らす。
撃鉄音。
ものの20秒で40発という装弾数全てを撃ち切り、廃墟に束の間の静寂が戻る。
好機とばかりに、生き残ったGの数体が牙を開き、アレッシオに飛び掛かる。
しかし、それをバックステップひとつで回避し、彼女は予備の弾薬クリップを背後から取り出す。弾薬を装填された重機関銃は、再び息を吹き返したように銃弾の雨をGに浴びせかける。
連射音。
先ほどと同じように、固定砲台のように立ち止まり敢行される正確無比の定点射撃。次の40発、計80発が撃ち尽くされる頃には。寒空の下、十数匹のGが屍を晒す事になっていた。
「はい、お終いです」
そう一言、真っ赤に砲身が熱せられた重機関銃を地面に放り投げるアレッシオ。
流石に疲れるのか、肩をひとつ回す。
しかし、これで終わりではない。
近場にいたGこそ駆除したが、音と光と匂いと、そしてなにより仲間の死に惹かれ、廃墟中からGが集まりだしていた。
寒冷地区で強力な個体こそいないが、その数はいまだ驚異である事に変わりはない。
次々と視界に入ってくる醜悪なGの姿に、辟易したようにアレッシオは溜息を吐いた。
そしてそれと同時に、自身の感覚を広げる。
周辺にいるGの姿を視覚と聴覚により把握し、その全てが自分に注目し集まって来るように、ギリギリまでその場に踏みとどまる。
アレッシオという危険な敵を前に、Gが数に任せ群れになり一斉に襲いかかってくる。そのタイミングを見極める。
生理的に言えば今すぐにでも逃げ出したいが、それは義務感と慣れで押し込めた。
頃合いにアレッシオは、背中に背負っていた半自動小銃を引き出す。
それと同時に、ざわめくように闇が膨れあがる。
夜間である事も、気温が低い事も関係ない。闘争本能と殺戮衝動と復讐心に駆られたGが今まさに波となって彼女に襲いかかろうとしていた。
その刹那。
発砲音。
Gの体液が宙に舞う。
機を先じる様に、アレッシオは手頃な一匹を撃ち殺した。
「さあ、命を賭けた鬼ごっこです」
一瞬ひるんだGの群れを尻目に、捨て台詞を残し、アレッシオは脱兎のごとく一目散に逃げ出す。
Gは一斉に耳障りな咆吼をあげ、アレッシオを追い出した。
「合図です」
都市部から林道に至る道路、丘に連なる林の中に潜んでいたセイゲル軍曹は、部下の言葉に頷いた。
今、この林にはセイゲルを含め、八人の兵士が潜んでいる。凍てつく外気と、視界を奪う暗闇の中でも微動だにせず、迎撃体勢を崩さない。
彼等はセイゲル軍曹が指揮をする分隊。アレッシオが初めてこの地で遭遇した偵察部隊だった。
「しっかり5秒間隔の発砲音。手筈通りだな」
セイゲルの声に、今度は部下が頷く。
遠くから聞こえる小銃の発砲音。
時間と共に、分隊が潜む林に近づいてくる。
「上手くいくのでしょうか?」
「さあな」
不安が滲む部下の声に、素っ気なく軍曹は返した。
彼等八人は、Gを迎え撃つためにこの場に潜んでいる。あの獰猛な化け物が今まさに迫ってきている。たった八人の人間が一日で小規模とはいえ基地防衛部隊を壊滅させるような生物を迎え討とうというのである。自ら志願したとはいえ、セイゲル自身も不安が無いわけではない。
しかも、すでに本隊は陣をたたみ難民を連れ、近隣の基地へ出発してしまっている。夜だということもあり、行進の速度はけして速くないだろうが、それでも救援が来てくれる位置にはもういないはずだ。
これはちょっとでも戦闘区域から難民を遠ざけるためであり、同時に自分たちが敗れた時の保険としての意味合いもある。
それほどまでに危険な作戦。
しかし、セイゲルはこの場でGを殲滅できると、そう言った彼女を信じると決めた。
そして、その為になら自分の命を賭けても良いと。
「今はあの人を信じるしかないだろう」
「……ええ、俺も信じてますよ。彼女が勝利の女神だってね。あんなに綺麗な女、俺の田舎じゃ女神に会うよりも珍しいんですよ」
「そりゃお前の田舎に若い女がいないからだろう」
軽口を叩く部下と笑い合うと、セイゲルは手に持つ銃を握りしめた。
(……信じるしか、ないだろう)
その間にも銃声が一層と近づく。
分隊各員、全員が自身の早まる鼓動を感じつつ、その時をじっと待つ。
“その時”が永遠に来ないのではないかと錯覚するくらいに、時間の進み方が遅い。
分泌されるアドレナリンに、彼等の心臓が耐えきれなくなってしまいそうになったとき、丘の上に影がさした。
「来た!」
丘を越え、驚くべき速度で真っ直ぐ林に向け、アレッシオが疾駆してくる。
跳躍を交えながら走るその様は牝鹿のように華麗で、しかし時たま後方に向け小銃を発砲する姿は卓越した技量を感じさせる。
その後方、丘の上から闇が溢れた。
外骨格で覆われた節足を凄まじい速度で動かし、前方のメードを一心不乱に追う黒い雪崩。
アレッシオが小銃を発砲する光と音を目当てに、異常なほどの執拗さで獲物を追従する。
おぞましい光景。
Gの群れだ。
Gの姿を肉眼で捕らえ、セイゲルが部下達に呼びかける。
それに応え、銃の撃鉄を引く音が響く。
脇目も振らず、突進してくるアレッシオとGは、ものの数秒で林に差し掛かった。
兵士達はそれでも恐怖心に負けず、ただ迎撃体制を保つ。
ひときわ大きく跳躍したアレッシオがセイゲル達の頭上を飛び越す。
それを追い、Gが林に入ろうと速度を上げた。
傾斜を過ぎなだらかになった地点。あと数十mで分隊と接触しようという距離まで差しか掛かった、その時――
「1列点火!!」
着地反転したアレッシオが叫んだ。
「点火!!」
それに呼応して、セイゲルの隣にいた兵士が自分の手に持っていたクリップ状のスイッチを握り込む。
爆発。
巨大な紅蓮の炎が一列に地面から溢れ出し、まるで壁のように迫り上がる。
爆轟が周囲を揺らし、爆破地点の直上にいた群れの先頭は、その原型を留めることなく、粉々に吹き飛ぶ。
それは、地面に埋められ、意図的に信管をいじり爆発させた、数個の122mm榴弾砲の砲弾であった。
運良く後方に位置し爆発の被害を逃れたGも、前方で巻き起こる炎に前進が出来ずにたたらを踏む。
「2列点火!!」
「点火!!」
矢継ぎ早に響いた声と共に、1列目の後方、ちょうどGが急停止した地点に爆発が巻き起こる。
急に退く事が出来なかった過半数のGは炎に没し、消し炭と化す。
爆発の殺傷圏内から外れていたGも爆風により少なからず損傷を負い、まともに動けるGは最早いなかった。
「今だ、全力射撃!!」
「ダッ!!」
セイゲルの掛け声と共に、分隊各員の総火力を持って、生き残ったGを撃滅する。
その砲声は猛々しくも、復讐を叫ぶ声のように、アレッシオには聞こえた。
Gと人間。果てしない闘争の中の一欠片に決着が付こうとしているなか、彼女は不思議と高揚感も、勝利の喜びも感じなかった。
ただ少し悲しい。
それでも隣で勇気を振り絞り戦う人間達のために、彼女は引き金を引いた。
to be next...
最終更新:2009年12月02日 20:12