(投稿者:エルス)
私、クラウス・フォン・バルシュミーデは今、黒旗本部防衛の正面、つまりは前線の指揮を執っている。装甲無線車の上で、部下三人と一緒にだ。
本来ならばヘルムート・ホフマン中将が指揮を執る筈だが、ライールブルク内に今は髪の毛一本残していない。
劣勢時の防衛戦闘には定評のある中将ではあるが、敵前逃亡同然の行為に走る小心さは治すべきだろう。
そして、私が相手にするのはギーレン宰相直接の命令の元、攻め込んでくるエントリヒ帝国軍。
予想としては空軍の爆撃後、武装親衛隊とメードを主軸に前面から突撃、一気にライールブルクを攻略し、黒旗兵を捕縛する。そんな所だろう。
この戦いで一国の軍隊に理想を掲げた第三軍は勝てぬということを、そして、この圧倒的戦力差は絶対的に覆らぬということを、帝国は黒旗という組織で思い知らせる。
正義を味方につけた恐怖の証明。無言で突きつけられる剣の切っ先。英雄を盾にした思想という名の矛。名声と栄誉を称え神聖化する英雄主義。
なんと愚かしい事か。そこは人間の舞台ではないのか?幕を上げるのは一発の銃声、幕を下げるのは幾多もの声と紙。その下にあるのは赤い血肉だ。
それが、今は何だ。メードばかりが戦場を支えているように報じられ、稀少能力を持つ者が次期エースとして祭り上げられる。
何が稀少能力か、何が英雄か。そんなもの、私からすれば全て同様に下らない。兵の犠牲の上に立つべき者が、女子供で良い訳が無い。
我々軍人は、何時から民間人に十字架を背負わせる悪人と化したのか。
思想など時を過ぎればただの夢物語を語った『狂』でしかない。
主義など根本を叩き折れば全て崩れ落ちるただの『仮』でしかない。
名誉などただ己が如何にしてその地位にいるかというただの『証明』でしかない。
それら全ては同様に下らない。
そんな些細なものは捨てるべきだ。ただ敵と認めたものを徹底的に殲滅し、根絶やしにする。
戦争というのは、いや、戦いというのは根本からそういうものなのだ。戦い、争う故に『戦争』なのだ。
そして『戦争』と云う行為の罪を背負って生きるのが、我々軍人というものだ。
『貴官らが己の思いを果たす事を私は望む。貴官らの命は鉛玉と等価だが、敵を殺せば貴官らの価値は何倍にもなるだろう
命を散らすならば己の価値を捨てて敵を道連れにするが良い。死に方も殺し方も指示しない。貴官らは貴官らの責務を果たせ
責務を果たせぬのなら価値は無い。責務を果たしてこそ軍人である。己に忠誠を誓え、己の恐怖を滅せよ、己の指を鉄爪に掛けろ
そして銃を持て、弾を込めろ。銃口を己の敵に向け、思ったままに行動しろ。これは戦争だ。奴らに、思い知らせてやれ』
大陸戦争のエントリヒ帝国陸軍を題材にした小説『鉄血中隊』の中で中隊長エーリヒ・ミュラー大尉が対比にして七対一の戦闘に望む際、部下に言う台詞だ。
正直、この小説は偏見と趣味で書かれたようなマニアックなもので、作者であるリスチア人のヴァレリオ・ミッコリでさえ「見るのが恥ずかしい」という代物だが、
この台詞だけは私自身おもしろい程、気に入っている。
何より部下へただただ単純に『敵を殺せ』と言っているのが良いのか、ただ格好が良いからなのか、未だ自分でも気に入っている理由が見つから無いのだが。
「大佐、敵戦闘航空団を発見したと報告。現在迎撃中ですが……間に合いそうにありません」
「遅い。何をやっているのだ。対地攻撃の後には陸上部隊が来る。第1重戦車中隊を中心に市街地戦を展開。第702歩兵大隊は随行兵として17を援護。他の部隊は支援に徹せ」
「了解。通信送れ」
「第1重戦車中隊のクリューゲル少佐より通信。敵軍の脅威大、司令部の放棄を提案す、です」
階級章を付けたままの元親衛隊、フリッツ・イェーガーが私に告げた。と、同時にサイレンが鳴り始め、轟音が鼓膜を震わせた。
なるほど、考えても見ればあのギーレンは此方が取った『駒』が大事で仕方ないのか。なんとも、実に阿呆らしい事だ。
軍を私情を入れて使う愚行を犯すまで大事ならば、今そうしているように首輪でも付けて大事にすれば良いのだ。
そもそも、そのような小事に頭を悩ませるような男が、一国の王として君臨している皇帝になろうなどど夢物語も良い加減してもらいたい。
女子供を戦わせておいて、何が皇帝か、何が宰相か。馬鹿馬鹿しい。
「提案を受理する。司令部撤退までの殿を頼むと伝えよ。第11対空小隊は何をしている?」
「第11対空小隊は爆撃により陣地ごと消滅したとの事! クリューゲル少佐より返答。我、最後の一両まで善戦し、殿として任務完遂を目指す。貴官に偉大なる英霊の御加護があらんことを」
「貴官の犠牲に感謝すると送れ。敵戦闘爆撃機の機関銃掃射を警戒しつつ、我々は後退する」
「大佐!? 貴方は残らないのですか!」
「残らん。私にはまだすべき事がある。それとも、何か問題が有るのか?」
むっ、として黙るフリッツも親衛隊という名声に縋り続ける下らない軍人の一人だ。いや、同じ軍人として見たくもない。
階級章と勲章を今でもぶら下げているのがその証拠で、親衛隊という
プライドがまだある馬鹿な男だ。
私も人のことは言えぬが、どこぞの公安親衛隊少佐も、裏切りを棚に上げていたな。
さて、黒旗とは初めどのような組織だったのか?現状から察するに、馬鹿の集団なのだろうか。
「大佐―――」
「この犠牲を糧として私は前へと邁進するのだ。無駄にする積りなど毛頭無い」
「ですが貴方の指揮で兵士は―――」
「クリューゲルは殿を務めて見せると言ったのだ。無駄にする訳にはいかん」
「っ……」
「私は既に十字架を背負って生きているのだ。今まで積み重ねた無念を、貴様はここで焼き尽くす気か?」
「それは、逃げているだけではないですか」
「何?」
「逃げているんです。大佐は、この戦場から」
振り返ってフリッツを見る。その手には安全装置が解除してあるヴァトラーP.38。あぁ、なるほど。馬鹿は伝染るというが、本当だったのか。
フリッツ・イェーガー中尉は指揮官としてまだ未熟であり、戦闘行動に私情を持ち込むような若者だ。
純血である誇りと元親衛隊である誇りに『正しく導く己』と間違った考え方を持つ彼は、間違えさえ直せば有能になると信じていたのに。
だが、若造よ、前を見るが良い。断罪を迫る愚かな者どもは向けた剣の止め方さえ知らず、ただ突き刺せば良いと考えているのだ。
お前のような理想主義者―――いや、妄言主義者はここには要らない。
戦友の血で生き長らえて来た私の意志を、ここで朽ちさせるなど、私は許さない。
「戦い、戦い、戦い、それこそが貴方の生き方だ。逃げるなら、撃ちますよ」
「馬鹿者」
「な―――」
何を考えている、とでも言いたそうな顔をしているフリッツに迷う事無くファウガーP.08の銃口を向け、鉄爪を引いた。
至近距離で放たれた9mmパラベラム弾はフリッツの鼻頭を粉砕し、脳幹を貫通。いとも簡単にフリッツを即死させる。
人一人が倒れる音とうろたえる残りの二人の声を背に視線を前に戻せば、炎と黒煙が上がる町並みが見えた。
殺してから言うのも何だが、フリッツとよく似た若造を私は知っていた。もっとも、その方向性はかなり違うのだが。
甘ちゃんで『信念』とやらを貫きたがる坊やで、指揮官らしくない行動と言動はあまり好きにはなれなかったが、軍内部の策謀を嫌う点で私は彼を気に入った。
確か担当していたメードとは相思相愛で、冗談のつもりで「いっそ結婚してしまえ」と言ってみたら、瞳と髪の色に似合わない程顔を赤くしていたな。
「懐かしい……が、昔話をする相手も無し。全く、何処も煩わしいのは同じか……」
離反した時からこうなるとは予想できていた。しかしながら、無罪の軍人やメードを殺すような愚者を取り除く方法はこれしかなかったのだ。
裏側から徐々になどという甘い考えを持つ時期は当に過ぎ去った。ならば痛みを伴うのは当然だ。
その為に妻と娘を巻き込み、海軍少将であった父も、空軍大尉であった弟にも迷惑を掛けた。
だがどうだ、私が望んだ組織とは程遠いのがこの黒旗だ。定員割れは当たり前、上官侮辱も三日に一回が当たり前。
家族絡みで仲が良かったアドルフ・クリューゲルも、私同様に憤慨し、これでは勝てる戦も勝てないと言っていた。
今更許してくれなどと泣き言を言う積りはない。ただ、たった一言、伝えたいだけだ。
「クリューゲルに最後の通信だ」
「どうぞ」
「ヴァルハラで待っていろ」
「……伝えました。返答ありません、後進を開始します」
「そうか。早くしろ」
誰も彼も、エーリヒ・ミュラーになれはしない。
それは、私でさえそうなのだ。誰も彼も、まして、全て救う事など出来るわけがない。
ちっぽけな、非力な人間でしかないのだ。
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最終更新:2009年12月15日 00:06