蜉蝣抄

(投稿者:Cet)



 ゆっくりと血を流していった。
 雫が腕を辿って転がり落ちていった。
 こんな時に俺は泣こう。
 涙と血液を混ぜて、もっと素晴らしいものを造ろう。そう思った。

「おいヴィルヘルム!」
 その男は、気安げに語りかけてきた。
「貴方は」
「おいおい、忘れたのか。俺の名前はエフェメラ
「……申し訳ないが、記憶にない」
 ブラウがそう答えて、エフェメラは困ったように笑った。
「いや、忘れちまったとしたらそれでもいい。ところで俺は面白いものを見つけたんだよ」
 1946年の初頭のことである。エフェメラの浮かべた笑みはひたすらに獰猛であった。
「俺はそれを聞いていいのか」
「いいとも、その為に喋っている。
 あのな、やっぱり俺はメードっていうものを全部滅ぼさなければならないんだ。そしてメードを造った人間も同じく滅ぼさなきゃならないんだ」
「何の話をしてるんだ」
「まあ聞けよ」
「ふざけた話だ」
「そんなことはない、あんな不気味な生物は滅びるべきだ。ただ一人を別としてね。
 彼女は彼女だが、メードはメードだ。
 俺はメードが大っ嫌いだ、そしてそれを造った人間も大嫌いなんだ。だから俺はあいつらを滅ぼしたいんだ、というより、そうするしかないのさ」
 ブラウは呆れたように眉をひそめた。
「その欲求を何とか押しとどめられはしないのか」
「どうやら無理らしい、それが俺であるということらしいんだ」
 エフェメラは饒舌に話す間、ずっと笑みを浮かべていた。
「だから俺はお前の前から去るよ、どこか暗い道へと降りていくんだ。
 その先にしか、俺の求めているものはないらしい」
「そうか、頑張ってくれ」
「ああ」
 そう応えると、エフェメラは相変わらず獰猛に笑ってみせて、それから踵を返し、ブラウの元から離れていった。
 ブラウは呟いた。
「……アイツ一体なんだったんだ」

 誰もいない
 どこにもいない
 俺を除いて




 木立の中に一軒の木でできた小屋があった。
 窓から微かに漏れる灯りが、人の存在を知らせている。
 耳を澄ませば、微かに人の声も聞こえてくる。
「つまり、君はこう言いたいわけだ」
 銀縁の眼鏡をかけた青年が問う。青年の歳は二十代の前半といったところか。安楽椅子に腰かけ、膝元には薄手のストールを敷いていた。
「自身のイメージを阻害する存在を滅ぼしたいと」
「そういうことですね」
 対して、もう一人の青年が答えた。
 青年はいわゆるストゥールと呼ばれるタイプの椅子に、対面する青年へと身を乗り出すように腰かけていた。
「自分の意志を否定するのが、一番いけないことだって、俺はそう思うんです」
「あるいは、自分の意志を否定することこそが、欲求されていることなのかもしれないぜ?」
「つまり、どちらにしろ同じことということですよね」
 青年は目をぎらつかせながら笑った。対するもう一人の青年も、それに応えて笑う。
「そうだね」
「だからこそ、俺は俺の意志に忠実にありたいと思うんです。
 でないと、俺は彼女のことを否定しかねないし、そして何より、俺はその他にどうやって生きていくべきなのか分からない」
「べき?」
「いや……、その他の方法で、生きていたくはないということ」
「なるほどね」
 青年は考える素振りを見せる。と、そこで青年らの脇にある木製のテーブルに、湯気を立てる二つのカップが置かれた。
「お茶です」
「ありがとう」
「すみません」
 二人にお茶を差し出しているのは肌の白い少女だった。
 黒を基調にしたビロード生地の、どちらかと言えば露出度の低い服に身を包むその姿は、完成された艶やかさを覚えさせる。
 青年は二人してお茶をすする。片方の青年は落ち着いた面持ちになり息を一つ、そして片方の青年は驚いた顔つきで、二口目へと取り急ぐ。
「そろそろ結論は出たかな」
「はい、やはり、俺は自分の意志を貫くことに決めました」
「そうか。グレートウォール戦線は分かるかな」
「辿りつくまでの経路はしっかりと」
 安楽椅子に腰かけた青年は、一つ頷いた。
「いってらっしゃい」
 少女もまた微笑んで言う。
「いってらっしゃい」
 ぎらつく目の青年は笑顔で応える。
「いってきます」

「俺はこの瞬間に、そしてこれからも、俺が俺であるように思えました」
「言うまでもないさ」
 立ちあがる青年に対し、青年はどこか哀れむような視線を送った。
「お元気で」
 そう一言残し、青年は小屋を出ていった。




 そして青年は三度目の死を迎えた。
 やがて三度目の生を受ける。
 青年はもはやエフェメラではなかった。
 一人の自我であった。

 青年は












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最終更新:2010年01月11日 01:53
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