(投稿者:Cet)
世界が歪むほどの白昼夢を!
死にかけたようなツラをした青年は敗残兵に溢れた陣地にいた。左右を見回してみる限り、死体と負傷兵しか見えない。
プレハブというのか、突貫工事による兵舎が広く荒野を埋めていた。そこらで兵器が起動状態にあり、戦闘機がそこかしこを飛び回っている。
警戒の為のメードが足りていないのだろう。その為に兵器群は駆り出されているのだ、と彼は思った。
青年はその足で、兵舎へと入った。見張りの類はいない。
青年は廊下を歩く。板張りの廊下を歩く。
会う必要のある人がいた。
そして廊下に面した幾つかの部屋を通り過ぎて、奥へ奥へと行くうちに、その部屋があった。青年は直感的に、その部屋に彼がいることを確信し、扉を開いた。
床に乱雑に撒かれた荷物と、左の壁沿いに一台きりある木製の机、それと二段ベッドが右の壁沿いに据えられていた。
そして、一人の、佐官であることを示す肩章を付けた男が振り返る。
「おおー」
男は何とも間抜けなリアクションを取った。男の左目には傷があった。
「
ブラウ、生きていたか」
「お陰さまで……少佐?」
「指揮官殿が戦死されてな、俺が引き継いだ、というのも、次々と戦死する指揮官の保有していた指揮権を俺が継いだ」
なるほど、とブラウは心中で頷く。
「それで、少佐殿、俺はどういう扱いだ」
「見事にMIA(行方不明兵士)扱いだ、良かったな、戦線復帰できて」
「軍法会議云々があると思っているんだが」
「この状況でメールを処断することに何の意味がある? デメリットこそありさえすれ」
「確かに」
ブラウは笑った。
「何か疲れたよ」
「ああ、らしくない表情だ。
女にでも振られたか?」
「いやまだ分からん」
「大概そういうのはもう終わってるんだがね」
「……」
全くの『青年』の表情で、ブラウは佐官を睨んだ。
「おお、俺と同年代の顔になったじゃないか」
「どういう意味だ?」
「若返って見える」
「今まではどうだったんだ」
「老けて見えた、五十代くらいだな」
何故か、というのをブラウは聞かなかった。聞きたくなかった、というのが正しいだろう。
「何たってお前には青春を嫌う匂いがぷんぷんしてた、生前、いや前世からの因習なのかと思ってたが、そうでもないらしいな」
「やかましい、とりあえずMIAから俺を解放しろ」
「スマンが寝てたんだ、まだあと三十分は寝れる、お休み」
首だけをこちらに向けていた佐官は正面に向き直る、つまりブラウに背を向けた状態で、あぐらを掻いている。すぐ静かになった。
「やれやれ」
ブラウは再び笑った。
数日後、彼は陣地を防衛する兵力として配置されていた。
戦いはさっぱり終わっていなかった、むしろ敵の攻勢は激しくなっているくらいであった。
己の存在意義ということについて考えることもそうなくなっていた。
俺は少女の為に生きよう。そう思った。
トリア! 好きだ! 俺とずっと一緒にいてくれないか。台詞を反芻しながら
ワモンの頭部を足蹴に破壊する。その表情には若干の笑みが浮かべられている。
「よお」
そんな戦場に、場違いなことに一人の男が立ち竦んでいるのが見えた。
戦場の風が止んでいた。つまりそこは戦場ではなくなっていた。
遠くから銃声が散発的に聞こえていた。しかし青年と一人の男の間で、全ては停まっていたのだ。
グレートウォールの空と土の色は、白みがかっている。そしてそれは目の前の光景を殊更に非現実らしく見せていた。
盲人なのか、目のあたりを黒い布で覆っていた。
黒いコートを身につけてた男はふかしていた煙草を指で摘み、へら、と笑った。
「お前に会いたいって男がいるだけだよ」
「誰だそれ」
「おい」
男が顎で促すと、ブラウから向かって男の右手には、いつのまにか一人の青年が立っていた。
どこかで会った憶えがあった。
「ヴィルヘルム!」
「……
エフェメラだっけか」
青年は明るく微笑んだ、その目元は輝きが零れるようで、ひたすらに不自然であった。
「俺は俺だけの道を行くことができる、前に説明した通りだ。その歓喜を伝えにきた」
「アレから何があった?」
「見たままさ、俺は進化したんだ」
エフェメラの傍らに立つ男が笑った。哂った。
「俺は命を捨てた。そう思ったら、実は逆だった。俺は命に救われたんだ」
そこでふっと、ブラウの意識は途絶えた。
ブラウは兵舎にいた。傍らには誰もいなかった。
寝台に身を横たえていた。消毒薬の匂いがつんと鼻を突いた。
呻き声が混じり合いながら聞こえていた。彼は半身を起して、そして辺りを見遣る。たくさんの負傷兵が身を横たえているあたり、ここはいわゆる傷病者棟とかそういうところだろう。
彼がそんなことを考えていた時、扉がゆっくりと開いて、アンリが現れた。
アンリはブラウの姿を見咎めると、一つテンポを遅らせた調子で声をかける。
「よお」
「なあ、俺はどうしてここにいる?」
アンリは些か煩わしげに目を閉じ、そして唸った。
「俺から言えるのは、お前は過労かもしれんということだ。頼むから前線の、しかも最前線の、平野で寝ないでくれ」
「はあ?」
声を上げるブラウに対し、アンリ自身も得心のない様子で説明を続けた。
「お前は寝てたんだよ。それだけが確かだ。
ただそのタイミングで、Gは一斉に引き上げていった。瘴気による汚染も急速に晴れていった……何か質問は?」
「俺の見ていた夢がどんなものだったか知ってるか?」
「知らん、あと今日の日付は三月の一日だ。大丈夫か」
「ばっちりそれは今日の日付だな」
ならいい、アンリは呆れたように一つ、お大事に、と呟くとその場を後に、ドアを閉めた。
ブラウは半身を起こしたまま、暫く固まっていたが、ふと、訳もなく手の平を軽く上げて見遣ったあと、訳の分からない夢を見たことは忘れて、兵士達の呻き声をよそに少女のことを考え始めた。
関連項目
最終更新:2010年01月11日 02:01