(投稿者:Cet)
言葉で 一羽の鷗を 撃ち落とすことができるか
――寺山修司 [けむり]
夕焼け、という言葉を聞いた瞬間に思い浮かぶイメージは固定されている。少なくとも彼の中ではそうだ。
その夕焼けには微かな陰りが覗えた。というのも、表面に斑点のような影が浮いて見えるのである。
あれは一体何だったか、と考えて、すぐにどうでもいいやと結論付けると、彼は病棟のベッドから床に降り立った。食堂に向かう。
食堂と言っても、プレハブ造りの傷病者棟の扉を開けたところの広場に設けられた、配給所の体裁を取り繕ったものである。その周囲には木製の円形テーブルが雑然と置かれているが、ほとんどの連中はプラスチックの平べったいトレーを手に、立ったままか、あるいは地べたに座り込んで食事を行なっていた。
彼は後者であった。喧しい行列の最後尾に並ぶと、しばし口笛なぞを吹きながらに時間を潰し、自分の順番が来ると、味について言えばレーションもかくやの簡易食料が盛られたトレーを受け取って、既にたくさんの兵士たちで埋められている広場の隅っこに向かった。
プレハブ小屋の壁を背に座り込むと、食事を始めた。
彼はメールである。よって、通常の人間と同じようなサイクルで食事を摂取する必要はない。エネルギーの消費効率が人間とは比較にならないほど優れているのである。
しかし彼としては、だからと言って延々と傷病者棟に横たわっているのも退屈であったのだ。メードを対象とした別途軍規には、メードの一日に摂取していいカロリーが規定されていたりするのだが、そこまで重要視されている代物ではない。
そうこうしている内にマカロニサラダやら一切れのパンなどを平らげた彼は、ゴミ捨て場に向かう。トレーを廃棄するのである。
今日もきっと出撃があるだろう。そして今日付けで彼は傷病者としての扱いを受けれなくなる予定であった。
深閑な森の中にある一件の小屋に、仄かな灯りが点っていた。
そこには、数ヶ月前から生活を始めた夫婦が暮らしていて、自給自足を旨としている。
主に妻であるところの少女が働いていた。野菜を作る為に試行錯誤をするほか、近くの川から水を汲んできたりしていた。
数ヶ月で自給自足が成り立つのはやはり不自然であった。
少しばかりの蓄えを切り崩すことで、何とかその不足を補っていた。
「なあ
ファイルヘン」
「なに、アドルフ?」
夜の帳の降りた窓の内側で、夫婦は語らっている。
「俺は、一羽の鷺を撃ち落としたことがある」
静かな屋内には、四角い木製のテーブルがあって、二つのカップが湯気を立てている。
「狩りをしたことが?」
「いや、銃弾を使ったわけじゃないんだ。
ただ一言、墜ちろ! って言ったんだ」
「堕ちた?」
「堕ちたとも、呻き声を上げてね」
冗談とも本当とも付かない話を、青年は微笑みつつ言った。
「なあファイルヘン」
「ええ」
「俺たちは、翼がなくとも生きていける」
少女は一つ、ゆっくりと首肯する。
「本当にそうね」
微笑みを浮かべて言った。
最終更新:2010年03月10日 20:58