(投稿者:ニーベル)
面倒なことは、もううんざりだった。軍隊というのは、その面倒の塊とも言えるような所だったから、逃げ出した。
悪いとは思っていない。何かと縛り付けてくる軍隊が悪いのだ。その上規則にモラルに上司部下などの面倒事を押しつけてくる。
あんなところにいたら自分が壊れてしまう。だから抜けてきたのだ。自分に非は無い。仲間であるメードやメールを捨ててきたのは少しだけ心苦しいかもしれないが、喉元過ぎればなんとやらで、すっかり今ではどうでも良かった。
嫌になったら逃げればいいのだ。自分は少なくともそうして、こうして今は悠々自適な生活を手に入れている。幸せな生活である。軍属の頃とは雲泥の差だ。
誰にも強制されることなく、一日一日をゆっくりと過ごし、書物を読み、食料を買って料理し、自然を巡り歩き、寝る。人が恋しくなったら山を降りればいいだけだ。
そうした生活を手に入れてから、はや数年。のんびりと日々を暮らしていた。その日の金だけを働いて得て、書物と食料に当てて暮らしていける。充実していると思えた。
自分にとってはまさに理想的な生活であった。あったのだが――
――どうしてこうなったのだろう。
今、自分のベッドを占領している薄着の女性を見ながらそう思う。かれこれ一週間、いるだろうか。
働きもしないし、料理もしない。ただ、ここにいてごろ寝をしては、起き上がり、ご飯を食べて外に行き、気がつけばまたここにいる。
実に面倒である。最初はご飯だけ食べさせて、それで追いだそうとしたが、駄目だった。捕まえようとしてものらりくらりと回避して、言葉は無視。実力行使をしようと思ったが、ベッドに軽く力を込めて拳を叩きつけたら、ベッドが粉になったのをみたらその気も失せた。
結局、追い出すのを諦めて彼女が自分からここを出るまで世話をすることに決めた。嫌いな面倒事を一つ抱える羽目になってしまったが、仕方がなかった。
彼女の方が自分よりも遥かに強いことは明白である。というよりか、今までみた全ての者の中でも、彼女は最強だろう。
どうしてそこまで断言できるのか、と言われればそれは分からない。ただ、生物的に、本能的に、彼女には逆らってはいけないという危険信号が、身体を駆け巡る。
自分の勘は、嫌というほど働く。それに逆らうことはしなかった。だから、おとなしく彼女の世話をしているのだ。ベッドは壊されたり、ドアに穴があいてたり、窓が外れてたりしたが、書物は無事なので問題はない。
書物を読みながら、自分の考えを纏めつつも、ふっと窓の方へと視線を移す。いつの間にか日は沈みかけ、赤い夕陽が山々の間に沈もうとしていた。
「そろそろ、夕飯を作らないと」
こめかみを軽く指で押しつつ、腰をゆっくりと上げる。気乗りはしなかったが、作らなければ、腹は空いたままになってしまう。
野菜や肉は充分にある。だんだんと寒くなってきているし、久々に暖かいものでも食べたくなる。となれば、ローランの友から聞いた鍋というものを作ってみるのもいいだろう。
友からもらったローラン特有の調味料である醤油や、ぽん酢というものもある。それぞれで食べてみるのもいいだろう。
「鍋ね」
「鍋だね」
いきなり元気のいい声が聞こえた。もちろんベッドの方からだ。じめっとした視線をそちらへと向ける。
「勿論肉は多めね。あと野菜は出来るだけ柔らかく」
「なら君が柔らかさを見てくれるかな。たまにはそれくらいいいと思うんだけど」
「あとはまぁ、肉多めで」
「人の話を」
「後は魚ぐらいかなぁ」
「貝類とかもかな」
「そうそう!」
はぁ、と溜息をついて分かったという意志を伝える。疲れた表情を見てからご機嫌な笑みを浮かべると、じゃあもう少し寝てるからーと発言を残して、彼女はベッドへともぐりこんでしまった。
その数秒後には聞こえる寝息。寝顔をちらりと見てみる。天使の寝顔とはこういうことを言うのだろう。それほどに無邪気で悪意のない寝顔であった。これだけを見てるならば、本当に天使なのだが、と切実に思う。
何度か表情を変えもせずに腕を折られたし、拳が腹にきたこともある。腹の方は回避できなかったら穴が開いていた。その時も満面の笑顔やら、気分はそこまで悪くなさそうな顔で平然とやってくるのだからたまったものではない。
追い出せばいいではないかと言われるかもしれないが、彼女の方が圧倒的に強い。間違いなくそんなことを言って追いだそうとすれば、自分の首の方が飛ぶ。
しかたないのだ、自分の方が弱いのだから。その分、口で働けだの手伝えなどは言わせてもらっている。それで満足するべきだろう。
目に毒な薄着を隠すように布団をかけてやり、自分は料理の方へと戻る。面倒極まりない彼女ではあるが、不思議と面白いのだ。少なくとも退屈はしない。面倒は大嫌いだが、それと同じぐらいの退屈な日々も嫌いなのだ。
「まぁ、いいものか」
意識せずに言葉が出る。料理を作る腕はやたらと軽かった。ある意味で彼女は世界で一番、お姫様かもしれない。強引で暴力的で、感情がどうなっているかも分からない、付き合うのはひどく難儀なお姫様である。
だが、それに振り回されているのもわりと悪くはないのかもしれない。そう言ってると自分がマゾヒストと思われるかもしれないが、そんなことはない。
書物を読んでるのは、自分の楽しみでもあり刺激の一つだが、書物だけでは得られないこともある。こういう生活は確実に書物では得られないだろう。そんな体験をしてるなら、悪くない。
調味料を忘れずに入れながら、考えを巡らせる。下手な料理を出すと、またぶん殴られそうだ。それだけは避けねばならない。いくら自分が他人と比べて死ににくいと言っても、彼女の一撃は論外だ。もう少し人生は楽しんでいたい。
「うん、美味しい!」
「それはよかった」
「あ、肉もらうね」
「どうぞ。っても食べ過ぎないように」
「貝も、魚もー」
「野菜も食べてね。俺しか食べてないから」
「だーいじょうぶ、キチンと食べるから」
それにしては、自分が食べている野菜の量が不自然なほど多いのは気のせいだろうか。さっきから自分は肉とか魚を少ししか食べていない。それなのに見る見るうちに減っていく肉と魚、そして貝。
明らかに自分の食べている量とは釣り合わない。視線が目の前の薄着の女性に移る。頬を膨らませて、口が動いている。そのまま下に視線を落とすと、皿には大量の肉と魚貝類。
やっぱりね、とは思いながら口には出さない。口は災いの元である。今、口を開くことは大災害を引き起こすことになりかねない。
理不尽で不合理な死と隣合わせで食事をしているようなものなのだ。普通ならば、がたがた震える口を抑え、身体に感じる恐怖を奥底へとしまっておかなければならない。
――とは思うのだが。
彼女に対する恐怖はそこまでない。命の危険とは常に隣り合わせだし、我儘だし、人の話は聞かないし、物はぶっ壊すのだが、本気で怒ろうとは思わない。
怒っても殺されるのは自分であるというのもあるのだが、怒りが何故か沸き上がってこないのだ。なんとも言えない気分。だが不快ではない。心地が良いものだ。
「ふぃー、お腹いっぱいいっぱい」
自分が、考え事をしている間に食事を終えていたのか、彼女が綺麗になった皿を渡してくる。どういうことなのかは言わずとも分かる。
「……はいはい」
黙って皿を片付けておく。もう慣れたことだ。気がつけば、彼女はもうベッドで寝ている。布団を抱き枕替わりにして寝ている。寝るのが早過ぎる。
そんなに寝る暇があるのなら、皿洗いくらいは出来るだろう。寝る子は育つとは言うが、育っている部分は間違いなく、とある部分に集中している気がする。
本日何度目になるか分からない溜息をつく。暴君の我儘に付き合わされながらも、いつの間にかこんな面倒事を楽しんでいる自分を見つけてしまっている事に。
食べ終わった皿を洗いながら、今度はどの書物を買おうか。明日の朝は何を作ろうか。また、何か壊されなければいいのだが。そんな取り留めのない事に思いを巡らす。
望んでいた日常とは、また違う生活になりつつあるが、仕方ないことだ。楽しいのだから、仕方ない。
「悪くないね」
自然と微笑を浮かべている自分に気づき、慌てて笑みを消す。そんなことはない。
――そのはずだ。
自分でも何を慌ててるのかは分からないが、とにかく慌てていた。こんな時はさっさと皿洗いを終らせて、風呂に入って、書物を読むに限る。
そう決めたら、即実行に移す。何事も、決めるのは速いほうがいい。とにかく、行動することだ。頭がおかしくなりそうだ。
最後の一枚となった皿を棚に戻して、湧かせておいた風呂の方へと向かう。温めておいたはずだから、それなりに暖かくなっているだろう。
廊下を歩きながら、風呂の方へと向かう。数少ない、自分にとっては憩いの時間である。のんびりと風呂に入って、思考をまとめるのにも適している。
風呂場へと着くなり、衣服を脱ぎ捨てる。身体を一度洗い流してから、湯へと浸かった。暖かい。身体の芯から暖まる。ほっとするというのは、こういう心地だろう。
湯へと沈みながら、彼女の事に関して頭を働かせる。単なるメードではないのは明らかだ。軍属ではないのはハッキリとしているし、なんらかの任務を負っているメードであるとは考えにくい。というより、彼女にそれは無理だろう。
となれば、自分と同じように軍を捨てた身であるのだろうが、それも何か違う、という気がする。うまく言葉には出来ないが、そもそも彼女は自分達とは別物のような気がするのだ。
メード、メールである自分達とも一線を画す存在。何か、特別な存在。
「なんなんだろうね」
彼女という存在は理解できない。自分のような凡人には、数百年かかっても無理だろう。
理解するということをそもそも諦めたほうがいいのだ。彼女に対しては理解はできない。理解するのではなく、感じる。ありのままを感じる。
そうしても、彼女という存在を感じるのは実に難しいことに違いない。共感も、理解もすることが出来ない存在。一般人からは、まさに恐怖の対象となるに違いない。
なんの脈絡もなく微笑み、気ままに暴力を振るい、目の前の障害を潰しては遊び、自由に飛びまわる。
人というのは、理解出来ないものを恐れるものだ。その理解できぬ存在の、最たるものこそ彼女だろう。理解できぬものを理解できぬままに受け入れる。それは、相当に難しい事であるのも分かる。
自分はそれを実践しているつもりではあるが、本当に出来ているかは分からないし、人に出来ているだろうかと問うつもりもない。
そんなモノの答えは、出るはずがないからだ。
湯から上がり、身体を洗う。彼女の事を考えるのもいいが、明日の朝の料理も考えなくてはならない。
身近に命の危険が迫りすぎてる生活ではあるが、既にコレがある意味日常となってしまった今では、特に何の刺激もない。
そこまで考えて、石鹸に手を伸ばそうとしたところで――
――何か柔らかいものが背中にあたった。
思考を落ち着かせようと、全力で回転させる。どういうことなのかは分かったが、それをはっきりと認めるのに対して理性が全力で反対していた。
もう寝ていたはずだ。それに、どうして風呂場に来たのかすらもわからない。というかそもそも、なぜ自分の後ろにいるのだ。
あの底抜けに明るい声が風呂場に響く。同時に、背中に当たる柔らかいものも動く。
落ち着け、落ち着けと口の中で言葉を何度も吐き出す。落ち着くわけがなかった。この状況で落ち着けという方が無理だ。
「な、なんでお風呂に。というかなんで背中に」
「んーでも、ここのお風呂良いよねー」
駄目だ、話を聞いていない。下手に動けば、自分が危ない。命、あとその他色々、男としての尊厳もか。
「広いし清潔だし、うむ、快適快適」
「それは良かった。だからその、離れて――」
「だから、そのついでに楽しいことをしちゃいましょう」
そう彼女が発言した後、自分の身体がぐるりと回転した。目に映るのは黄金の瞳。
――ああ、死んだな。
さようなら、自分の尊厳。そんな言葉が脳内に浮かび上がってきた中、自分はとりあえず耐えれるだけ耐えてみようと思った。
そして、朝を迎えていた。ベッドの上に自分はいる。生きている。腕が一本折れている。腰がとても痛い。
途中から意識は飛んでいた。あれだけ激しいことをされれば、それは意識は飛ぶ。朝ご飯も作らなければならないというのに、この痛みは酷い。
仕込みは既に終えている。後は暖めるだけだ。それだけ思いつき、腰を上げたところで、ふと感じる、妙な静けさ。
ベッドの隣を見る。彼女はいない。置いてあるのは妙に達筆な手紙。自分でも驚くほどの勢いでそれを手に取った。そのまま中身を見る。
――また今度来るときには朝ご飯をもう少し美味しくしていくこと。ちょっと遠くに遊びに出かける。下僕一号へ。
字面に、思わず笑ってしまった。冷蔵庫に入れておいたはずの朝ごはんがない。皿は、そのままだ。それに人を下僕扱いとは。
「とんでもないお姫様だなぁ」
呆れた声を出す。しかし、その声は自分でも押えきれない嬉しさが滲み出ていた。
「じゃあまた来るときには」
面倒な事になるのだろう。骨は何本か折られるだろう。それでも、待ち遠しかった。
「料理をもうちょっと美味しくしておくよ」
恐らく、自分の知る限りで最も理解は出来ないし、共感もしにくい、世界で一番我儘で、暴力的で、人の話を聞かないお姫様。
「レヴェナ」
手紙の最後の部分に、ちょこっと小さく書かれた名前を読んでみる。
窓の方へと視線を移せば、声を上げたくなるほど、青い空が見えていた。
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最終更新:2010年11月04日 14:23