(迅鯨)
一面にひろがる青い闇は夜の海。一杯の星はどれも仮面を被ったようで、世界のことなんか知らん顔。
そんなところに小さな島があって、そこにはひとりの女の子が住んでいました。
女の子の名前はモノといいます。彼女は自分が一番好きでした。後はだいたい嫌いです。
太陽を見ては、暑いし眩しいといって唾を吐き、星を見ては本を読むには光が弱くて、役に立たないといって石をけり、そ
んな風に毎日なにかにつけて、文句ばかり言っています。
モノの住んでいる島は、ほんとうに小さな島で、五分も歩けば島をぐるりと一周できてしまいます。
島の左側には彼女の家があって、その脇には小さな井戸と畑が有ります。畑にはレタスとプチトマトが植えられていました。
島の中央には小さな泉があります。その泉は不思議な泉で、水がアメのようにねばねばとしています。ですが、それを舐め
てみてもちっとも甘くはなく、砂のようにじゃりじゃりとしていて、なんの味もついていません。
モノはそんな泉が大嫌いでしたが、彼女は毎日そこにやってきます。それは仕事のためでモノはそこで毎日星を作っている
のでした。
彼女が竹の筒を泉に差し込んでぐるぐるとかき回すと、泉の水がどんどん棒に絡み付いていきます。それがリンゴくらいの
大きさになった所で引き上げると、モノは手に持っていた竹筒の端を口にくわえ、そこから息を吹き込みます。
すると竹筒のもう一方についた泉の水はシャボン玉のようにどんどんふくらんで、ふくらむにつれだんだん光り始め、それ
がモノの頭ほどの大きさになると、自然に筒の先から離れ、空に浮かび上がっていきます。
その星をつまらなそうな顔でモノは見送り、それからまた竹の棒を泉につっこんで次の星を膨らます。それをモノは日が暮
れるまでずっと繰り返します。
彼女は星が嫌いでした。空を見上げれば、昼でも夜でもたくさんの星があるというのに、そのどれ一つとっても彼女のもの
ではないからです。
モノは毎日星をつくりますが、それが彼女の物となることはありません。空に昇っていくのを見送るだけです。
モノは同じことを訳もわからず繰り返すこ毎日がすっかり嫌になっていました。
そんなある日のことです。
いつもの様に竹筒をもって泉の所に来ると、そこには見慣れないものが立っていました。
それはミルクのように真っ白な壁でした。高さはモノの背より二周りほど大きく、幅はモノが両手を目一杯広げたくらいあります。
モノがそれに恐る恐る触れてみると、それは日陰の石ころのようにひんやりとしていて、泥のようにやわらかく触れたモノ
の指をずぶずぶと飲みこんでいきます。硬そうな見た目とは裏腹な予想外の感触に、モノはびっくりして指を引っ込めると、白
い壁はふるふると波打ちました。
あのまま触れていたら、白い壁は自分をそのまま飲み込んでしまいそうな気がしてモノはなんだか気味が悪くなってきました。
ですが、モノにとってその壁は退屈な毎日の中に突然現れた、しげきてきな不思議でもありました。
どのくらい不思議かはまだわかりません。それがわかるのだったら、きっとそれは不思議ではないでしょう。
モノは海岸に流れ着いた流木を一本拾ってそれを白い壁に突き入れて見ました。すると流木の先から波紋が広がり壁全体を
震わせます。それがなんだか面白く、モノはさらに深く流木を差し込みました。
すると不思議なことに流木は、壁の厚み以上に、深く沈みこんでいくではありませんか。
流木を右に動かすと、その後から波がついてきて、追いつくと波はまるく丸く広がり、さらに上下左右にと流木を動かし壁
をかき混ぜると、波が複雑にからまりあって不思議な模様を生み出しました。
しばらくモノはそうして遊んでいると、波紋がだんだんと人の顔のように見えてきました。力の加減しだいでその顔はいろ
んな表情をつくりモノを楽しませます。
そんな遊びを夢中で続けてる内に、すっかり昼となっていました。流石にモノは遊びつかれて、地面に寝転がって空を見上げてました。
今日の仕事はちっともはかどっていません。モノは仕事のことなんかすっかりどうでもよくなっていました。
仕事が嫌になるのはいつものことですが、けれども、それをやらない一日はモノには初めてのことです。
「いい加減、今日の仕事をはじめないか」
突然声がしました。
モノはびっくりして飛び起き、あたりを見回しましたが、だれもいません。
「だれ?」
モノはいいました。
すると、ここだここだと声が返ってきます。
声がしたほうを見ると、そこにはあの白い壁がありました。
モノはびっくりしました。壁が喋ったのです。それだけではありません。その壁には人の顔が浮き上がっているのです。
「タブララだ」壁に浮き上がった顔が言いました。「たぶらら?それが貴方の名前?」とモノは恐る恐る聞き返します。
「いかにもそれがワシの名前だ。あと、呼ぶときはさんを付けるように」なんだか偉そうに壁はそう応えました。
「で、タブララはなんなの?」
「タブララはタブララだ。そんなことより、仕事に戻りたまえ。あと、呼ぶときはさんを付けるように」
「仕事なんてまっぴらよ。今日はもうなにもしないわ。それより、あなた私の質問に答えてないわ」
「タブララだ。ワシが君に答えられることは何も無い。あと、呼ぶときはさんを付けるように」
「そう。でも、私はタブララに聞きたいことがあるわ」
「しかし答えられない。あと、呼ぶときはさんを付けるように」
「変なの」
「だがワシからお嬢さんに聞きたいことはある」
「タブララが?」
「いかにも。あと、呼ぶときはさんを付けるように」
「やっぱり変だわ……」
「ワシから質問してもよろしいかな?」
「……私に答えられることなら」
そういうとタブララは胸をえらそうに威張らして言いました。モノはだんだん馬鹿らしくなってきました。
「えっへん、おっほん!お嬢さんはメニイをご存知かな」
「めにい?聞いたことも無いわ。なにそれ?」
「なに!?知らぬとな!」
タブララはわざと大げさに驚いていいました。
「えっへん、おっほん!ではでは案内つかまつろうず」
…………
……
…。
やがて日がくれ、海から吹く心地よい夕風がモノの頬をなでます。
打ち寄せる波が、今日という日を沈みゆく夕陽の下へと引き取るとその日の仕事は終わりです。
そうして、今日のモノは死にました。彼女は今となって、さっきへと流れてしまったのです。
モノは西の水平線に赤く満ちていて、青い闇に瞬いています。
めでたしめでたし。
日も暮れかけるころ、
ライラはすっかりライラになりきり、ライラそのものとなっていた。
朝に覚える違和感も、疎外感も無い。今や私の中でライラと等式で結ばれ、ライラはライラというトートロジックな修辞で
矛盾無く認識することが可能だ。
私とライラはそれぞれに異質なものでなく、そこに断絶も無く連続的に変形していくトポロジーであると確信している。
希望の塔は西日を受けて、長い長い黄昏を遠くまで投げやっている。塔の西側は広い湖に面しており、夕陽は湖面に半ば没
しかけていた。
陽の上半分は丸く、水面に写る下半分は屈折してつぶれたようになり、波間にたゆたい、冷たい夜風がそよいでいた。
いつもの検診と聞き取り調査を昼過ぎに終えると、ずっと今の今までライラは手持ち無沙汰ですることもなく敷地内をぶら
つき、そしてこの湖畔に行き着いた。
なんという名前の湖かはわからない。誰かに聞けば教えてくれるかもしれないが、そんなことは彼女にとってどうでもよかった。
野辺に咲く花を摘んだり、湖面に石を投げたり魚や鳥を追ったりして思うさまに遊んでいるだけで面白く、そうしてる内に
時は過ぎ去っていった。
気がつけばすっかりが夕暮れ。お腹もすいてきた事だし、そろそろ帰らないと
ウェンディに怒られる。明日もまたここで遊
ぼう。そう考え、ライラは最後にもう一度湖を名残惜しげに見渡した。
夕陽に照らされて金色に輝く湖面は、朝からずっと静寂で、ずっと昔から、これからずっと先まで同じ姿であり続けるよう
に思えた。
そして、また塔の方に顔を向けると、そこには先ほどまでは影も形も気配もなかったものが視線の先にあった。
残照を切り取って、今はまだ東の稜線にたむろっている宵闇を、そこにだけ濃縮して押し込んだような黒い影が、人の形を
得てたたずんでいる。
もしかしたら人影に見えるだけで、何かの見間違えやも知れぬと、ライラは目を凝らしていると、そんな影が右手を軽く上
げ「ちょいーっす」と気の抜けた挨拶をよこしてきた。黄昏によく映える、涼やかだがどこか気だるげな声音だった。
「あなたはだれ?」ライラは聞いた。影は答える。
「通りすがりのラスボスでぇす。」
「なにそれ?」
そう聞き返すと影は首をひねって、しばし唸ると「んー……超つえー敵。かな」
「んまぁそれはさておき、今日は一人ぼっちの君をお迎えにきました。おぅいぇーい」
「ライラ一人じゃないもん!ウェンディとか
パンダグリュエルとか
ガルガンチュアとか一杯いるもん」
「あー、そっちじゃなくてー、こっちのほうでー・・・えーとなんて言えばいいかな」
心外に思ったライラは勢い、親しい名前を思いつくかぎりに挙げて反駁した。影は思案気に顎を人差し指でかきながら言葉
をさがすが、しかし、どう説明したものか要領を得ず、そうこうするうちに説明することも面倒くさくなったようで、
「…まぁ、あたしさえわかってればいい事だし、そういうこったから、んじゃまた!」と一方的に話を打ち切って踵を返した。
「ちょっとまって!」
「誰と話てるの?」
去り行く背中を引き止めようとライラが叫ぶと、また別の方角から聞きなれた声がした。
「ウェンディ?」
そこに彼女がいるが解せぬとでも言うように、きょとんとした顔でライラはウェンディを見つめた。
「なかなか帰ってこないから貴方を探してたのよ。それより今、誰と話してたの?」
「誰って、あそこに……」
ライラは影のほうを指差したが、しかしそこにはもう影はいなかった。
「誰もいないわよ?」
「……!?でも、居たの!!」
ウェンディは不思議そうに首をかしげる。するとライラは向きになり、今の今までそこに確かに居たラスボスと名乗る不審
人物がいたことを主張しようとするが、しかし当のラスボスなる人物がいないのだからそれを証明するのは難しい。
とは言え、ライラがここまで言うからには冗談じゃなく、本気なのだろう。そこにもしかしたら何か居たのかもしれない。
ライラ相手に向きになって否定するのも大人気ないとウェンディは思った。
実際のところウェンディはライラの話なんて半分程も信じてないし、信じるには根拠が薄弱すぎた。だがそれを迂闊に指摘
してヘソを曲げられるのも面倒くさい。
そういわけで彼女はライラに話を合わせつつ頃合を見計らって、別の話題を振ることにした。
「……そんなことより、早く帰らないと夕飯に遅れるわよ」
「食堂のご飯なんておいしくない!」
ライラの言うとおり、確かにここの食事はお世辞にもおいしいとはいえない。缶詰や冷凍食などの保存食品を、解凍して皿
に盛り付けただけの代物だからだ。
ここに住み込みで働く職員はそんなものを、よくも平気で毎日食べているものだとウェンディでも思う。ライラが不平を言
うのも無理からぬことである。
ならば……と、ウェンディ。
「そう言うと思って今日は私が作ったわ。」
「ほんと!?」
そういうとライラは目を輝かした。
「ええ、本当よ。ビーフシチューを作ってあるわ」
食材のほとんどは冷蔵庫に備蓄されてる保存食だが、これでも調理しだいでおいしい料理に化けなくも無い。
単調な日々に弾みをつけるには士気を保つ上でも大事だし、ウェンディ自身ここでの暮らしに退屈してもいたのだから、億
劫に思うことも無く調理に没頭できた。
夢中になるあまり、ライラのことなどすっかり忘れていたことは彼女には内緒である。
俄然食事が楽しみとなったライラは現金なもので、早く食べようとウェンディを急かし始め、ラスボスのことなどすっかり
何処かに打っちゃってしまった。
最終更新:2010年11月17日 19:34