橋の途中

(投稿者:Cet)



 朝の光が川面から強く照り返していた。
 二人の少女が揃って橋の上を歩いている。少女は気忙しげに視線を辺りにやっていた。方や女学生はその視線を受けてどこかおどおどとしている。
「つまり、私の幽霊を見たってこと?」
「そういうことになります……」
 女学生の話を要約すれば次の通りであった。
 学校で、金髪碧眼の少女の幽霊が現れるという噂があった。そして女学生自身がその噂を確かめるべくしたところ、見事にその幽霊と思しき少女に出会ったのだという。
 しかもその幽霊の容姿が、今同行しているところの少女に瓜二つであったというのが驚くべきところであった。
 思ってもみなかった話に混乱をきたした少女であったが、今は彷徨っていた視線は普段通りの落ち着きを取り戻し、その歩みは着実でゆっくりとしたものとなっていた。
 歩みだけは続いていく。少女のゆったりとした歩みに女学生がペースを合わせる形になっていた。少女には、どこかしら自分のペースを周囲の人間に尊重させるような性質がある。
「彼女の話す内容はよく分からなかった」
「……そうです」
 少女は一つ頷く。
「なるほどね」
 そして、一つ声に出す。
 何がなるほどなのか、と女学生は少しだけ身を乗り出すように構えた。そんな彼女を一瞥してから、少女は一つ息を吐いた。目を閉じて、神経質そうに眉を寄せた。
「よく分からないけど、少なくとも私とその少女に明確な接点があるとは思えないわ。だって、私は今こうしてここにいるけど、そんなところに行く動機もなければ経験だってないもの。
 それから、私は今日貴方に初めて会うの。そこがもう一つ」
「そうですよね……そうだろうと思ってました」
 少女は顔を上げる。
 少女の視界に、心ここにあらずといった調子の女学生の表情が映る。
「私はそういう体験に前々から憧れてたんです。なんていうか、日常は平凡だったし、自分の心を強く動かすようなできごとはどこにもなかったから、だから今日貴方を見て、とても驚きました。だってあの日のあの少女が自分の目の前で私の方を見てるんですから。
 だから、期待をしていました」
 そこまで言って、女学生は俯き加減になる。少女の方へ視線を遣った。
 困ったように微笑む。
「ごめんなさい、妙なことを言って」
 女学生の発言に、少女はますます眉を寄せた。
 歩調は変わらず、ゆったりとした少女のペースに女学生が合わせている。女学生はもう視線を前に向けていて、今回のことについて考えているようであった。
 少女の中で違和感が膨らんでいた。何かがおかしい、歪んでいる。
 しかし何がおかしくて、何が歪んでいるのかが分からなかった。
 少女は再び女学生の方を一瞥する。すると女学生がそれに気付いた。
「どうしたんですか?」
 女学生の問いに、少女は首を振った。少しだけ微笑んだ。
「考え過ぎないようにね」
「はい」
 それだけを言う。
 そうこうしていると橋の終端まで来ていた。街路樹が植わった通りが続いている。
 少女の通う小学校は、ここから二、三分の距離にあった。そして少女の記憶が正しければ、恐らくは少女の通う小学校と女学生の通う『学園』は正反対の方向にあったはずだ。
 橋が作る傾斜を下っていく。時折少女は女学生の顔を見遣るものの。そこにはある種の空白のようなものが浮かんでいた。その面持ちはどことなく心を落ち着かせなくするものがあった。
 橋を下っていく。
 最初の交差点の前で、少女は立ち止まる。女学生も、それに合わせて止まった。
「アドレスを交換しとく」
 少女が呟くと、それに合わせて女学生は少し慌てたように自分の鞄を探った。同じように少女も自分のポケットを探る。
「まず私が受信」
「あ、はい」
「それから貴方が受信して」
「分かりました」
 そんな風に暫くやりとりをする。
 少女は情報を交換して、ぱたりと携帯を閉じる。さて、と少女は呟いた。
「じゃあトリア、また連絡するから」
「あ、はい。じゃあまた」
「考え過ぎないように」
「はい」
 少女は一つ頷いて、それから交差点を左に向かった。女学生はその後ろ姿を暫く見つめていたが、やがて何かを思いなおしたように、交差点を少女と逆に歩いていった。
 そして少女は眉を寄せていた。学校近くで友人に声を掛けられるまでそのままだった。
 校門をくぐりながら少女は校庭の向こうの校舎を眺める。どうしたの、と友人に問いかけられて、なんでもない、と返した。何かが歪んでいる、とてもひどく歪んでいる。しかしそれが何なのかは分からないのだ。何か、それは少女自身かもしれなかった。何故かその考えについて、突飛なものだとは思えなかった。自分自身が歪んでいるからこそ、周囲のものが歪んで見えるのかもしれない。そう思えた。少しばかり気分が悪くなって、友人が再び彼女を気遣ってくれた。
「大丈夫」
 少女は答えて、それから校舎の中に入って行く。
 何が歪んでいるのか、そのことについてただただ考えていた。女学生についても考えていた。トリアという少女。学園に通っているメード。兵士なのだ。
 学校の中はいつもどおりに見えた。騒がしさ、緑色の廊下、窓から差し込む光。それらのものは何もかも変わっていなかったし、今となっては歪んでいるようにも見えなかった。彼女は階段を上る。

 学校を終えた少女はまずトリアにメールを送った。
 あの交差点に向かう。教室を出るところで、友達の姿を振り返りざまに見た。ぽつんと影法師のように窓際に立っていた友人に、じゃあね、と言うと、じゃあね、と笑顔が帰ってきた。少女もまた微笑みを返す。
 少女は交差点に向かった。少女が交差点に辿り着いた時には、まだトリアはいなかった。低学年の少女が橋の向こうへと帰路を歩んでいる。
 少女はそれを眺めていた。違和感というものが、そこには全く含まれていないように思えたからだ。途切れることのない人の流れを、彼女はじっと眺めていた。
 そうこうしていると、トリアが交差点の逆側から歩いてくるのが見えた。少女が手を振ると、彼女は小走りにこちらへとやってきた。
「ごめんなさい、お待たせして」
 トリアが少女の元まで辿り着いた時、彼女は全く息を切らしてなかった。やはりメードなのだ。
「別に待ってないから、大丈夫。ところで、朝のことだけど」
「どうします? 学園に来ますか?」
「いや」
 少女は少し考える時間を経てから、言う。
「うちに来ない?」
「え、でも」
「来たくなければいいけど」
 少女は微笑む。
 トリアははにかんでいるようだった。
「いいんですか?」
「いいの」
 少女は頷く。
「じゃ、じゃあ、おじゃまします」
「いこっか」
 少女が歩き出すのに合わせて、トリアも歩き始めた。歩いていくとすぐに橋の傾斜に差し掛かった。ちょっとした勾配に、少しだけ歩調が落ちる。
 やはり、トリアは少女の歩調に合わせて歩みを刻んでいた。
 それを少女は自覚していたが、しかし何も言わなかった。
「ねえ」
 肩越しの呼びかけに、少女の少し後ろを歩いていたトリアがぱたぱたと駆け足で横に並ぶ。
「はい、なんですか?」
「その幽霊の言ってたことをもう一度聞かせてほしいの」
 少女の言葉に、トリアは暫く記憶を確かめているようだった。
「詳しくは思い出せないんですけど」
「それでいいよ」
 少女は微笑んだ。
 橋の勾配が平坦になる。夕焼けが彼女らの背後にあった。
「……確か。死を利用してシステムに介入した、と」
「死を利用してシステムに介入した」
「そうです」
 少女は頷く。
「それから、この世界は……恣意的で方向性を持たないシステムによって動いている、と言ってました」
「恣意的で方向性を持たないシステム? 恣意的なのに方向性を持たないって何か変な気がするけど」
「あれ? えーと」
 トリアは暫く悩んでいるようだった。
 それを見て、少女はクスリと微笑む。それに合わせてトリアが顔を上げた。
「ごめん、笑った」
「いやいいんですけど……」
 そう言いながらもバツが悪そうな顔をする。
 少女はもう笑わなかった。前を向いて、落ち着いた歩調で歩いていた。
 そして暫くの沈黙があって、少女が口を開いた。
「世界はとてつもなく恣意的で、かつ単一の指向性を持たないシステムによって制御されている」
 トリアが立ち止まった。
 少女は暫く歩き続けた。
 そして立ち止まって、振り返った。トリアは逆光の中で表情の無い顔で立っていた。
「そうです」
「うん」
 常温で氷が水に還っていくように、トリアは一歩を踏み出す。
「なんで」
「さあ、知らない。でも」

「この世界は狂っている」





 がちり、がちり


最終更新:2011年06月23日 00:33
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