ブルーサマーズ

(投稿者:Cet)



 鎧戸から溢れる光に目が潰れそうになる。

 ベッドから半身を起して、そして左の手で顔の前を覆った。
 今はいつだ? 反省する。反復する、批判する、把握する。
 分からなかった。今はいつだ? 俺はどこに行ってしまったのだ?
 鎧戸? 俺はベッドから立ち上がると、微かに光の漏れだす窓辺へとまろびそうになりながら駆け寄った。そして、それを外側へと押し開ける。入道雲が見える。煉瓦造りの建造物に挟まれた石畳の路地、入道雲、青色だった。空は青色に澄み渡っていた。
 ここはどこだろう。路地は一人として人間の姿はなかった。動物の姿もなかった。
 俺一人が、ここで生きて動いている唯一の動物だった。
 ぎぃ、という音に俺は半身を捻って、後ろを振り返った。
 窓とは反対側の壁に据え付けられた扉が半開きになって、きぃきぃと揺れている。小さく、薄暗い部屋だった。木張りの床と天井に、幾らかのこじんまりとした家具が置いてある。寝台、戸棚、サイドテーブル。
 俺は歩き出す。扉の向こうの空間には照明がなくて、ぼんやりとした暗闇に包まれている。扉を開けると、そこは吹き抜けだった。手すりのある回廊が張り出していて、階段となって四面を取り巻き、階下へといざなっている。
 俺はその木造りの回廊を階下へと歩く、そう言えば靴を履いていないということに気付いた。
 自分が先程後にした部屋の方を振り返って、再び階段をのぼる。部屋の中を見渡してみると、やはりベッドのわきには黒い革靴が一揃え置いてあった。俺はベッドの隣にまで歩み寄って、その靴を手に取ってみる。黒く重々しい印象を与える外見にも関わらず、重量としては随分軽かった。俺はその靴を再び床において、足先を入れてみる。靴ひもを結べば、俺の足はその靴にぴたりと収まった。もう片側も同じようにする。
 再び振り返って扉をくぐり、階段のある吹き抜けにまで辿り着くと、新しく履いた革靴の音を立てながら一段一段階下へと降りていった。
 カツン、カツン。
 壁面に張り出した回廊を降りていく。
 吹き抜けの最下部は薄暗い。吹き抜けは扉を挟んでどこか別の部屋へと繋がっていた。続いているのは薄暗い部屋だが、外へと続く扉が開け放されていて、そこから光が舞い込んでいる。
 吹き抜けからそちらのスペースへと扉をくぐって移動する。右手にはカウンターがあって、カウンターの奥には壁と一体化した棚があり、そこには何が入っているのか分からないたくさんの箱が押し込められている。何かの店のようであった。
 格子の窓が薄暗い店内に仄かな明りをもたらしていた。
 白くて丸いテーブルが部屋の隅にあるのを横目で見ながら、俺は歩いた。出口であるところの内開きの扉へと向かう。
 暗い店内を抜け、俺は外へと出る。
 明るい日差しが路地を染め上げていた。空は真青だ。
 路地の広さはそれほど狭くはなく、人間が四人肩を組んで歩ける程度には広かった。俺は、その路地を歩いていく。どこに行けばいいのかはなんとなく分かっていた。俺は今南に向かっているのだ、ということもなんとなく分かっていた。
 街は死んだように静かであった。
 路地にそって幾つもの商店が並んでいたが、しかしそれらは例外なく無人で、さらに何らの商品も提示していなかった。どの店を覗いても、平べったい紙の箱が積み重なっているだけで、その店が何の店なのかはさっぱり分からなかった。
 そのまま歩いていくと、路地は壁によって行き止まりになっている。
 いや、それは壁と言えるようなものではない、それは城壁だった。路地は城壁によって寸断され、そして袋小路になっていた。しかし小さな通用門が城壁には据え付けられている。明るい色をした木の扉だった。
 俺はその扉に手をかける。
 がちゃり、と扉は開いた。
 俺は扉をぐっと押す。湿っぽい空気が続いていた。暗闇の廊下の向こうに、微かに光の漏れているスペースが覗える。俺は扉を開け放したまま、その奥のスペースに向かって歩を進めた。その光は徐々に俺へと近づいてくる。そこにあるのは、扉だった。微かな隙間から光が漏れ出ていたのだ。俺はそのノブに手をかける。
 がちゃり
 城壁の向こう側には、青い草原が広がっていた。
 草原、風が吹いている、そしてその周囲には広葉樹の森が広がっている。
 草原は軽く盛り上がったお椀のような形になっていて、そしてその中心には少女が一人で佇んでいた。彼女の茶の髪が風に揺れる。少女は自分の髪を手で押さえて、そして軽く盛り上がった草原の頂点から、どこかを眺めていた。
 少女はこちらに気付く。
 俺は、そちらへと歩いていく。








 少女はずぶぬれだった。髪の毛やら顔やら何から何までずぶぬれになっていた、そしてベッドの上に座っていた。
 ベッドの上と、俺の顔を交互に見比べることを続けていた。俺は口を開いて、何かを言った。何故かその音は俺の中で想起されない。ただ口が動いて、空気がその分だけ吐き出された。
 その響きは、なんとなく呪いのようなものに思えた。聞こえてなんかいないのに。
 少女はベッドの上の塊を見ることをやめて、俺の方を表情のない瞳でじっと見つめている。
 不意に、少女の表情が歪み始める。間髪入れず少女は金切り声を発し始める。暗い空気が蠢動しているかのように思われた。そして事実騒々しさというものは肥大化していた。部屋の目前にまで辿り着いた幾つかの足音の気配を察して、俺は扉の方を見た。
 バタン、と扉はあっけなく開いた。そして幾らかの人間が部屋に足を踏み入れて、一瞬の躊躇があった。部屋にやってきた人間たちは何事かを呟いていた。一様に同じことを呟いているようだった。とそこでひとりの乳母が立ち竦む人々を割って少女の元へと駆け寄った。それに合わせて、人々は固まっていた足をようやく前へと向ける。
 人々は少女を囲み、少女を心配する声が幾つも飛び交う中で、誰がこれをやったのか、という詰問の声も散見された。
 少女は滂沱の涙を流しながら、必死に俺の方を指さしていた。俺は部屋の隅に立っていて、人々は少女の指示通りに俺の方をちらりと見るが、しかしすぐに視線を少女の方に戻した。本当のことを言いなさい、少女に対して、痩せていて頭の禿げあがった初老の男がそう言った。少女は依然俺の方を指さして叫ぶ。でも、周囲の人間は難渋を顔に浮かべるだけだ。
「神父さんを呼ぼう」
 誰がそれを言い出したのかは分からないが、しかしそれはやはり当然の帰結だった。当然の帰結だったのだ。 


最終更新:2011年08月19日 21:36
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