(投稿者:まーく)
空気は冷たく澄んで。吐きだされる息は白くたなびき、流れて消えていく。
眼前に広がる景色は薄暗く、ひっそりとしていた。
唯でさえ、この地では存在感の薄い太陽は、冬の分厚い雲に囲まれながらも僅かに眼下に広がる廃墟を照らしていた。
大戦も終わり、各地で復興が進んでいるにも関わらず、この地を訪れる者はいなかった。
かつてにぎやかさに包まれた都市は、今や誰からも忘れられた都となってゆっくりと朽ち果てるのを待つばかりだった。
何年振りだろう、さく、さく、と地面を踏む音が響く。
音の主は1人の少女。
「やっぱり、ここは寒いね」
少女は誰かに、話しかける様に呟いて、微かに微笑む。
さく、さく、さく。
「あの日も、こんな寒かったのかな」
たまに二言三言、思いついたように呟く以外、少女は無言で。
静かな、静かな、街をゆっくりと歩いてゆく。
そうして、少女は広けた場所に出た。
見上げた空はやはり雲に覆われていて、お世辞にも良い天気といえない。
それでも、ひび割れのような切れ目から垣間見える青空には、太陽が顔を覗かせ、
精一杯、少女を暖めようと照らそうとしていた。
"残照"
はぁ、と少女は息を吐いた。
道中、歩きとおしで少し息が上がったのか。
体内で温められ吐き出された空気は、一際白かった。
大きく深呼吸し、その冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、大きく吐き出す。
何歩か進み出て、きょろきょろと辺りを見回す。
特別に特徴の無い、この程度の規模の街にはよくあるような場所。
しかし、よく見ればそうではないことが分かる。
抉られた地面。
砕かれた建物。
いたるところに転がる兵器の残骸。
そして、中心に、歪ながら墓標のようにそびえ立つ、巨剣。
それはまぎれもなく戦場の跡だった。
この場所だ、とは思った。
少女は知っている。
かって、この場所で、ある戦いが行われた事を。
それはもう3年以上も前の話。
しかし、少女は昨日の事のように、その光景をはっきりと思い浮かべることができる。
ディートリヒ、そして
コアク・ムァ・アギハ。
彼女を生涯守ると誓い、その為に祖国も、同胞も、全てをかなぐり捨てた、巨人と騎士。
少女を守るため、2人が闘った、その光景。
そして、2人が死んでしまった、その光景も。
G大戦の再現を恐れた各国政府による旧マハーラ王国の第一継承者殺害計画。
その役目は離反兵であるディートリヒ粛清と元はエントリヒ所属のMAIDだったアギハの捕獲計画を進めていた
エントリヒ帝国に、その白羽の矢が立った。
これまでにない、苛烈で執拗な追撃に追いつめられた私たちは、ちょうど1年前の今日。
この街で、ついにエントリヒ精鋭MAID隊を含む追撃部隊に囲まれたのだった。
圧倒的な戦力差、なのに2人は臆することなく立ち向かっていった。
2人は決して膝を折らなかった。
無数の銃弾に身を抉られようと、身を焼かれようとも、半身を吹き飛ばされようとも――
休息も、補給もなしに孤軍奮闘の限りを尽くし、もはや満身創痍。
それでも、なお勢いを増す巨人と騎士を下したのは、――最強と謳われた守護女神。
彼女の剣は一切の迷いもなく、
狂戦士と化したかつての英雄を、その巨剣ごと打ち砕き、
誇り高き胡蝶を、一刀のもとに切り伏せた。
2人は崩れ落ちる一瞬、最期に私の方をちらりと見た。
その目は優しくて。
その目は何かを伝えたがっていて。
その唇が動こうとしたところで。
ガラスの砕けるような音が響き、光と共に霧散した。
――だから、結局。
最期、2人が私に何を伝えたかったのかは、わからない。
「ただいま、ディートリヒ、アギハ。……ごめんね。遅くなっちゃった」
私はそう言って屈みこんだ。
あの日以来、この場所に来るのはこれが初めてだった。
2人がいなくなって、私は1人ぼっちになってしまって。
それでも私は生きていかなきゃならなくて。
そしてそれは、結構大変な事で。
だからこんなにも、時間がかかってしまった。本当はもっと早く来たかったのに。
地面を探し、一つ、二つと何かの欠片を拾い集めていく。
幾つも幾つも、幾つも幾つも。
一つ欠片を見つけるたび、私は一言、声をかける。
自分の事を語る。今の事を語る。昔の事を語る――想いを語る。
語りたい事はいくらでもあった。
それは何者も邪魔できない。手を出す事など許されない。
それは、死者を悼む行為なのだから。
少女は、その欠片を集め続けていた。
その欠片は、残照だった。
命の欠片だった。
砕け散ってしまった命、だった。
「ごめんね。これだけしか、集められなかった」
少女は小さくそう呟いた。
その両手には大小様々な欠片が集められ、小さな山となっている。
これで精一杯だった。
集められる物は全て集めた。
それでも、集められたその欠片は。
哀しいほどに、少なかった。
けれど、それが彼女の精一杯だった。
誰も彼女を責めなどしない。
ディートリヒとコアク・ムァ・アギハの肉体は文字通り、消滅した。
限界を越えてなおその力を引き出されたエターナル・コアは、肉体ごと崩壊し、四散したのだ。
きっと、その質量の大半はきっと消滅してしまっている。
それに、塵となってしまったもの、衝撃で吹き飛んでしまったものもあるはずで。
だからきっと、集められたこの欠片の全てが、この世に残ったディートリヒとアギハのほぼ全て。
でも。
それでも、少女は悲しかった。
その全てを集められなかった事が、哀しかった。
なぜならそれだけが、輝きを失ったエターナルコアだけが、唯一残った、彼らそのものだったのだから。
集めた欠片を、少女はその両手で優しく包む、最愛の者達が死した、その場所で。
涙も流さず、少女は慟哭し、立ち尽くしていた。
どれほど時が流れただろうか。
ふいに、誰かに話しかけられたような気がして、少女は振り向いた。
しかし、そこにはやはり、誰もいない。
空耳か、寂しそうな笑顔で少女は息を漏らす。
と――。
空から、静かに雪が舞い始めた。
見上げれば、雪は空から絶え間なく降り注いでくる。
しんしんと、深深と、降り積もる。
少女は向き直って、墓標を見上げた。
地面に突き立てられた剣は真っ二つに折られたにも関わらず、とても大きくて。
3年前よりも成長したはずの少女の身体より、やはり大きくて。
ひらひらと舞い落ちる粉雪は、あの美しい羽と暖かさを思い起こさせて。
――だから、
だから、その持ち主がいないことを余計に思い出させた。
ああ――。涙が、出てしまいそうだ。
少女はぎゅっと目を瞑った。そのまま雪の降り来る空を見上げる。
いや、見上げたのは空ではない。
見上げたのは、2人の顔の高さ。
少女が覚えている、騎士の顔の高さ。
今でも憶えている。忘れるはずも無い。
閉じた目の内に、はっきりと映る。
声も、その姿も、その強さも、その温もりも。
絶対に、忘れるはず無い。
たとえこの身が滅んでも。
瞑った目から涙も流れ出す。
いつの間にか、自分はこんなにも簡単に泣くようになってしまった。
こんなにも簡単に涙を流すようになってしまった。
この身体から溢れる悲しみが、涙となって身体から溢れてゆく。
そんな気がして、涙を止めようとしても。
悲しみはどこからか溢れてきて、無くなる気配も無い。
涙も、止まる気配は無い。
ただただ、涙が流れ続ける。
そうして泣き続けて。
ふいに誰かが、慰める様に少女の頭を撫で、包み込んでくれているような気がした
暖かかった。
とても暖かくて、懐かしい。
けれど、その暖かさは。懐かしい温もりは。
喪ってしまった者達を非道く思い出させて。
もう、この暖かさは。もう二度とないのだという事を思い出させて。
だから、少女は涙を流し続けた。
いつまでも。
いつまでも。
雪はただ、静かに降り続く。
悲しみを覆い隠すように、降り積もる。
最終更新:2013年02月06日 22:56