円卓 - 2




「お、そ、い」
 少女は言葉の一つ一つを区切りながらにそう申し渡した。
 べオングラドの中央駅近くの、繁華街に続く石畳が、カラフルに足元を染めている。
「――ごめんごめん、ちょっと寄るところがあってね」
「どこにですか? 言っときますけど、こっちは休日はたいて来てるんですからね」
 雑踏の入れ交う通りの、ガス灯の下で少女は待っていた。水色のリボン・タイを巻いたブラウスに、臙脂色の膝丈のタイトスカートという、適度にシックな格好をしていた。あまり華美な服装を嫌うタイプであるらしい。
「さて、まあともかく、とりあえずは昼ごはんでも」
「全く。それにしても貴方ってちゃんと収入得てるんですか、色々不安なんですけど」
「任せなさいって、でもキラキラのドレスをプレゼントしたりはできないけどね」
 銀髪の少女は、やれやれと肩を落としつつ、しかし先に歩き出そうとするこちらの所作を見咎めて、後に続く構えを見せた。俺の斜め後ろくらいにぴたりと付けて、一応軍人の端くれであるのか、よどみのない歩き方で石畳をかつかつと叩いた。ちなみに、靴は黒く可愛らしい印象の、ヒールを履いている。さりげないが、しかし趣味は悪くなかった。
 そんな細部を目に留めながらに、とりあえずある程度は期待に沿えなければならないな、という認識を改めて確認しておいた。ちなみにこちらは無地のシャツに、深い青色のパンツを履いていた。足元は黒の革靴。
 そんな時、不意に俺は足を止める。
 そして、そんな俺のことを厭わしげに見るかのように、少女は視線をこちらに向けながら立ち止まった。
 街頭スピーカーからのものであろうか、男性のものと覚しき声が通りに響いていた。
 街の中に遠く響き渡っているそれは、反響に反響を重ねていて、どうにも意味のあるメッセージとして俺の耳に入ってくることはない。
 足を止めてまでその声を聞き留めようとしている人間は、俺くらいのもので、ほとんどの人間は特に変わった様子を見せることなく、歩き続けていた。しかし気のせいか、そこにはどうにも不吉な響きが含まれているようでもある。
「外相の声ですね」
 短くそう言ったのは、少女だった。
 俺は、少女の方に素早く向き直る。少女はそんな俺の仕草に、少しだけ驚いたように肩をぴくりと動かした。
「今、何て言ってるか聞こえる? 俺、人間だからさ」
「え? あ、ちょっと待って下さい――ええと、『人間とメードは今日共存関係にあり、その関係を簡単に崩すことはできない。我々は簡単にお互いの間に築いた美しい絆を絶ってはならないのであって――』」
 俺は彼女が口述するその内容に、真剣な表情で聞き入っていた。少女の言葉には、僅かに感情の揺れというか、不明瞭なところが感じられなくもなかったが、とにかく俺はそのメッセージを把握することに成功していた。どれくらいの時間その口述復唱に聞き入っていたのか定かではないが、しかし気付いた時には放送は鳴り止んでいた。周囲の雑踏は、特に変わることなく左右に交差し続けていた。
 でも、俺はその何の変哲も無い光景に対して、あまり安堵感を覚えることができないでいる。
 つまるところ、これは――
「……うん、ありがとう。大体意味は分かった」
「は、はい」
 少女はさっと目を伏せつつ、そして前髪を素早く手で直した。
 ちょっと可愛いな、と俺は思ったけれど、特に口には出さないでおくことにする。
 そうこうしていると、少女はどこか焦れたように身じろぎをし、そして立ち込めた沈黙が、時が経つにつれ、奇妙にもつれていくように感じられた。でも、俺は黙っていた。
 こほん、と少女が息を吐いて、軽く目を伏せた。
「あ、あの放送が一体何だったんですか、なんというか、ごくごく月並みな定期放送にしか思えませんでしたけど」
「……いや、何でもないんだよ」
 なんとなく気になってね、という俺の言葉に、そうですか、と彼女は落ち着かない様子で声を被せた。俺は、なんとなく少女の手を握ってみるべきかとも思ったが、でもまだタイミングとして早すぎるような気もしていた。
 最初のチャンスは見送れ、とかつて読んだチェスの指南書に書かれていたような気もする。というわけで、仰々しいながらも、俺はその言葉に従うことにした。
「じゃあ、とりあえず行こう。飯食えば、世はなべてことも無し」
「は、はい」
 そうやって慌てて返事をする少女と視線を合わせてから、俺は再び正面へと向き直った。そして、さっきのような足取りを再開する。
 少女の歩くリズムは、先程に比べてどうにも不規則であるというか、浮足立った感じを覚えなくもなかった。俺はその幾分乱れたリズムを聞きながら、これはこれで悪くない、と感じていたのだが、しかしそれはともかくとして、先程の放送は明らかに、言外の意図、もっと言うならば、特定のグループに属している人間を煽動するような主旨が含まれているように感じられるものだった。
 つまり、どこかしらきな臭い。






最終更新:2013年12月03日 00:32
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