(投稿者:安全鎚)
「お、目が覚めたか?」
ブラインドから途切れた朝日が差し込む埃っぽい室内でそんな女性の声が響いた。
埃っぽさとは正反対に綺麗に整頓されたその部屋は中央の大きな作業台を中心にファイルが陳列された棚や
電気コードや銃器など関連性の無いものが大雑把に詰め込まれた木箱などが置いてある。
その中央の作業台の上には長い黒髪を有した少女が仰向けに寝転がっていた。
意識を戻したばかりなのか彼女は目をパチリと開いた後、ルビーのような紅の瞳を左右に動かす。
「……」
それから上体をゆっくりと起こした。彼女は病院の患者が切るような白い服と、ハーフパンツを身に着けていた。
周囲を見渡すと東洋人風の黒髪の女性が少女を見据えて立っている。高い背丈と切れ長の涼しい眼が印象的だった。
声の主であろうその女性は白衣を身に纏い、手にマグカップを持っている。首元にはドックタグが光っていた。
動いても何も言わないのは体調に問題が無いからなのだろうと思い、少女は台から降りた。
「大丈夫そうか?」
白衣の女性が確かめるように聞くと、少女は無表情のままコクリと頷いた。警戒はしていないらしい。
そうか、と呟きマグカップに入っていたコーヒーを一口啜ると白衣の女性は分解された拳銃が置かれている事務机の前に腰掛ける。
「……何処?」
恐らく現在の居場所を聞いているのだろう。今度は少女が短くそう聞いた。
「ここか?ここは私のラボだよ。昨日お前が死にそうだったのを拾って直していたんだ」
直していた。という発言で少女は少々鈍痛を感じていることに気付いた。
おそらく、身体のどこかに怪我を負っていたのだろうが自分が怪我をしていたという記憶は無い。
それどころか自分の存在についてすらあやふやな部分がある。
「お前、名前は?」
白衣の女性が近くの丸椅子に座ることを促し、少女はそれに従って腰掛ける。
少女が短く名乗る。
やや混線気味の脳内だったが意外にも名前だけはスムーズに浮かんだ。
「ふむ、いい名前だな。私はキョウコ。
キョウコ・アマハラ。ここでラボを営んでいるしがない技師だ」
キョウコと名乗った女性はしがない、という部分に自分で苦笑する。なにか皮肉めいた意味合いがあるのかもしれない。
自己紹介が済むとそれっきり会話が途切れてしまう。
苦笑していたキョウコも「あー…」と何か会話の糸口を探して眼を泳がせている。
クロエは自分からは話そうとしない性格なのか、ちょこんと椅子に座ったままどこか眠そうな、気だるそうな眼をキョウコに向けている。
自然とラボを静寂が包む。
(ぐぅ)
しばらくしてクロエの胃が抗議の音を立ててその静寂を破った。
「はは、募る話は朝食でも食べながらしようか」
黙って自分の腹部を見つめる彼女にキョウコは苦笑しながら提案し、立ち上がった。
クロエもコクリと頷いて立ち上がる。
「ああ、そうだ。その前にアレに着替えてくれるか?お前が着ていたのを縫い直してみたんだが…」
ハッと目線を上げて振り返ったキョウコがマグカップを持った手でクロエの後ろを指差す。
振り向いた先にある壁には黒いブラウスと白のエプロンで作られた侍女が着るようなエプロン
ドレスがかけられていた。
先程の部屋とは違う板張りの部屋で二人とは朝食をとっていた。
一通り調理器具がそろった窓際にある簡素なキッチン、外へ通じる木製扉、二階へつながる階段からなるシンプルな一室。
二階へは吹き抜けになっており、天井にはシーリングファンが回っていた。
「…それで。何か聞きたいことはあるか?」
狐色に焼かれたトーストやスクランブルエッグなど一般的な朝食が並ぶテーブルを囲み二人は向かい合っていた。
先にキョウコが聞き役に回るのは彼女のなりの気遣いなのだろう。
木の実を持った仔リスのようにトーストの端を齧っていたクロエは上目遣いでキョウコに視線を向ける。
「……私、どうなってた?」
その問いかけにキョウコは待ってましたといわんばかりに微笑み、口を開いた。
「良い質問だ。それについては私からも色々聞きたかったからな」
一口紅茶を啜ってから軽く咳払いを一つしてキョウコは話を始めた。
「二日前の話だ。私は近くの村へ機材の買出しにトラックを走らせていたんだが、そこで通りかかった軍の拠点跡に
四肢が繋がっていない血だらけの少女を見つけたんだ」
何故か少し芝居がかった口調で話し始めるキョウコ。
血だらけの少女とはおそらく自分のことだろうとクロエは小さく頷きながら話を聞いている。
「まさかその少女をそのまま放って置くわけにもいかないから、私は車を降りて彼女に駆け寄った。黒のメイド服に身を包んでいた彼女を一目見たときに私は気付いたよ。ああ、この子は人間じゃない。戦うために作られたメードだってね」
Gという謎の生物群が人類を襲撃してからというもの早数年が立つ。巨大な蟲のような外見をしたそれらは南半球を始め数を増やしつつ北上し、人類を窮地に追い込んでいった。
それに対抗するために生まれたのが少女型の生体兵器「MAID(メード)」である。
絶対数こそ少ないものの圧倒的な戦闘能力を持つ彼女達は人類の切り札として様々な国家で重宝されている。
「で、驚くことに息があった彼女を私は手足と一緒にトラックに乗せて急いで帰ってきた。それからは大変だったよ。神経や血管を繋ぐような細かい作業が両手両足で計四回も続いたんだからな」
その本人曰く「大変な作業」の話を友人と対局したチェスの顛末を話すかのように楽しそうに話すキョウコ。
通常、メードが怪我をした際には通常の医療知識で事足りるが、損傷した部位を再生したり内部にまで手を出すとなるとメードに関する膨大な知識が必要になる。
クロエ自身もある程度自分の存在――メードについて思い出してきたのかキョウコのなした事に多少驚いているらしい。眼が少し見開かれた。
「個人で修復するのは骨が折れたがコアが無事でよかったよ。四肢の接続、皮膚の再生、衣服と装備の修復。ああ、あと髪の毛も手を加えた。損傷前がどんな外見かは分からないが、良い感じだろう?」
クロエの髪は黒く、艶やかなロングストレートである。これもキョウコ個人が手がけたらしい。
しかもこれらの作業を
一人で、しかも二日で終わらせたという作業速度はキョウコが明らかに一般的技師ではないことを示していた。
髪について話題を振られ、クロエは自分の髪を気にするように弄り始める。
「さて、私からも一つ聞きたいんだが…クロエ、お前は何故一人であんな場所に倒れていたんだ?」
楽しそうに話していたのもつかの間、あまり間をおかずに今度はキョウコがクロエに問いかけた。
彼女の質問にしばらく髪を弄っていたクロエの手がピタリと止まった。
それからしばらく視線を横に外して沈黙し始める。
「覚えていないのか?話したくないのか?」
キョウコが優しく、だが答えを催促するように言う。
視線を戻し、クロエがキョウコの眼を見据えて短く返答した。
「……最初のほう」
ふむ。と意外な返答にそう呟くキョウコ。
メードの殆どはどこかの国家に所属しているのでソレさえ分かれば送り返そうと思っていたのだが、いざそれが判らないとなると判断に困る。
まさかこのまま追い出すわけにもいかず、かといって国に片っ端から連絡すればクロエがメードという以上、立場的に危うい状況になりかねない。
クロエは短い返答の後、再びトーストを齧り始めた。自分の境遇についてはどうでもいいようである。
「んー…そうだな」
何かたくらみを思いついたようにキョウコはしばらく顎に当てていた手の人差し指を顔の前で立て、こう提案した。
「クロエ、なんなら私と一緒に暮らさないか?」
冗談めいたように微笑みながら言うキョウコ。
メードの所有に関しては特別な法が存在するわけでもない上、彼女自身メードには興味があるらしくそれはしばらく考えて自然と出てくる選択だった。
恐らく長い時間悩むだろうと高をくくっていたキョウコだが、そんな彼女の予想を裏切りクロエは無表情のまま口を開いた。
「……分かった」
即答。
「…う、ぇ、そ、そうか?え、そんなあっさりでいいのか?」
あまりにも早すぎる決断に提案したはずのキョウコはたじろぎ、戸惑いを隠せていない様子である。
「……別に断る理由がない。帰る場所も」
クロエは若干沈んだ声で言った。
もしかしたらうすうす自分の状況に気付いているのかもしれない。
友軍にも回収されず、ただただ拠点に放置され続けたのだ。見捨てられたと捉えてもおかしくない。
クロエの即答に戸惑っていたキョウコだが、そんなクロエの様子を見て慰めるような微笑を浮かべた。
「そうか。分かった。そうと決まればここはもうお前の帰る場所だ。何も心配することは無いよ」
そう言ってキョウコはクロエの頭を撫でた。絹のような手触りが手を通して伝わった。
クロエは手を置かれて我に返るようにハッとし、それから微かに微笑んだ。
「……ありがとう、マスター」
「止してくれ。私はそんな風に呼ばれる柄じゃない。好きなように呼んでくれ」
「……分かった、マスター」
自然と苦笑が浮かんだ。
こうして、技師とメードの不思議な生活が幕を開けたのだった。
関連項目
最終更新:2008年12月07日 15:48