(投稿者:怨是)
10/12 1943
ここ最近は、
シュヴェルテを俺の部屋に泊めている。
信頼できる仲間に護衛させた。
馬鹿馬鹿しいだなんて言わせない。
長らく戦った戦友が謀殺されそうになったら、黙ってみているか?
それが恋人のような存在だったら、黙っていられるか?
俺は彼女を、シュヴェルテを守ってみせる。
この身体を犠牲にしてでも。
どんな手段を使っても。
たとえ、それが偽善だったとしても。
腕を組んで俯きながらうろつくゼクスフォルトに、傍らのシュヴェルテは遠慮がちに眼差しを向けた。
臨時で用意してもらった椅子を窓辺に置き、ゼクスフォルトと眼を合わせぬように、ときおり外を見る。
アシュレイ・ゼクスフォルトは多くのサポートに関わらず、孤独であった。
無闇に云い触らせば窮地に陥る。
かといってヴォルケン中将と二人だけでは、作業は遅々として進まない。
雲の上に立てば、地上の事に疎くなる。
ヴォルケンとて例外ではなく、ゼクスフォルトの相談役やパイプライン以上の役割は果たせなかった。
内部抗争に備えた厳戒態勢と称して、各MAIDの警備を周囲の部下にやらせたのがせいぜい。
有力な情報は、未だ掴めないでいるのだ。
「すみません、私の為にここまでしていただけるなんて……」
「いつかに約束した通りさ。俺はお前を守ってみせる」
ゼクスフォルトの拳の内に爪痕が残る。
思考は冷静を失い、この自室でシュヴェルテへ向ける笑顔も減ってきた。
歩き疲れて椅子を掻き出し、そのまま座る。
守りは固めた。上への正当な体裁も充分に繕った。
あとは足りないのは情報だった。
「道筋さえ判れば、あとは前へ進むだけなんだ……なのに、この感じは何だ……!」
とうとう焦りが火を噴き、ペンを投げて机に突っ伏してしまう。
頭が、腐ったマーガリンのように色を変えてゆく。
「――待てよ?」
「?」
ヴォルケンと飲み明かした時に話に出てきた、MALEの
ディートリヒとその担当官
ダリウス・ヴァン・ベルンが脳裏に浮かぶ。
ベルンの階級は少将。ヴォルケンと同じく将官で、しかも陸軍第7機甲大隊――“
ダリウス大隊”の総隊長である。
貧民層出身の叩き上げの軍人であり、根っからの現場主義。なおかつ部下から絶大な信頼を得ている彼のことだ。
現場の実情に関しては、ヴォルケン中将よりも理解が深いに違いない。
「――で、私にベルン少将を呼べと」
気がつけば休養中のヴォルケン中将の前にいた。
相変わらず豪華な背もたれに、彼は寄りかかっている。
窓から差し込む朝日が、逆光となってゼクスフォルトの双眸を焼かんとする。
眩しい。
「ええ。幸い、この兵舎にまだいらっしゃるそうなので。今からでもアポ取りをしたいのです」
「慌てるな。ベルン少将ことダリウス君は明後日までここにいる予定だよ。諸々の打ち合わせでね」
「ではお会いできるのですね?」
ヴォルケン中将が胸を叩く。自信に溢れるその表情にゼクスフォルトの胸中は踊った。
「任せておけ。人気者のベルン少将なら、“ファンからのお願い”は断れんだろう」
「……お願いします」
トントン拍子に事が進んで行く。
――行ける!
絡みつく暗雲を次々と振り払える刃が、もうすぐ手に入る。
後は、その目つきの悪い暗雲どもを切り払うまでだ。
「しかし、感心なことだ。ヴォルフが同じ境遇に立たされても、ここまでの行動には出られまい」
「恐れ入ります。私もここまで中将のご厚意を賜るとは思いませんでした。あらためて、ありがとうございます」
決して利用しているのではない。
これは、ヴォルケン中将の“ご厚意を賜”っているだけだ。
そう云い聞かせる。その為の笑顔。
たとえそれが偽善と笑われようとも構わない。
煮えたぎる地獄の火山の憎悪を隠すために、今は緑の丘の風のように優しくあろう。
ゼクスフォルトは、左手の薬指を寂しげに撫でた。
「ご協力に感謝する。謝礼金は指定の口座に振り込んでおくよ」
「お願いします。明日の見出しは“
ジークフリート、ヴォ連スパイを断罪!”で決まりですね」
「ああ」
ホルグマイヤーは、タバコを吹かしながら協力者を見送る。
フリーの戦場カメラマンとはよく云ったものだ。
疑うのも道理だ。
“機密”を、ここまでくっきり撮れるカメラマンがフリーにいるか?
「まぁいい。俺みたいな枯れた中年に、大胆な真似はできやしないよ」
雑踏の中で、独りつぶやく。
ここは帝都ニーベルンゲ。
城壁八方の壁地獄。
乗り越えるも地獄。
突き崩すも、地獄。
所々の家屋の前をうろつく兵士と視線を交えながら、旧市街からオフィス街へと足を進める。
確かにこれでは治安も最高だ。
監視社会ここに極まれり。あとは兵士の愛想さえクリアしていれば、ストレスも無くなるのだが。
ただの見張りではなく、信用できる警備さんへと目出度く昇級である。
苦笑を煙草に叩き込みながら路地に辿り着く。
「えーっと、地図は……」
トレンチコートのポケットをまさぐり、くしゃくしゃになって黄ばんだ紙切れをようやく取り出す。
「マクレーヴィヒの若造は学校で地図の書き方を習わなかったのか」
簡単に線と番地を書いただけの簡素な地図ほど、やるせないものはない。
不親切な地図というのは得てして道間違いを誘発するものである。
かといって戦前のように“お回りさん”に道を聞くこともできない。
業務内容を事細かに訊かれれば、こちらの首が飛ぶ。
秘密警察も楽ではないな。
仕方がない。公衆電話でいつもの暗号通信ごっこだ。
と思考がまとまった所で、戦時下の通信制限で公衆電話は一般利用禁止に――
「――いや、待てよ?」
手帳を開き、秘密警察の原則の項目をめくって行く。
そうだった。手帳を見せる事で使用許可が下りる!
普段から手帳を確認しない己のずぼらさに、恐れ入る。
「兵隊さん、兵隊さん」
「何だ」
「ちょいと電話をお貸しいただけないかい? わたくし、こういう身分のものでね」
兵隊は焦り、そそくさと道を譲る。
ちょろいもんだ。権利に弱いエントリヒの国民性に大感謝しなくては。
せめてもの感謝の印として1マクス硬貨を公衆電話に叩き込み、マクレーヴィヒの私室をダイヤルする。
今日は確かお暇だったか。
「――ぁ、はい、マクレーヴィヒです」
妙に焦った声が聞こえてくる。
若造、今日は“お暇じゃない日”か。
「もしもし、ホルグマイヤーだ」
あからさまな溜め息が受話器を刺激した。
何を考えてやがる。
「あんたかよ。俺はこれからデートの約束があるんだ」
よくもまぁ。
よくもまぁ、あの性格で頑張るものだ。よほど太っ腹で羽振りがいいのか。
それとも女子の皆様はお情けで付き合っているだけか。
いや、情報提供者か? まさか。性差別主義者の彼が女性を使うなど。
単純に趣味の付き合いだろう。
「知ったことか。道に迷っちまった。ここは33番地のシルワート通り沿いの路地だ」
「で?」
「“で?”とはまた薄情な。あんたが書いた地図だろう。“レストラン”への道のりがどうしても判らん」
受話器の向こうで金属音と、何かを探る音が聞こえてくる。
ホルグマイヤーはうんざりした顔で1マクス硬貨をもう一枚つぎ込む傍ら、すぐ隣に佇む兵士に目配せした。
しきりに腕時計を覗き込みながら、不安げに空へと視線を戻している様子に、苦笑を禁じえない。
まぁまぁ若旦那、もう少し我慢してくれよ。これは大仕事の一つなんだ。
「あぁ、あった。これだこれだ……えーっと、近くに何がある?」
落ち着きの無い新米兵士と云いたい所を我慢して、周囲の建物を見回す。
もと来た道を見てみよう。向かって右側だ。
地下鉄の出入り口が、道路を挟んで50メートル先くらいにあり……そのすぐ近くに薬局があるのが判った。
「道路の向こうに地下鉄の出入り口と薬局がある」
「じゃあ路地のほうを真っ直ぐ。突き当りを左に曲がればすぐそこに“レストラン”がある筈さ」
「はいはい、ありがとう。“いやぁしかし、予約したのに行けなくて残念だろう”」
「“ろくに調べずに予約しちまったからいいのさ。俺が行っても迷っちまうだけだ”……じゃあな。
“豪華なランチを楽しんできてくれ”」
「ああ。“給料のいい使い道だと思っている”。あばよ」
暗号通信ごっこはこれにて終了である。
またそそくさと電話の前に立つ若兵士に軽く挨拶し、“お待たせ料”を予算用財布から支払う。
口止め料も兼ねるためにやや高額になってしまったが、まぁ想定内の出費だろう。
残りの硬貨の枚数を数えながら突き当りまで歩みを進める。
これから彼が向かう“レストラン”は、写真の合成、加工のサービスを行っている風変わりな所だ。
加工には数時間を要する。
今は午前の10時半。ランチには少し早いが、仕方あるまい。
大仕事はまだ半分も進んでいないのだ。
明日の見出しを“ジークフリート、ヴォ連スパイを断罪!”で飾るための大仕事である。
最終更新:2008年11月11日 01:41