Chapter 1 :ヴィルヘルム

(投稿者:Cet)



 私は貴女を愛しています

 だけど私には貴女を守る程の力はありません

 例え命を懸けたとしても

 貴女の盾や銃にはなれないでしょう

 ですが私はきっと貴女を守れるようになってみせます

 その時まで待っていてください


 青年ヴィルヘルムは空を横切る天使の姿を目撃した。
 時は夕刻、村の外にある学校からの帰り道。どれほどの高度を飛んでいるのかは検討もつかないが、ただその横顔をはっきりと見ることができるほどの高さで、夕日を受けた翼が煌めいていた。青年は一切の挙動を停止して、その姿に見入った。
 空に浮かぶ天使の姿は一つではなかった。あと二つがその周囲に展開しており。そして次の瞬間巨大なエンジン音が耳をつんざいて、緑色の大きな影がその更に上を通過していく。プロペラを主動力とする戦闘機。
 なんてことだろう。青年は独白する。
 そして自分自身の使命を自覚する。それはあの可憐な天使を自らの手で守ること。
 そうと決めたら青年は走り出す、自らの帰りを待つ家族の元へ。
 ここはベーエルデー連邦。対『G』前線から遥かに後方にある小国。そこにある鄙びた農村である。

「おかえりお兄ちゃん」
 自宅の家の扉を開けると、まず妹のメアリーの出迎えにあった。
「ああ、ただいま。元気だったか?」
「お兄ちゃん変。朝いってらっしゃい、ってしたばかりじゃない」
「そうだったな」
 言いつつその美しい金髪を撫でてやる、すると妹は屈託なく笑った。
 玄関をくぐるとすぐ食卓になっていて、玄関扉とは正反対の位置にしつらえられたキッチンでは恰幅の良い母がスープを煮込んでいた。
「お帰りヴィルヘルム。もうちょっとでご飯ができるよ」
「ただいま母さん、何か手伝うことは?」
 テーブルには弟が手持ち無沙汰そうに座っている。
「そうだね、トニーの相手でもしてやっててくれないか」
「ああ、ただいまトニー」
 青年は弟の座る隣の椅子に腰掛けた。
「おかえり兄ちゃん」
「良い子にしてたか?」
「今日も薪を運んだよ」
 それは偉かったな、そう誉めてやっても弟は自分の手元ばかりを気にしている。
 だけどそれが何時も通りで、さして違和感があるわけでもない。
 キッチンには妹と母が二人で夕飯を作り上げていく。
 窓から覗く西日は、どことなくセンチメンタリスムをかき立てるようではあるが、むしろそれは彼に居心地のよささえ覚えさせる。
 スープが出来上がると夕食が始まる。そしてすぐに父が帰ってくる。
 父は中央の都市部で職人として働いている。
 この辺りは農村であるものの、青年の家族は農業とほとんど無縁だ。
 それを営むだけのキャパシティと、必要な資本が絶対的に足りない為だ。
 ただ腕の良い細工師である父の作る小物は評判がよく、彼らは慎ましくも幸せな生活を営むことができているのだった。
「父さん、ちょっといいかい?」
 熱いスープを木彫りのスプーンで口に運びながら言う。
「ん? なんだ?」
「帰り道に空を飛ぶ人を見たんだ」
「空を?」
「いや、翼を生やした女性がさ」
「ああ、知ってるぞ。たしかメードとか呼ばれてる」
 メード、確かに彼女達が纏っていた衣服は給仕の身に着けるそれだった。
「あれはなんなのかな?」
 父は少し考えて。
「どうも兵隊らしい、人間とは比べ物にならないくらい強いんだと。
 そんじょそこらの兵器でも歯が立たないとか」
「へえ」
 言いつつ青年もまたスープを啜った。
「それが、どうしたんだ?」
「いや別に、夕日を背に受けて飛ぶ姿が綺麗だった、って話」
「そうか」
 そうして父は黙った。
「お兄ちゃん、それより今日学校はどうだったの?」
「ああ、まあ何時も通りだよ」
「お兄ちゃん何時もそればっかり」
 妹は不満げに言う。
「いいだろ? それこそが俺の気に入っている日常なんだから」
「そういえば」
 父が不意に割り込んだ。
「この辺りの基地で兵員が増強されたらしい。多分お前の見たメードもその中の一人だろう」
「ああ、ありがとう、でもその話はもういいよ父さん」
「分かったよ」
 言いながら黒パンを浸したスープに手を伸ばす。弟はその間も黙々とスープを口に運んでいる。

 次の日、彼は朝の五時に起きて、暫くは母の家事手伝いをする。主にこの家自体を目覚めさせる為の下準備だ。
 竈に火を入れ、朝食の準備をする。その内父が起きてきて、町へ行く準備を始める。
 父はこの村発のバスに乗って町へと向かう。
「おはよう、もう、学校?」
 未だ眠気眼の妹と弟が起きてくるのは彼が学校に出かける段になってからだ。
「ああおはよう、ところでお前ももうちょっと早起きしろよ、お母さんを手伝ってやれ」
「できたらするね、でも私はお夕飯の手伝いするよ?」
「そうだな、偉いな」
 そんな風に会話を交わして、今日も彼は学校にいく。村を出て歩いて三十分ほどのところにある隣町の学校だ。

 石造りの門を抜けるとそこは一見城砦のようなレンガ造りの建物が立ち並ぶ市街となっていた。
 少年にとって見慣れた風景は都市化が比較的進んでおり、町の通りは石畳で舗装され、高層ビル(最高でも百メートル以下の物)の林立する中央部では、一般人の運転する自家用車が目立つようになる。
 その学校はそんな街の中心部から離れた閑静な場所にある、古めかくも荘厳なバロック建築の校舎がまるで城壁のように聳え立っている。
 彼は中庭の外周を取り巻く校舎と一体になった校門(というより城門じみている)を抜け、中庭に出た。
 起伏のある地面に芝生が生い茂っており、そこでは自教室へ向かう生徒の姿が数多く見受けられた。
 正午になると昼食を楽しむ生徒で賑わうその場所を抜け、校舎に入り、階段を登る。
 この学校の役割というのは現在で言う高等学校に近いもので、様々なことを学ぶことができる。
 例えば化学、例えば歴史、例えば文学、といった具合だ。
 校舎の中にはいくつもの広い講堂があり、授業の度に移動するようになっている。そうした授業の大半が生徒達の心を躍らせるものである。
 洗練された授業内容が満たす様々な知的欲求というものは、彼にしたところで例に漏れないものではあるのだが。
 実のところ家庭の実情を鑑みた上で、あくまで家計の為に無理をして進学させてもらった彼にとって、心からそれらを楽しむというのは本来憚られるものなのかもしれない。
 ただ今日のところ彼の目的は授業そのものを楽しむのとは別のところにあった。

 幾つかの授業を終えて昼休みになる。例によって講堂で授業を受けていた彼は、昼食を取りに行くでもなく辺りを見回した。
 正面には壁を端から端まで網羅した黒板と教卓があり、生徒らからよく見えるように一段高くなっている。
 それ以外の空間を備え付けの木製の長机が整然と占有しており、生徒達はそれぞれを二、三人で共用するようになっていた。
 そして教室の後方に幾つかの人影があった。席に座った青年を中心に男女で談笑をしていた。彼はそれを認めると立ち上がる。
 何となく近寄りがたくて、彼はそろそろと歩を進めた。
 彼の物腰はどちらかと言うとおどおどとしており、それと対照的な性質の人々を刺激しやすい。
 それを十分に自覚した上で、できるだけ平静を装って歩み寄った。
「でよぉ、それがすっげぇ笑えるんだぜ、なんたって馬鹿みたいに」
 座っている青年がちらとこちらを見て会話をやめた、ヴィルヘルムにとっては少しばかり居心地の悪い空気が流れる。
「や、やあ」
「あんた誰?」
 青年二人が会話する中、青年の友人達はそれを静かに見守っている。
「俺はヴィルヘルム。それはともかく君、アンリだろ、アンリ・ジュナール
 確か軍人の親御さんがいるっていう」
「そうだけどさ」
 アンリは怪訝そうに言う。
「いや、それを聞いてちょっと頼みごとがあるんだ。悪いけどお友達には少し席を外してもらえないかな」
 ヴィルヘルムがそう言うと、アンリは暫く怪訝そうな表情をしていたものの、友人達に目配せした。
 なにやら興味ありげな様子ながらも友人達は去っていった。
「……で、何だよその頼みごとってのは」
「いやね、君、メードって知ってる?」
「メード? ああ例の奴か、知ってるよ人間兵器だろ」
 いやはは、とヴィルヘルムは少し困ったように笑った。
「いや、昨日そのメードが空を飛んでいるのを見かけてさ。
 なんていうか、会ってみたいなって思って、その、どこの駐屯地に駐留してるとか、そういうのを聞きたくって」
「なんだよ、面倒くさそうな話を持ってきやがって」
 そうしかめっつらで言う。まあそれも仕方ないとヴィルヘルムは思った。
「頼むよ、軍に関係してるクラスメイトなんてそうそういないしさ」
「今の時代そんな珍しくもねぇよ」
「そうかも知れないけど、今俺にとっては君が頼りなんだ、だから、頼む」
 ヴィルヘルムが顔の前で手を合わせると、根負けしたのか、アンリは盛大にため息を吐いた。
「分かったよ、とりあえず親父に聞いてみる。で、なんだ?
 その空飛ぶメードってのがまとめて駐屯してる場所を聞けばいいのか?
 軍事機密だろうし、教えてくれるとは思えないけどな」
「いや、それなんだけどさ」
 彼は少し言いづらそうに口ごもった。
「なんだよ」
「ああ、その、なんだ。俺が会いたいのは個人なんだ」
「じゃあ尚更面倒くさいじゃねぇか」
「分かってる、それを承知で頼むんだ。御礼だったらできる限りのことはするよ」
 ヴィルヘルムがそうまくし立てると、アンリはしばし呆けたかのように、続いて呆れきった表情になった。
「まあ、特徴くらいは聞いといてやる」
「助かる」
 ある種の最後通告のような口調で言うギャップに、ヴィルヘルムも安堵を隠しきれない。
「えーと、まず、髪の色は茶色で」
 袖とスカートの裾が長い格式ばった給仕服を着ていた、手には重機関銃らしき物を持っていた。
「それだけか?」
 苦りきった表情で問われ、うーんと考え込む。
「そういえば、どちらかと言うと地味な印象だったかな」
「なんだそりゃ」
「いや、特徴」
 アンリは暫く苦々しげな表情をしていた。
「分かった、とりあえず親父に聞いておく。
 でも俺ができるのは精々丸め込むことと、親父の机と鞄を黙って漁ることぐらいだ。
 それに親父はそういうのに敏感だからある程度以上のことはできねぇ」
「本当に、助かる。それでお礼は何をすればいい?」
「いらねぇ」
 アンリはそう言うと席を立った。
「俺は施す側の人間になるつもりなんだよ」

 翌日、彼にとって学校は休みだった、というのも彼は家の手伝いをする為に週に一度父親について中央の町へ行くのだ。
 やや時代遅れなバスに二時間程揺られると、辺りに背の高いビルが目立つようになる。
 それがアスファルトで舗装された通りの左右にひしめく頃になって、二人はバスを降りた。
 散々揺られた上、硬いシートのお陰で身体の節々が痛いが、それも当然と割り切らなければならない。
「じゃあ、父さんは工房の方に行ってくるから、お前は弁当を食べてろ」
「分かったよ父さん」
 二人は広い広い通りを正反対の方向に歩み始めた。
 さてどこで昼食を取ろうかと思っていた矢先、前方から来る人影にふとした違和感を覚えた。
 一人は黒髪の女性である。ベレー帽に給仕服。
 そしてその隣を茶色の髪をした、鳶色の瞳の少女が並んで歩いている。楽しそうに雑談をしながら。
 彼が立ち尽くしていると、徐々に近付いてくる二人はそんな彼の様子に気がついて、不思議そうな顔をした。
「お兄さん大丈夫?」
 そう黒髪の女性が言うので、ようやく平静を取り戻すことができた。
「いや」
「酷い顔色してるッスよ? この町の真ん中じゃ気をつけないと」
「申し訳ない、心配をかけました」
 ペコリと頭を下げて、その横をすれ違おうとすると、鳶色の視線がこちらとぶつかった。
 すっかり動揺しきってしまった彼はただ会釈するだけに留めてその場を立ち去ろうとした。
 すると少女はにこりと笑った。
「大丈夫ですか? 気をつけてくださいね」
 言葉が出なくなった。
「あの」
「はい? なんでしょう」
 先ほどと変わらない柔らかな笑みを浮かべて言う。
「お名前を、教えてくれませんか?」
 一瞬、ぽかんとしたような表情を浮かべた。
トリアと申します」
 少しだけはにかんだように笑った。
 青年は軽く会釈をして、その場を逃げ去るように、実際逃げ去った。
 どこへ走ったかも分からないまま、昼過ぎを迎えた。何とか元来た道を辿ると、遠に昼食を取るような時間は無くなっていた。

 その翌日、彼は学校の構内にいた。
 一時間目の授業が始まる前からそわそわとして、そして構内にアンリの姿が現れると同時に席を立って走った。
「ど、どうだった?」
「なんだよいきなり、とりあえず荷物を置かせろよ」
「あ、ああ」
 怪訝そうな目をしてこちらを見るアンリに落ち着かず、そわそわとし続けた。
「とりあえず、メードを大量に保有する基地の場所は分かった。空軍もそこだ。
 訓練してりゃ敷地外からでも覗える程度の機密だったよ」
「ありがとう」
 随分と大声になってしまった、アンリは毎度のようにしかめつらをしている。
「ご、ごめん」
「いいよ、でもお前の言ってたメードが誰なのかなんてことは分からなかった、それは勘弁してもらいたい。
 それから、その基地に手紙を出すなら、一応地図上の住所を聞いてきた」
「ほんと、ありがとうアンリ」
「よせよ」
 少しだけ照れた様子であった。
「でもお礼代わりと言っちゃなんだが、それを聞いてお前はどうするつもりなんだ?」
「ああ、手紙を出そうと思ってる」
「悪いがやめといた方がいい」
 どうしてという言葉は出てこなかった。
「相手は軍人だろ?
 見ず知らずの人間と一々情を繋いでたら身も心も持たねえってもんだ、多くは言わねえ、ただそれだけ」
 ヴィルヘルムは黙っている。
「お前がどうするかは、自分で決めてくれ。それからこの話はこれっきりだ、一応、他言無用だからな」
「ああ、分かってるよ」
 そう言うものの、その視線はどこか虚ろであった。


最終更新:2008年11月27日 17:27
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