(投稿者:Cet)
「なあ、アンリ」
「どうしたよヴィルヘルム」
星空の下、兵営の外、凍える風。そしてそれぞれが手に握る一つずつのマグカップ。
中にはコーヒー。嗜好品とは名ばかりの、兵士にとっての必需品。
「愛することと守ることって、何か違うと思うか?」
「あーっと、それはだな」
彼はマグカップを地面に置いて、手をあちこちに振り回す。
「微妙に違う」
「そうか」
神妙な顔で俯く青年ヴィルヘルム。
「あー、安心していいぞ。お前のは間違いなく愛だ」
「どうしてそう言い切れる?」
「だって、ホラ、抱いたんだろ?」
ぶうぅーっ
「ごほごほ」
「汚ぇ」
アンリ士官は笑った。
「人聞きの悪いことを」
「悪い、分かって言った」
お前の反応も含めてな。と心の中で一言添える。
「抱き締めたんだよ」
「そうかい、それで、どうだったよ」
「温かかった、あと何かすっげぇ悲しくなった」
「あーそーかいそーかい、言うね言うね」
何だよ、と青年がむくれる。
「くくくっ、はははははっ」
士官は笑った。
「羨ましいぞこの野郎っ」
「何怒ってんだよっ」
兵士二人の怒号が陣地にこだまする。
ある昼のこと。
トリアは洗濯物を干していた。
彼女の性であり、それ以上以下の理由もない。
ここは
クロッセル連合王国のどこかにある基地。その中庭。
周囲をレンガ造りの兵営で囲まれた、小さな中庭。
芝生がほんのりと茂り、暖かな午下がりの風が吹いている。
そして彼女の傍らには誰が放っておいたのだろうか、
赤いブリキのラジオが一つ置いてある。
ふと、洗濯物を干す手が止まる、その目に留まる。彼女は思わずそれを手に取る。
電源を入れた。
『さぁーっって、今日のクロッセル国営・対・G殲滅キャンペーン放送だ!
兵士の皆さんお元気? 慣れない戦線で体調崩しちゃ、Gと戦えなくなっちまう!』
急に流れ出した軽快な喋り口に、彼女はくすくすと笑う。
きっとどこかにいるのだろう。今日もあの実直な青年は戦っているのだろう。
何となしに、その面影を思い出した。
時々こういうことがある、そしてあの温かさを思い出す。
ふぅ、と息を一つ吐く。
さてそろそろ休憩でもしようか、と。思い立った時だ。
『じゃあ今日のまず最初の一通、……ザザ、さて今日最初のナンバーは、くるりで、ロックンロール』
突如として、異国の言葉が流れ始めた。
『いやーっ、男臭い曲ですよねコレ。リクエストした人誰ですかね、絶対学生だわ』
『安藤さんそんなこと言わないであげましょうよ。
大人の方で、思い入れがある方かも知れないじゃないですか』
「?」
彼女はそこから流れてくる言葉に不思議な感覚を覚える。
まるでそれは、どこかから、時を越えてやってきたかのような。
どこか懐かしさをはらんだ、例えようのない言葉。
そして次の瞬間、ラジオから音楽が流れ始める。
イントロというのだろうか、どこか派手に。
見たことも聞いたこともないような、楽器の音色だ。
連邦でよく聞く音楽もまた、よく他の国のものと比較されて、派手だと言われるものの
ここまで派手な印象を受けるかというと、疑わしい。
彼女は少しおかしくて笑った。次の瞬間流れ込んできた歌詞は。
どこか優しげに紡いでいくものの、なんだか頼りないような気がしたからだ。
そもそも歌詞を聞き取ることすらできないというのに、おかしかった。
とてとて、と可愛らしい足取りで、黒いワンピースにその小さな体を包み込んだ少女が、基地の廊下を歩き回っていた。
どうやら何かを探しているらしく、しきりにあたりを見回している。
そして、開け放された扉の向こう、中庭の丁度日の当たる場所で
誰かの手作りだろうか。
丸太と小さな切れ端を組み合わせて作られた椅子に腰掛ける、トリアの姿を見つけた。
物干し竿に一枚きりのシーツが、真っ白な光を受け止めて、風にそよいでいる。
「トリアさーん! 皆さんと一緒にお昼にしませんかー?」
「あ、はーい。隊長。ちょっと待ってて下さいね」
トリアは立ち上がると、スカートについた塵を払う。
背後にあるシーツを籠に入れて、一連の作業は終わりとなる。
「はい、すぐに終わりそうなので、ここで待ってますね」
小柄な少女はにこやかに言った。
「……あれ? ラジオですか?」
トリアは一瞬シーツを巻き取る手を止めて、すぐに言う。
「あ、ハイ。誰が置いていったのか分からないんですけど」
「何を聞いて、--ああ! 分かりました、国営放送ですね!」
今も流れ続けるパーソナリティーの軽快な喋り口に気付き、笑顔でそう言う。
「はい」
「トリアさんは、こういうのよく聞くんですか?」
「いえ……私はそうでもないんですけど、隊長は?」
「私は、結構好きですよ!」
昔、カラヤ司令がですね、こういうの好きでー。
と少女はちょっと興奮気味に、少し舌足らずな調子で話を始めた。
そうなんですか? とトリア。
洗濯物の詰まった籠を持ち上げる。
少女に笑顔で答えながら、仲間の待つ場所へと歩き始める。
……
たった一欠片の
勇気が、あれば
本当の
優しさが、あれば
貴女を想う
本当の心があれば
「『僕は全て、失えるんだ~っ♪』っと」
ここは
グレートウォール戦線、夜空の下。
目の下をまるで墨で塗ったような、青黒い痕のある青年が歌った。
「あ? テメェ、今何か言ったか?」
「え、俺何か言った?」
「言ったさ、何か歌みたいだったけど」
こちらは顔の輪郭を普段より二周りほど大きくしただろうか、士官が言葉を切る。
「そんなことよりお前妹いたろ」
「いきなり何の話を」
「紹介しろよっ」
「まだ十二歳だよっ」
再び押し問答が始まろうとしていた。
ふわりと夜風が包み込んだ。
最終更新:2008年11月29日 00:42