ラサドキン大佐のドクトリン 前編

(迅鯨)

tump tump.
tump tump tump tump.
tump tump.
tump tump tump tump.

 規則的に繰り返すパーカッション。
 くぐもって聞こえる。
 鉄の子宮。
 36.5度に保たれた生理食塩水の羊水。
 それは全てを備えた虚無の楽園。

tump tump.

 規則的に繰り返すパーカッション。
 羊水を循環させるポンプの駆動音。
 耳元で頭蓋を優しくノックする脈動。
 彼女は鉄の子宮の中で静かに胎動していた。そのとき何かを思うことはなかったが、彼女はとても幸福だった。
 ただ虚無に身を委ねていれば何も思う必要も無かった。
 ただただその幸福に身を委ねるだけで、その幸福すらも自分であって、世界の全ては我が身の全てで……。

tum p tump
ttu.mmpp tum…….

 不意に乱れはじめたパーカッション。
 離別、決別、別離、離散、疎外、追放、放逐、孤独。
 楽園の終焉。
 はじまりのおわり。


 改身繭から引きずり出されたMAIDは、誕生のその瞬間は泣いているものだ。それはそのまま産声と呼ばれたりもする。
 なぜ泣くのだろうか?一説によれば彼女が始めて認識する人工の子宮とは比べ物にもならない世界の広さに、五感を通して入り込んでくる情報のあまりの多さに、驚
き、不安を覚え、恐怖し、パニックを起こして泣くらしい。多くの研究者によって議論がなされたが、現在ではその説が概ね支持されている。

 それだけだろうか?こんなことを私が言うのはおこがましいがどうにもそれだけには思えない。私には彼女たちのの産声が呪詛にも聞こえる。
 例えばエデンを放逐されたアダムとイヴは自分達の軽率のみを悔いたであろうか?自分達を茨の野に追いやった神を恨んではいなかっただろうか?
 ただ戦うための道具として、力のみを与えられ、鉄の楽園から引きずり出されたてきた鬼子たち。彼女らは人間を恨んではいないだろうか?
 びくんと一度、私の眼前で改身宮の中のMAIDが胎動した。単なる反射運動かもしれないが、私には彼女がこれから待ち受ける自身の運命に戦慄してるようにも思えた。
 そんなことなど知る由も無いのだが……。




       胎児よ

          胎児よ

       何故躍る

          母親の心がわかって

               おそろしいのか




 ……ブウウーーーーーーーンンンーーーーンンンん……。

 遠くで、近くで、ミツバチの羽音のようなそんな音がした。
 音はてんででたらめに反響して聞こえ、どこから響いていたのか解らない。残響はしばし鼓膜にこびりつき、そしてゆっくりと溶けていく。

 レゲンダの一番最初の記憶はこの音からだ。

 うっそりと目を開くと、視界は白っぽくぼやけていて光の強弱を感じる意外には何も見えない。右半身に圧迫感を感じるのは重力の働く環境下で右を下にして横にな
っているからだ。
 彼女は身を起こそうとしたが五体の感覚が今一つかめない。体全体が弾力のある分厚い空気の層に包まれているように感じられ、末端に行くに従って神経の密度が薄
らいでいき、胸から遠ざかるにつれて自分の体が虚無へと消え入ってるように思えた。
 手足はてんでばらばらに動いていうことを聞かず、ちょっと手を伸ばそうとしたつもりが弾かれたようにびくんと一気に伸びてしまい、引き戻そうとすれば今度は反
対に一気に胸元に戻ってきてしまう。十本の指はイモムシのように弱々しくのたくって、薄く黄ばんだリノリウム張りの床を意味もなくカリカリと引っかいた。

 現時点で彼女自身が自分の体に違和感というもの感じているかどうかはわからない。手足が思うように動かないと感じているのであれば、それはつまり以前は思うよ
うに動いていたということである。 彼女の記憶には今より以前というものが無い。

 それでもバタバタと闇雲に手足を動かしているうちに、五体に張り巡らされた神経が絡み合い寄り合わさっていくようにして結びついていくと、次第に体にまとわり
付いたしこりが解きほぐされてていくように感じられ、動作も意味を持ったものへと集約されていった。そして数時間後にはなんとか這って動けるまでになった。
 ようよう芽生え始めた好奇心の赴くままにそこらじゅう這い回ってみると、ここが四方をコンクリートで塗り固められた部屋であることがわかった。未だに視界はス
リガラスのコンタクトレンズをはめ込んだようにぼやけていてよく見えず触覚だけを頼りに周囲を探る。
 額を壁にこすり付けながらグルグルと手探りで部屋を回ってみたり、壁や床を叩くなどして認識の空白を埋めようとした。その行動は本能的なものであると言ってもよい。 

 他とは違くてヒンヤリしていて、デコボコしていて鼻がつんとする変なにおい。それは鉄の扉。
 硬くてふかふか。それはベッド。
 硬くてぐねぐねしてて……。それは洗面台へと続く排水管。

 そうしモサモサと這いずり回ってるうちにある場所でうごめくが影いることにレゲンダは気付いた。この頃には彼女の視覚も、物の形をぼんやりとだがある程度わか
るようになっていた。触れてみようと手を伸ばす。影もまた手を伸ばす。それにびっくりして手を引っ込めると、影もまた手を引っ込める。
 おずおずと手を伸ばしては引っ込める。それを何度か繰り返すうちに手が影に触れる。影もまた伸ばした手にピタリと手を合わせる。感触は硬く冷たい。それは鏡。

 鏡の前で色々試すうちにどうやらその影は自分であることにもようやく彼女は気付いたようで、それに気付いてからはきゃっきゃとはしゃいで、バタバタと体を動か
してみたりして鏡に写る自分に夢中になった。

 そんなレゲンダの様子をマジックミラーの向こうから見ているものがいた。
 「MAIDというものは初めて見るが、これはこういうものなのかね?」と鏡の向こうの部屋で、腕組みしながら様子を窺っていたラサドキン大佐は主任技師のオル
ロフに尋ねた。「はい、術後の経過は良好のようです。今のところ特に問題はありません」とオルロフは口下手らしい口調で訥々とそれに答える。
 「まるで赤子でないか」というのも、このMAIDの教育を仰せつかったラサドキンにしてみれば、自分の担当するMAIDの様子に憂う所があるらしい。
 「はぁ…ですがこれはそういうものなのでして、ええ、そもMAIDというものは……」とオルロフはたどたどしく説明を始めるが、彼は自分の専門分野以外ではま
るで愚鈍な男のようで、その説明というのも門外漢のラサドキンにしてみればいちいち晦渋極まり、異国の言語を聞いてるようで容量を得ない。それでもオルロフにな
んとか出来る範囲で噛み砕いて説明させるとだいたいこういうことらしい。

 エターナルコアをインプラントされた肉体は、コアから送り込まれる強力なエネルギーによって急速に代謝が加速し、人体を構成する全ての細胞がアポトーシスを
はじめ、僅か数週間のうちに全ての細胞が新しいものに入れ替わってしまう。その過程で脳に収められた記憶も個体差はあるものの僅かな断片を残して、多くは失われ
てしまう。
 運動神経や自律神経といったものも例外ではない。MAIDはまず赤子に戻って体の動かし方から一からやり直さねばならない。
だがそれは肉体が既に一度経験したことであるから人間ならば数年かけて獲得していく動作もMAIDならば数ヶ月、数週間、数日、時には数時間で達成してしまう。
 例えるならレールを撤去されてもレールがあった場所は既に整地されているのだから、新たに引き直すのは最初のときより早く出来てしまう理屈である。だから頻繁
に使う運動機能の回復は恐ろしく早い。ということらしい。

 「…というわけなのであります」「なるほどなるほど」とラサドキンは二度うなづき、技師の説明にある程度合点がいったところで「…して、私の出した要望にはど
の程度応えられそうかな?」と本題を切り出した。
 「はぁ、それにつきましてはこちらも出来る限りの処置を施したのですが、こういうことには前例というものがなく……」とオルロフは弁解がましく、ラサドキンの
顔色をちらちらと窺い言い淀む。「成否については現時点ではわからない。ということですかな?」とラサドキンが二の句を接いで続きを促すと、「はい、その通りで
ございます」と卑屈なくらい慇懃な態度で肯定し続きを述べ始める。
 「……ご要望に添えるためには、薬物を投与して彼女の脳の受容体の感度を高める措置によって可能となっているはずです……あくまで理論上の話ですが。ですがこ
れは器質的な面からその素地を用意したに過ぎないわけでして、実際に大佐の提示した使用を可能とならしめるには、その後の教育によって条件付けを行っていく必要
があるかと存じます」とまでいって「あくまで理論の上ではですが」と一々付け足す。
 「条件付けというと要するにパブロフの犬にするということか……」ラサドキンはしばし思慮深げにうつむき、顎をさすり、さすりしながらオルロフの説明をを頭の中
でゆっくり反芻するとやがて「結構結構」とやおら頷いて、この男にしては珍しく厳かな表情と声音で、自分自身に宣誓するように、「そのために私は来たのだ」と静
かに言った。

 「…同志ラサドキン」オルロフはおずおずと口を開く。
 「何かな?」「あの、その…執刀した私が言うのもなんですが、私としてはこのような処置を講ずることは……その、遺憾に思っているのです」とオルロフは言いよ
どみながらなんとかこれだけを言う。語の最後あたりは消え入るように口ごもってしまい、ちゃんと最後までラサドキンの耳に届いたかどうか解らない。半ば言わなけ
れば良かったとも思い、だがしかし、ラサドキンの耳にはしっかり届いていた。「それはどういう理由からかな?」
「畏れながら……一つにわが国のMAID技術はいまだ揺籃の域を脱しておらず、そのような段階で不確定要素の多いプランを実行するには甚だ無謀に思えてならないので
す。コアに適合する素体はそう簡単には見つかるものでもありませんし、貴重なMAIDをかかる実験で潰してしまうには惜しいかと」

 それは無理からぬことである。なにせMAIDはほんの数年ほど前に登場した新兵器であり、その製造方も運用方も未だ確立されてはおらず、MAID一体ごとに技
術者が付きっきりで全工程を管理しなければならない。前線からの需要に対してMAIDの供給が一向に追いつかないのもこのためだ。
それはヴォ連においても同様のことで、しかもヴォ連では今年に入ってから本格的な生産開発計画が立ち上がったばかりとなれば尚更である。
 また諸所の事情からこの時点のヴォ連では安定してMAIDを生み出す技術は確立されておらず、その製造過程で5割以上のMAIDがなんらかの理由で死んでしまう。
羊水を循環させるポンプが不調をきたし換躯繭と呼ばれる試験管の中でMAIDが壊死してしまったり、細胞死が余りにも急激に進んでしまったために衰弱死してしまっ
たりなどである。この時点では成功例というのはまだまだ稀なのだ。

 「なるほど。だがそれはお上の考えることであって一技術者に過ぎない君の気にすることではない。なるほど確かに素体は貴重だ。だが代えはきく。MAIDも現時点では
容易に代わりを作れないとしても何れ量産体制が整えば幾らでも都合は出来る。だから今のうちに早い段階でドクトリンを確立してそれを量産型にフィードバックしてい
かなくてはならないのだ。同志オルロフ。君は君の成すべきことをただ成せばよろしい。……他には?」
 ラサドキンのはれぼったい一重目蓋の隙間から覗く瞳はひどく無機的で、金属的な冷たい光を放っていて、それだけで内向的なオルロフを竦ませてしまう。他には?
次を促されても喉につかえて出てこない。
 「良心が咎めるのかね?」オルロフが言うのに躊躇っているがその様子からラサドキンはずばり内心を見透かしていた。
 「はい…」とようやくそれだけを喉から搾り出した。
 ここでラサドキンはさらに居丈高に長口舌をふるまってやろうと思ったが、それで相手を黙らせることは出来ても納得させることは難しかろうと思いなおし
 「それは確かにて心苦しいところであろうね……」と言いよどんだ。理屈は便利だがそれで人間の心は割り切れるものでもない。それに……。

 しばし気まずい沈黙が流れる。

 手持ち無沙汰になったラサドキンは懐からタバコを取り出して口に加える。「あ、宜しいかな?」とラサドキンが喫煙の許可を求め「ええ、どうぞ」とオルロフは答える。
「君は?」とラサドキンはタバコを差し出すが「いえ、結構…」と言いかけたところで、オルロフは思い直し「いえ、やっぱ一本下さい」と言ってラサドキンからタバコを受け取った。 
 ラサドキンはライターを差出すと、「……あ、どうも」とオルロフは軽く会釈をしてタバコに火をを灯し、ゆっくりと肺の置くまで、肺胞一つ一つに余さず行き渡るよう毒を一杯に
吸い込む。

 「まぁ、でもそのなんだ…」紫煙を吐き出しながら一息つくとラサドキンはやおら口を開く。「まぁ、今更なぁ……やっちまったこったし、私もたまわっちまったこ
ったし。上がそうしろと決めたら…ねぇ?」先ほどの軍人らしい横柄な口調とはとって変わって今度はやけになれなれしい口を利く。「ええ、それはそうなんですが…
…」やるせねぇとオルロフ。逆らえば何処に飛ばされるかわかったもんではない。お互い言葉は少ないが言いたい事はおおむね通じる。ラサドキンは本心からそう言っ
てるかどうか疑わしいが、一応本意ではないらしい。

 「だがねぇ…」と言いかけたところでラサドキンは言葉を失った。正面のマジックミラーの向こうに目は釘付けとなり口は半ば開かれて固まっている。怪訝に思いオ
ルロフはその視線の先を見やると「……!?」やはり絶句して、それから「レゲンダが……」となんとかそれだけを言うが、舌がもつれて上手く喋れない。一度浅く一息
ついてもう一度言い直す。それと同時にラサドキンも言葉を発する。二人の声が狭い空間に和して響いた。

 「レゲンダがたっちした!!」

 壁に両手をつけてよろよろと覚束ないが、それでも彼女の二本の足はしっかと大地を踏みしていた。「お、おお、おおおおお」とガラスの向こうでレゲンダはおめいた。
そんな光景にラサドキンとオルロフとの間に漂っていた先ほどの沈鬱な空気はどこかに消えうせて、それに代わってそこには生命の美しさに歓喜し、魅了されたオッサン達の姿があった。
 オルロフは思った。そりゃ半日近くも代わり映えもしない行動をここからモニターすれば退屈して気も滅入ってくる。さっきのアレは今回も失敗なのではないか?MAIDはあの
 状態から一向に進まず、そのまま処分されてしまうのではないかという不安から生まれた一時の気の迷いでしかなかった。こうして新たな変化が目の前で起こればそん
なのもはどこかに吹っ飛んで次への意欲が湧いてくる。

 オルロフの思考は彼の知性と情熱に閃き、輝いて霧がみるみる晴れていくようにして冴え渡っていく。
 科学者としてのサガゆえかオルロフの脳裏には早くも次の段階の実験計画が駆け巡っている。倫理など何するものぞ!!革命に神は不要!!
 この国の父は言われた。『私は倫理なんか信じない。それらにまつわる嘘や御伽噺は全て暴いて見せるつもりだ』と。そうだともつまらぬ観念にかか煩うなど反動的
だ。良心と名乗っていたのは良心なのではなく、単に今の立場に固執し保身に走る私の惰弱な精神が生んだ遅疑逡巡であった。 
 哲学などと言うものは所詮思惟的な物でしかない。そこに生まれた逡巡は行動によって打ち砕かれる。そう革命は常に前進の精神である。

 しかして神はここにある!!

 1939年吉日。立てば歩め、歩めば走れ、走れば飛べ、飛べば次元跳躍のソヴィ心がそこにあった。



*


最終更新:2009年02月03日 02:14
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。