(投稿者:店長)
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遠野第一帝都ホテル。
洋式の建造物が立ち並ぶ街中でも一際豪華さを静かにアピールするこの物件の一室。
表向きは存在するはずのないことになっている隠し部屋があることは既に調査済みである。
今頃、近衛師団の面々が秘密裏に周囲を封鎖している頃合だろうか。
少しばかり雪がちらつき始めた帝都の中を巴は和傘を広げて歩く。
赤い和傘の上に、白い雪をうっすらと化粧のように載せていく。
首元を信濃が編んでくれたマフラーが包んでいる。
質素だが、その分彼女の思いやりが篭っていると、巴はらしくない思考だと重いながらも小さく呟く。
「さて……」
巴は路地裏からホテルの裏口へと向かう。
ホテルの裏口から地下へと続く通路があり、そこから隠し部屋に繋がる道に繋がっているからだ。
巴が裏口に至るまでに、近衛師団所属の兵──といっても私服を纏っていて見分けが付かないが、巴のもつ後天的な才能によって見分けている。近衛師団の兵の気配はそれだけ特有なのだ──が二名待機していた。
うっすらと地面に赤い染みがあるところを見ると、相手側の見張りを仕留めたのだろう。
「……清掃しに参りました」
「了解」
和傘を閉じながら、裏口の前に立つ巴。
いつの間にか、雪は止んでいた。雪によって音は吸い込まれているのか、あたりは静寂が居座っている。
今日巴が持ってきた赤い和傘の取っ手……そこには普通の傘にはない止め具が備わっていた。
それをゆっくりと止め具を外す。そのままゆっくりと引き抜く……中心の骨から、つや消しが成された刃が引き出された。
この和傘は近衛師団が運用している仕込み武器の一つである。
通常の楼蘭の将兵が用いる刀ではなく、どちらかといえば錐に近い形状をしている。
運用のほうも斬るのではなく突くことを重点においてある故にだ。
強度のほうもあまり良いとはいえないのが実情だが、どうせ一、二回程度用いればよい。
「……御武運を」
裏口を潜る直前で、そんな言葉が聞こえた気がした。
☆
裏口から進入した巴は気配に気を配る。
後天的に得たこの能力はこういった裏仕事に役立つ。
例え敵が隠し部屋に潜んでいようとも。物陰から待ち構えていようとも。
音無き音を拾い、像無き像を追う彼女の索敵網から逃れることは、少なくとも初見ではありえない。
意識の糸を張り巡らせる様は蜘蛛に近い。網に掛かった時、糸の振動によって蜘蛛は獲物の有無を知るのだから。
巴の意識の範囲に、人の呼吸が取り込まれる。おそらくは相手側の関係者だろうその人物の呼吸に己の気配を載せる。
気配を察知し把握する能力は、己の纏う気配をも操ることを可能にした。
水に砂糖を溶かし込むように、巴はこの時相手の気配の中へと溶け込んだ。
あとは視覚や聴覚によって察知される前に、その和傘の形をした凶器によって、
トス……。
叫ばれぬように、一撃で脳髄を破壊する。
残るのは糸の切れたマリオネットのように手足を投げ出し崩れ落ちる人だったモノ。
悲鳴すら、残しはしない。
嗚咽も慟哭なんてもってのほか。
きっと被害者は殺された事実すら把握せずに逝ったはずだ。
単純作業さながらに、物言わぬ死体を最低限だけ生産しながら進む。
こうして目的の部屋まで可能な限り早く到達する。
最早人を能動的に殺めたことぐらいでは心は動揺しない。
「……」
呼吸の音すら、耳障りになるほどに静かな廊下を歩く。
地下特有の薄暗さの中を巴の足袋の音だけが響く。
たどり着いた扉の前で巴は一度止まる。中の気配をゆっくり探る。
──数は十二、そのうち人外が半数か、困ったな。
余り困った様子でない脳内での口調は、ただ面倒だと考えてる。
残念ながら、地下から地上へと情報を伝える手段をもってない巴はこのことを告げることが出来ない。
このまま行くなら中の敵を全て
一人で殲滅しなければならない。
──おそらくメードが六体。大方陸軍保有のだろう。同胞を斬ることになるとは。
予想してたことだ。そう最後に巴は締めくくり──扉を開けた。
☆
きぃ、と扉が開いていく状況に、中にいた人物らは一斉に入口に視線を向ける。
メードらは各々の武器を既に構えている状態で、すぐにでも攻勢に出れる体勢だ。
格好も、楼蘭メードの大半が基準の服装である袴姿のそれだ。持つ武器も基本に忠実に近接兵装である。
内部にいたのは男女含めて六人、そしてメードが六体。
その内の一人のメードが、不意に幽霊を見たかのように震えながら言葉を漏らした。
巴もまた、そのメードに対して言葉を放つ。──侮蔑軽蔑を多分に含んだそれを。
「……巴」
「おや、死んだ筈ではなかったのか? 駒姫」
駒姫。元は巴と同期に生産されたメードである。
違うと言えば教育機関が終了した折に派遣された先がグレートウォールのほうであったぐらいだ。
そして四年前に戦場で名誉ある戦死をしたという報告がされていたはず。
あの日のことは覚えている。あの時生きていたメードらは死んだ彼女を悼んだのだから。
名誉ある戦死だ!と飲み慣れないザハーラの酒を飲んで冥福を皆で祈った。
あの時流した涙は、無駄だったというのか?
こんなくだらない作戦の為に、皆を欺いたのか?
表情は能面のまま、ドロドロとした灼熱の何かがもたげる。
「知っているのか? 駒姫」
「……同期です」
駒姫の後ろにいる男──格好こそ私服だが、その下の肉体のつき具合は一般人のそれではない。
おそらくは軍人かその関係者だろう──が駒姫に巴のことを尋ねる。
そして男性が耳打ちをする。戸惑いを見せていた駒姫が希望を抱いたのか、表情が少し明るくなる。
──同期だと? ふざけるのも大概にしろ。
貴様のような裏切り者が……。
あの時、純粋に国を思って死んでいった戦友。
その戦友らが守りたかったモノを裏切ろうとする貴様らは。
磨耗した心が、軋みを上げる。忘れたはずの感情の一つが、唐突に蘇ってくる。
「わ、私たちはこの国のことを憂いている。今この国に必要なのは新しい秩序。そのために私達は革命を進めてきた。巴、貴女もいまの政府に煮え湯を飲まされてきたはずよ?」
──虫唾が走る。
お前達がしようとしている事を、本当に理解しているのか?
この時期に起こそうとする革命は、前線の同胞らに刃を突き立てることに等しいことを。
そもそもこのクーデターすら、政治を私事にする腐れ達が自分達の利権のために起こしたオママゴトに過ぎないことを。
ただ奇麗なことしか考えることの出来ない、餓鬼が。
「さあ、巴。貴女も──」
「寝ぼけているのか? 反逆者」
懐柔の言葉を無残に切り捨てる。
駒姫の表情はまず固まり、そして先ほど以上に絶望に染まっていく。
「貴様らは反逆者だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「そんな、貴女だって──」
──お前達はただの裏切り者だ。そう、甘い理想しか見てないただの裏切り者だ。
死んであいつらに謝るがいい。現実はお前達が思うほど甘くない。
「しゃべるな死人。一度死んだ身だろ? 迷わず──黄泉路に戻れ」
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最終更新:2009年01月04日 17:18